●必聴のアコースティック・ギター/トニー・ライス

近頃のCDショップなどをぶらつくと、”アコースティック・スイング”なる言葉が目に
止まる。恐らく”ロックや、”ジャズ”といった明確なジャンルの棚には並べられないと
CDショップの店員さんに判断されたであろうこれらの音楽は、”ワールド・ミュージッ
ク”や”ヒーリング”などといった棚に陳列されていることが多い。この”アコースティ
ック・スイング”という音楽は、文字通りアコースティック楽器を中心に少しジャズっぽ
いスパイスを効かせた音楽らしい。”癒し”がキーワードとなっているような現代人には
、これらのアコースティックな響きが心地よいようである。しかし僕が”アコースティッ
ク”かつ”ジャズっぽい”という言葉から思い浮かべるアルバムは一つしかない。今から
20年以上前の1980年代前半に出会った1枚の凄いアルバム。トニー・ライス・ユニ
ットの『マー・ウェスト』である。
トニー・ライスという人は1951年生まれで、70年代になってブルーグラス界のスー
パースターとなった。ブルーグラスという音楽は1930年代にケンタッキー州のマンド
リン奏者のビル・モンローという人が創った音楽といわれている。フィドル、バンジョー
、ギター、マンドリンというアコースティック楽器を中心とした、非常にドライブする演
奏が特徴だ。このブルーグラスという音楽には、ヒルビリー、ウェスターン・スイング、
黒人のジャグ・バンドなどの要素が自由に取り込まれていた。当事流行のアメリカ音楽の
要素を取り入れた、一種のフュージョン・ミュージックだったわけだ。その後、時代と共
にブルーグラスも発展し、ロックやモダン・ジャズなどの多様な音楽の要素を取り入れて
いくのだが、そういった特徴というのはブルーグラスが生まれながらに持っていた特徴と
も言える。そんなブルーグラス界で、60年代にクラレンス・ホワイトという革新的なギ
タリスト(後に、70年代の後期”バーズ”!に参加)のいたケンタッキー・カーネルズ
というグループが、オール・インストルメンタルのアルバムを発表する。トニーは、この
クラレンス・ホワイトに直接ギターの手ほどきを受けたという。その後トニーは、デヴィ
ッド・グリスマンというプログレッシブなマンドリン・プレーヤーのバンドに参加する。
そのグリスマンの提唱していたという、ジャンゴ・ラインハルトなどのジプシー・スイン
グや、クラシックの室内楽の影響を取り入れた”ドゥグ・ミュージック”という音楽こそ
、このアルバムの基底となった音楽であろう。この『マー・ウェスト』で聴かれる様々な
タイプの音楽と室内楽的な優れたアンサンブルは、この”ドゥグ・ミュージック”を発展
させたものと考えられるのだ。
そしてこのアルバムで大きくフィーチャーされるのは、ギター、バイオリン、マンドリン
の素晴らしい即興演奏である。とくにトニーの素晴らしくドライブするギターは、ジャズ
・ファンやロック・ギター好きの人にも大きくアピールするだろう(事実、このアルバム
は、ジャズ専門誌の「ダウンビート」で最高の五つ星を与えられたという)。僕は初めて
聴いたおよそ20年前に(そして今でも)、ブッとんでしまった。アルバム1曲目のタイ
トル曲《マー・ウェスト》の、素晴らしいアンサンブルと即興演奏を聴いて欲しい。こん
な難しい曲を易々と弾きこなすトニー以下の演奏に、あなたもビックリするに違いない。
そしてアルバムのベスト・トラックは、このアルバムで唯一トニーのオリジナルではない
曲、なんとマイルス・デイヴィス作曲の《ナーディス》である。メンバーのリチャード・
グリーンのバイオリンが素晴らしい。CDショップは、こういう素晴らしい演奏の収録さ
れているCDこそ、積極的にアピールすべきである。よく朝の情報番組などで、このよう
なアコースティックな音楽をやっている日本人グループのCDなんかを紹介しているが、
この『マー・ウェスト』を紹介したらきっと問い合わせが殺到するのではないか。そうい
う”本物の音楽”だけが持つ力を、このアルバムの音楽は持っている。ぜひ入手して、聴
いてみて欲しいアルバムである。

※ ヴィヴィッド・サウンドからCDが発売されていましたが、現在カタログに無いようです。