《メルト・アウェイ》。ビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンが、 1988年に発表した初めてのソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』に収録されていた 曲のひとつだ。このアルバムがでたときには驚いた。おニャン子クラブや女子大生が巷を 騒がせていた1985年に出た久々の快作『ザ・ビーチ・ボーイズ』を最後にとんと噂を聞か なくなったブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムだったからだ。記憶は前後するが、 この頃ブライアンは坂本龍一の作品にもゲストで参加して、ストーンズが60年代にビート ルズのジョンとポールを加えてレコーディングした《ウィー・ラヴ・ユー》のカヴァーを やっていた。「変なことやっているな」と思っていた矢先の、このソロ・アルバムだった のである。この頃のブライアンには、ドクター・ユージーン・ランディという精神科医が べったりとくっついていた。ドクター・ランディはアルバムにもエグゼブティヴ・プロデ ューサーとしてクレジットされている(最初にアルバムが出たときには、いくつかの曲の 共作者としてもクレジットされていたが、再発版では全ての曲からドクター・ランディの クレジットは外されている)。この時代のブライアンは、このドクター・ランディの強い コントロール下におかれていたらしい。しかしそのような状況で、すばらしいソロ・アル バムを制作できたことは驚きであり、ブライアンの才能の凄さを感じざるを得ない。 このアルバムには《ラヴ・アンド・マーシー》という近年のブライアンのコンサートのア ンコールを飾る大傑作が収録されている。しかし《メルト・アウェイ》も、《ラヴ・アン ド・マーシー》に勝るとも劣らない大傑作である。ブライアンはこの曲について、「僕が 経験したアイデンティティの危機に関しての歌」と語っている。同時に「僕自身が思って いる”僕”と、みんなが思っている”僕”との在り方の歌」とも言っている。ブライアン は《メルト・アウェイ》で不安定な自分の心情を赤裸々につづり、そのような憂鬱が”君 の存在”によって溶けていくというようなことを歌っているのである。そのような大意の 歌詞が、ブライアンによる一聴して名曲だとわかるメロディにのせて歌われるのである。 この歌詞と曲の素晴らしいコラボレーションは、ブライアンの往年の傑作『ペット・サウ ンズ』を否が応でも想起させる。僕がいつ聴いても心を打たれる部分は、サビが終わって 歌われる(Sometime I close up to the world, You know I close up to you girl)と いう部分だ。この曲を最初に聴いたときは、僕はまだ独身で将来が漠然としていた時期だ った。そのためか、特にこの部分が僕の心の琴線に触れた。この曲におけるブライアンの 心情は、当時の僕の気持ちそのものだった。その歌詞がブライアンの繊細なボーカルによ って歌われると、切ないような苦しいような何ともいえない感情となったのをよく覚えて いる。遠いアメリカという国に住むまぎれもないアーティストであるブライアン・ウィル ソンの心が、《メルト・アウェイ》を通してとても身近に感じられたのだ。そのような感 情を音楽を通して与えてくれるアーティストは、世界に何人もいるものではない。アート というものは、本来そのようなものなのであろう。作品そのものとして物理的に存在して いるのではなく、聴き手(感じて)との間に存在するものなのであろう。しかし、いくら アーティストとはいえ、ブライアンのように傷つきやすい心を作品でさらけ出されてしま うと心配になってしまうほどだ。もっともそのことが、ブライアンの作品が時を超えて世 界中の人に愛されている理由でもあるのだろう。それに比べると、”悪ぶっているけど、 本当はとても繊細で傷つきやすいオレ”を演じているどこかの国の”アーティスト”と呼 ばれている人達はなんなのだろうと思ってしまう。 歌詞を中心に体験的な話をしてしまったが、チャイムの音を効果的に使用したシンセサイ ザー中心のバック・トラックも見事である。パーカッションの使い方など、『ペット・サ ウンズ』へのオマージュも聴き取れる。そのサウンドの上にのる、ブライアンによる荘厳 なコーラスの素晴らしいこと。とくに曲の最終部分のコーラスは、本当に自分の中にある 憂鬱が溶け出していくような気分になる。このような素晴らしい曲を、1曲でよいから創 ってみたいものである。