●ジミ・ヘンドリックスのこと

ジミ・ヘンドリックスは、中学生のころから大好きなアーティストだ。最初にジミの音楽
と出会ったのは、NHKテレビで1ヶ月に1度くらいの割合で放映されていた「ヤング・
ミュージック・ショー」という番組である。この番組は、当時は映像で見ることがなかな
かできなかった海外のミュージシャンの”動く姿”をライブ映像などで見ることができる
貴重な番組であった。そこであの有名なロックの歴史的イヴェント「モンタレー・ポップ
・フェスティバル」を放送したのである。他のミュージシャンはあまり印象にないが、ジ
ミのパフォーマンスだけは鮮烈に記憶に残っている。パンク・ロックもまだなかった時代
に、ジミのワイルドでセクシーなパフォーマンスの印象は強烈であった。そしてすぐにジ
ミのレコードを買い込んだ。もちろん買ったレコードの中には、テレビで見た衝撃のパフ
ォーマンスの音源を含む『サウンド・トラック・レコーディングス・フロム・ザ・フイル
ム・”ジミ・ヘンドリックス”』もあった。その音源を何度も繰り返して聴きながら、T
Vで見た映像を頭の中で反芻していたのである。

当時、新宿厚生年金ホールで確か一度だけこの映画を公開したときも観に行った。いまで
も、その時のパンフレットを持っている。暗いホールの大きな画面いっぱいに映し出され
る、ジミのパフォーマンスに圧倒された。映画に含まれていた映像の中には、ギターを歯
で弾くモンタレーの《ヘイ・ジョー》や転がりまわる《フォクシー・レディ》、代表的な
ライブ演奏の一つであるウッドストックでの《アメリカ国歌》、疾走感がたまらないバー
クレイの《ジョニー・B・グッド》、バンド・オブ・ジプシーズの《マシーン・ガン》な
どがあった。ジミに惹かれた最初の大きな要因は、これらのワイルドなステージ・パフォ
ーマンスが大きく影響していたと思う。しかし、もしジミがそれだけのミュージシャンで
あったならば、現在まで聴き続けることはなかったであろう。僕だけではなく、世界中に
いるジミのファンに現在まで聴かれ続けている理由というのは、やはりジミの音楽にそれ
だけの魅力があるからだと思う。

ジミについては、”天才ギタリスト”という表現が使われることが多い。僕には、この表
現がどうもしっくりこない。確かにジミのギタリストとしての腕は、そこいらのギタリス
トが束になっても叶わないものだろう。しかしジミの場合は、例えばジェフ・ベックのよ
うにテクニカルなタイプでも、エリック・クラプトンのように器用なタイプでもない。ジ
ミのプレイは、基本的に”ブルース”をベースにしたワン・アンド・オンリーのものだ。
ジミは、スタジオ・ミュージシャンのように器用なタイプのギタリストではないのだ。自
分の中にある根源的な音楽”ブルース”をベースに、周囲の助けを借りながら音楽を創り
あげていったのである。頭の中に鳴っている音楽をテープに刻みこむ為には、ギターの音
も様々な音色を試さずにはいられなかった。ギターだけで表現できない場合は、サウンド
・エフェクトだけの作品を残しているように、必ずしもギターで表現することにも拘って
いなかったのだ。ジミの音楽には、”表現への欲求”が刻みこまれている。その点こそが
、聴く人の心に響いてくるのだと思う。モンタレーやウッドストックのワイルドな演奏が
現在でも人々の心になにかを訴えかけてくるのは、騒音に近いフリーキーな音の中からか
ら、アーティストとしてのジミの叫びが聴こえてくるからなのだ。ジミが本能的に求めて
いたのは、ギター・サウンドではなく”サウンドそのもの”だったと思う。ジミは、常に
頭の中に鳴っている”サウンド全体”を、どのように現実の音にするかを考えていたのだ
と思う。だから”天才ギタリスト”という表現が、しっくりこないのである。

近年のジミの家族によってきちんと整理された音源のリリースにより、ジミの音楽に安心
して触れられるようになったことは喜ばしい。ジミのファンは、70年代後半からの滅茶苦
茶なリリースに、何度も泣いてきたからである。ジミ・ヘンドリックスの音楽については
、まだまだ言いたいことがある。近い将来、それをきちんとまとめてみようと思っている
『 JIMI HENDRIX 』
cover
※上記のイメージをクリックすると、Amazonにて購入できます