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Explanation and Comments on "Home on the Range"
by Toshiro ABE

解説・コメント、「峠の我が家」
阿部俊朗


アメリカン・ポピュラー音楽に
「カントリー・アンド・ウエスタン」と呼ばれるジャンルがあります。
「カントリー・アンド・ウエスタン」と一言では呼ぶものの、
実際には「カントリー・ミュージック」と「ウエスタン・ミュージック」という
二つのジャンルをひとくくりにしたものなのてすが、
一般的な「スタンダード・ミュージック」や黒人起源の「ブルース」、
それから発展した「ジャズ」などとは区別して使われます。
「カントリー・アンド・ウエスタン」は
「フォーク・ソング」と共に主として白人起源の大衆音楽です。
「フォーク・ソング」が本来的には文字通り民謡であるのに対して
「カントリー・アンド・ウエスタン」はその内に一部題材として民謡を含むものの、
トータルには「スタンダード・ミュージック」等と同様、
商業的大衆音楽と言ってよいでしょう。

「カントリー」は田舎とか地方とかの意味で、
都市や都会に対比して使われる言葉です。
したがって「カントリー・ミュージック」は地方性の強い音楽、
あるいは都会人のあこがれる田舎イメージを体現している音楽とでも言いましょうか。
こんなイメージを表す言葉として、
旧くから「フォーク」、「マウンテン」、「ヒルビリー」などが良く使われてきました。
フォークは土着の民、それが転じて民謡、マウンテンは山、
ヒルビリーは南東部山岳地帯に住む田舎者とでも言った意味でしょうか。
これらは現在でも「カントリー・ミュージック」を表す言葉として良く使われるのですが、
1930年代以降「ウエスタン」とか「カウボーイ」と言った言葉が
急激に「カントリー・ミュージック」を表す言葉として広がります。
この現象は30年代以降のウエスタン・イメージに起因しています。

南西部三州といえばルイジアナ、オクラホマ、テキサスですが、
もともとこれらの地方は移民の種類が多く、
様々な文化的土壌が雑多に入り混じっていたようです。
サザンホワイトと呼ばれる白人系の他に、
二グロ(アフリカ系黒人)、ドイツ系、フランス系、メキシコ系等々・・・。
これらは相互に影響し合い、交じり合い、
独特の音楽的土壌が生成されてきたと考えられます。
その中でもテキサスでは、
1920年代末の石油ブームをきっかけに、急速な産業構造の変化が進み、
一攫千金を夢見るアメリカンドリームの世界が広がります。
この直後の1930年代以降、ウエスタン(西部)への憧れは、
ロマンティックなカウボーイイメージと結びついて、
「ウエスタン・ミュージック」の隆盛を生み出したのです。

アメリカ大陸におけるカウボーイが、
本来の移動放牧という自由な形態での職業として存在しえたのは、
ミシシッピー沿いの「大平原」地帯が、
先住民を除けばまだ誰の土地でもなかった
19世紀後半のほんの二十年ほどにすぎなかったと言われています。
フロンティアの終結を待って、カウボーイはこの地上から早々と姿を消したのです。
何百何千頭もの牛を追いながら、
テキサスからミズーリ、カンザス、ネブラスカ、ワイオミング、モンタナといった州へ、
焚火で沸かしたコーヒーをブリキ缶コップで味わい、
木の根っこを枕に満天の星を眺めながら眠り、
「大平原」地帯を雨の日も風の日も牛を育てながらひたすら北上して、
到着地で丁度成牛となった牛をお金に換える。
そんな流れ者職業のカウボーイは
自由気儘ロマンティックなイメージとして
東部都市生活者の心の中に定着して行きます。

「カントリー・アンド・ウエスタン」は、
19世紀から現在まで根強い人気を保ち続けている「カントリー・ミュージック」と
1930年代以降都市生活者の
「西部」と「カウボーイ」に対する憧れを背景として生まれた
ウエスタン・ミュージックの二種類の音楽を含んだジャンルです。
当然のことながらウエスタン・ミュージックの中には
多くの「カウボーイソング」と呼ばれる曲があり、
「峠の我が家」はその代表的なものです。
1910年にジョン・ロマックスによって世に出されましたが、
類似の曲は他にもあるようで、
その起源は19世紀に遡ると考えられています。



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