●ブートレグなお正月

お正月だ。昨年末の『ネイキッド』の影響もあり、今年のお正月はビートルズのブートレ
グを聴きながらのんびりと過ごした。中学生の頃は、お正月というと西新宿に繰り出した
ものだ。親戚から貰ったお年玉を握りしめて向かうその先は、いわゆるブラックマーケッ
トである。”西新宿”というだけでピンとくる人にはピンとくる。別名”ブート地帯”と
も呼ばれるあの一帯である。”ブート”という言葉は、”ブートレグ(Bootleg)”から
きている。知る人ぞ知る名著、「ビートルズ海賊盤辞典」(松本常男著:講談社文庫)に
よると、”酒びんを長靴の胴に隠して密輸した”ところからきている造語らしい。このこ
とからもわかるとおり、ブートレグというものは、なにやらいかがわしい雰囲気を漂わせ
ているものである。僕が中学生の頃(1970年代半ば)はブートレグという言葉は一般的で
なく、雑誌などには”海賊盤”として紹介されていた。値段もピンからキリまであり、通
常のLPレコードよりも高かった。お年玉を貰うことのできた中学生にとって、お正月は
ブートレグの買いどきなのである。しかしその不確実さから、買うのには勇気がいった。
カスを掴まされるのではないかという不安である。このあたりの感覚は、音が良いことが
当たり前となったCDの時代になって確実になくなった。

ブートレグにはまるきかっけとなったのは、「音楽専科」という雑誌のビートルズ特集号
だった。その雑誌の中で、ビートルズ研究で有名な香月利一さんが、ビートルズ関連の海
賊盤の詳細な紹介をしていたのである。正規盤では聴く事の出来ない、全く未知の世界が
そこにあった。それに連動するように、当時西新宿にあったキニー(kinnie)というブー
ト専門のレコード屋の広告が、僕を海賊盤の世界へ誘い込んだ。そのキニーの広告には、
”音質最高”の文字とともに、巷のレコード屋には置いていない初めて見る珍しいジャケ
ット写真が並んでいたのだ。ビートルズ体験が終わったばかりの、中学生にはあまりにも
刺激が強い広告だった。それでお年玉を握り締めて、お正月から西新宿へ向かったという
わけである。もちろんお目当ては、ビートルズの海賊盤だ。最初に買ったのは次の3枚で
ある。『Kum Back』、『On Stage In Japan』と『Let It Be Live』だ。一緒に行った友
人は、『Back In 1964 At The Hollywood Bowl』というライヴ盤を買った。『Kum Back』
と『On Stage In Japan』は、ジャケットが印刷されているものを買った。先の「ビート
ルズ海賊盤辞典」によると、それはJLレコードという日本のブートレガーが台湾で製造し
たものらしい。音質、盤質ともに最悪とある。しかし僕が買ったものは、もともとが音質
的に良いソースのもののためか、さほど気にならなかった。さらに「ビートルズ海賊盤辞
典」によると、『Let It Be Live』(このタイトルで売られてた)は『Let It Be 315』
と呼ばれる海賊盤で、日本には殆ど入荷しなかったものらしい。このアルバムこそが、発
売が予定されていた『Get Back』そのものだったのである。発売元はWizardというブート
レガーで、僕の持っているのはファーストプレスしか存在しないといわれているネイビー
ブルーのレギュラーレーベルである(これはかるい自慢)。ジャケットも海賊盤としては
珍しい、折り返しになっているスリックであった。このアルバムを買ってきて、フィル・
スペクターのオーケストラのダヴィングがない《ザ・ロング・アンド・ワインディング・
ロード》に狂喜していたのである。

『アンソロジー』や正規盤の『ハリウッドボウル』が出ても、ブートレグの魅力というの
は色褪せることは無い。今でもブートでしか聴く事のできない音源はたくさんあるのだ。
『Peace Of Mind』なんていうハズレのアルバムも掴まされたこともあるが、それもまた
ブート体験なのである。1980年代になりCDが登場して、音質がマスター・レベルのビー
トルズのスタジオ・アウト・テイクを収録した『Ultra Rare Trax』あたりからブートは
新時代に突入し、音は良くてあたり前みたいになった。しかし、雑音の向こうから、確実
に聴いた事の無い音楽が流れてくる瞬間は、たまらないものだった。そのようなことを思
いながら、久しぶりに”315”を聴いていた今年のお正月なのでした。