ポール・ゾロという人が書いた「インスピレーション」という本を読んでいる。全米ソン グライター協会の機関紙「ソング・トーク」の編集者である著者が、様々なソングライタ ーにインタビューしたものをまとめた本だ。インタビューの関心ごとは、登場するソング ライターの創作についてである。このため、登場するソングライターそれぞれの創作の秘 密を垣間見るようで興味深い内容となっている。登場するソングライター達も、ピート・ シーガー、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ブライアン・ウィルソン、キャロル・キ ング、バート・バカラック、フランク・ザッパなど、信じられないような豪華な顔ぶれが 揃っている。この中に、キャロル・キングとならぶ女性シングライターの草分け的な人物 、ローラ・ニーロのインタビューが載っていた。 ローラ・ニーロは1960年代末から活躍した、優れた女性ソングライターだ。その楽曲は、 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、フィフス・ディメンション、スリー・ドッ グ・ナイトといった、同時代のミュージシャン達に数多くカバーされた。1997年に亡くな ってしまったが、彼女の創った優れたアルバム群は、忘れがたい傑作として今も輝き続け ているのである。なかでも初期の『イーライと13番目の懺悔』は、楽曲、サウンド、ボ ーカルとも文句のつけようが無い大好きなアルバムだ。ローラのストレートなボーカルは 、聴く者全ての耳に表現したいものを伝えてくるはずである。とはいえ1960年代に生まれ た僕は、同時代にローラを体験していない。ローラの音楽を聴くようになったのは、音楽 に興味を持ち始めた後である。一聴してすぐに感じたことは、高校生の頃から大好きだっ た”吉田美奈子に似ている”ということだった。これは実は逆で、吉田美奈子のほうが大 きな影響を受けた側であることは言うまでもない(彼女は、昔”和製ローラ・ニーロ”と 呼ばれていたらしい)。 吉田美奈子だけではなく、ローラのアルバムから影響を受けた日本人ミュージシャンは多 いと思われ、山下達郎はこのアルバムのプロデューサー(元フォー・シーズンズのチャー リー・カレロ)にデビュー・アルバムのプロデュースを依頼しているし、はっぴいえんど 関連の本にも細野晴臣がローラのアルバム『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』を大事そうに 持っている写真が掲載されているのを見ることができる。現在から30年以上前の彼ら日本 人ミュージシャンを釘付けにしてしまったのが十分に理解できるほど、現在の耳で聴いて も全然古臭さを感じさせない独創的な魅力を放っている。アルバムに収録された全ての曲 において、R&Bやソウルのテイストがたっぷりのサウンド、めまぐるしく変わる調性と テンポ、駆け上がるようなローラのボーカルといった要素が一体となっており、本当に素 晴らしいとしかいいようがない。ローラが当時コンポーザーとして大きく注目され、この アルバムからも数多くのカバーが生まれたこともよくわかる。彼女のスタイルは、1970年 代の終わりになってリッキー・リー・ジョーンズ(アルバムの解説を現長野県知事が書い ていた、そういう時代だったなぁ)といったフォロワーを生み出していく。吉田美奈子や リッキー・リー・ジョーンズが好きな人は、オリジナルであるローラのアルバムを聴けば 驚き、そして大好きになるはずである。好きな音楽のオリジナルを知るということは、新 たな出会いと感動を運んでくるかも知れないのである。 それにしても60年代というのは、なんとステキな時代だったのだろう。ローラ・ニーロは 確かモンタレー・ポップでもパフォーマンスを行っていたはずだ(ジミ・ヘン、オーティ ス・レディング、ジャニス・ジョップリンなどの忘れがたいパフォーマンスが行われたあ の年である)。そして”ロックの殿堂”フィルモアにおいては、われらが電化マイルスと ステージを分け合っているのである。海外のローラのファン・サイトには、ローラのレコ ーディングに訪れたマイルス・デイヴィスとローラの写真が掲載されている。マイルスの 電化攻撃を受けた後に聴くローラのステージとは、いったいどのようなものだったのだろ うか。今度、マイルスの『フィルモア〜』を聴いたあとに、ローラのアルバムを続けて聴 いてみよう。もちろん、1960年代後半にフィルモアにいた観客の気分が味わえないことは 承知している。なぜなら、2つとも時代を超越した”本物の音楽”だからだ。