このページでは、インドネシア最東に位置する島、イリアン・ジャヤのソロンについて紹介します。
ソロンは地図で見ると、鳥の頭の形をした部分にある町で、ジャワ、スラウェシなどから移民してき
た人々が多く、日本のテレビなどで紹介されるようなプリミティブな服装や生活をしている人は、ま
ずいない近代的な雰囲気の町です。しかし、主要道路から細い道に入ると、原住民達が生活する村が
点在します。
〜虹の奨学金〜
2001年7月から、ソロン市アイマス地域の中高生に、”Beasiswa Pelangi”の
支給が開始されました。
インドネシアの新学期に合わせて、第一期生21名への受給が始まったのです。一般
から寄付を募るわけでもなく、自分ができる範囲で支援しようと立ちあげたプロジェ
クトですが、少しずつ、この支援プロジェクトを聞きつけ、主旨に賛同し、様々な立
場やかたちで協力してくださる方も現れ始めました。
背伸びをせず、身の丈にあった支援を続けたいと思います。
教育に関する支援をしようと思い始めたのは、もう何年も前のことですが、具体的に
行動に起こしてから支給開始までの時間は、あっと言う間のことでした。
「私とアイマス地域の子供との出会い」
「こんな私も、誰かと一緒に歩める。」
神様の大きな手の中でしっかり守られ、励まされている、そんな力強いお導きに支え
られスタートしました。
贅沢を言えば、この奨学金の受給者が将来、学校を卒業した後、なんらかのかたちで、
自分たちの後輩の教育支援活動に関わってくれたらな。。。と思っています。
一方的に与えるだけの支援ではなく、当事者も参画する支援を目指したいと思っています。
2005年度
Beasiswa Pelangi 奨学生募集開始
4月より2005年度分の奨学生募集を開始しています。今年度も昨年度と同様に、中学生には月額2万ルピア、
高校生には3万ルピアを支給します。また、採用人数も、中・高生各10名(最大)ずつ、合計20名です。
昨年の10月に、ソロンでこの奨学金プログラムの窓口になっている神父様から、
「インドネシア政府が支給する奨学金の金額が上がっているので、虹の奨学金の方もそれに準じる格好で値
上げしてほしい。」
と口頭で申し出がありました。
しかし、政府の奨学金と個人的な善意の奨学金を同じにしなければならない理由はなく、また、親たちの子
育てに対する責任と、自覚、そして努力する環境を損ねてまで支給する奨学金では、本末転倒であると考え、
金額は今年度もすえおきにしました。
採用決定者は2005年9月頃にお知らせできる予定です。
2004年度
Beasiswa Pelangi 奨学生決定
選考の結果、2004年度は16名の奨学生に奨学金を支給することが決定しました。
内訳は、中学生10名、高校生6名です。
これまでは、中学生には月額2万ルピア、高校生には3万ルピアを支給していましたが、
教育費の高騰に伴い、ソロンのコーディネーターより口頭で、来年度分からこの金額を
ほぼ2倍に引き上げて欲しいとの要望が出されています。
詳細を文書で説明すると付け加えていましたので、書類を待って内容を検討していくつ
もりです。
今年度の奨学金支給活動に様々なかたちで御協力くださった皆様にお礼申し上げます。
2004年10月18日

ソロンの天気は、あまりはっきり雨期、乾期に分かれていないようです。着ている服さえじっ
とり湿ってくるほどの多湿になったかと思うと、翌日はカンカン照り。と思うと、今度はスコ
ール。
ある日の昼下がり、昼寝をしてたチェチリアは庭先に物音を感じ、起きて庭に目をやると、ヤ
ギの御一行様が軒先きで雨宿りをしていました。
この群れの反対側にも、同じように雨宿りをするクロヤギの御一行様がいました。
人間は、自然をなんとか自分の力でコントロールしようとするけど、動物達は、逆らうことな
く自然のさだめに従って生きていることを見せつけられた光景でした。
2003年度
Beasiswa Pelangi 奨学生決定
2003年度は、選考の結果、13名の奨学生に奨学金を支給することが決定しました。
13名の内訳は、中学生10名、高校生3名で、高校生3名の内、2名は昨年度からの
継続受給者です。なお、去る2003年6月に、昨年度の奨学生は無事、進級、進学、
卒業したとの報告とともに、1名が高校を卒業後の進路として、オーストラリア政府
の奨学金を得てオーストラリアの航空学校に進学することが決定したとの報告を受け
ました。
このことは、今後のBeasiswa Pelangi奨学生にとっても、大きな励みとなるでし
ょう。
また、昨年度、このプログラム運営に御協力いただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。
(2003・7・29)
2002年度
Beasiswa Pelangi 支給開始
昨年度は、22名の中学・高校生に奨学金を支給しましたが、そのうちの16名が、
2002年6月に、中学、高校を卒業しました。高校を卒業した生徒の中には、大学
などへの進学を希望した生徒が多数おりますが、家庭の経済事情がゆるさず、就
職する人がほとんどです。
選考の結果、2002年度は、中学生13名、高校生2名、合計15名に奨学金を支給
することが決定しました。

幼稚園での撮影会ですが、使い捨てカメラを使って初めての写真撮影を体験中
です。子供の後にあるのは、彼らの幼稚園の校舎です。校舎と言ってもトタン
屋根とベニヤ板だけ、窓も壁の板を切り抜いただけの簡単なつくりです。
初めてのカメラに子供達は興奮気味。プリントしたものを届けることになって
いるのですが、写真をみたら、もっと興奮するでしょうね。

これはオウムです。インドネシアでは、マルク、イリアン地方にしか生息してい
ないようですが、おしゃべりが上手な鳥です。
以前、アル諸島で飼ったことがありますが、「オハヨウ!」というのを覚えて、
朝昼晩、「オハヨウ!」と言っていました。
全身が真っ白で、頭のてっぺんだけがきれいなレモン色をしています。
バナナやパパイヤなどが好物のようです。
このBurung kakak tuaはインドネシアで童謡もあり、そのメロディーが、以前
丹波哲郎の「大霊界」という映画の中で、天国の花園の中で遊ぶ天使の場面で使

これは、カテドラルの祭壇の彫刻の一部です。主の晩餐の様子が彫ってあるのですが、
西洋的ではなく、パプアの伝統的な彫刻です。この部分は、祭壇の中央部で、会衆の
方に面した部分ですが、ちょうどこの裏部分は、イエズスが十字架を担いで歩いた様
子が彫られてあります。

これは足踏みミシンです。アイマスには、" Do School "という職業訓練をする場
所があります。カトリック教会のブラザーたちが中心となって運営しており、この
Do Schoolでは、洋裁の勉強をしています。
手に職をつけるという意味で、型紙のおこし方から、手縫いの練習、そしてミシン
を使っての縫製を学ぶとことです。
この訓練所では、中国製の足踏みミシンを使っていますが、受講生がそれぞれの村
に帰った時、必ずしもミシンがあるとは限らないので、手縫いによる、スカート、
ブラウスの製作をマスターした後に、ミシンを使って洋服を作っているそうです。
このDo Schoolには簡単な宿泊施設があり、寄宿生活をしながら洋裁の勉強ができ
るようになっています。

これは、パプアの民族舞踊のひとつである”ヨスパン”という踊りです。これは親
睦を深める踊りだそうで、2列にならんで全員が同じ動作をするのですが、イメー
ジとしては、フォークダンスのような感じです。
軽快な音楽に合わせて踊るのです。みていると簡単そうなのですが、やってみると
意外と難しいかもしれません。
踊ってくれたのは、カトリック教会が運営する女子寮の小学生1名、中学生7名の
合計8名です。本物の動作をお伝えできないのが残念です。
ソロンのカテドラル -その1-

ソロンのカテドラルの祭壇の上にある十字架です。どこか日本のものと、違っている
ことにお気づきでしょうか?十字架につけられているイエズスの右手(向かって)が
Vサインをしています。これは、イリアンの象徴である”勝利”を意味して作られた
Kristus Jayaの御像だそうです。
このカテドラルの祭壇は、イリアンの地方的な特徴をふんだんに盛り込んだ祭壇で、
伝統的な文様を生かした素晴らしい彫刻がほどこされています。
我らソロンの子 -その2-

村の幼稚園を訪問した時、3歳の園児が私にカメラを向けて撮影しようとしている
シーンです。
「自分が好きなものをうつしてごらん。」
と言ってカメラを渡すと、
「Ibu!」(あなた)
と言って、カメラをかまえたのですが、小さな手、小さな指、初めてのカメラ。戸
惑いながら神父様に支えられての撮影でした。
この幼稚園は、カトリック教会が運営している幼稚園ですが、年齢ごとにクラス編
成することができないので、3歳から6歳までの子供が1クラスになっていました。
幼稚園教諭、教材、校舎などを完備するには、資金的にも人材的にも不足している
様子でした。
しかし、子供の笑顔、好奇心は、都会の子供の何百倍も素晴らしかったのが印象的
でした。

すでに紹介したとおり、ソロンはジャワ、スラウェシなどからの移民が多い町です。
村々をたずねても、こうした移民がたくさんいます。
この写真は、ある小学校の1年生のクラスの様子です。子供達が自分で撮影した写真
です。完全な木造校舎で、机も椅子も黒板もかなり使い込まれているな・・・という
印象を受けました。
この小学校は、1クラス平均30名程度で授業をしているそうです。
ここ数年、小学校へ入学する児童数が増加し続けているそうです。

この集落に限らずアイマスでは、たくさんの子供達の姿を見かけます。この写真の人々は、
パプアの先住民です。どういうわけか男の子たちは上半身裸のままというのが多かったで
す。集落が一つのKeluarga Besar(大家族)のようで、自分の子供もよその子供も同じ
ように面倒をみたり、また、大きい子供が小さい子供の面倒をとてもよくみていました。
彼らは、大人も子供も恥ずかしがりやさんのようですが、相手に心を開くと、とても明る
い人々です。

学校の校庭、道路沿いの草むら、家のまわり、どこにでもいる牛。茶色い毛いろの牛です。肉
牛だそうですが、完全な放し飼い状態で、夜は飼い主の家の柱などに、綱をつながれている程
度で、日中は好きなように草むらを移動し、草を食べていました。
牧草地という感じではなく、ごくごく普通の原っぱでした。

晴れた日のアイマスの空は青く、人間の心が澄んでいくような気分にさせてくれます。そして、
夕暮れどきを迎えると、さっきまで青と白い雲しかなかった空が、美しすぎて涙がでそうなほ
どに素晴らしいキャンバスへと変わっていきます。神は偉大な創造主だと、今さらながらに心
に深く刻み込む瞬間でした。
夕暮れには、それまで原っぱで草を食べていた牛が、飼い主に綱を引かれずとも自分で家に帰
っていくのです。アイマスの農家では肉牛、山羊、鶏などを飼育しているようです。
夕焼け空が次第に闇夜へと移り変わっていくと、あたりはネオンも何もない本当の暗闇になっ
てしまいます。この暗闇で、毎夜、毎夜、虫たちの大演奏会が始まるのです。大自然からの贈
り物である虫たちのオーケストラ。東京では味わうことができない贅沢な夜を過ごしました。

アイマスは、毎日、雨や小雨が降り、湿度が高い地域のようです。雨が降らないと、気温がぐんぐ
ん上がってとんでもなく暑いのです。
雨が降ると、ジメジメしていやだなぁ、と思うのですが、この雨は、人々の生活に無くてはならな
い恵の雨なのです。
生活用水は雨水です。共同の井戸もあるようですが、ドラム缶などに雨水を貯めて、調理、洗濯、
沐浴などに使っています。
チェチリアは、以前、東南マルクの島で生活したことがありますが、その時も、雨水を使っていま
した。その島の雨水は、なんとも埃臭い味がする水で、石鹸も泡立たない、埃いっぱいの雨水でし
た。しかし、アイマスの雨水は、埃臭さもなくきれいな水でした。

チェチリアが滞在した村は、どこも道の両脇は水田、畑、そして原生林だらけ。かろうじて舗装
されている道でも、すぐ脇は熱帯の森。中に入ってみると、いろんな植物は生育していました。
ふと、頭の上に目をやると、カカオの実がたくさんなっていました。どうやら、この森一帯は、
スラウェシ島からの移民であるブギス人所有の森らしいのですが、まったく手入れがされている
様子もなく、カカオの実もなり放題、勝手に生育しているという感じでした。

ソロン市内から40キロほど車走った所に、アイマスという地域があります。ここは、農業中心
の地域で、稲作、野菜などの畑が一面にひろがっています。車で移動途中に、橋を渡りました。
下を見ると、大きな川が流れていて、そこにはサグの木が生い茂っていました。このサグは、で
んぷん質が豊富ですから、もともと、この地域の人々の主食となっていたものです。現在は、稲
作も行われ、また、他の島から米が輸送されるようになり、主食が米になりつつあるものの、市
場ではまだ、サグを見かけることができます。
このサグは、水でふやかして火にかけノリ状にして食べるのですが、そのおかずは魚などのよう
です。
同行してくださった方に、
「この川に、ワニなんかいるのかな?」
と聞いてみたら、
「う〜ん、いないでしょう。陸のワニだったらいるけど。。。」
と答え、大笑いしました(インドネシア語ではbuaya daratといい、???な男性のと)。
2001年4月23日(月)12:30

飛行機から降りて、やれやれと一安心したのもつかのま。なんだか訳がわからないままに、ポーター
らしき男性達がドドッドーっとやってきて、私の荷物を運び始めたのです。
「???」とあっけにとられていると、空港から続く桟橋で客待をしているボートに乗って市内へ行
くというのです。木造の頼りなさそうなボートで、およそ30分。ソロン市内に着くまで乗合ボートに
揺られ、船酔いはしなかったのですが、ボートのモータ用の燃料の臭いが強烈で、ちょっと頭痛が。
10人ほどしか乗れないようなボートでしたが、船体が長いボートでした。私のデジカメから先端部分
がはみ出してしまった・・・。
2001年4月23日(月)12:15

スラウェシ島のハサヌディン空港を後に、およそ2時間。目的地のソロン、ジェフマン空港に着陸直
前に、その上空を撮影。パプアは、東西に長く、鳥の形をした島です。その鳥の頭にあたる部分にソ
ロンがあります。海の青さが写真で伝えきれないのが残念です。

ソロンへ行くには何通りかの方法がありますが、今回は、ジャカルタ発、朝5時のPelita Airline
で行くことにしました。このフライトでは、スラウェシ島のマカッサルにあるハサヌデディン空港で
30分のトランジットがあり、インドネシア東部時間の12時15分にソロンへ到着します(ジャカルタ
はインドネシア西部時間で日本時間より2時間遅れ。イリアン・ジャヤは日本時間と同じ)。
機内サービスはまずまずですが、他の航空会社と比較して、このPelita Airlineは、フライト時間
がとても性格で、キャンセルや遅れがないことが人気の秘密のようです。
ちなみにジャカルタ〜ソロンは、片道およそ200万ルピア(23500円:2000-4-23現在、1ルピア
≒85円)です。
搭乗手続きを済ませ、待合いロビーで待っていると、「ただいまから、50%引き航空券の抽選会を行
います。ご登場の皆様のボーディングパスの左下を予め切り取ってありますが、その券がこの箱の中
に入っています。どなたか、お二人、この箱の中から券を引いて下さい。」と、アナウンスがありま
した。
知らない男性が引いた券の番号は、「C7」でした。「C7のお客様、いらっしゃいますか?」と係員
が呼んでいるのですが、私は電話をかけるのに忙しく、どうせ当たるわけないと無視して、一生懸命
電話でしゃべっていました。何度も何度も、C7のお客さんを探しているので、
「そういえば、私も7番だったなぁ〜」
と思い、手元のボーディングパスを見てみると、
「あ”キャ〜!私、私!」
ということで、50%オフのクーポンをゲット!
しかし、このクーポンはリファウンドできないので、次回またPelita Airlineを使う時に正規料金
が50%オフになるというものでした。有効期間は6ヶ月。