●ダンシング・イン・ユア・ヘッド/オーネット・コールマン

ステレオ装置のボリューム一杯にして、このアルバムをかける。オーネットのバンドが醸
し出すグルーヴは独特だ。自然に身体がリズムを取り始める。あの”ティーラリラリーラ
ラ”というメロディが、オーネットのアルトで、ギターで、ベースで何回となく演奏され
る。ナベサダが吹いても似合うような、明るく印象的なメロディである。この非常に印象
的なメロディが頭に浮かんだ時、これまでのアコースティックなバンドとは異なる電化サ
ウンドを取り入れたバンドの構想ができたに違いない。この音楽に、それまでのオーネッ
トのバンドのベース奏者であるチャーリ・ヘイデンの出る幕は無い。それほど、このアル
バムに収められた音楽の放出するエネルギーは凄い。オーネット自身も、彼のバンドのベ
ーシストだったジャマラディーン・タクマのアルバムでこのメロディを再演しているが、
このオリジナル・ヴァージョンが持つエネルギーには及ばなかった。
オーネット・コールマンという人は、前衛ジャズの旗手のようなイメージで言われる事が
多い。あながち間違えでは無い。あのオノ・ヨーコとの共演歴もある。オーネットの音楽
は独特だが、とっつきにくいものではない。このアルバムの音楽も、その場にいた人なら
誰でも楽器片手に参加できるような自由な雰囲気に満ちている。バンド全員が互いの邪魔
にならないようにソロをずっと取りながら、演奏しているような音楽である。あのオーネ
ットの衝撃的な過去の問題作『フリー・ジャズ』の電化サウンド版であるとも言えなくは
無い。『フリー・ジャズ』以外にも、『ジャズ、来るべきもの』、『クロイドン・コンサ
ート』、『アメリカの空』といったオーネットの過去の傑作のエコーが見え隠れする。そ
して更に、現在ではその後オーネットが率いていくバンド”プライム・タイム”の出発点
でもあったことがわかる。つまりオーネットにとってこのアルバムは、過去に作ってきた
音楽の総決算と未来の予測を含んだ、まさにターニング・ポイントのアルバムだったわけ
だ。1976年の録音だが、未だに刺激に満ちている音楽である。強烈なフリー・ファンクと
でも言うべき音楽の主役は、あくまでもオーネットの即興演奏にある。その演奏は、R&
Bの色が濃いものだ。しかも、これこそがオーネットの音楽の特徴である歌心に満ちてい
る。この辺りが単に滅茶苦茶な音を出す勘違い三流フリー・ジャズやフリー・ファンクの
ミュージシャンとオーネットの大きな違いである。そういったミュージシャンとは、明ら
かに別の次元に立ってオーネットは音楽を制作している。それは、オーネットがこのアル
バムを”作品”として捉えていたことからもわかる。具体的にいうと、オーネットはこの
アルバムの大半を占める2バージョンのテーマをアルバムに収録する際に、恐らくドラマ
ーのシャノン・ジャクソンとパーカッションをダビングしている。この作業により、音楽
のエネルギーの放出量はより多くなった。また、モロッコの音楽”ジョゥジューカ”(ロ
ーリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズもこの音楽に魅せられていた一人だ)と
の共演も、短い演奏だが収録されている。モロッコに旅行中に共演したものをフィールド
・レコーディングしたということになっているが、フィールド・レコーディングしたもの
にオーネットが後からスタジオで音を被せたのではないか。そのような疑問は残るが、い
ずれにしてもそのような演奏をわざわざ収録したところにも、オーネットがこのアルバム
を”作品”としてしっかり意識して制作したことがわかる。ただ集まって、集団即興でフ
リー・ファンクを演奏したものをアルバムにしましたといった、安直な作品ではないのだ。

でもこのアルバムを楽しむためには、そんなことを考えながら聴いていてはだめである。
頭を空っぽにして、飛び出してきた音楽を頭と身体全体で受け止めよう。オーネットが考
えた(あるいは思った)ように、頭の中の細胞が踊りだすはずである。この呪術的ともい
える音楽には、そういう力がある。