●ラヴ・アンド・マーシー/ブライアン・ウィルソン

《ラヴ・アンド・マーシー》は、1988年に発表されたブライアン・ウィルソンの初めての
ソロ・アルバムの冒頭を飾っていたナンバーだ。いまでは、ブライアンのコンサートのエ
ンディング・ナンバーとなったこの曲は、時が経つにつれて、その深みを増してきている
ように思える。
バート・バカラックの《The World Need Now Is Love》からインスパイアされたというこ
の曲は、ブライアンからの人々へのスピリチュアルなメッセージである。世界を覆う暴力
(経済的なものも含めて、それはまぎれもなく人間が作り出しているもの)、群集の中の
孤独な心。一人の偉大なアーティストができることは、”愛と慈悲”を歌にのせて送るこ
と。ブライアンが《ラヴ・アンド・マーシー》込めたそのような思いは、時代を超えて僕
の心に触れてくる。
この曲が”ソロ・シングル”として発表されたとき、ビーチ・ボーイズ側は”ブライアン
不参加”のシングル《ココモ》(トム・クルーズ主演の映画「カクテル」の主題歌)を同
時期に発表。ヒット・チャートに2枚のビーチ・ボーイズ作品は不要とばかりに、ブライ
アンのソロ・シングルは敗れる。《ココモ》は、ビーチ・ボーイズにとって《グッド・バ
イブレーション》以来の久しぶりの全米ナンバー・ワンとなった。確かに、《ココモ》は
ビーチ・ボーイズらしい素晴らしい曲だ(ブライアンが参加できなかった訳は、当時の複
雑な周辺事情があった)。しかし《ラヴ・アンド・マーシー》は、時を越えた”アート”
とでもいうべきものだろう。ヒット・チャートの結果だけが音楽の価値を決めるものでは
ない。
《ラヴ・アンド・マーシー》は、曲の冒頭からいきなりブライアンのボーカルによって”
暴力”と”孤独”が歌われる。そして、”今夜君に必要なのは愛と慈しみだよ”と続くの
だ。”愛よりももっと、生きていくうえで切実で必要なもの(ブライアン談)”という慈
悲について語りかけるこの曲には、初めて聴いた時からすっかりまいってしまった。それ
と同時に、このソロ・アルバムに含まれたもう一つの名曲《メルト・ウェイ》や、同時期
に世界で初めて日本でCD化されたビーチ・ボーイズの名盤『ペット・サウンズ』と共に
、こんなにも自分の心情をストレートに歌い上げるブライアン・ウィルソンというアーテ
ィストにすっかり心を奪われてしまったのである。
名盤『ペット・サウンズ』を再現するツアーを終えたブライアン。今度はなんと『スマイ
ル』を”再構築”するツアーを開始するらしい。ブライアンの頭の中にさえ、恐らく完全
な形では存在しなかったはずの『スマイル』。それを”再構築”することは、本当にでき
るのか。単なる商業主義ではないのか。周囲の人々が”愛と慈しみ”を持って、ブライア
ンと仕事をしてくれることを望む。