●ラヴ・ユー/ザ・ビーチ・ボーイズ

ビーチ・ボーイズの”シンセ時代”の傑作アルバムが、『ラヴ・ユー』(1977年)である。
サウンドは、いわゆる”ロック・バンド”の音では無い。殆ど全てをブライアン・ウィル
ソンが演奏したと思われる、シンセサイザー中心のサウンドである。『オランダ』あたり
から前面に出てきたシンセサイザーは、当時は未だ様々な理由でドクターの治療が必要だ
ったブライアンを音楽活動に積極的に向かわすために必要だったツールなのかも知れない。
シンセサイザーという未知の楽器をブライアンに自由に使わすことで、ビーチ・ボーイズ
はブライアンの創作意欲を取り戻そうとしたのではないか。前作『15ビッグ・ワンズ』
で”無理やり”カムバックさせられたブライアンの音楽活動の継続と、何よりその”楽曲
”が必要だったのが当事のビーチ・ボーイズである。シンセサイザーをブライアンに与え
、騙し騙し音楽が作れるように仕向けたのだろう。そんな状態のビーチ・ボーイズであっ
たが、天才ブライアンはその期待に答え”楽曲”を作り、シンセサイザーを多用したバッ
キング・トラックを作りあげた。そしてその楽曲には、ブライアンの意志を尊重し、いた
わるようなビーチ・ボーイズのボーカルとコーラスが加えられる。それと同時にアルバム
・ジャケットには、ビーチ・ボーイズの他のメンバーからの”ブライアンへの感謝の言葉
”がクレジットされる。『ラヴ・ユー』は、そのようなビーチ・ボーイズの”ブライアン
へのいたわり”の気持ちと”商業上の必要性”の両方が交錯する事情から生まれたアルバ
ムである。では良くないのかと問われるとそうではない。僕のなかでは、ビーチ・ボーイ
ズの好きなアルバムのベスト5に入るアルバムなのである。
何より楽曲が素晴らしい。見事な出来でなのある。ブライアンの用意した曲とサウンドは
、1988年のソロアルバム『ブライアン・ウィルソン』に直結するような素晴らしいものだ。
そしてブライアン・ウィルソンというアーティストを代表する曲が、少なくとも3曲入っ
ている。《ソーラー・システム》、《ザ・ナイト・ワズ・ソー・ヤング》、《エアプレイ
ン》である。《ソーラー・システム》は、ブライアンならではの予想を覆す転調が特徴的
な曲である。わりと複雑な調性の曲なのだが、メロディの不自然さを感じさせないブライ
アンのマジックが久しぶりに発揮される。思索的な魅力に満ちた曲だ。《ザ・ナイト・ワ
ズ・ソー・ヤング》ほど、恋愛中の眠れない夜の普遍的な気持ちを表現している曲がある
だろうか。ブライアンは”不安”を歌っているが、恋をしているときの夜中(深夜から明
け方)というのは、皆がこの曲と同じような気持ちであろう。シンプルな繰り返しの曲な
のだけど、ビーチ・ボーイズのコーラスも含めて素晴らしい出来である。こんな魅力的な
曲を作ったロック・ミュージシャンを僕は他に思い浮かべることができない。そして《エ
アプレイン》。この曲は、もしかしたらマイク・ラヴのベスト・パフォーマンスではない
か。メロディとボーカルが見事にマッチして、物凄く感動的なパフォーマンスである。恋
しい人に会う気持ちの高まりを、飛行機を題材にして表現したところが秀逸である(ブラ
イアンは、そこまで意識して考えてはいないだろうけど)。僕は何故だかわからないけれ
ど、この曲を聴くといつも涙が出そうになる。この曲には、それほど深い感情を揺さぶる
エモーショナルな何かが確実にあるのである。それにしても、”この曲のボーカルは、自
分ではなくはマイクにしよう”とかいうのは、ブライアンの発想なのであろうか。全曲ブ
ライアンのプロデュースということなので恐らくはその通りだと推測するが、だとしたら
やはりブライアンは凄い。ブライアンにとっては、”キーが高いからこの部分をこの人に
歌ってもらおう”とか”バンドだからこいつにも歌わせよう”とかいうのが、その部分を
歌っているメンバーの主たる選択の理由ではないのだ。おそらくブライアンの頭の中では
、メンバーのボイスは楽器と同じように鳴っていたのだと僕は思っている。そのような感
覚を持っているからこそ、瞬時にその曲のメロディに相応しいボイスを選択できるのだ。
これはやはり優れた音楽的才能である。ブライアンのそういう才能は、このアルバムでは
他にも《アイル・ベット・ヒーズ・ナイス》のデニスやカールのボイスや、《レッツ・プ
ット・アワー・ハーツ・トゥゲザー》での当事のブライアン夫人であるマリリンの起用に
も顕著であると思う。このように『ラヴ・ユー』というアルバムは、ブライアン・ウィル
ソンの才能を考えるときに避けては通れない傑作なのである。ぜひ、ご一聴あれ。