●ブライアン・ウィルソンとスマイル(その5)

ビーチ・ボーイズのいくつかある未発表アルバムの中で、『スマイル』はダントツの人気
をほこるものであろう。ブートレッグ盤も1980年代前半から、今までに何種類も発売され
てきた。その大きな理由は、『スマイル』が『ペット・サウンズ』や《グッド・ヴァイブ
レーション》に続く作品であり、ロック史上最高のアルバムとなる可能性を秘めていたと
いう伝説にあることは言うまでもない。だが『スマイル』人気のもうひとつの理由として
考えられることは、『スマイル』が未完成の作品だったことにあるのではないだろうか。
『スマイル』の全ては、初めて公式発表されたボックス・セット『グッド・ヴァイヴレー
ションズ/サーティー・イヤーズ・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ』やブートレッグ盤をい
くら聴いても知ることができない。ピースのいくつかがどこかにいってしまった(という
より初めから存在していない)、未完成のジグゾゥ・パズルのようなものである。しかし
先のボックス・セットやブートレッグを聴くと、あたかも全てのピースがどこかに存在し
ているような幻想に陥ってしまうところがある。熱心なファンは、それを追い続けること
になる。『スマイル』は、音源の有無であるとか、音源がどのように関連しているのかと
いう謎解きの面白さがあり、それが昂じて自分の中で”自分だけの『スマイル』”を作り
上げる楽しみさえあった。このようなミステリーを楽しむような聴き方ができたことが、
『スマイル』人気の理由の一つではなかったかと思う(音楽そのものに魅力があったこと
は、言うまでもない)。
『スマイル』の中でもっとも大きなミステリーだったのが、《アイム・イン・グレイト・
シェイプ》という曲であろう。この曲は、ブライアン・ウィルソンがキャピトル・レコー
ドに渡したメモに書いてあった『スマイル』収録曲の一つだが、ブートレッグなどでも音
源が収録されたことはなかった。《アイム・イン・グレイト・シェイプ》と書いてあって
も、実際には別の曲が収録されていたのである。この為、曲の存在さえ疑問視されていた
ものだ。ルイス・シャイナーの面白いSF小説「グリンプス」(特殊な能力を持つ主人公
がタイムトリップを行って、発売されなかった有名なロック・アルバムを完成させる)に
も、ブライアンが口笛で吹くこの曲の名前を主人公が尋ねる場面がでてくる。ブートレッ
グを聴いていた未来からきた主人公も、《アイム・イン・グレイト・シェイプ》だけはメ
ロディを知らなかったことがわかる場面だ。この曲は、そのような存在であった。しかし
1998年に発表されたビーチ・ボーイズの未発表曲集『エンドレス・ハーモニー』で、《ア
イム・イン・グレイト・シェイプ》は終に陽の目をみる。《ヒーローズ・アンド・ヴィレ
ィンズ》のデモ音源に含まれる1セクションとして、ブライアンによるピアノの引き語り
で歌われるのだ。この音源が出たことにより、《アイム・イン・グレイト・シェイプ》と
いう曲が確かに存在したことは明らかになった。ただし数小節が歌われているのみであり
、曲の全貌が明らかになったというわけではない。

ブライアンのニュー・アルバム『スマイル』の3つめのセクションは、この《アイム・イ
ン・グレイト・シェイプ》からはじまる。この曲は、ブートレッグなどでお馴染みの《ア
イ・ワナ・ビー・ラウンド》、《ワークショップ(別名:フライデイ・ナイト)》とメド
レーになっているようだ。《アイ・ワナ・ビー・ラウンド》はトニー・ベネットのヒット
曲のカヴァーで、ジェームズ・ブラウンなんかも歌っているポピュラー・ソングだ。なぜ
この曲が歌われるのかは、はっきり言ってまだ意味がよくわからない。しかし、歌詞を見
てみるとなんとなくブライアンの意図はわかる気がする。続く《ワークショップ(別名:
フライデイ・ナイト)》は、ストリングスをバックにノコギリやカナヅチといった大工道
具のSEが入る曲で、先の「スマイル・ツァー」でも実際の大工道具で音を出していたそ
うである。《アイ・ワナ・ビー・ラウンド》でバラバラのピースとなったものを、大工道
具で修繕するという意味なのであろうか。
そして《ヴェガ・テーブルズ》、《ホリディズ》、《ウィンド・チャイムズ》、《ミセス
・オレアリーズ・カウ》、《ウォーター/アイ・ラヴ・セイ・ダ・ダ》と続いていく。ニ
ューアルバムでは、《ホリディズ》は《オン・ア・ホリデイ》、《ウォーター/アイ・ラ
ヴ・セイ・ダ・ダ》は《イン・ブルー・ハワイ》とタイトルが改められているようだ。こ
の部分は、長い間「エレメンツ」と呼ばれてきた部分である。先にあげたブライアンがキ
ャピトル・レコードに渡したメモの中には、《ジ・エレメンツ》という曲の記載がある。
「エレメンツ」とは、当時ブライアンが興味を示していた宇宙を構成する四大元素(地・
火・風・水)を示しているといわれてきた。その四大元素にあたる曲が、それぞれ《ヴェ
ガ・テーブルズ》、《ミセス・オレアリーズ・カウ》、《ウィンド・チャイムズ》、《ア
イ・ラヴ・セイ・ダ・ダ》ではないかといわれてきたのだ。しかし先のキャピトル・メモ
では、《ウィンド・チャイムズ》と《ヴェガ・テーブルズ》はそれぞれ独立した曲として
記載されているのである。このことから、《ジ・エレメンツ》が何から構成されていたの
かということも、『スマイル』のミステリアスな部分の一つとなっていたのである。ブラ
イアン自身も自叙伝の中で、「風にあたる部分は、ピアノによる小品であった」というよ
うな発言をしている。1871年に発生したシカゴの大火災からタイトルをとった《ミセス・
オレアリーズ・カウ》だけは、《ジ・エレメンツ》の一つであったことは間違いない。ビ
ーチ・ボーイズの『スマイル』が持っていた”アメリカ史へのタイム・トリップ”という
テーマにも合致するし、ブートレッグ盤などではエンジニアが「ジ・エレメンツ、パート
・ワン、ファイアー!」と言っている声が聴き取れる。この《ミセス・オレアリーズ・カ
ウ》のオリジナル音源が持っている不気味な迫力を考えると、「エレメンツ」の意味は、
基本元素というより、自然の力を意味しているのではないかと思えてくる。そして他の、
”地、風、水”にあたる曲も、同じ様なインスト曲だったのかも知れないなどと思えてく
るのである。そのようないろいろな想像をして楽しめるのが、『スマイル』の魅力だった
のである。おそらくブライアンのニューアルバムの『スマイル』では、基本元素としての
「エレメンツ」には大きな拘りはないのであろう。それらの要素に関係しているといわれ
ている曲を中心に整理して、新しい『スマイル』用のセクションを再構築(というよりも
創造)したと見たほうが良いように思う。さて新しい『スマイル』は、どのような魅力が
あるのだろうか。ミステリーも、明らかになるのであろうか。答えはもうすぐである。