●一粒で二度美味しいバンド/ドゥービー・ブラザーズ

ドゥービー・ブラザーズは、一粒で二度美味しいバンドだ。1971年のファースト・ア
ルバムから1982年に解散(その後、再結成)するまでプラチナアルバムを7枚を放っ
た、70年代ウェスト・コースト・ロックをイーグルスと共に代表するグループである。
何故、二度美味しいのか。それはこのバンドを牽引した、二人の優れたコンポーザーの豊
かな個性によるものだ。11年におよぶドゥービーの歴史の前半はオリジナル・メンバー
でギタリストのトム・ジョンストンが、後半はキーボード担当のマイケル・マクドナルド
が、その個性を決定づける曲を提供している。
トム・ジョンストン時代のドゥービーは、ギター中心のファンキーなサザン・ロックとい
ったサウンドである。代表的な曲は《ロング・トレイン・ランニン》、《リッスン・トゥ
・ザ・ミュージック》、《チャイナ・グローブ》といったところか。特に彼らの代表曲と
なった《ロング・トレイン・ランニン》のあのカッコいいギターのカッティングは、当事
バンドでロックをやっていた人は皆な試してみた事があるのではないか。全体のサウンド
も、当事の日本のバンドに大きく影響を与えた(例えば、初期のサザン・オールスターズ
のサウンド)。このファンキーなサウンドを支えていたのが、ツイン・ドラムのジョン・
ハートマンとマイク・ホザック、黒人ベーシストのタイラン・ポーター、そしてもう一人
のドゥービーのキー・パースンといえるパトリック・シモンズ(14人ものメンバーが去
来したドゥービーの活動において、全ての時期に参加しているのは彼のみ)である。強烈
なグルーヴを作り出すツイン・ドラム(曲によっては片方はパーカッションとなる)と、
タイラン・ポーターの独特なラインのピッキング・ベース・サウンドは、当事のドゥービ
ーに付けられていたウェスト・コースト・ロックというイメージとは随分とかけ離れたも
のだ。この時期のドゥービーには、カントリーなどをルーツとしたイーグルスとは異なり
、サザン・ロックの雄であったオールマン・ブラザーズ・バンドとの共通項が多く見出す
ことができる(バンド名、ツイン・リード、ツイン・ドラム、メンバーに黒人が参加して
いること等)。オールマン・ブラザーズ・バンドほどのブルージーさは無いかわりに、ソ
ウル・ミュージックのようなファンキーさが加わっているのが大きな特徴である。
この前期ドゥービーのサウンドを大きく決定付けたトム・ジョンストンが病に倒れてバン
ドを抜けることになったとき、白羽の矢が立てられたのがサポーティング・メンバーだっ
たマイケル・マクドナルドである。マイケルはスティーリー・ダンのサポートもやってお
り、同じくスティーリー・ダンのサポートをやっていた当事のドゥービーのギタリストの
ジェフ・バクスターから急遽バンドへの参加を要請されたらしい。このマイケルの参加は
、ドゥービーに大きな飛躍をもたらした。マイケルの提供した曲のサウンドは、それまで
のギター中心からキーボード中心へと一転。ドゥービーの音楽は、当事爆発寸前だったク
ロスオーヴァーあるいはAOR系のサウンドへと変貌する。僕が初めてドゥービーを意識
して聴いたのが、この時期の代表曲《テイキン・イット・トゥ・ザ・ストリート(邦題:
ドゥービー・ストリート》だった。オープニングのコード進行はそれまでのロックで聴い
た事もなかった洒落たもので、ガーンと強烈なショックを受けたものだった。そしてその
後に発売されたアルバム『リヴィン’・オン・ザ・フォルト・ライン』のタイトル曲のク
ロスオーヴァー・サウンドにまたまたブッとんだ。でもドゥービーの音楽には、どんなに
難しいアンサンブルをやっていても、ポップで歌いだしたくなるようなところが常にあっ
た。マイケルがケニー・ロギンズと共作した、最近のコマーシャルでも使用されているこ
の時代の全米No1ヒット・ナンバー《ホワット・ア・フール・ビリーヴス》なんかを聴
いてもらうと、僕の言っていることの意味がきっとわかるはずである。
そしてこの”一粒で二度美味しい”ドゥービーの音楽の全貌をたっぷり楽しめるフェアウ
ェル・ツアーのライブ盤を置き土産に、ドゥービーは解散してしまう。その後チャリティ
・コンサートなどで何回か再結成、1988年に再始動を開始するが、僕にとってのドゥ
ービーはこのフェアウェル・ツアーのライブ盤で終わってしまった。でもコマーシャルで
流れてきた懐かしい《ホワット・ア・フール・ビリーヴス》で、21世紀になった現在で
も通用するような”本物の音楽”を彼らもまた創ってきたのだということが確認できた。
また昔のように、ドゥービーの音楽を連れてドライヴにでも行くとしよう。