●カーペンターズの魅力

カーペンターズについて語るのは、ビーチ・ボーイズについて語るより幾許かの気恥ずか
しさを伴う。いかにもアメリカの良家から生まれた”良い子の”音楽というパブリック・
イメージがあり、音楽にヤクザなノリや不良っぽさを求めるムキには振り向かれもしない
ような音楽だからだ。しかしそのような音楽の聴き方をしているうちは、”本物の音楽”
の持つ魅力に気がつかない場合もある。カーペンターズの音楽は一見甘いオブラートに包
まれているかのようであり、その音楽が持つ本当のチカラに気がつきにくい。いや、小煩
い音楽マニアや格好だけで音楽を聞いている人が気がついていないだけで、全世界のカー
ペンターズのファンはとっくにその魅力とチカラに気がついているのだと思う。

カーペンターズの魅力は、大きく二つに分けられる。一つはリチャードを中心としたサウ
ンド・プロダクション、もうひとつは比類するものがないほど素晴らしいカレンのボーカ
ルだ。カーペンターズの音楽がヒットチャートを賑わしたのは1970年代の前半である。
その30年以上も前の音楽が全く色褪せすることなく、繰り返し聴くに絶えうる魅力を放
っているのは、デビュー当時からのプロダクション・チームの力によるものが大きいと思
う。一部変わる場合もあるが、サウンドの基本的な編成は次の3名によるものである。ド
ラムのハル・ブレイン!、ベースはカーペンターズを陰で支え続けたジョー・オズボーン
、そしてキーボードとアレンジを行うサウンドの立役者であるリチャード・カーペンター。
この3名の作り出すサウンドが基本となり、曲によって様々な楽器が加わる。思いつくま
まにあげてみても、《雨の日と月曜日は》のハーモニカ(トミー・モーガン!)、《愛の
プレリュード》のクラリネット、《シング》のリコーダー、《トップ・オブ・ザ・ワール
ド》のスティール・ギター、《スーパースター》のオーボエなど、驚くべき多彩さにわた
っている。アレンジャーとして楽曲にピッタリくるこれらの楽器を思いつくところに、リ
チャードの才能がある。これらの楽器の奏でるメロディは、紛れも無くその曲の一部と化
しているからだ。そしてこれらのサウンドに被さるように、ストリングスや幾重にも重ね
た兄弟のコーラスが加わるとカーペンターズのサウンドが出来上がる。デビュー曲となっ
たビートルズのカバー《涙の乗車券》では少々作りすぎの感もあるが、2作目のバート・
バカラックの提供した《遥かなる影》で早くもサウンドが確立しているのは、やはり天才
的と言わざる得ない。当時のリチャードは24歳である。
そしてカーペンターズのもうひとつの素晴らしい魅力である、カレンのボーカル。二十代
前半の若さで、この深さ。近年になり、明るい良い子だけのイメージだった彼女が抱えて
いた様々な思いが公けになり、そのボーカルが持つ深みに納得ができるようになったが、
ヒットチャートを賑わしていた時期にはただただ上手いと感心しているだけだった。カレ
ンが抱えていたその家庭的な悩みにここでは触れる気はないが、その”心からの叫び”が
ボーカルに恐ろしいまでの深みをもたらしていたことは間違いがない。たとえば《雨の日
と月曜日は》でのサビの部分から間奏にいたるまでの部分など、カレンはレコーディング
の場にいた誰よりも、その歌詞の意味を理解できていたのだと確信できるような歌いまわ
しである。カレンが亡くなる前に、何よりも母親の愛を求めたというエピソードはあまり
にも悲しい。

このようにカーペンターズの音楽について考えてみると、一人のアーティストとの相似性
に気付かざる得ない。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンである。リチャードと
はブライアンのプロダクションやアレンジに関する天才性、カレンとはブライアンの裏側
にある心の叫びのような暗さみたいなものが似ているように感じることがある。単なる偶
然に過ぎないと思うのだが、世界的に素晴らしい音楽を生み出すのに必要な要素が、その
ようなある種の天才性と人間としての葛藤のようなものだとしたら少々恐い気もする。単
にガチャガチャやっているだけのどこかの国のポップスからは、エヴァー・グリーンとな
る音楽が生まれ得ない理由も少しわかる気がするのである。そのような観点でカーペンタ
ーズの音楽を聴いてみると、これまでとは違って聴こえてくるだろう。その魅力は、これ
からも永遠に色褪せることはないはずだ。