●音楽を聴く/片岡義男

皆さん、こんにちは。寒の入りも過ぎて、このところ寒い日が続いていますね。
インフルエンザも毎年この時期になると猛威をふるっていますので、皆さんもどうぞ気を
つけてくださいね。

さていきなりですが、私がこのサイトでやっていることについて少し書いてみましょう。
私がこのサイトでやっている(と思っている)ことは、自分が過去から現在まで演奏して
きた音楽、、そしてそのやってきた音楽を形成してきたであろうこれまで聴いてきた音楽
からの影響、この二つ公にすることによって、音楽的に素っ裸な自分を表現してみるとい
うことです。えっ、そんなヌードなんか見たくないって?。まあ、そんなことを言わずに
話しを聞いてください。現在からおよそ25年以上前の中学生だった頃からずっと心を捉
えて離さなかった唯一のものである”音楽”。以前にも似たようなことを書きましたが、
その”深さ”を知ることによって、ますます魅力的になっていくこの”音楽”というもの
の秘密に少しでも近づきたいと思う気持ちが、私が今でも音楽にこだわる理由です。偉大
なクリエーター達が過去に作り上げてきた芸術を聴いたり、あるいは自分自身で演奏して
みたりしてその秘密に近づく時、自分のこれまでやってきたことや聴いてきたことがベー
スとなってそれが新しい血となり肉となって、また新しい段階に踏み出していくことが出
来るような気がするのです。この間近くの図書館から借りてきた片岡義男さんの『音楽を
聴く』という本を読んで、改めてそのことを確認しました。片岡さんはその本の中で、C
Dやレコードという媒体に記録された過去の音楽を聴くことによって得られる”現在の自
分が喰われる楽しさ、快感、充実感”を探るために、様々な音楽を文字通り聴いていきま
す。少し文章を引用してみましょう。

”たいていの人は現在がいちばん大きいと思いこんでいる。前方に一応はあると思
っている将来という時間も、そのような現在の中に心理的には組み込まれている。
そのような人達にとって、過去は相対的に小さなものでしかなく、まったく存在し
ないも同然の場合も非常に多くある。<中略> 過去というものは、じつは現在と
はくらべものにならないほどに、巨大で深く複雑だ。<中略>現在がすべてであり
第一義であり、この世には現在しか存在していないというような不遜な考えを修正
して小さくし、正しい均衡に戻すために、過去はたいへんに有効だ。過去という時
間の層のなかに眠っている芸術上の財産だけでも、現在に対する偉大ですぐれたカ
ウンターバランスとして作用する。”

少し引用が長くなりましたが、片岡さんは上記の引用のような考え方を基本にして、グレ
ン・ミラー、アンドリュース・シスターズ、ザ・パイドパイパーズ、パティ・ペイジ、ジ
ョージア・ギブス、ザ・クリューカッツ、ザ・コーデッツ、ジョニー・レイなどをつぎつ
ぎと聴いていくのです。そして、「徹底してひとつひとつを学び身に付けていく作業、ブ
ルースという(アメリカにとっての)純粋音楽素材から価値有るものを作り出していこう
とする創造行為、前方にむけて有望なのは科学的なこのような行為のみである」というピ
アニストのビル・エヴァンスの言葉を受けて、片岡さんは次のような結論に達します。
”個人が勉強や修練の上に組み上げていく工夫や独創、創意、というような発展の
プロセスの中にある解放された確実な前進の快感、僕が聴いて来たのはこれだった”
と。

さらに音楽のエキゾチックな印象を確認するために、海外の演奏家の日本曲集、ハワイ音
楽、アーサー・ライマン、マーティン・デニー、様々なイージー・リスニングのシリーズ
、ポール・ウィンター、ブライアン・イーノ、そしてムード音楽から歌謡曲へいき、最後
に今では”ナイトクラブというフィクションの中に立てこもった”ムードコーラスにたど
り着くのです。

このように多様な音楽を聴くことで音楽の旅を行った片岡さんは、
”(CDなどで)再生して受けとめた音楽には、いくらそれが過去の時間ではあっ
ても、価値をともなっていないものもたくさんある”
としたうえで、
”価値をともなった過去の時間は、再生して受けとめるたびに、少しづつ(自分自
身に)効いていったようだ。少しづつ効いた蓄積は、僕に対して動かしがたい影響
をあたえる段階へとついに到達したようだ”
と最後に締めくくっています。

片岡さんの本からの引用が多くなってしまいましたが、片岡さんの考えに頷いてしまうの
とともに、私のこのサイトもまさに”少しづつ効いた蓄積の動かしがたい影響”の産物で
あるということを認識した次第です。ということが、今回は言いたかったのでした。

では、また。