●日本フリージャズ史を読んで

皆さん、こんにちは、お元気でお過ごしですか。

さて、今回はいきなり本題に入ります。
先日、本屋さんをブラブラしていたら「日本フりージャズ史」という本を見つけました。
著者は、60年代後半から日本のフリージャズに大きく関わってきた副島輝人さんという
ジャズ評論家です。「ジャズ名盤ナントカ」とか、「20世紀に伝えたいジャズナンチャ
ラ」とか、「ジャズ、これを聴け!・・」など、いわゆるジャズ名盤を紹介する本は昨今
の出版界では静かなブームのようで、最近いろいろなジャズ関連の本を見かけるようにな
っています。しかし、よりによってフリー・ジャズ(しかも日本の)!。”そんなもん買
う人いるのかいな?”と思いつつ、手にとったらレジに並んでしまいました。

このサイトの「history」の「ジャズ三昧の日々(高校生時代)」をみてもらえばわかり
ますが、ジャズ三昧の高校生だった私は、一時期フリー・ジャズにも手を染めていました。
そもそもフリー・ジャズというのは、良く言えば即興の可能性を極限まで推し進めたジャ
ズ、悪く言えばめちゃくちゃするジャズです。事実、単にめちゃくちゃだけという人もい
っぱいいたようです。ちなみにフリー・ジャズがいまいち解りにくいロック好きの方に説
明すると、ジミ・ヘンドリックスのモントルーでのギター壊しで有名なパフォーマンス《
ワイルド・シング》での後半部分なんかはフリー・イディオムに沿った形の演奏です。ジ
ミの場合は、コレクティブ・インプロヴィゼイションという形で、各々のメンバーは好き
勝手やっていますが、一応メインパフォーマーのジミに合わせるという形を取っています。
ジミのフリーキーな演奏が不思議と音楽的な構成美を持っていたように、優れたフリー・
ジャズも不思議な音楽的な魅力を持っています。

私がなぜフリーに興味がいったかというと、当時好きだったジョン・コルトレーンやエリ
ック・ドルフィがフリーに突っ走っていたというのもありますが、やはりジャズの即興性
というものを突き詰めて考えていくとフリーに行き当たらざる得ないからです。また、高
校1年生のとき近所の武蔵野美術大学の学園祭で見た、山下洋輔トリオの凄まじいライブ
体験もフリー・ジャズへの興味に大きく影響しています。ちょうどアルバム『砂山』を出
したばかりの第三期山下トリオでしたが、ナマで聴くドラムの音はまるで爆音。坂田明の
サックスの咆哮も、形容する言葉がないほど凄まじいものでした。フリーを理解するのに
、このナマ体験があるかないかというのはけっこう決定的なことかも知れません。フリー
・ジャズの多くは、ロックのような一定のビートではなくパルスのようなリズムで演奏さ
れることが多いのですが、なんとかいうか脳のアドレナリンが直接刺激されるような演奏
なのです。ライブ会場でも、始めから終わりまでずっとヘッドバンキングしている人が何
人もいました。一緒に見に行った当時のバンドのメンバー全員で、興奮して帰路に着いた
のを憶えています。
また、富樫雅彦という日本でも有数のパーカッション奏者のリサイタルを記録したアルバ
ム『スピリチュアル・ネイチャー』にも物凄く影響を受けました。このアルバムは山下ト
リオとは対象的などこか懐かしいメロディを持つ音楽で、メランコリックなタイプのオリ
ジナル作品に大きく影響を受けました。キース・ジャレットやパット・メセニーで有名な
ECMというレーベルに、マリオン・ブラウンというサックス奏者が「ジョージア・フォ
ーンの午後」という似たようなタイプの作品を残していますが、富樫雅彦のコンセプトほ
うがだんぜん優れていると思ったものです(今もこの考えには変わりがありません)。
ちょうど大学入る前に、西荻窪にあるアケタの店というライブハウスで聴いた(というよ
り観た)生活向上委員会大管弦楽団も忘れられません。RCサクセションのサポーティン
グメンバーだったサックスの梅津和時を中心としたこのバンドはとにかく異色で、当時マ
スメディアにも結構取り上げられました(確かNHK教育テレビでの特番のときは、忌野
清志郎とアントニオ猪木が応援で出たし、桂三枝のヤングOh!Oh!にも出演した記憶
がある)。フリー・ジャズ系のバンドがあんなにマスメディアに取り上げられた事は過去
無かったことだし、これからもありえないでしょう。しかしその音楽は猛烈にスイングす
る、フリーをたっぷり取り入れたジャズでした。そんなふうにして私もある一時期現場に
いた日本のフリー・ジャズの歴史を、この本は見事に年代順に紹介しています。フリー・
ジャズの現場を裏から支えた著者でなければ書けなかった鋭い指摘が多く、あっという間
に読んでしまいました。

私もフリー体験後は自分達の演奏にもフリー・イディオムを取り入れて、オリジナルや、
大学4年の音楽クラブでやったバンドのギター演奏なんかでも、フリーのコンセプトを取
り入れて演奏をしています。最近はリラックスして聴ける音楽が好きで、まったく眼中に
なかったフリー・ジャズですが、この本を読んだことで私の胸の中がザワザワと騒ぎ始め
てきました。この本でも大きく取り上げられている、高柳昌行というギタリストがやって
きた音楽のためです。この人は古くから日本のジャズ界に関わっている人で、確かギタリ
ストの渡辺香津美の先生だったはずです。新宿のタローという店で、ナマで聴いたことも
あります。しかしあまりの爆音に耐えられずに、途中で帰ってしまったのです。”なぜジ
ャズギターの第一人者と言われている人が、こんな物凄い騒音ばかりの音楽をやるのか”
が当時の私には理解できませんでした。今でも理解できているとはいえません。でも、こ
の本で高柳昌行の即興演奏の裏にあったものを知り、また聴きたくなってCDを買ってき
てしまいました。”とにかく物凄い疾走感”のフリー・ジャズです。本の中にも、”あま
りの轟音に、当時のライブハウスの天井の塗装がはがれて、客席に落ちた”というエピソ
ードが紹介されていますが、よく理解できます。”ヤワな音楽なんか眼中に無いし興味も
無い、どいた、どいた!”というような雰囲気があるのです。その爆音の先に彼がみてい
た即興音楽の未来は何だったのか、とても気になってしまいます。う〜ん、でも覗くのが
怖い!後戻りできないような気がする。でも、日本だけでなく昨今のフリージャズの状況
を見ていると、高柳さんが観ていた方向に皆さんベクトルを合わせて進んでいるような気
がするのです。世の中には知らないほうが良いこともあるしなぁ、J−POPだけ聴いて
たほうがいいかな〜。

では、また。