●ボブ・ディランとアメリカ音楽

皆さん、こんにちは。街を行き交う人達の服装も軽装になって、すっかり春になりました
ね。春に聴く音楽は、やはり軽快なポップ・ロックが似合います。思えば昨年の今頃もボ
ブ・ディランばっかり聴いていたわけで、またまたディランのお話です。

ディランの最新作『ラブ・アンド・セフト』を聴いて、”これはブルーズ・アルバムだな
”と思っていたら、ディラン本人がそのようにコメントしていて”やっぱりそうかー”な
どと一人で納得していました。なぜかというと、日本の音楽雑誌などではこのアルバムを
”ディラン初のポップ・アルバム”というような感じに言っていたのですが、自分で聴い
てみると”確かに体裁はそうだけど、なんか違っているよなぁ”という印象がずっと付き
まとっていたからです。”ディランのポップ・アルバムなら『ストリート・リーガル』が
既にあるじゃないか”などと、一人で憤慨していたのです。

ディランへの興味というのは、昔からあったわけではありません。最初は、岡林信康や吉
田拓郎なんかの日本のフォーク歌手に大きな影響を与えたアメリカのフォーク歌手という
程度の認識しかありませんでした。中学生のときに観た映画の「バングラディッシュのコ
ンサート」で、ハイライトとしてディランが登場するのですが、当時の私はバッキングを
付けるジョージ・ハリソンのほうに注目していたのでディランの神々しさに気がつきませ
んでした。ただ、最後にジョージとレオン・ラッセルがバックボーカルをつけた《ジャス
ト・ライク・ウーマン》の美しさは印象に残りました。しかしロックを聴く日々の中で、
”ジョン・レノンが大きな影響を受けた”とか、”ジミ・ヘンがディランの曲をカバーし
ている”とか、”ライブエイドでキース・リチャーズとロン・ウッドだけ従えたディラン
がトリだった”とか、私の大好きな人達の周りにいつもディランの話がでてくるので、無
視できない存在だったわけです。なぜビートルズ、ストーンズ、クラプトン、ジミ・ヘン
がディランなのか、30周年コンサートで、カントリーのジョニー・キャッシュ、スティ
ービー・ワンダー、ゴスペルライクなソウルのオージェィズ、ルー・リードのような、一
見ディランの音楽と関わりのないようにみえる人達までがディランのカバーをしているの
か。ディランへの興味が、どんどんどんどん膨らんでいったのです。ジミ・ヘンドリック
スの凄まじいゴスペル・ブルーズ《エレクトリック・チャーチ・レッド・ハウス》をきっ
かけにソウル・ジャズを発見して、『Soul Songs』という自分のアルバムを製作した私は
、製作の過程で様々なタイプのブルーズを聴いていたのですが、その過程の中でもやはり
ディランの音楽が避けて通ることのできないものだと気がついてしまったのです。特に6
0年代のディランの音楽は、誰にも真似することのできない素晴らしいブルーズ・ロック
だということがわかったのです。あとはもう転がる石のようにディランのアルバムを買い
まくり、ディランの音楽がプロテスト・ソングやモダン・フォークだけでなく、その音楽
のバックボーンとなってるヒルビリー・ブルーズ、カントリー、ホワイト・ゴスペル、ブ
ラック・ゴスペル、ブルーグラス、フォーク・ブルーズ、ホーボー・ソング、ミシシッピ
・デルタ・ブルーズ、リズム・アンド・ブルーズなどの多彩なアメリカン・ミュージック
気づいてしまうと、もう抜け出せません。また眼の前には、未知の音楽の新しい山が見え
てしまっています。そしていまは、ディランの音楽を聴きながらその山をゆっくり登り始
めたところです。

現在でも世界中を精力的にツアーを続けているディランは、これらのアメリカン・ミュー
ジックの伝道師となっているのかもしれません。ディランはこれらのバックボーンをもと
に、繊細な歌詞と、よく聴くと意外に美しいメロディをあの個性的な歌声にのせて、あの
素晴らしいフォーク・ロックやフォーク・ブルーズ、ブルーズ・ロックを創造したわけで
す。だからディランの音楽はとても深く、心の奥深くにしみこんでくるわけです。ディラ
ン絡みでバーズのことも書きたかったのですが、今回はこのへんにしておきましょう。バ
ーズについては、いづれ書きたいと思います。

では、また。