70年代から80年代にかけて脚光を浴びた音楽のスタイルに、クロスオーバーと呼ばれてい たスタイルがあった。その中で、ロックの世界からも熱い視線を浴びていたバンドが、い くつかあった。ハービー・ハンコックのヘッド・ハンターズ、ウェザー・リポートといっ たバンドだが、何と言ってもジョン・マクラフリンのマハビシュヌ・オーケストラとチッ ク・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーの人気は凄かった。いまになってみると不 思議な感じがするが、ハービー・ハンコックやジョー・ザビヌル(ウェザー・リポート) 、おまけにキース・ジャレットまで加えても、チック・コリアが頭一つ抜きん出ていた時 代が確かにあったのである。 この時代のリターン・トゥ・フォーエヴァーの人気は凄くて、各メンバーがそれぞれソロ 契約を結んでいたほどである。有名で才能のあるミュージシャンでも契約が困難な現在か らみると、凄い時代であった。実際にギタリストのアル・ディメオラは、もの凄い早弾き で注目のまととなり、スペインのギタリストのパコ・デ・ルシアなどとやった生ギターに よる全米ツァーなども行われた。アレンビッグのスモール・ベース・ギターを物凄いテク ニックで弾きこなすベースのスタンリー・クラークは、ジェフ・ベックとのワールド・ツ ァーなどでロックからも注目の人となり、ついにはポール・マッカートニーのアルバムに まで参加したほどである。 チックの活躍も、他のメンバーに負けていなかった。初期リターン・トゥ・フォーエヴァ ーでの《ラ・フィエスタ》、《クリスタル・サイレンス》、《スペイン》といった名曲の 連発に始り、アル・ディメオラが参加してからの中期リターン・トゥ・フォーエヴァーの ロック色の濃い作品、それと同時並行でおこなっていたソロ作品など八面六腑の活躍だっ たのである。そのソロ活動の第一作となったのが、『ザ・レプリカウン(邦題:妖精)』 というアルバムだ。僕はこのアルバムが大好きで良く聴いていたのである。当時の感覚と してはジャズとかクロスオーヴァーとして聴いていたのではなく、ピンク・フロイドなど のプログレッシヴ・ロックの延長のような感じで聴いていた。ただしこのアルバムで良い 部分は、レコードでいうとA面のみである。B面の出来は今ひとつだ。B面はチックのや りたかったこと(おそらくクラシカルな手法とジャズとポップスの融合)が拡散してしま っている。曲そのものも、残念ながら冗長で魅力に乏しい。 しかしA面はイイ。いま聴いても結構イイ。CDのトラック・ナンバーでいうと、5曲目 の《ナイト・スプライト》までがA面だ。チックのやりたかったことが、割とストレート に出ている。チックがこのアルバムでやりたかったことは、まずはリターン・トゥ・フォ ーエヴァーのバンドによるサウンドとは異なる音楽であろう。これに関しては、自分の弾 くキーボード類(とくに生ピアノとシンセ・ベース)のフィーチャーやストリングスの導 入などによって、リターン・トゥ・フォーエヴァーとは異なるスタイルであることをアピ ールしている。そして後に妻となるゲイル・モランのヴォーカル(というよりもヴォイス )をフィーチャーした音楽を創ることと、多様なスタイルをミックスした幅広い層にアピ ールできる音楽とすることだろう。この2つに関しては、チックはその後もしつこく追い 求めている。あまり奏功しているとはいえないものもあったが、この『ザ・レプリカウン 』では、まあ上手くいっていると言えるのではないか。 1曲目の《イムプス・ウェルカム》のプログレ・チックな始り方や、現代のスムース・ジ ャズのような《レノーレ》、初期リターン・トゥ・フォーエヴァーのフローラ・プリンを 思わせるゲイル・モランの歌い方がまだあまり鼻につかない《ルッキング・アット・ザ・ ワールド》、クロスオーヴァー&フュージョン時代のスーパー・スターの一人であるドラ マーのスティーヴ・ガッドが活躍する《ナイト・スプライト》まで見事な流れである。特 に、《ナイト・スプライト》のスティーヴ・ガッドは本当に凄い。後にニューヨーク・オ ールスターズやスタッフの一員として来日し、日本中のドラマーの注目の的となるスティ ーヴも、このときは日本では未だあまり有名でなかったはずだ。スティーヴに目をつけた 、チックはなかなか鋭い。何よりもこの《ナイト・スプライト》を聴くと、当時の自分が 、クロスオーヴァーと呼ばれた音楽のどのようなところに惹かれていたのかが、恥ずかし いくらいによくわかる。こういうのを聴いて、感心したりコーフンしたりしていたのだ。 その後のソロ活動でのチックは、数々のアルバム・ジャケットで思いっきり笑わせてくれ た(『マイ・スパニッシュ・ハート』、『シークレット・エージェント』、『タップ・ス テップ』、『マッド・ハッター』などのジャケットを見よ!)。そしてゲイリー・バート ンとの大傑作『クリスタル・サイレンス・ライヴ』を最後に、僕の中では急激に活力を失 っていったのである(何でだろう?)。70年代のチックのソロ・アルバム群は、リターン ・トゥ・フォーエヴァーの諸作に比較してあまり注目されないが、機会があればぜひ聴い てみて欲しい。意外と気がついていない魅力が、まだ眠っている音楽かもしれない。