●インフィデル/ボブ・ディラン

ウォークマンによって音楽が外に持ち運び可能になった80年代、僕はディランのこのア
ルバムを少し田舎のほうを走る関東近郊の電車の中で、車窓に移り行く景色を見ながら聴
いていた。その”音楽”が内包している”風景”が窓の外を過ぎ行く荒涼とした景色と重
なり、自分自身がその音楽の中に深く吸い込まれていくような感覚を覚えたのを今でも昨
日のことのように思い出す。
当時の僕は大学でロックを中心に演奏していたのだが、このアルバムのディランはそんな
”ロックな”耳にもスンナリと入ってきた。その鍵は、当時の最精鋭のリズム・セクショ
ンであるロビー・シェイクスピアのベースとスライ・ダンパーのドラムス、そしてソリッ
ドなマーク・ノップラーとミック・テイラーのギターにあると思っている。この上にさり
げなくアラン・クラークのキーボードが被さるのだが、このサウンドがなんともいえずカ
ッコ良い。パーマネントなグループではないのだが、そこいらのバンドが束になっても叶
わない格好良いグルーブである。録音が良いこともあって、よけいにバンド・サウンドの
素晴らしさが引き立っている。そして曲がまた良い。なかでも《ジョーカーマン》、《ス
ウィートハート・ライク・ユー》、《ライセンス・トゥ・キル》、《ドント・フォール・
アパート・オン・ミー・トゥナイト》の4曲は傑作である。恐らくディラン自身が最初に
持ってきた段階ではもっとシンプルな曲だったと思われるが、このアルバムでのアレンジ
素晴らしい。これらのアレンジは誰がしたのだろう。明らかにアレンジによって、曲の魅
力が増している。マーク・ノップラーだろうか、メンバーでセッションを重ねるうちに決
まっていったのか。まさかディラン自身ということはないだろうが、いづれにしても”こ
れしかない!”というようなアレンジである。《ユニオン・サンダウン》なんかは勢いだ
けでやって、それで一発OKという雰囲気が濃厚だが、そういう細かいところなんか殆ど
気にならない。でも共同プロデューサーのマーク・ノップラー(ダイア・ストレイツのツ
アーのため制作途中で後の作業をディランに任せ抜ける)は、そういうところがきっと不
満だったのだろう。しかしそれはマーク・ノップラーがいけない。なぜならディランのそ
れまでのアルバムを聴けば、おのずとそうなることぐらいは予測できたと思うからだ。し
かしそういう全てを帳消しにするのが最終曲の《ドント・フォール・アパート・オン・ミ
ー・トゥナイト》だ。リリカルなディランのハーモニカとそれに絡むスライド・ギター、
それに”I need you”ときて”oh”や”yeah”と歌うときのディランのボーカルの素晴ら
しさ。この部分を聴く度に、曲が永遠に終わらないで欲しいと思うのだ。それほどこの曲
のディランのボーカル・パフォーマンスは素晴らしい。一人でも多くの人に聴いて欲しい
ディランのアルバムである。