●ソウル・ミュージックの素晴らしさ10:暗いんだよね、『ホワッツ・ゴーイング・オン』

マーヴィン・ゲイ。ソウル・ミュージックを語るとき、避けて通れない人物の一人だ。し
かし、マーヴィンほど一面的な聴かれかたをしている人もいないのではないだろうか。そ
の要因は、かの大ヒットアルバム『ホワッツ・ゴーイング・オン』にあると思う。マーヴ
ィン・ゲイといえば『ホワッツ・ゴーイング・オン』。インターネットの売上ランキング
でも常に上位。我が国の音楽ファンの間には、そんな空気が存在するように思える。確か
に”マーヴィンにしか創れなかった”名盤だと思う。「何がおこっているんだい?」と問
い掛けるタイトル曲は、ジャズのサックス奏者レスター・ヤングに影響を受けたマーヴィ
ンのなめらかな歌とファンク・ブラザーズの演奏が見事な相乗効果となった名曲であるこ
とは間違いない。そればかりか、ソウル・ミュージックのみならず全てのジャンルの音楽
において発明品といえるものだ。それは紛れもなくマーヴィンが創り上げたものである。

しかしアルバム全体のムードは暗い。このアルバムは曲間の空白が殆どなくメドレーのよ
うに曲が続いていくが、全ての曲がタイトル曲の焼き直しのような曲調なのである。『ホ
ワッツ・ゴーイング・オン』しか聴いたことの無い人は、マーヴィンを暗い歌手だと思っ
てしまうのではないか。そんな余計な心配をしてしまうのだ。このアルバムが名盤とされ
ている理由は、内省的で社会性にとんだ歌詞、およびマーヴィンが自らの意志でその社会
性を世に問うたことと無関係ではないようだ。要するに、音楽そのものよりもアルバムの
歴史的意義ばかりが取り上げられることのほうが多いのである。確かにこのアルバムが存
在しなければ、70年代のスティーヴィー・ワンダーの眼を見張るような成果や、ソロ歌手
としてのマイケル・ジャクソンの成功は有り得なかったかもしれない。しかし自信をもっ
て言うが、『ホワッツ・ゴーイング・オン』はマーヴィンのベストではないのである。

ニュー・ソウルの旗手のように語られることの多いマーヴィンだが、いろいろと調べてみ
ると、かなり奇妙な性格の人だったようだ。神経衰弱ともいわれる軍隊からの除隊、17歳
年上のアンナ・ゴーディ(モータウン社長ベリー・ゴーディの姉)との結婚、デュエット
の相手だったタミー・テレルの死のショックによる引き篭もり生活、プロ・フットボール
選手になることを本気で実行に移す、ノストラダムスの書物にのめり込み全世界を破滅か
ら救う手立てを本気で考える、そして止められなかったコカイン。マーヴィンの人生を彩
る様々なエピソードが伝えるのは、ニュー・ソウルの旗手と言われている人物の、あまり
にも繊細でかつ奇妙な精神状態である。プロ・フットボールの選手になろうと思ったり、
全世界を破滅から救う手立てを考えたりすることを本気で実行することは、通常の人々の
感覚ではありえないことであろう。

それらはマーヴィンのアルバムのテーマにも顕著に現れている。”愛とセックス”をテー
マに創った『レッツ・ゲット・イット・オン』、そのレコーディング中に出会った”17歳
年下”のジャニス・ハンターという女性への「欲しい」という思いをそのままアルバムに
してしまった『アイ・ウォント・ユー』なんていうのはほんの序の口で、アンナ・ゴーデ
ィーとの離婚をアルバム化した『ヒア・マイ・デア(邦題:離婚伝説)』など、「そんな
もんをテーマに、普通アルバムを作るか!」と突っ込みを入れたくなるほどだ。ちなみに
『ヒア・マイ・デア』と、自分でデザインを考えたというモータウンの最終アルバム『イ
ン・アワ・ライフタイム』は、ジャケットもおぞましい。「こんな図柄(悪魔と天使の格
好したマーヴィンが描かれている)、普通アルバムに使うか!」と再び突っ込みを入れた
くなる。

とどのつまりは、大名盤といわれている『ホワッツ・ゴーイング・オン』というのも、そ
のような繊細で真っすぐな心をもつマーヴィンだからこそ作りえたアルバムだと僕は考え
るのだ。このアルバムを制作する前のマーヴィンは、タミー・テレルの死により音楽から
半ば引退し、どういうわけかフットボール選手になるという強迫観念にとりつかれていた
のだという。マーヴィンを心配した作曲家でプロデューサーのアル・クリーヴランドは、
フォー・トップスのオビー・ベンソンと書いた《ホワッツ・ゴーイング・オン》という曲
を手土産にマーヴィンのところに行った。アル・クリーヴランドは、マーヴィンにこの曲
をやってもらいたかったのだ。そのような時期に、弟のフランキーがヴェトナム戦争から
帰って来た。マーヴィンのところに来たフランキーは、ヴェトナム戦争で味わった恐怖や
無意味さをマーヴィンに熱心に話したのだと言う。

これがマーヴィンの創作意欲に火をつけた。マーヴィンは、アル・クリーヴランドが持っ
てきた《ホワッツ・ゴーイング・オン》に仕上げを施してレコーディングを開始した。弟
の話からインスパイアされたマーヴィンの”社会意識”は、そのままアルバムのカラーを
決めるものとなった。マーヴィンがアルバムで取り上げたテーマは、ヴェトナム帰りの思
いを筆頭に、ドラッグ、子供への愛、家族の繋がり、神への誓い、エコロジー、貧富の格
差、現代の生活(とくに税制度)への憎悪と多岐に渡っていた。この社会性が『ホワッツ
・ゴーイング・オン』の評価を高める要因の一つとなっているのだが、70年代初めにエコ
ロジーのことを真剣に歌う人というのは、”社会的な先見性に優れた人”ではなく、やは
り”変わっている人”なのではないだろうか。何しろ”全世界を破滅から救う手立て”を
本気で考えていた人である。エコロジーくらい朝飯まえだろう。

「世の中を何とかしなくちゃ」という”まっすぐな”思いで社会運動に身を捧げる人は、
それこそ世の中に大勢いるが、マーヴィンの性格というのはそのようなタイプの人に非常
に近いのではないだろうか。『ホワッツ・ゴーイング・オン』というアルバムは、そのよ
うなマーヴィンの性格がよく現れているように思うのである。確かに優れたアルバムでは
ある。ことにサウンドのメローなグルーヴ感は特筆ものである。しかし、同時になんとも
いえない暗さも感じてしまうのは、楽曲の成り立ちがそのような背景によるもだからであ
ろう。『ホワッツ・ゴーイング・オン』を制作している時期に、マーヴィンが”自分の拠
るべきところとして”考えていたことが、”離婚”とか”セックス”ではなく、たまたま
”社会問題”だったということにすぎないのではないだろうか。マーヴィンの創造力の中
で、これらが同列に置かれていることを見逃してはならない。

それでは、そんなマーヴィンのベストはいったい何なのか。マーヴィンの特徴といえば、
ずばり声のよさだ。さすがに父親が牧師のことだけある。その声のよさは、マーヴィンの
好みだったジャジーな曲よりも、明るいポップな曲のほうがよく映える。つまり、アーテ
ィストとしての自意識に目覚めた『ホワッツ・ゴーイング・オン』以前の歌のほうが断然
良いのである。これは、マーヴィンのベスト盤を聴くことによって、多くの人が体感でき
ることだと思う。マーヴィンは、なかなか自分の仕事に満足できなかったというが、それ
はマーヴィンの複雑な性格が禍いしてのこと。レコードに残されたマーヴィンの歌は、本
人の思いとは裏腹に、素晴らしいものが多いのである。いたずらに『ホワッツ・ゴーイン
グ・オン』ばかり持ち上げる人というのは、初期のマーヴィンの歌を聴いたことがないの
ではないかとさえ思えてくるのである。

まずは《スタボーン・カインド・オブ・フェロウ》。CMで流れている「セイ、イェイェ
イェィ〜」という曲である。ここでのマーヴィンの歌は、歌を歌う喜びと開放感に満ち溢
れている。バックコーラスで参加のマーサ&ヴァンデラスも、立ち上がって拍手をしたく
なるくらい素晴らしいパフォーマンスだ。この曲からは、皆で音楽をやる喜びとエネルギ
ーが伝わってくるのである。初期のモータウン・ソングの中でも、間違いなくベストのひ
とつだ。次にスモーキー・ロビンソン作の《アイル・ビー・ドッゴーン》。この曲では、
R&Bスタイルの曲調とマーヴィンの明るい声のよさがうまく融合している。マーヴィン
のR&Bスタイルの曲はローリング・ストーンズがカヴァーした《キャン・アイ・ゲット
・ウィットネス》などがあるが、《アイル・ビー・ドッゴーン》にはかろやかさがある。
マーヴィンは、この曲で初めて表現上の自由を得られたと語っているそうである。

そして次は、アシュフォード&シンプソンの創った《エイント・ナッシング・ライク・ザ
・リール・シング》をあげておこう。その死により音楽活動から引退するほどのショック
を受けたパートナー、タミー・テレルとの素晴らしいデュエット曲である。マーヴィンは
、タミーの他にメリー・ウェルズ、キム・ウェストン、ダイアナ・ロスとのデュエット盤
を残しているが、タミー・テレルとの一体感は別格である。二人の歌の醸し出すスィート
ハートなムードがたまらない。マーヴィンももちろん素晴らしいが、タミーがそれに輪を
かけて素晴らしいのだ。僕などは、初めて聴いたのと同時にタミーの歌声に恋をしてしま
った。明るいけど儚い、守ってあげたくなるような歌声なのである。これでは、タミーを
失ったことによってマーヴィンが引き篭もってしまうのも無理はないとも思える。聴いた
ことがないと損をするタイプの、名曲・名演である。

最後に、《アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプヴァイン》をあげよう。この曲
だけは、これまで紹介した明るいポップなタッチの曲とは異なる。しかし、マーヴィンの
ソウルフルな名唱がたまらないこれまた名演である。これらのヒット曲の全てが、音楽的
に異なるフィーリングをもっているのである。それだけマーヴィンという人は幅広い音楽
性を持ち合わせているのである。『ホワッツ・ゴーイング・オン』は、マーヴィンの音楽
性のなかの一部分にすぎないのだ。『ホワッツ・ゴーイング・オン』だけでは、マーヴィ
ンの音楽の全てを知ることはできないのである。そのようなマーヴィンの音楽の全貌を楽
しむには、CBS移籍後の《セクシャル・ヒーリング》も入ったお徳用ベスト盤が良いだ
ろう。マーヴィンの数々のヒット曲を知ってからは、きっと『ホワッツ・ゴーイング・オ
ン』は異なって聴こえるだろう。
『 The Very Best of Marvin Gaye 』 ( MARVIN GAYE )
cover

Disk1
1.Stubborn Kind of Fellow,2.Hitch Hike,3.Pride and Joy,4.Can I Get a Witness,
5.You're a Wonderful One,6.How Sweet It Is (To Be Loved by You),7.I'll Be Doggone,
8.Ain't That Peculiar,9.It Takes Two,10.Ain't No Mountain High Enough,
11.Your Precious Love,12.If I Could Build My Whole World Around You
13.Ain't Nothing Like the Real Thing,14.You're All I Need to Get By,15.You
16.I Heard It Through the Grapevine,17.Too Busy Thinking About My Baby
18.That's the Way Love Is,19.His Eye Is on the Sparrow [Stereo Mix]

Disk2
1.What's Going On,2.Mercy Mercy Me (The Ecology),
3.Inner City Blues (Make Me Wanna Holler),4.You're the Man, Pts. 1-2
5.Where Are We Going?,6.Trouble Man,7.Let's Get It On,8.Come Get to This
9.Distant Lover [Live],10.I Want You,11.Got to Give It Up,12.Anger
13.Ego Tripping Out,14.Praise,15.Sexual Healing

Marvin Gaye (vo,p)
Label:Motown
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