愛・Cinta kasih

 

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2006年6月6日(火)

       仕事帰りの電車の中で、二人の大学生らしい年格好の女性が話していました。

       A子:「私は年齢が低くても、償い切れない罪ってあると思う。そういうのは、

           少年だからということではなく、極刑をもって罰するべき。」

       B子:「?????」

       A子:「だって、子供だからといって、保護されていて、それじゃあ何の罪も

           なく、たまたまその場に居合わせたというだけの理由で殺された人は

           どうなるわけ?」

       B子:「でもさぁ〜〜〜」

       A子:「絶対償い切れないって罪はあるよ。子供にだって。ハムラビ法典のよ

           うに目には目をでやるべき。」

       B子:「う〜〜〜〜ん。。。。。。」

 

       二人の会話は、どちらかというとA子の主張が強く、B子は歯切れ悪く反応して

       いる様子でした。

       A子は、「子供だからといって見逃す、刑を軽減するというのは、同じような凶

       悪犯罪を引き起こすことにもなり、こうやれば自分もそうされる、というのを見

       せつけられることによって犯罪を抑制できる。」という論です。

 

       さて、彼女がいう「償い切れない罪」というのはあるのでしょうか。

       教会では、罪を償うことについては、さまざまな話を聞きますが、償えないから

       極刑をもって、あるいは自らの死をもって償うというのは私自身は聞いたことが

       ありません。

       死刑がよいか悪いかというのは別の話として、犯した罪に対してどうこう議論す

       るよりも、罪を未然に防ぐ環境作りを考えないといけないのではないか、そんな

       風に思いながら聞いていた二人の会話でした。


2006年3月25日(土)

     とあるところで、里子がそこにいた60後半の男性にビンタをされた。

     私はその男性と自分の考え方や行動様式のギャップに異文化を感じました。

     もともと子供たちはテレビを観ていて、海の生き物の番組で興味があったよう。

     それを取り上げ、カラオケの機械をテレビにつなぎ、1人歌い始めた男性。

     暇になった子供たちは、テレビの前にたって邪魔をしたり、騒いだりしていたずらをはじめたのです。

     すると、マイクで

     「見えない!」

     と注意されたのです。私も、子供たちに邪魔をしないようにと何度も注意をしながら、他のことに

     忙しくしていたので、注意の仕方が十分ではなかったかもしれません。

     しかし、やや強い口調で「見えない!」と叱られた子供たちはテレビから離れ、騒いでいました。

     すると、今度は里子がその男性に捕まって、ビンタをされているのを見てしまったのです。

     たまたま、私が離れたところから後ろを振り返った拍子に見た光景です。

     ビンタされた上に、腕をつかまれて、「今度やったらもっと怒るぞ!」と威嚇されていました。

     他の人は誰もカラオケに見向きもしなかったことも、その方が不愉快な気分になったきっかけだった

     かもしれませんが。

     他の子供の親は、その場にいたので標的にならなかったようですが、たまたまその場にいなかった

     私の目を盗んで?の行為。

     いたずらは悪いし、言うことを聞かないのも悪い。にしても、ビンタをするほどのことか?と思うと、

     その男性の行為は卑怯だと思いました。

     後になって、

     「止めなさいと注意されてもいたずらしたのは、自分が悪い。大人はそういうのが一番嫌いだから。

      だけど、ビンタをしたおじさんは一番良くない。」

     と里子を再度注意し、一方では叩かれたことへのショックを癒してあげました。

     ビンタをするなら、他の子も同じようにすべきです。だって一緒に同じようにやっていたのですから。

     これは、里子もそう感じていたようでした。

     「なんで他はやられなくて、オレだけやられるのか?おかしいぞ。」

     他人に簡単に手をあげるということは、家庭内ではもっと簡単に暴力行為に及んでいるのかもしれな

     い、と勝手に想像しています。

     同席したもう1人の60代の男性は、まったく逆。上手に子供をあやして遊んであげていました。

     神様と人間の両方の行為を一緒に見た気分です。


2006年3月24日(金)

     若い者が、年寄りはすぐこれこれだから、、、とか、老人は同じことをいつもくり返して言ってる、

     というのは、今も昔も変わらないような気がします。

     でも、自分が子供の頃と今とでは、立場が違うことと、年齢相応に社会経験をしたり、生活上さま

     ざまな体験をすることによって、同じ現象をみても感じ方や受け止め方が違っていることにも気づ

     きます。

     私の知人の1人に、毎回毎回会う度に同じ話題ばかりを話す人がいます。

     亡夫、息子とその嫁、孫、今も健在は実母と義母。どれも、何度も同じことを聞いています。でも、

     話す本人は過去に何度も話したことを忘れているのか、あいもかわらず、会えば同じ話。

     あるとき、とある集まりで初めて顔を合わせた人たちとの歓談の席で、その知人がひたすら亡夫の

     思い出話しというのか、自慢話を延々したのです。聞き飽きた人たちの中で、1人勇気がある男性

     が、

     「あなた、その話はもう6回めですね。」

     とたしなめたのです。それでも、その言葉がたしなめられたと思わずに、さらに話は続くのです。

     私もその男性と同じ気持ちですが、言えませんでした。

     聞いているふりをして、別のことをしていました。

     私が子供の頃も、きっと祖母や近所のお年寄りは家族の話ではなくても、同じことをくり返しくり

     返し言っていたに違いありません。

     でも、あの当時は黙って聞いていたように思います。なのに、今は同じことをくり返し話されると

     イライラしてきます。私も将来同じようなことをするかもしれないのに。。。

     友達に話すと、

     「老人は、昔のことは興味関心があっても、新しい今のことを取り入れることができなくなってい

      るからしかたないんだよ。がまんして付き合ってあげてよ。」

     と言うのです。

     「そうか、、、我慢して付き合うのか。。。。」

     と思っていたら、別の人が、

     「あの人の家族の自慢話は、他に聞いてくれる人がいないから、唯一あなたが聞いてくれて、それ

      で気持ちの持って行き場にしているんだろうし、発散しているんだろうから、もうその話、聞き

      飽きたと本人に絶対言っちゃダメだよ。」

     とも言うのです。

     

     もっと寛容に忍耐強くないといけないのですね。


2006年2月17日(金)

      天国はだれが入れるか?そんな話題になった。

      1人のプロテスタントの信者さんが牧師に問いかけました。

      「私達のようにイエス様を受け入れた人はいいとして、信じないで亡くなった人は

      どうなるんでしょうか?我々と友達だったり、家族だった人とは、死後天国の家で

      再会できるのでしょうか?」

      牧師の答えはこうでした。

      「イエス様を受け入れた人は天国に入れます。でも、そうでなかった人や信じないで

      死んだ人は絶対天国に入れません。」

      チェチリアはびっくりしました。

      私に洗礼を授けた神父は、

      「天国には宗教ごとの境界線があるのでしょうか?だれでも神が愛してくださっ人間です。

      みんな天の国で再会できるし、その時を待って、我々も先に亡くなった方や、まだキリス

      ト教を知る機会がない人の平安のために祈るのです。」

      と言っていたこととは真っ向から対立する二つの見解です。

      こんな話を1人の友人に話すと、

      「あぁ〜、仏教は極楽だから。天国じゃなくて。ワッハッハァ〜。」

      と明るく答えてきました。

      そうだよな、自分中心に考えると天国の枠にはまる人、はまらない人がでてくるけど、

      それぞれの信仰によって死んだら行く場所が用意されているんだよね、と思うと、少し

      安心しました。

 


2004年11月5日(金)

     ソフィアが私の家に初めて来たのは、今から3年前の11月でした。

     初めて会ったのはそれより少し前でした。小さくて色白で、やや小太りの落ち着きのない幼稚園の

     年長組でした。

     とにかく動き回っていて、言葉数も多く、圧倒されたことを覚えています。

     でも、彼の目は悲しい目をしていました。子どもらしい明るい輝きを放つ目とは違ったものでした。

     これが私の彼に対する第一印象です。

     小学校に入学した当初、他の子どもと比べてみると、どこか幼稚な仕種が目立ち、体も小さく弱々

     しい感じがしました。

     エレベーターの階数のボタンに手が届かないので、ジャンプして叩き押すようにしていました。幼

     児期の環境が発育に支障をきたすのかな、と心配な面もありました。

     しかし、最近では背丈も伸び、エレベーターのボタンも楽々押せるようになり、以前よりも落ち着

     きがでてきました。

     悲しい目も、この頃は好奇心のかたまりでキラキラ輝くようになり、これもまた大きな成長の証だ

     と思っています。

     学校では、勉強が遅れているとか、幼稚だとかいろんなことを言われますが、私は今のソフィアな

     らそれでもいいと思っています。

     「小学校の成績が人生を決定するものではないから、大丈夫。それよりも、体力作りをした方が、

      これから先のことを考えると助けになると思うよ。」

     とは、私の友達の助言です。

     私もそう思います。

     他の子どもよりスタートが遅れた分の取り戻しは、他の子どもが何年もかけて様々なことを習得し

     たプロセスとは比較できない程の努力が要ることだっただろうと思います。

     それを大きく評価して、今、まだ達成できない課題はじょじょに達成できるように、気長に見守っ

     ていきたいと思います。

     ソフィアが誰かの所有物ではなく、大人が神様から一時お預かりしたものと思えば、いつか神様の

     手にお返しする時までに、みこころに適う人に成長していればいい、私はそんなのんきな姿勢でソ

     フィアと関わっていこうと思っています。


2004年10月28日(木)

     新潟で発生した地震。

     被災者は、まだおさまらない余震に怯えながらの生活を余儀無くされています。

     怪我や事故、病気は自分の注意である程度予防できるものの、自然災害は防ぎようがありません。

     昨日、奇跡的に救出された男の子。どんな時にも、人間の理解を超えた偶然が起こると思いました。

 


2004年9月11日(土)

     ジャカルタでの爆破テロ。年一度のペースで大きな爆破テロが起こっています。小さいものを

     含めると、もっと頻繁に起こっているようですが、今回のようなテロでは無差別テロのように、

     標的以外に全く無関係の人に与える被害が大きすぎます。

     どの宗教でも、本来の教えから離れた解釈をして暴走してしまうのは、人間の能力の限界ゆえ

     でしょうか。


2004年5月27日(木)

     今日は33才で亡くなったチェチリアの母の命日でした。仏教では33回忌にあたる年のようで、

     父と母の兄弟とチェチリアの家族で法事をしました。

     チェチリアが小さい時に亡くなった母ですから、母との思い出は本当に少ないのですが、わず

     かな記憶をたどると、いくつか思い出すことがあります。

     母は腎臓が悪かったようで、腎臓の薬といっては西瓜を食べていました。

     いつも、スーパーに西瓜が並びはじめると、母を思い出します。私は母の遺影を見て、

     「母はこんな顔の人だったなぁ〜」

     と思い込んでいるだけで、実際に母の顔を覚えていません。でも、親戚の人がチェチリアを見

     る度に一様に、

     「恐いほど似てくるね。」

     といいます。チェチリアは母の兄弟を見て母という人に思いをめぐらせ、母の兄弟はチェチリア

     を見て自分の姉、妹だった母を思い出しているのだと思います。

     母が生きていたら、チェチリアの存在は母の兄弟にとっても特別なものではなかったでしょうが、

     母が亡くなったことで、チェチリアが”いる”意味は、特別なものになっているのだと思います。

     もし、神様が願いを一つだけかなえてあげると言われたら、チェチリアは迷いもなく母との対面を

     願うでしょう。母はどんな人なのか、会って自分の目で確かめ、また同じ女性として話してみたい

     ことがあります。

     腎臓が悪かったので出産は致命的といわれたにも関わらず、なぜ、夫婦2人の生活を選択せずに出

     産を選択したのか、自分の命と引き換えに新しい命を送りだそうとしたのはなぜか、聞いてみたい

     のです。

     チェチリアがイエズス様の生き方に引かれるのは、もしかしてそんな母の選択を通して心に感じる

     ものがあるからかもしれません。


2004年5月13日(木)

    イラクでアメリカの民間人が殺害されたことは、ここ数日間、くり返し報道されています。

    殺害の様子をインターネットで流したこともあり、これがさらにマスコミに取り上げられ

    る理由なのだと思います。

    夕べのテレビで、アメリカ人とイラク人に対して街頭インタビューをしていました。

    その中でひとりのアメリカ人女性が、淡々と、

    「こういうことは起こるだろうと思っていた。」

    と答えていました。

    一方、イラクでは男性が、

    「あのようなやり方はよくない。Haram!」

    と言っていました。

    「自由」を得るための代償はあまりにも残虐です。

    第二次大戦の時、インドネシアをオランダから独立させるというふれこみでインドネシアへ

    渡った日本兵が、最初のうちは歓待されたものの、次第に独立支援のためではないと感じる

    事実がそこかしこで展開されていくうちに、

    「何の為に来たの?」

    と思われるようになった日本兵と今のイラクの米兵がどこか似ているような気がします。

    戦争を直接経験していないチェチリアは、戦争がどういうものかを完全に理解していないと

    思いますが、人間が人間ではなくなるものが戦争かな、と思っています。


2004年2月8日(日)

    親が子どもを失う悲しみや、親子が不本意に離ればなれになる悲しみや苦しみがどんなものか、

    今までチェチリアは理解することができなかったし、考えてみたこともあいませんでした。

    でも、今日はそれがどういうものか感じる出来事があったので、かなりテンションが下がって

    しまいました。


2004年1月5日(月)

    久々におじに電話をしてみました。しばらく電話をしていなかったので、どうしてるかな、と思って

    電話をすると、思ったとおり、おじもおばも電話を待っていました。

    その電話で、おばは心に残ることを話しました。

    「子供は親を選んで生まれてくるわけにいかんから、授かった子供は大事に育てななあかん。子供に

     手をあげるのは絶対したらあかん。大人同士で対等に喧嘩できるんやったら別だけど、これもまた

     刃物なんか持ったら最低やけどね。でも、子供いうのは無抵抗なんやから、大人がそんなんして叩

     いたり蹴ったりしたらあかんよ。絶対ダメやわ、そんなの。今、そういうのんが多いみたいやけど、

     おばちゃんらは、いい時代に子育てできたと思うわ。今ほど、こんなんひどくなかったよ。私は、

     絶対子供への暴力反対。そしてまた、親からしてもらったこと、親がしたことを、子供も大人にな

     ったら同じようにするから、一杯愛情を与えて育てなあかん。」

    子育ての大先輩のおばの子育て論。そしてまた、おばはそうやって子供を育てたというのが伝わって

    くるようでした。

    確かに、子供は小さく弱いものです。チェチリアは、どれだけの愛情を子供に注ぐことができるのか

    なぁ。。。


2004年1月2日(木)

    この頃、里子が外向きにこういうことを言うのです。

    「僕の母ちゃんはね。。。」

    「うちの母ちゃんがね。。。」

    どれもチェチリアとの関わりの中で起こった出来事を友だちに話す時に言います。

    深くは知りませんが、実母とはいろいろな意味で苦労した子のようで、チェチリアと過ごす

    ようになって一年近くになろうとすることから、こんなことを言う機会が多くなったように

    思います。

    友だちに話す内容は、すべて事実なのですが、体験したことを人に話すことを通して、自分

    の実母もこうだったらいいのになぁ、という願いを込めているのではないか、と思ったりし

    ます。


2003年10月29日(水)

    この秋、パプアのとある集落の一本道で体験したことです。午後の暑い時間に、チェチリアは洗濯物を

    抱えて、洗濯機がある家まで行こうと一人、歩いていた時です。

    どこを見渡してもかわりばえしない単調な風景に、目的地へはこのまま歩いて行って着くのだろうか、

    と不安になりました。ふと後ろを見ると、一人の女性が歩いていました。

    「そうだ、このおばさんに聞いてみよう。」

    と思ったチェチリアは、その女性に声をかけました。

    すると、その女性は、

    「あってる、あってる。この道を真直ぐいって、その橋を渡ってまた真直ぐ。少し行ったら右にまが

     って、また行くと、右に曲がれるから、そこも右に。」

    丁寧に教えてくれたその女性は、橋の所までチェチリアと一緒に歩き、そこで別れました。

    別れてから数歩歩くと、その女性が私を呼び止めました。

    「これ、あなたにあげる。」

    と頭から吊り下げていた袋から大きな完熟したパパイアを差し出したのです。

    「え?私に?いくらですか?」

    と聞くと、

    「いや、いや、あなたにあげるの。持って行って食べて。」

    と言うのです。

    ほんの少し道を訪ねただけなのに、美味しそうなパパイアをくれるなんて思いもしませんでした。そ

    の女性のかっこうを見ると、畑から帰ってきたところという感じでした。

    私と出会わなかったら、あのパパイヤはきっと家族と一緒に食べるはずだったのだろう、と思うと、

    このパプアの女性との出会いを通して、ここにも神様の隣人愛のわざが働いている、と思いました。


2003年7月27日(日)

    今まで、『祈る』ということを口に出さなかった子供。しかし、浴室閉じ込め事件以来、夜、

    寝る前にマリア様の御像の前に座り込んで、祈りを捧げることを日課にしようと言い出した

    子供。

    今夜は僕が、明日はチェリチアが、というように、具体的に祈り方まで考えるようになり、

    短期間での子供の心の変化に驚いています。

    ピアノの上に置いているマリア様の御像は、その場所がよくないらしく、子供はいつも自分

    の目が届く所にその御像を置きたいようです。昼は食卓の上に、夜は布団のそばに。

    子供は毎晩、

    「マリア様のとりつぎをとおして、自分が安心していられるように」

    と、いつも同じ祈りを捧げています。

    朝目がさめると、子供は、

    「ねねね、ゆっくり眠れた?」

    と必ず聞きます。

    自分はゆっくり眠れたので、チェチリアもそうであるように、と思うようです。

    知恵もない小さい子供に、文字どおり『小さな者のうちに神様がおられる』、そんなことを実感

    しながら過ごした週末でした。


2003年6月7日(土)

    子供が言うことを聞かないので、チェチリアは口からでまかせを言ってしまいました。

    それが予想外に子供にとっては深刻な悩みとなってしまいました。

    「さ〜、どうしよう。この不安から開放してあげるには。。。」

    チェチリアも困ってしまいました。

    話の発端は、汚い物を触って、それをまた他人に擦り付けて喜んでいる行為から始まっ

    たのです。

    そこでまた、方法を思いついたチェチリア。

    「シャワーではなく、お風呂に入って15数えて、石鹸で体中きれいに磨けばきれいにな

     る。髪の毛もシャンプーとリンスでしっかりと。。。」

    と言ったら、いつも大騒ぎでシャワーだけですませようとする子供が、神妙な面持ちで

    静かに入浴。

    言われた通りに入浴したのだけど、本人はまだ不安で、何か不十分に思えたらしい。

    「そうだ。頭まで全部、お風呂に潜ればもっと大丈夫。」

    そう思った子供は、ザブ〜ンと潜水。

    これで、かなり心の悩みも解消されたらしいのです。

    子供は洗礼とか清めとか、そんな難しいことを知らないのに、水は自分の汚れを洗い流して

    きれいなものにさせてくれる、そう思ったのでしょう。言葉で理解していた洗礼の意味を、

    実感として知った瞬間でした。


2003年4月24日(木)

    御復活のあいさつをかねて、久々にチェチリアの代母に電話をしてみました。代母さんも、

    相変わらず育児に仕事に、そして勉強にと充実した日々を過ごしている様子。チェチリア

    も安心しました。その代母さんは、今、メイクの勉強をしていると話していました。メイ

    クといっても、おしゃれのメイクではなくて、

    「不慮の事故などで顔に傷を負った人のメイクです。普通と違うものを見ると、差別意識

     を持ってみられるということで、引きこもりになりがちな患者さんの為に、メイクなど

     で内から外へ向かう勇気を出す手伝いができれば、と思って勉強しはじめたの。」

    と、勉強をはじめたきっかけを話していました。

    人間は、いろいろな部分で、他の人につかえることができるんだと、あらためて感じまし

    た。

    この一年あまり、チェチリアは気分が落ち込む事件が多く、人を嫌いになることが多かっ

    たです。だけど、気分をかえて、私にも何かできることがあるかもしれない、とやる気と

    勇気を分けてもらった電話でした。やっぱり。チェチリアの代母さんはすごい。


2003年4月20日(日)

    今年の復活祭で、知人が洗礼を受けました。今年の復活祭は時期が遅く、待ち遠しいくら

    いでした。信仰をともにできる仲間が増えることは嬉しいことです。


2003年4月2日(水)

    今日はチェチリアの洗礼記念日です。といっても特別何かをするくわけでもなく、一人

    で洗礼式の日のことを思い出すくらいです。

    今年も、御復活の日に洗礼を受ける知人の代母を頼まれていますが、いつも思うのは、

    自分が受洗した時よりも、感動するのはなぜだろう、ということです。

    自分の時は、式次第に従って間違えないように、と緊張していたからかもしれませんが、

    代母になると式全体をみる余裕があるためか、感動も大きなものです。


2003年1月29日(水)

   「一体、この人、どうなってるの?」と悲鳴をあげたくなるような人に、ホトホト疲れ

   ているチェチリア。無意識のうちか、あるいは故意にやっているのかわかりませんが、

   とにかく自分のまわりにいる人を片っ端からゴシップねたにしてしまうのです。毎日、

   ひどい時には日に何度も同じことを同じ人に電話で長時間話すのです。

   次々に電話をかけては、いろいろな人の悪口をいうのもだから、電話をかけられた人ど

   うしで、お互いに疑いの気持ちが出てくるのです。

   というのは、その人は自分が思ったり、自分がやっているにも関わらず、さも、第三者

   が思っている、やった、言ったと登場人物を増やして、話の舞台を大きくしていくとい

   う技を使うからです。

   そんな中、友人からその人の件でチェチリアに電話がかかってきました。その電話をく

   れた人の話を聞きながら、

   「あれ?え?へぇ〜〜〜。。。」

   と驚き、また、”お見事!”の一言につきるとしか言い様のないその人の創作力に、言

   葉を失ってしまいました。

   どうやら、悪意でやっているわけではないようなのですが、結果的に回りを不愉快にし

   ているのです。ゴシップには興味がなさそうな男性たちでさえも、彼女にかかっては憤

   慨する程のかく乱ぶりです。

   ”赦し分かち合う”というのは、キリスト教の大きな柱になっている部分ですが、ここ

   まで派手な演出家と出会ったチェチリアは終始、困惑しています。


2002年11月11日(月)

   昨日、私の心に深い傷を負わせた一家の後ろ姿を見かけて、押さえきれない怒り、憎しみ

   が込み上げてきたチェチリア。これまでに経験したことがない気持ちだった。私がその一

   家を嫌いになるきっかけは、今年の1月の出来事に遡るが、もう1年近くになろうとする今

   というより、時間が経てば経つほど、憎悪が強くなっている。

   一家4人が一列になって座っている姿を見、しかも、出来事の発端となった男性の声を耳に

   すると、

   「頭にくる!」

   「醜い顔つき!それに耳障りな声!こんなところに現れてほしくない!!!」

   と、怒りと憎しみが一挙に込み上げてきて、心臓がバクバクしてしまった。

   「こんな気持ちで御ミサに与っても何の意味もない。。。」

   と思いながらも、近くの教会の6時のミサに与った。その後、どうしても誰かに聞いてほし

   くて、神父様に心のうちを全部話してみよう。。。と思い、神父様に延々3時間半にわたっ

   て話してみた。

   その神父様は60才。あれこれ話しを聞いてくださいましたが、初めは深刻な顔をして聞い

   ていた神父様も、途中から大爆笑するほど、私の風変わりな面を見て知った、と思われた

   らしい。

   事件発生当時、その男性が私を吊るし上げ?にした時に、あれこれ興奮して大勢の前で言

   ったことは、すべて事実に反したことであって、その場にいた人々は、その男性に対して

   怒りのまなざしをもって見ていたので、私も意外と冷静にその男性の話すことをきいてい

   たのだが、時間が経つにつれて、

   「なんで私があんな風にいわれないといけないわけ?」

   と、頭にきてると言ったら、神父様は

   「あれ?その時は、冷静だったのに、時間とともに頭にきたの?」

   というので、

   「そう。だって、あの時、見たこともない種の人種の存在を目のあたりにして、カルチャ

    ーショックだったし。」

    と答えると、

   「しかし、そりゃ〜チェチリアさんは、にぶいんじゃないの。。。。はははは。。。。。」

   と豪快に笑われてしまいました。

   「その時、あなたも、”私はそういう考え方は嫌いだ!認めない!”とか言いかえしゃよ

    かったのに。黙ってたの?」

   「だって、初めてみた人種だったから、どうしていいか分からないし、第一、言葉を失っ

    てしまったの。」

   という話しが続いて、終始神父様は穏やかな表情で話しを聞きながら、

   「チェチリアが頭に来た、怒った状態というのは、こういう風に”あたまにきた〜〜〜〜”

    という感じなんだな、、、それは分かった。」

   と、また笑われてしまいました。

   今日、その神父様に話して大きな安らぎをえたのは、

   「ゆるす」ということは、神が創られた創造物としての存在を認めることであって、

   嫌な、嫌いな相手の言うこと、考え方、価値観に従うことではなく、嫌なものは嫌でいいん

   だ、と言われたことでした。

   私は許すこと=受け入れること、と思い込んでいましたが、

   ”嫌なものは嫌だ、お前は嫌いだ!”

   と思ってもよいのだ知ったら、心がす〜っとした。

   嫌なことをしたやつには、それなりに接すればいいし、

   良いことをしてくれた人には、自分にしてくれたように接すればいい。

   相手に合わせて自分の相手に対する接し方を選べばいいのだ、と言われ、やっぱり神父様に

   話してよかった、と思った。

   でも、事件の背景があまり分からないにも関わらず、日曜日最後の御ミサを終えたお疲れの

   神父様は、なが〜いなが〜い分かち合いの時間をつくって下さって、本当に感謝です。


2002年11月1日(金)

   あるインドネシア人共同体でのシーン。パーティの準備の相談に立ち会った私。

   日本人は、何から何まで準備万端にして作業にかかる習性があるのに対し、イ

   ンドネシア人たちは、いたってマイペース。成りゆき任せといった様子。この

   両極端な習性に、その場に居合わせた日本人たちは、ただただ驚くばかり。

   準備をしっかりして、事に臨むというのは、あらかじめ予測される失敗をさけ

   るという意味では大事かもしれません。だけど、成りゆきでも、なんとかかた

   ちになるインドネシア人スタイルも、時には必要かもしれません。

   準備の話し合いの中で、急がしい都会生活で忘れていた大事なことを気づかせ

   られる一言がありました。

   「大事なことは、ここにいるみんなが一緒に料理をして、一緒にそれを味わう

    こと。喜びをみんなで分かち合うこと。」

   こう言って話し合いをまとめたインドネシア人女性の一言は、いかにもキリス

   ト者的な物の考え方だなぁ〜と思いました。

   同じキリスト者であっても、”共同体”とは名ばかりで、いつも誰かに大きな

   負担をかけている自分の環境を反省させられました。


2002年9月26日(木)

   ニュースで、長野県の熊騒動が報道されていました。

   「上に逃げれば鉄道があるし、下へ逃げれば小学校があるし、殺す

    しかなかったよね。」

   と言っていました。毎年、熊の出没騒ぎはありますが、銃殺の様子

   を見るとかわいそうな感じでした。だけど、そのままにすると住民

   に被害が及ぶ恐れがあるし・・・。

   人間と動物。どちらも神様の創造物だけど、共存するのは難しいの

   かな・・・。


2002年9月25日(水)

   人に嫌がらせをして楽しんでいる人がいます。本当に、その人は楽

   しいのでしょうか?数カ月間にわたって、迷惑電話をかけ続けられ

   ているチェチリアは、電話をかけてくるその人がかわいそうな気さ

   えしています。

   彼、或いは彼女の人格を形成する環境が、そのような行為を平気で

   できる人間にしてしまったのでしょうか。人間は、自分一人で自分

   の性格をつくるものではなく、親、兄弟、友達、生活環境に大きく

   影響され、成長していくものだと思います。神様がお与えくださっ

   た”人間”という贈り物を、受け取る側の先輩人間たちが、神様の

   御旨にそぐわないものに造り上げていったら、神様もたいそう悲し

   まれることでしょう。

   だけど、人間の社会を見ると、迷惑電話は小さな例であって、もっ

   ともっと恐い事件がたくさん起こっています。

   知恵の使い方が間違っている! 


2002年9月23日(月)

    昨日、教会である神父様に声をかけられました。あんなに大きな

    教会なのに、なぜかあの神父様は、私のような大勢の中の一人を

    心にとめて下さるのです。

    教会の門をくぐると、その神父様は同国人とおぼしき信者さんと

    お話をしていました。私を見つけると、

    「あら、お姫さま。その後、どう?何か変化があった?」

    と、近況を聞いてきたのです。というのは、今年の1月にチェチリ

    アは大きな事件を体験し、本来相談すべき司祭には相談できずに、

    (その神父さまも事件の渦中にあったから)その神父様に悩みを

    告白した経緯があったからです。

    「う〜〜〜ん、あまり変わらないみたい。だけど、あの時、神父

     様が私の気持ちを聞いて下さったので、神父様は私にとって大

     きな支えになって下さったの。だから、ホントによかった。」

    と、今の気持ちを話すと、

    「そう?もし、あまり辛いようだったら、しばらく、あの環境か

     ら離れた方がいいよ。だって、巻き込まれてしまったら、お姫

     さまがまた苦しいだけだから。御ミサは、その時間以外に他の

     共同体でもたくさんあるから。ね。。。」

    と優しい言葉とともに、チェチリアの手を強く握りしめてくださ

    いました。

    いつも思うのですが、あの神父様のこうした声をかける働きは、

    ”小さな人々の一人一人を見守る”という素晴らしい信仰の実践だ

    と思います。私も同じようになりたい、と、あこがれるのです。


2002年9月21日(土)

   今日、チェチリアは司祭叙階式に出席しました。2つの修道会から、合

   計4人の新しい司祭が誕生しました。チェチリアは、修道者としての人

   生ではなく、普通の信者としての人生を歩んでいますが、今日の叙階式

   の中で、修道者も信者も互いに祈り、支えあっているのだということを

   あらためて感じました。

 

         主は水辺にたちて 私に声をかけた

         ただついて来て欲しいと

         主よ 私を見つめ 

         ほほえみ 我が名を呼ぶ

         水辺に小ぶねを捨てて ともに海に出よう

 

   この詩は、式の中で拝領歌として歌われた「主は水辺にたった」という

   曲の一番の歌詞です。チェチリアの心に深くしみる曲です。この曲を聞

   くと、いつもチェチリアの目には涙があふれるのです。

   悲しみの涙ではなく、神様の語りかけに耳を傾け、どんな時でも、光り

   の中を歩んでいけるという幸福感を覚える涙です。

   日本では、家庭で、或いは職場で、唯一のキリスト者である場合が多い

   と思います。であればこそ、その与えられた環境で、あたりを明るく照

   らし、平和をもたらす人でありたいものです。

   人の心に平安を与える漁師として・・・。

 

  


2002年9月16日(月)

   今日、インドネシアの里子からメールが来ました。事情があって、急遽、

   帰国することになった女の子ですが、今も、何とか日本語を忘れないよ

   うに、独学で頑張っているようです。ときどき、

   「あの子は、どうしているんだろう・・・・」

   と思っていると、ヒョイっと、”お母さん、どうしてる?メール”が届く

   のです。インドネシアでも、学校に通っているようですが、

   「これから先、どんな女性に成長するのだろう・・・。」

   と楽しみです。日本にいた頃は、いつも、私がガンバレ!ガンバレ!と

   彼女を励ます役だったのですが、最近では、立場が逆転しつつあります。

   彼女のメールを紹介します。

           お母さん、元気ですか?

           私たちは、元気です!

           前もメールを送ったけど、届いてなかったんですか?

           もうメールを2回おくったよ〜〜〜〜!

           今も私はまだ先生とメールをしています!

           お母さんは、そっちで、お仕事はどうですか?

           いそがしいですか?

           仕事、たくさんあっても、無理をしないで体を守ってくださいね。

           じゃあ、今回はここまでにするね。

           バイバイ。

           仕事 がんばってね。


2002年7月7日(日)

   今日は七夕さま。幼稚園の頃、この時期になると、笹の葉に短冊をつるして

   願い事をするのが、年中行事に組み込まれていました。

   大昔の人々は、自然の中に色々な物語を考え出したんですね。それは、いつ

   も彼らが自然と向かい合って、自然をよく観察していたからでしょうか。

   伝説を聞くたびに、それは、自然の摂理に従って生きた時代の人々が、後世

   に残してくれた大きな遺産ではないだろうかと思うのです。

   自然の摂理に従うことは、万物の主宰者である神を中心にすえて生きること、

   と言えないでしょうか。

      どうして、この花はこの色になるのか?

      どうして、この果物は、この味がするのか?

   と考えていくと、初めの何段階までは、理屈で説明がつくけれど、やがては、

      神様がお造りになったから

   という答えにたどりつく。そんな時、確かに神の存在を意識し、実は、当た

   り前ではない、”有り難いこと”であることを再認識し、畏敬の念をもって

   神に感謝するのです。 


2002年7月1日(月)

   先日、おばが帰天。大正生まれで、物事の考え方が、典型的な古い日本人

   女性。もし、私のお姑さんが、おばのような女性だったら、きっとついて

   いけないかもしれない。これは、マイナスの意味ではなく、プラスの意味で。

   家を守り、子供を育て、趣味の日本舞踊もそこそこに極め。。。

   おばが、むか〜し言っていたことで、「なるほどな・・・」と、大人にな

   って思ったこと。それは、

   「女性は、家庭に入って主婦となっても、身だしなみはしっかりと整える

    こと。これは、家族の為に、大事なこと。」

   専業主婦だ!といって、髪の毛もボサボサ、お化粧もせず、服装もだらし

   なくしていると、家族みんなも、あまり奥さん、お母さんを大事にしなく

   なるような気がする。

   誤解がないように加えると、華美な化粧や服装をするというのではなく、

   清楚な身だしなみという意味での、お化粧や服装を心がけることが大事だ

   という意味。

   一番、年上の兄弟を失った父の兄弟たちは、かなり力を落としている様子

   だった。兄弟を見送るというのは、やがては自分も。。。という現実味を

   帯びてきたのかな?と、チェチリアは、父たちをそばで見ながら思った。


2002年5月4日(土)

  先日、友だちとこんな話をしました。

  「チェチリアは、将来、国籍をどうするつもり?」

  と聞かれ、私は、その友だちのお母さんのケースと、友だち自身の考え方を

  聞きました。

  友だちのお母さんは、インドネシア人男性と結婚し、今から30年ほど前にイ

  ンドネシアへ嫁いでいった日本人女性です。多くの仲間(同じような結婚を

  した日本人女性)が、次々とインドネシア国籍に帰化する中、そのお母さん

  は、今も日本国籍のままです。

  友だちは、インドネシア国籍で、日本人男性と結婚し、日本で生活しています。

  その時、彼女が言った一言。

  「私たちのように、国籍を選ぶチャンスがある場合、よく考えてどちらを選ぶ

   か、決めないと。日本国籍で日本で育った、あるいは、インドネシア国籍で

   日本で育った、日本国籍でインドネシアで育った、と、いろんなケースがあ

   るけど、自分が日本人として生まれたら、日本人として、インドネシア人と

   して生まれたら、インドネシア人として、最後まで生きる方がいい。だって、

   国を離れても、国籍を変えないでまもるということは、いつでも、自分の国

   に帰れる、自分には帰る場所がある、という心強さ、安心感があると思わな

   い?私の母が強いのは、そうした安心感に支えられているからだと思う。」

   ”自分には、帰る所がある”この一言は、チェチリアの心に強く響いた一言

    でした。

    日本人の場合、”国籍はどうする?”という話題などあまりしないでしょ

    うが、環境によって、国籍というのが日常の話題になる人もいます。

    書類上、日本人になっても、あるいはインドネシア人になっても、”自分”

    というのがすべて変わるわけではないし、中途半端なインドネシア人、日本

    人になるよりは、自分の国籍に誇りをもって生きるのが一番いい、と思いま

    した。

 


2002年4月10日(水)

  最近、感じたこと。

  やけにやる気がある不動産やさんと、全くやる気がない不動産やさんがある。

  一生懸命に頑張る不動産やさんは、時間や手間を惜しまない。でも、やる気が

  ある不動産やさんは、客の話を聞くのも面倒という印象を与える。

  この二つの不動産やさんは、神様と私のような気がする。神様は、熱心な不動産

  やさんのように、時間や手間を惜しまずに、私たちにいろいろなアプローチをし

  てくださる。なのに、私は、やる気がない不動産やさんのように、相手の話を聞

  くのも面倒、行動を起こすのも億劫。だら〜〜〜っと過ごしてしまう。だから、

  せっかく熱心に働きかけてくださる神様の声も聞こえない。

  不動産やめぐりをしている中にも、神様は”気づき”のきっかけをお与え下さっ

  たような気がする。


2002年3月13日(水)

  先日、人生に対するユニークな話を聞きました。仕事で知り合った60代半ばの

  男性ですが、これから先の人生を、どう生きていくか、という話でした。

  表現があまりにも面白くて、その時は、思わず笑ったのですが、後で考え直し

  てみると、なるほどな。。。と思いました。

  その男性と数人のお仲間が、

  「私たちの人生は、舞台に例えるなら、1幕、2幕、3幕、4幕ってあるとしたら、

   4幕まで終わって、これから先、我々がやろうとしていることは、カーテンコ

   ールのようなもんですよ。それでも、まだ、何か役に立つと思うから、頑張っ

   てみようと努力するんですよ。人生、65歳と設定した時は、それまでに、こ

   れをしよう、あれをしようと思って計画してみたけど、今、すでに65歳にな

   ってしまうと、修正!70歳まで延長して、計画を建て直すと、今度は時間が

   足りないから、再修正!75歳、80歳、と、どんどんのびていくんだよな〜。」

   チェチリアの倍以上の人生を生きてきた先輩たちの、将来への意気込みを感じ

   ました。だから、チェチリアも、がんばらばくちゃいけないな、と思いました。

   もし、チェチリアが、60代、70代になったら、一体どんな暮らしをしている

   のでしょう。タイムマシーンがあったら、覗いてみたいような気がします。


2002年2月25日(月)

   昨日、親しい人、数人でおしゃべりをしていたら白髪の話題になりました。

   その中の1人が、

   「僕は、学生時代、自分の姿を自分で受け入れることができなかった。例え

    ば、髪の毛。白髪を染めようと、よくヘアダイをしていた。ある時、その

    ヘアダイの染料が目に入ると失明する、という話を聞いた。

    ヘアダイした直後は、髪の毛を洗うと特に染料が落ちるから、シャンプー

    を流す時の水が目に入らないように、かたく目をつむって髪の毛を洗った。

    だけど、いくら髪の毛を黒く染めても、しばらくすると、また本来の白髪の

    色になってしまうし、しかも、白髪とそうじゃない髪の毛の色の違いがある

    から、よけいに赤茶けたような色になって目立ってしまう。

    そんなことに気にしながら過ごしていた頃、”学校で自分を受け入れる”と

    いうことを勉強していた。いろんな角度から自分を見つめ、受け入れること

    を学んで、最後には、髪の毛の色を気にすることをやめて、白髪は白髪のま

    まの自分でいることにした。」

    と、自分の白髪についての経験談を話しました。

    チェチリアも最近白髪がふえて、鏡を見て白髪を見つけては抜いて・・・、

    ということを繰り返すかたわら、白髪が目立たないように染めています。

    昨日その人の話を聞きながら、チェチリアはこんな風に思いました。

    「私は、やっぱり白髪を染めたい。だれが何と言っても染めるの。だけど、

     自分の姿を受け入れる、というのは、一体どういうことかな?今まで、

     考えたこともなかったけど・・・。」

    自分の長所や短所って、知っているようで実は気がついていないことがあ

    るかもしれない。自分を受け入れるということは、自分の姿が周囲の人に

    どんな風にうつっているのか、客観的に観察してみることから始まるのかな?


2002年2月21日(木)

  先日、あるグループのリーダーが、こんな発言をし、そのグループのメ

  ンバーが唖然としました。

  「良い指導者は、いつも嫌われる。元アメリカの大統領 ジョン・F・

   ケネディーも、あれほど人々に好かれていたのに、銃殺されたように。」

  その人は、いかにも自分は優れた、良いリーダーだと言いたいがための例え

  として、ケネディーの事を話たのだと思います。

  それを聞いていたメンバーの中には、

  「いつ、だれが、あなたがよい指導者と評価したの?」

  と疑問に思った人は、少なくなかったと思います。

  自分に対する評価は、決して自分自身が優れていると評価するのではなく、

  良いも悪いも、他人が評価をするものではないかと思います。

  程度の差こそあれ、”高慢さ”というのは、人間だれにもあることですが、

  この四旬節の間、これまでの生活を振り返って、よりよい自分になれるよう

  努力しようと思います。

 


2002年1月31日(木)

   最近、チェチリアはとても疲れています。人間を精神的苦痛の状態に追い

   込むのが、どういうものなのか、わかってきました。

   メール、ファックスなどで、問題の本質とは違う次元のことを、自分を正

   当化し相手を陥れるために毎日送ってくる行為は、苦痛以外の何ものでも

   ないです。

   そんなにまでして、他人に、

   「あなたは素晴らしい!」

   と認められたいのでしょうか?

   こんなこと、言ったらいけないけど、周囲が自分をなぜ嫌うのか、何がい

   けないか、を考えることなく、すべてを他人のせいにするというのはどう

   かな?と思います。

   よく、口先だけだ、という言い方がありますが、この口先だけ、という意

   味も、この頃わかってきました。


2002年1月26日(土)

   人間は、怒られながら食事をすると食欲が激減する、という実験をテレビ

   でやっていたのを観たことがあります。不愉快になる話を聞かされながら

   とる食事も、美味しくないですよね。

   ゆるせないのは、

   「チェチリアにこんな話をしたら気分を害するだろうな」

   と分かり切っている話題をわざわざする人。何度も同じ事で、気分を悪く

   させておきながら、それでもまだ、同じことで気分を悪くさせる人。

   「もう言わない。」

   と約束しておきながら、それでも何度も繰り返し、不愉快にさせる人。

   大喧嘩をする前に、そういう人とは距離をおいてつき合ったほうがいいか

   もしれないなぁ〜。 


2002年1月16日(水)

   夕方、私が”お姉さん”と呼んでいる友達と会って、食事をしました。

   久しぶりに会ったので、楽しかったです。

   食事をしながら、こんな話をしました。

   「人間、歳をとると、だんだん我慢ができなくなるのかな?」

   「絵本の世界のような、やさしい、物わかりのよいおばあさんって、

    まずいないよ」

   などなど。

   自分の親をみても、歳とともに物事を面倒がったり、今なら今!という

   ようなわがままさを感じます。

   親子、家族だからという甘えもあるのかもしれませんが、もし、自分が

   おばあさんになったら、やっぱり、子供のように我慢できなくて、わが

   ままになるのかな?

   ちょっと心配になりました。頑固おばあさんにならないように、今のう

   ちから訓練しないとだめかな?


2002年1月15日(火)

人間が集まると、必ずと言っていいほど対立が生じる。すぐに分かち合える対立から、

長く対立関係が続くものまで、さまざま。

一人一人が、あるいは、初めのきっかけが善意で行ったものでも、だんだん個人のエ

ゴ、高慢さが先行して、次第に周囲に不快感を与える。それでも、気にせず爆走?す

る。

人間、誰しも他人から、より高く評価されたい、認められたい、存在を知られたいと

いう欲があるでしょう。でも、あまり度が過ぎると、大きなマイナス評価を得ること

になる。

「謙遜」という態度をいつも心に留めていても、無意識に「高慢さ」があらわれてく

ることもある。

その度に、「あ〜」と後悔。

 


2001年12月29日(土)

    今年もあっと言う間に過ぎてしまったなぁ〜。一年を通じて、いろいろな出

    来事がありました。

    年明け間もなく持ち上がった話から、

    「じゃ、チェチリア、パプアに行ってくる!」

    と未知の世界パプアへ大飛行した春。

    ジャワで出会った?かぶと虫と過ごした片思いの夏。

    猛暑から解放されて、涼しさを楽しみながら仕事を頑張った秋。

    急に父との別れをした年末。

    大きな出来事、小さな出来事、いっぱい、いっぱいあった。。。

    どんな時も、神様の優しい御手にまもられて過ごしたと実感できる日々でした。

    来年は、どんな一年になるのかな?楽しみです。きっと、また神様の御恵みが

    あると信じて、頑張りたいです。

 


2001年12月5日(水)

     11月20日、朝、インドネシア西部時間の6時45分(日本より2時間遅れ)、

     父が帰天。入院していましたから、心配はしていたのですが、まさか急に

     死んでしまうとは思いませんでした。ちょっとショック!

     家族の中では一番、背が高くハンサム!な父でしたが、年齢とともにだんだ

     ん背が低くなって、ある時、一緒に並んで写真をうつした時、

     「あれ?父と母が小さくなってる。」

     と思いました。でも、なんとか元気に過ごしていました。

     最期に立ち会うことはできませんでしたが、今年、チェチリアは、珍しく

     春、夏と2度、インドネシアへ帰り、いずれも、父が元気な姿で空港に出

     向いたり、家で話すことができたので、よかったなあと思います。

     日本で心臓の手術を受け、主治医の先生が、

     「この手術は大成功。一生、大丈夫!」

     また、白内障の手術を受け、父は、

     「とっても明るく見える!」

     と大喜びしていました。

     お医者さんがおっしゃったように、心臓は最期まで大丈夫だったのですが、

     やはり人間、歳には勝てないのですね。

     す〜っと眠るように旅だったようです。

     父がカトリックの洗礼を受ける大きな決心をしたのは、心臓の手術が成功し、

     まだまだ長生きできると、神様に感謝したこと、そして、洗礼を受けても仏

     教徒である父の両親の法要になんの支障もきたさないと知ったこと。

     それまで、兄弟のだれが洗礼を受けることをすすめても、絶対首をたてにふ

     らない父でしたらから、チェチリアの家にいる間に洗礼を受けたことは、兄

     弟一同の驚きだったようです。

     葬式の時、義弟が、

     「パパを洗礼に導いたのは、本当にすごい。」

     と言っていましたが、チェチリアのおかげでも、だれのおかげでもなく、東

     京でのおよそ10ヶ月にわたる入院生活の中で、一人静かに、神様の声に耳を

     傾けながら、大きなお恵みを受けたのだと思います。

     ”死”というのは、一般に辛い、悲しいもの、というイメージですが、でも、

     神さまのもとへ帰ると信じる私たちにとっては、本当は暗いものではないと

     思います。この世の中での生活を終え、天国での誕生日、それが死を迎えた

     日だと思います。

     今、まだ、ちょっとバタバタしているのですが、しばらくして落ちついた頃、

     時折、父の事を思い出すでしょう。

     でも、思い出すのは、きっと父の良い面だけだと思います。


2001年11月12日(月)

    先週一週間は仕事の関係で、季節ハズレの大型連休だったチェチリア。でも、

    間が悪いことに、風邪を引いてしまい、週末まで自宅でおこもり、寝たり起

    きたりの生活をしていました。

    咳が出て、喉が腫れて、熱もあって、胸がゼーゼー。夜中は汗をかいて目を

    さまし。。。

    そんな時、ある人が電話をかけてきました。

    「元気?」

    と聞かれ、ゼーゼー声で、

    「あまり元気じゃない。熱、ある。」

    と言ったら、忙しい中を心配して夕御飯持参でお見舞いに来てくださいまし

    た。

    「大丈夫?」

    と聞かれ、

    「大丈夫」

    と言ったら、

    「何が大丈夫なの?ゼーゼーしてるよ。」

    と、笑われてしまいました。

    その人から、私が風邪を引いていることを聞いた別の人も、心配して

    「大丈夫?」

    とお見舞いコールをくれました。チェチリアは、

    「大丈夫です。」

    と、同じように答えると、

    「ホントに大丈夫なの?」

    と、笑われてしまいました。

    異文化を体験した瞬間でした。

    日本人はちょっとしたことや、あるいは、おおごとでも、”大丈夫です。”

    と言ってしまうことが多いような気がします。しかし、心配してお見舞いし

    てくださった二人には、大丈夫じゃなさそうに見えるのに、大丈夫という感

    覚が、きっと不思議だったのかも知れません。

    病気の時、一人で寝ていると不安ですよね。でも、こうして「大丈夫?」と

    声をかけてくれる人がいるだけで、病気の半分が治った気分になります。

    ちょっとした”兄弟愛”を感じた大型連休でした。


2001年10月27日(土)

     最近、いくつかの考えさせられる出来事がありました。それらの出来

     事を考えながら、

     「私は一体、なんなんだろう?必要とされている存在なのかな?それ

      とも、他人にとって都合がよい存在にすぎないのかな?」

     と思ってしまいました。

     私を周囲がどんな性格の人間と思っているかは別として、自分では、

     どちらかというと、周囲に合わせることが多い、あまり自分の言い分

     や、やりたいことを押しつけない性格だと思っています。周囲に合わ

     せることに不満を感じることは滅多にないのですが、時に、

     「なんだかいいように利用されているな。。。」

     と、思うこともあります。

     つい昨日も、私が大事にしていることを、正面から卑下する発言をし

     た人がいました。どういうつもりであんなことをいったのか、今でも

     よくわかりません。そんなに違和感を感じイヤだとおもうのなら、ど

     うして、その人が洗礼を受けようと思うのか、私には理解できません。

     教会は、清い人だけの集団ではなく、いろいろな背景の人が集まると

     ころですから、その人のように、まだ洗礼を受けていなくても、教会

     について学んでみようと思う人が来ることはよいことです。

     あまりにもショックで、返す言葉がなかった私は、一人の司祭と分か

     ち合いをしました。すると、その司祭は、

     「チェチリアが感じた気持ち、私も経験したことがある。でも、よく

      考えてみると、その人は、まだ私たちが教会の”なか”や日々の生

      活で感じるたくさんのお恵を感じたり、経験していないから、否定

      的なものの言い方になってしまうのかもしれないよ。

      確かに教会は、過去に、過ちをおかしていない、とは言えないけど、

      ごくごく少数の過ちの例を見て、あるいは、まったく根拠がない偏見

      をうのみにして、イコールその集団すべてが同じだ、というのは、

      おかしいでしょう。」

      とおっしゃいました。

     その人の言ったことに対する司祭のお話は、私自身に問題を置き換え

     て考えるきっかけになりました。

     ”ごくごく少数の過ちの例を見て、あるいは、まったく根拠がない偏見

      をうのみにして、イコールその集団すべてが同じだ、というのは、

      おかしいでしょう。”

     このことは、相手を理解する上で、私にとっても大事なことだと思い

     ました。


2001年10月16日(火)

    今年の夏、チェチリアはかぶと虫を飼いました。思っていた以上に長寿?

    だったし、篭に入れて飼いはじめた時は、夜中になると篭の中を活発に動

    きまわり、終いには篭の蓋を開けて部屋の中を大飛行してしまうなど、慣

    れるまではかぶと虫に気をとられ、夜中もおちおち寝ていられないなぁ〜

    と思ったほどでした。

    そんなかぶと虫との二人暮らしにも慣れたころ、やっぱり永遠の別れがや

    ってきました。

    毎日、篭を覗いては、

    「お〜い、元気かい?」

    と声をかけていたので、別れの朝は辛かった。涙ポロン・・・。

    友達の旦那さん(昆虫の専門家)に、

    「他のペットと違って、昆虫とは心がかよわないから。。。」

    と言われたとおり、チェチリアの完全な片思いで終わったかぶと虫との夏

    物語。

 

    つい先日、ある人が、

    「チェチリアにもらった花を大事に育てているよ。」

    と、誇らしげに報告メールをくださいました。3週間ほど前に贈ったその人

    のある記念日への贈り物だったのですが、数日前、用事のついでに見せても

    らったら、本当にきれいに咲いていました。

    私が花屋さんで買った時より、大きく、きれいな花びらの色で、その人の仕

    事部屋にさりげなく、でも、やっぱりどこか”私をみて〜”とでも言ってい

    るかのようにたくさんの花が咲き乱れていました。

    「花も、世話をしてくれる人に特別な愛情をたくさん注がれると、それを栄

     養にして、一生懸命、美しく輝くんだなぁ〜。」

    と思わされた瞬間でした。

    花屋さんでたくさん並んでいた鉢植えのころは、他の花と同様に公平に世話

    をされていたでしょう。でも、それらの中から私の目にとまった一つの鉢は、

    今、彼女(鉢植えの花)だけに愛情を注がれ、育てられていることへの満足

    感さえも花の色、かたちで表現しているかのように見えました。

    花がもたらした和やかな雰囲気が、

    「神様は、つまづき転んで怪我をしてばかりいる私へも、どこかでひっそりと、

     だけど、力強く見守って、絶えることなくお恵をくださっている。」

    そんな再確認の機会を私に与えてくれました。


2001年10月12日(金)

     アメリカの報復に対して、いくつかのイスラム教国では、反米デモが

     起こったり、ジハードを呼びかけたりと、事態がどんどん悪い方に向

     いているような気がします。

     パキスタンの反米デモの映像をみて驚くのは、どうみても小学生にし

     か見えない男の子が、笑顔でデモの群衆の中に混ざっていることです。

     また、アフガニスタンでは、難民が増える一方で、それに対応しきれ

     ない状況になっていて、同じ人間なのに命の扱い方がこんなにも違う

     のかと、愕然とします。 


2001年10月7日(日)

     アメリカでの同時多発テロ以来、世界の人々は、いつどこで自分が同じ

     ような災難に巻き込まれるかわからないという不安と、武力による報復

     が始まったら、世界はどうなるのだろう、という恐怖にさいなまされて

     います。

     私はこの頃、朝起きると、

     「今日一日、どうかみんなが無事にすごすことができますように。」

     また、夜になると、

     「今日一日、どうにか武力行使がされずに終わったこと、感謝。」

     そんな祈りで日々過ごしています。

     他人事のように傍観者の立場をとるのではなく、私にできる小さなこと、

     ”祈る”ことで、傷ついた人々が一日もはやく癒されるように、見守っ

     ていきたいと思います。


2001年10月2日(火)

    今日、ある女性へ2冊の冊子をプレゼントすることにしました。その女性は、

    近い将来、洗礼を受けることを希望しているようで、今、信仰講座を受講し

    ているとのことでした。

    私とキリスト教との出会いは、ずっと昔のことで、幼稚園時代の話です。い

    つも思うのですが、神様は一人一人に最もふさわしい時に、いろいろな場面

    で、いろいろな方法で御自身の自己紹介をしてくださっているような気がし

    ます。

    ある時、友人が私にいいました。

    「チェチリアは、神様と対話しているように見える。いつも、そうしている

     と安心でしょう?」

    その人は信者ではないのですが、ある瞬間の私を見て、そう感じたようでした。

    ときどき、私は自分一人で生きているような気になることがありますが、無意

    識のうちに、

    「そうだ、神様にきいてみよっと・・・。」

    と、空想少女のように神様と対話してみるのです。

    すぐに結果がでなくても、神様は私に最もふさわしい時に答えをお与えくださ

    るのです。

     ”いつも、神様が私と共にいてくださる”

    この思いは、チェチリアの自慢かな・・・。

    今、勉強中のその女性も、すてきな神様との出会いがあるように、祈りたいと

    思います。 


2001年9月28日(金)

     今日は、友達がパイプオルガンの演奏するということで、聞きに

     出かけました。

     10年以上も前に知り合った人で、ここ何年も会っていなかったの

     ですが、演奏が終わって、控え室に友達を訪ねれる、

     「う”わぉ〜!チェチリア!!!昔のまんま。変わってない!!!」

     と、アメリカ人らしいアクションで、大はしゃぎでした。私も、

     「あなたが引っ越しした後、連絡先がわからなくなって、ずいぶん

      探したわ。でも、今日の演奏会で再会できてよかった!」

     と言い、お互いに再会を喜び合いました。

     ここ数年間で、お互いの生活環境も大きく変わりました。多くを語ら

     ずとも、人生の一山、二山を、ヨイショ、ヨイショ、と越えて今があ

     る、そんな気がしました。

     やっぱり友達って、いいよね。

 


2001年9月24日(月)

    この頃、ふと考えることがあります。誰かに頼まれてお手伝いする場合、

    相手の状況、状態を見て、”大変そうだな”、と思い手伝っていると、

    中には、次第に依頼する内容がどんどんエスカレートしてきて、こちら

    の都合をまったく無視した頼み方をしてくる人がいます。

    頼むほうは、「この人に頼めばなんとかなる」、「手伝ってくれる」、

    「助けてくれる」という思いこみがあるから、あれこれ頼むのでしょう

    が、冷静に考えてみると、手伝ったり、助けることが、かえってその人

    の成長を妨げる結果をもたらしている場合もあるような気がします。


2001年9月21日(金)

     今日は、思いがけない再会の出来事がありました。学生時代の後輩が出張

     で東京に出てきているので、ぜひ会いたいと連絡があり、時間を合わせ会

     うことになりました。

     特に親しいという後輩ではなかったのですが、当時、たまに話を聞いてあ

     げたり、食事をしたりという程度のつき合いだったのですが、それがなぜ

     か後輩には嬉しかったらしく、今日は、おみやげまで持って会いに来てく

     れました。

     食事中、終始、

     「あの頃は、ホントにお世話になりましたから・・・・。」

     と言われ、とても恐縮してしまいました。

     就職して4年目。転勤が多い仕事のようで、この4年で2回、職場がかわっ

     たと言っていました。

     充実した日々を過ごしているようで、話を聞いている私も嬉しくなりまし

     た。

     私なんかはすっかり忘れてしまっていたことも、思いがけない電話で、学

     生時代の色々な出来事を思い出すことができました。

     みんさんは、心に残っている人との出会いってありますか?

     親しくなくても、ほんの一言、ちょっとしたしぐさで、

     「自分もこんな人になりたい。」

     と思うような人との出会い。

     都会生活では、無関心になりがちな私たちですが、いつか、誰かに思い出

     してもらえる人になりたいな、そんな思いを抱かせた再会でした。


2001年9月2日(日)

 母からの手紙

      おハガキありがとうございました。写真見て、びっくりしました。太ってい

      るのもそうだけど、おばあちゃんに似ていて、お母さん(チェチリアの実母)

      にそっくりだね。

      こちらの台風は、たいした事なく通り過ぎていきましたが、涼しくなるかと

      思ったら、30度と暑い日がつづいております。

      今朝から左の方が痛くて、○○医院が当番院でしたので行ったら、神経痛と

      か。。。?首を引っぱって、肩に電気をかけシップをはってきました。

      明日、レントゲンとるとか。

      本当に神経痛なのかなぁ・・・?

      チェチリアは体の調子はどうですか?いつも心配しています。気をつけてね。

      暇をみて、一回、家に帰ってきてね。

      会いたくなった。

      肩からの痛みで頭が痛くなったので、今日はこの辺で。

       では、お互いに体に十分気をつけて頑張ろうね。

                   さようなら

                     チェチリア様

                     平成13年8月26日(日)7時

                               母より

            --------------------------------------

      チェチリアの母は、”元気印の母”でしたが、この頃、歳のせいか、体調

      を崩したり、あちこちが痛いというようになりました。

      母といっても、実母ではありませんが、父と話をするよりも、母と話をす

      る方が、はるかに多いです。そのせいか、父は、

      「チェチリアは、お父さんとは何も話してくれない!」

      と、母にすねているらしいです。

      手紙に、「会いたくなった。」と書いていました。何か、心配なことでも

      あるのかな?それとも、私を心配しているのかな?


2001年8月12日(日)

    今日、チェチリアは嬉しくなりました。なぜかというと、思ってもいなか

    ったほど、ある人が、ちょっとしたことで喜んでくださったから・・・。

    8月11日は、仲良しの神父さまのお誕生日でした。2ヶ月ほど前に近所の教

    会に転勤していらした神父さまで、日本語がまだ十分に話せない、と御自

    身ではおっしゃるのですが、でも、日々学んでいらっしゃるようで十分に

    意思の疎通をはかることができます。

    7月にチェチリアはその神父さまをお誘いして、入管に収監されている外国

    人の慰問をしました。面会申請書に必要事項を記入していた時、神父様の

    生年月日を知ったのです。

    「あ、8月11日か。。。だったら、一緒にお祝いができる。」

    そんな風に思ったのです。

    8月10日に、

    " Padre, kalau tidak salah besok ulang tahun ya?"

    ( 神父様、確か明日、お誕生日でしたね?)

    と電話をしました。すると、

    " Oh iya, betul, tapi kenapa Cecilia tahu ulang tahun saya?

     Saya sendiri lupa. Untung Celilia menelepon saya. Terima

     kasih banyak."

    (あぁ、そうだ、ホントだ。でも、なんでチェチリア、私の誕生日を知

     ってるの?私自身、忘れてた。チェチリアが電話をくれてよかった。

     ありがとうね。)

     とおっしゃって、喜んでいらっしゃいました。

     そして今朝、急遽共同体の仲間に呼びかけて、神父さまのお誕生日を

     祝おうということになり、御ミサの後にお祝いしました。

     残念ながら情報源のチェチリアはチャリティー活動に参加の為、お祝

     いに行くことができませんでした。

     神父様は、誰も知るはずがない自分の誕生日を、どうしてこの共同体

     のみんなが知っているのだろう?と不思議に思われたらしく、何人か

     にたずねられたそうです。すると、

     " Informasi dari BuCecilia. "

     (チェチリアさんからの情報です)

     と答えた人がいたらしく、誕生日の歌を歌い、ケーキのろうそくを消

     したりした時、あまりにも嬉しくなって、涙がポロンっとでそうになっ

     たそうです。

     私は御ミサやパーティーに参加できなかったけど、実は夕方、他に2人

     のインドネシア人の神父さまたちと一緒にこの神父さまのお誕生日パー

     ティーをすることにしていました。

     1、2時間で会えるというのに神父さまったら、嬉しさを抑えきれずに

     教会に戻るやいなや、私の携帯電話に電話をかけてきました。

     " Cecilia, terima kasih banyak atas perhatian kamu. Tadi di

      gereja, saya hampir menangis karena teman-temanmu

       merayakan ulang tahun saya. Sebetulnya sebentar malam

      kita bersama saudara-saudara saya bisa merayakan ulang

      tahun saya, namun saya tidak bisa tahan sehingga

      menelepon kepada kamu untuk ucapan terima kasih.

      Saya senang sekali"

    (チェチリア、心遣い、ありがとう。さっき、教会であなたの友達が私の

     誕生日を祝ってくれて私は泣きそうになりました。今夜、チェチリアと

     私の兄弟たちと誕生日を祝う事になってるけど、でも、御礼を言うのを

     それまで待ちきれなくて電話しました。私はとても嬉しかったです。)

     祖国を離れ、宣教師として異国の地で暮らすことは、私たちには想像で

     きないようなご苦労があるのでしょうか。小さなことで、こんなに喜ん

     でくださった神父さまを見て、私も嬉しくなりました。

     神父さまのこの感激と興奮は、しばらく続きそうです・・・。


2001年7月16日(月)

     今日、仕事で行った某所のトイレに閉じこめられ事件にあいました。

     入口のドアがあいているので、入った時、中から閉めたのです。出よ

     うと思ったら、なんとそのドアの内側のノブが無い!

     「キャ〜、出れない・・・・」

     窓から顔をだし、通りかかった人に外から開けてもらいました。

     これが、トイレ(個室)のドアだったら・・・と考えると恐いです。


    2001年7月13日(金)

    今日は、最低な日。ある中年女性の思いやりのない言葉に、チェチリアは

    不愉快になりました。何はさておいても、食事は絶対!のチェチリアも、

    あまりの不愉快さと疲労で、帰宅後、夕飯をとることなく、朝まで寝てし

    まいました。

    人はそれぞれに違った性格をしていますから、必ずしも自分と相性があう

    わけはないのですが、一言一言に少しでも気配りがあったら、不愉快にな

    らずに、あるいは、他人を不愉快にせずにすむのにな・・・と思うことが

    あります。

    今日のその女性は、いつも思ったことを思った通り話すので、よく言えば、

    ”裏表がなく、さっぱりしている”と言えるでしょうが、その人の場合、

    あまりにも度が過ぎて、大人としての常識に欠けるような口のききかたを

    する人、という印象が強いです。

    一方的に自分の言い分だけ言って立ち去っていったのですが、後に残され

    たチェチリアともう一人の中年女性は、「???」としばし呆然としたほ

    どです。

    仕事の仕方もわからないのに、

    「あなたがやると、私が帰れないじゃない。私がかわるからぁ〜。」

    というのですが、かわったところで、その人は、機械操作がわからないので、

    はっきり言ってチェチリアにとっては、かえって足手まとい。

    あまりにも自分と違いすぎる性格の女性に遭遇して、ショックでした。


    2001年7月9日(月)

    今年も月下美人が開花しました。あっと言う間に白い花を咲かせ、あっと

    言う間に散ってしまうのです。

    マンションのエレベーターを降りると、とても優しい柔らかい香りがふわ

    〜っとただよっていました。

    夜8時頃、エントランスを通った時、蕾がだいぶふくらんでいたので、

    「今夜、開花かな?」

    と思いました。

    食事をして一息ついた10時半、見に行ってみると、ほとんどの蕾が花を

    咲かせていました。

    毎年、この花をみると、神様が疲れた心を癒すために、贈り物を下さった、

    そんな嬉しい¥気持ちで満たされます。 


   2001年7月6日(金)

    今日は、入国管理局に収容されているインドネシア人のお見舞い訪問に行き

    ました。週末のため、面会希望者が多く、午後1時に受付をして、面会が終

    わったのは夕方5時でした。待ち時間がながく、また異常に冷房が強く、肌

    をさすりながら待っていました。

    ここ5年間ほど、私は呼び出しや依頼があると、こうしてお見舞い奉仕をし

    ています。

    今日は、知っている神父様をお誘いして、出かけました。

    昼御飯は待合い室で、コンビニのサンドイッチとお茶ですませてしまったの

    で、帰り道、神父様に、

    「もう夕飯の時間だから、晩御飯を食べましょう。」

    とお誘いしたら、

    「喜んで。」

    とおっしゃり、ちょぴり贅沢にお寿司を食べました。

    在日3年の外国人神父さま。お刺身、お寿司、納豆が大好きだそうですが、

    お刺身やお寿司は高いので、ふだん、あまり食べないとおっしゃっていまし

    た。

    私も、ふだん一人での食事が多いので、滅多にお刺身やお寿司は食べません

    が、偶然、昨日は一緒に食事できる相手がいて、楽しい食事の時間を過ごす

    ことができました。

    どこから見ても、外国人!とわかる神父様と、神父様の国の言葉で話しなが

    らお寿司を食べているのを、他のお客さんが不思議そうに見ていました。

    すると、一人のお客さんが、

    「お客さん、生もの、お好きですか?」

    と、我慢できなくなって聞いてきました。

    外国語を話しながら、外国人が嫌いという生ものを美味しそうに食べていた

    のが、面白い絵になっていたのでしょうか。

    食べながら神父様は、

    「チェチリアは、いつも今日のように、入管に収容されている外国人の訪問

    をしているのですか?」

    とお聞きになったので、

    「そうです。時間が許す範囲で。」

    と答えたら、

    「偉いね〜。」

    とおっしゃいました。私は、

    「私が偉いのではなくて、できることをしているだけです。きっと、他にも、

    同じ様に奉仕したい気持ちがおありの方はたくさんいらっしゃるでしょう。

    でも、子育て、家族の世話、仕事が忙しく、奉仕できない人もいらっしゃる

    でしょう。私には、そうした家庭の仕事の忙しさがない分、外での奉仕に時

    間がかけられる、ただそれだけのことです。偶然、与えられた環境です。」

    と答えました。すると、

    「そのような謙虚さは、なかなか実践できないものです。」

    と褒められて、チェチリアは恥ずかしくなってしまいました。

    褒められるに値するほどのことをしていないのに。。。

    そして、神父様は、

    「次回、お見舞い訪問をする機会があったら、また教えてください。お手伝

    いしましょう。」

    とおっしゃいました。

    今まで、ほとんど一人でやっていたお見舞い訪問奉仕でしたから、神父様の

    最後の一言はとても嬉しく、元気がでるお言葉でした。お寿司が何倍も美味

    しく感じられました。


   2001年6月22日(金)

   夕べ、なかなか眠れなくて、明け方4時まで起きていました。ようやく寝入ったの

   が5時近かったかも知れません。朝9時に電話がなりました。

   「だれだろう?」

   と思ったら、近所のおじいちゃんでした。

   「ね〜、チェチリアちゃん、今日、家庭集会に行く?」

   と言われ、

   「あ!いっけない。そうだ、おじいちゃんと、この前、約束したんだっけ。」

   と、思いだし、

   「行く行く!何時からだっけ?」

   と時間を確認して、大急ぎでマンディ(お風呂)をして、着替え、お化粧を終

   え、おじいちゃんと、息子さんのお嫁さんの迎えを待ちました。

   この家庭集会は、毎月一回、近くに住んでいるバプテスト教会の信者さんのご

   自宅で、宗派を超えて、信仰の様々な話を聞いたり、また、勉強したりする集

   会で、今年12年目を迎えた集まりです。

   今日は、(社)日本キリスト教海外医療協会から派遣され、カンボジアで保健

   婦として5年間、奉仕された日本人女性の活動報告会でした。(社)日本キリ

   スト教海外医療協会といっても、ピンとこないかもしれませんが、古切手で予

   防接種のワクチンが買えるというのを聞いたことがある人、いませんか?

   医療の専門家を海外に派遣し、健康、衛生などの改善を目指し、活動する協会

   です。

   夕べ眠れなかったので、朝の電話の時、どうしようかな?と一瞬迷ったのです

   が、やっぱり行ってよかったです。

   私は医療の専門家ではありませんので、細かな状況を質問する程の知識はなか

   ったのですが、それでも、わかりやすく伝染病の予防、乳児の死亡を減らすた

   めの活動、など、インドネシアでも共通の問題点があるので、参考になりまし

   た。

   お話が終わって、お茶会に入ったとき、隣に座っていた70代の男性が、

   「あなたは、そちらの方のお孫さんですか?」

   と私に話しかけてきました。

   「良く間違えられるんですよ。近所の仲良しおじいちゃんです。」

   と答えると、

   「あ〜、そう・・・。失礼しました。二人とも目が似ているし、輝きもそっく

   りだから、お孫さんかなと思ったんです。」

   と言われ、いろんな話をしました。

   その男性は、話の中でこんなことをおっしゃったのです。

   「ここの集会にカトリックの方が見えるのは珍しいですね。私はプロテスタン

   トだけど、カトリックの”告解”というのは、素晴らしいと思います。プロテ

   スタントにはないからね。でも、ああして自分のしたことを告白する機会があ

   るというのは、いいですよ。」

   と、赦しの秘蹟について話されました。

   すると、今度は反対側の隣に座っていた60代後半くらいの男性が、

   「僕は、カトリック教会が他のキリスト教会の宗派へのあゆみよりをしようと、

   努力しておられるのには感心します。また、教皇が教会が犯した罪を懺悔する

   なんて、ホントに素晴らしいことですよ。キリスト教にとどまらず、ユダヤ教

   との分かち合いも教皇がなさったでしょう。カトリック教会しかできない素晴

   らしいことだと思います。」

   と、褒められてしまいました。

   その男性がおしゃるには、日本のプロテスタントの場合、なかなか風格を重ん

   じる傾向が強く、教皇がしたような斬新なことへ踏み切るのがなかなかできな

   い、とのこと。

   日本のプロテスタントの教会の様子が私にはわかりませんが、でも、今日、知

   り合った二人のプロテスタントの信者さんが、こんな風にカトリック教会に対

   して好意を持って見守ってくれていることを知り、私自身も、自分と違うもの

   へのあゆみよりをしないといけないな、と考えさせられました。


2001年6月12日(火)

   今日、部屋に大きなハチが入ってきました。あまりにも大きく、刺され

   たら恐いと思うほどのハチでした。初め、私は全然気がつかなかったの

   ですが、同じ部屋にいた人たちが、

   「う”わ〜〜〜〜」

   と逃げ回ったのです。どうしたのかな?と思ったら、体長3センチくら

   いのハチがブ〜ンと飛んでいました。勿論、私も、

   「ヒェ〜〜〜〜」

   と、恐くなり部屋の外にいち早く非難。他の人が、

   「どうする?叩こうか?」

   と言っていましたが、一人の女性が、

   「叩かずに、袋で捕獲した方がいいよ」

   と言いました。

   でも、結果的には、叩いて殺されてしまいました。

   後で、よく考えてみたら、可哀想だったな〜と反省。。。


2001年6月6日(水)

    仕事の帰り、某駅始発の電車に乗りました。発車時刻まで5分以上

    時間があったので、車内はそれほど混んでいませんでしたが、座る

    ことができず、私は立っていました。

    本当は、私の前の座席は詰めれば、もう一人十分に座れたのですが、

    「すみません」

    というのが面倒だったので、そのまま吊革につかまって立っていま

    した。すると、30代前半のサラリーマン風の男性がやってきて、

    「すみません」

    と言って、席を詰めてもらい、そこへ座ったのです。

    座った直後、その男性はふと上を見上げ、偶然、私と目があい、

    「どうぞ、おかけ下さい」

    と言って席をたち、私に譲ってくださいました。

    私は、

    「いいえ、大丈夫ですから、おかけになってください」

    と遠慮したのですが、その男性は、

    「本当に、どうぞ、どうぞ」

    と言って、別の席を探しに行きました。

    自分が座るより前からそこに立っている人がいても、席を譲らない人

    が多いのに、この男性はとても親切だなぁ〜と思いました。


2001年5月29日(火)

    悪性リンパ腫の治療の為に東ジャワから来日し、約1年半の間、闘病生活を

    続けた8歳の少女、ヒラリーが5月27日、午前11時に神様のもとへ帰って

    いきました。5月6日にヒラリーの妹の幼児洗礼に立ち会った時に彼女と会

    ったのが最期でしたが、私には、とてもこの子供が、まもなく旅立つなど

    とは思えない、ごくごく普通の状態に見えたのです。余命1ヶ月と言われ、

    本当に1ヶ月と3日で短い人生を終えました。

    亡くなる前の数日間は胸の苦しみを訴え、全身が腫れていたそうです。ご

    両親や近所の有志の人たちで、彼女の為にロザリオの祈りをすることで、

    なんとか痛みを和らげようと頑張ったらしいのですが、ヒラリー自身は、

    「お父さん、お母さん、ありがとう。そしてごめんなさい。もうロザリオ

    をしないで下さい。私には白い衣をまとった人が迎えにきているのが見え

    るのです。喜んで私はその人について行きたいのです。だから、お父さん、

    お母さんも、この旅立ちを心から受け入れ許してください。」

    と言って、穏やかな表情のまま、帰天したそうです。

    日本に滞在中は、治療費の支払いの相談など、ヒラリーのご両親や、父親

    のおばさんにあたる人と話す機会があったので、無理難題を言っているな

    ・・・と思いながらも、心の中では、「何とかならないものかな・・・」

    と気にかけていただけに、ヒラリーの死は私にとってとても大きな悲しみ

    になってしまいました。

    本当なら、天のお父さまの家に迎え入れられるのですから、安心して送り

    出さなければいけないのですが、私の心はまだ、”悲しみ”でいっぱいで

    す。

    友達にこのことを話したら、

    「だけど本人の希望通り、インドネシアに帰えれたからよかったじゃない」

    と、慰めてくれました。

    電話で、ヒラリーのお母さんに、

    「イブ・チェチリア、本当にありがとうございました。病院のこと、費用

    のこと、ホントにたくさん、お世話になりました。」

    と何度も丁寧に御礼をされると、よけいに辛くなってしまいました。

    偶然にも、ヒラリーが旅立った日は、私の実母の30回めの命日でした。こ

    れから先、私が母を思うとき、きっとヒラリーのことを思い出すでしょう。

 


2001年5月23日(水)

   悪性リンパ腫の治療のために来日していたインドネシア人の女の子です

   が、先週の木曜日に帰国しました。病気が完治したのではなく、彼女の

   主治医が、

   「これ以上の治療は無理で、余命最長1ヶ月。本人が希望するような時

   間の過ごし方をした方がいい。」

   と言い、その少女は、自分の国へ帰りたいということでの帰国でした。

   5月21日は、彼女の8回目の誕生日でした。ゴールデン・ウィーク前に、

   余命1ヶ月と言われ、誕生日を迎えることができるだろうか?と思いま

   したが、なんとか8歳になりました。

   両親は、子供の病状を医師から告げられた時、かなりのショックを受け

   たようでしたが、私がゴールデン・ウィーク最後の日曜日に病院へお見

   舞いに行った時、

   「全能の神がお望みならば・・・」

   と、すぐそこまで迫っている娘の死を、かなり冷静に受けとめているよ

   うでした。

   私は子供がいませんが、自分に置き換えて考えてみると、果たしてこの

   両親のように、自分の子供の死に正面から向き合うことができるのだろ

   うか、と思いました。


2001年5月8日(火)

   仕事の帰り、マンションのエレベーターで偶然に幼稚園くらいの女の子と、

   そのおばあちゃんらしい人と乗りあわせました。私の後ろに二人は立ってい

   ました。

   私は、PHSのストラップに自分の守護聖人のメダイと、十字架をつけてい

   ます。

   その女の子は、私の鞄から外にぶら下がっている十字架を見つけて、

   「あ!十字架だ。それ、欲しいな。。。」

   と言ったのです。すると、おばあちゃんが、

   「本当だ。十字架だね。今度、教会へ行った時に買いましょう。」

   と話したのです。

   私は、内心、

   「この二人も信者さんなんだな・・・」

   と思いながら、その二人の会話を背中で聞きながら、まったく知らない二人

   なのに、不思議な親近感を覚えました。


2001年4月17日(火)

    夜、友達が電話をかけてきました。

    「チェチリア、あのね、僕の給料なんだけど、1月と2月分がまだ払われてなく

    て、社長に電話しても、留守でんになっていて、直接、話がつながらないんだ

    けど。」

    という給料未払いの相談でした。

    電気工事の仕事をしている彼は、社長が病気で入院して以来、ぷっつり連絡が

    途絶えてしまったというのです。

    毎日事務所に出社せずに、現場へ直接行くような仕事形態らしく、こういう問

    題が起こるとなかなか解決するのが大変そうです。

    私は、その当時の仕事の様子を聞き、

    「同じグループで働いていた日本人の給料も未払いなら、その人と一緒に事務

    所へ行ってごらん」と言いました。

    どうやら、その会社が請け負った仕事の代金が1000万円ほど踏み倒されかかっ

    ているらしく、そのしわ寄せが、直接現場に出て作業した人にきているようで

    した。

    全部は無理だとしても、できるだけ払ってもらえるようにうまくいくといな、

    と思いながら電話を切りました。


2001年4月5日(木)

   人間って、いろんな人がいるから面白いというけど、時に、いろんな人がい

   るから、頭にくることもある。最近、身近でこんな人間関係を見て、ふと考

   えた。

   はなこさんが、「大変なのよ〜」とか、「困った〜」と泣きついて、うめこ

   さんは、「それは気の毒に・・・。」と心から心配したので、助け船を出し

   た。その船に乗って、しばしの安堵感を得たのか、ついさっきまでの、

   「大変なのよ〜」と悲鳴をあげた自分をすっかり忘れてしまったようだ。

   はなこさんは、”助けられた”と少しも感じていないどころか、その助け船

   はむしろ、”うめこさんに益をもたらした”と勘違いしているかの口ぶりで

   あった。

   はなこさんは、「うめこさんに、利用された気がする。」と言うのだが、私

   はこの話を聞いて、「少なくても、はなこさんが逆の立場じゃない分、よか

   ったのではないか」と思った。

   私自身も昨年の今頃、いわゆる”はめられた”ということを経験した。でも、

   私を”はめた”人たちが、まさか、そのことで自分の首をしめることになろ

   うとは、その当時、まったく想像もしなかったことだろう。私に精神的な苦

   痛を与えてたのに、その出来事以来、事あるごとに、「これ、どうしよう。」

   とか、「これ、お願いしてもいい?」とか、頼んでくる。しかし、あの時あ

   の人たちは、「表向きのいっさいのことは、こちらが責任をとるから。。。」

   という言い方をしたので、以来、意地悪なようだが、何かにつけて頼み事をし

   てくる時に、あの時のセリフを、そっくりそのまま”引用”させていただくこ

   とにしている。「責任をとる以上、自分でやった方が、後で責任のなすりあい

   にならないで済むんじゃないですか?」と。

   今回の、はなこさんとうめこさんの人間関係も、いつかきっとはなこさんに神

   様の軍配があがるのでは?と期待しつつ・・・。

 


2001年3月20日(火)

   今朝、早くジャカルタに住んでいる友達が電話をかけてきました。寝ぼけた

   声で電話に出ると、「おはよう。まだ、寝てた?」というので、誰かな?と

   思い、しばし沈黙。「ディキで〜す!」というのを聞いて、「あ〜〜〜。」

   と急に目が覚めました。

   彼は、ジャカルタでビジネスを展開中。以前、日本に住んでいた頃に知り合

   い、奥さんとも親しくしていたので、帰国後も時折、こうして電話をくれる

   のです。

   数年前に、彼がアメリカへ住んでいた時、インドネシアで大暴動が起こり、

   私たちの家族は無事か?とお見舞いコールをくれるなど、とても律儀な人で

   す。

   私もたまに、「彼らはどうしてるかな?」と思い、電話をしてみようと思い

   ながら、ついつい後で、後で、が結局、電話をかけずじまいになってしまい

   ます。

   遠く離れたところでも、こうして気にかけてくれる友達がいるというのは、

   嬉しいものです。


2001年3月14日(水)

    この頃、いろいろな場面で人と衝突することが多くなったような気がする。

    「自分はやっぱり、おかしいのかな?」と思ったりもする。ある人が、

    「チェチリアは、正直だしストレートに物事にぶつかっていくから、衝突

    するんだ。それが悪いとは言えないけど、世の中には、あれこれ知恵を働

    かせて他人を陥れるのが平気な人も多い。」といった。

    去年、私はある人に利用されるだけ利用されて、あとは、紙屑同然の扱い

    をされたことがある。その時、とても悩んだ。ショックだった。今でも、

    心に深く傷を残したまま。その人が、あの時、自分が私にどんなことを言

    い、私をどんな気持ちにさせたかなどと考えることもなく、最近、私を頼

    って仕事を頼んできた。ありもしないことを言い、私を陥れておきながら、

    どうして、平気な顔をして私に物を頼めるんだろう?と、とても理解でき

    ない。もし、私だったら同じことが平気でできるだろうか?

    仲の良い友達に話したら、「でもさぁ〜、キリスト教って、与えて与えて

    与え続けるんでしょう?」と言われた。

    確かに与えられることを期待するよりも、自分から与えることに喜びを感

    じる、という考え方はある。でも、私も一人の弱い人間。「許せない!」

    と、怒りの気持ちを引きずったまま、長い時間を過ごすこともある。

    御復活の時が日々、近づいている今。私は、自分を陥れたこの人を許し、

    受け入れることができるだろうか・・・。


2001年3月13日(火)

   夕方、仕事から帰って、疲れた〜と、うとうとしていたら電話がかかっ

   てきました。一人のインドネシア人女性でした。あるボランティアグル

   ープが主催する日本語教室の講師から、私のことを聞き電話をしてきた

   というのです。夫と共に2年前に来日。彼女のご主人は、日系インドネ

   シア人で、日系人の就労ビザで滞在しているということでした。都内に

   住んでいたらしいのですが、今は埼玉の方へ引っ越し、生後4ヶ月の子

   供と3人で暮らしているそうです。

   電話の目的は、「自分には友達がいないのでさみしいし、日本語も不自

   由で赤ちゃんを抱え病気のことやら何やらで不安です。私と友達になっ

   てもらえませんか?」ということでした。

   「確かに言葉ができずに赤ちゃんを抱えて外国で暮らすのは大変だな」

   と思い、今日は電話で彼女がしゃべるのをずっと聞いてあげました。

   すると、彼女はとても満足そうでした。私も新しい友達ができて、今日

   は嬉しい気分になりました。

 


2001年3月7日(水)

   一昨日、里子から電話がかかってきました。日本語もだいぶ上手になり、

   昨年秋から通い始めた学校も何とか5年生の終了式を迎えられそうです。

   いつも、これといった用事はなさそうですが、電話をしてきては近況報

   告をするのです。

   一昨日は、「春から通学班の班長になるんだ。一年生を迎えに行って一

   緒に学校へ行くんだよ。」と嬉しそうでした。

   そして、「ねえ、お母さん、花粉症、引いた?」と、おかしなことを言

   い出したので、「うん、花粉症に罹ってる」と言ったら、笑っていました。


2001年2月25日(日)

   最近、あるグループの会計のことで、頭がいたいです。事後報告のか

   たちで、支出を報告されて、「これでいいのかな?」と疑問に思って

   います。

   お金のことは、いつでも、どんな時でももめ事の原因となりますから、

   厄介なものです。ある神父様は、「貧しい者は幸い。だって、与えら

   れるでしょう。持っていなければ、持っているこのお金をどうしよう

   と悩まないでしょう。」とおっしゃいました。

   半分、冗談混じりにおっしゃったのですが、持っていて、その使い道

   をどうするか、言い争いをするよりも、持っていなくて仲良く少ない

   物を分け合うことの方がいい、と私も思います。


2001年2月21日(水)

    帰宅後、ちょっとショックな出来事がありました。それはある1本

    の電話が私に伝えてきたある少女のことです。

    昨年から、気にしているある少女なのですが、難病に罹り、もう1

    年以上、闘病生活をしています。

    昨年の秋頃は担当医も、「このままいけば、大丈夫」と言い、経過

    もよく、私も安心していました。しかし、数日前、母親が子供の異

    変に気づき、病院へ連れていくと、病気が再発していたことがわか

    ったのです。

    今年8歳になるその少女。これから、さらに厳しい闘病生活が待っ

    ています。

    神様、どうぞ彼女とその両親を見守ってください。


2001年2月11日(日)

   先週の木曜日、友達と食事をしました。彼女は洗礼を受けようかどうし

   ようか考え中です。いろいろな話をしている中で、私が洗礼を受けたき

   っかけなどなども話しました。すると、彼女は、亡くなったおばあちゃ

   んのことを話しました。「人間、やっぱり死ぬ時に宗教があったほうが

   いいですね。おばあちゃんをみていて、そう思いました。」と言うので

   す。「どうして?」と聞くと、「神様をあんなに身近に感じていても、

   悩んで苦しんでなくなったから、もし、何も信じるものがなかったら、

   その苦しみは想像できないほどの苦しみだったと思います。」と、答え

   たのです。

   私は、洗礼を受ける以前、これといって大きな悩みも苦しみもなく過ご

   し、生まれてからずっと神様の御手の中で守られていたことを実感して

   います。宗教を信仰していない友人が多い環境ですから、ふだん、ほと

   んど教会のことや、信仰のことについて話すことはありませんが、私は、

   洗礼を受けたとき心の中に感じた事柄で、一番鮮明に、そして印象的に

   覚えているのは、「あ!あこがれの方に近づいた!」という嬉しさと満

   足感です。

   洗礼=ゴールではなく、この洗礼によって、この先の人生を私は自信を

   もって歩める、そんな風に思ったのです。自分の足がとても強められた

   感じがしました。

   彼女がこれからどういう決断をするのか、私は祈りによって見守りたい

   と思います。


2001年2月5日(月)

    一昨日、一人のインドネシア人がこんなことを話し私の意見を求

    めてきました。彼の日本人の友人が彼女が今春大学を卒業するの

    と同時に結婚したいと父親に話したら、父親は当然のように急い

    で結婚する理由をたずねたそうです。

    彼は、「一緒に住んだ方が家賃も節約できるし、経済的だから」

    と言ったそうです。間にはいって話を聞いていたそのインドネシ

    ア人は、「日本人って、経済的だから結婚するって普通なの?」

    と私に質問しました。

    私は、「う〜〜ん?普通か普通じゃないかと言われても困るけど、

    きっとその人は経済的だから結婚するというのは、一緒に住むた

    めの理由のための理由(表向きの)であって、経済的かどうかと

    いうのは、実際はあまり問題じゃないと思うよ。」と言いました。

   「それより、一緒に住んでみたいということだったら、カトリック

    的には怒られる発言かもしれないけど、samenlevenで様子をみ

    るとか・・・。だったら、結婚して、あれ?こんなはずじゃなか

    った!という悲劇も回避できるでしょう。」と言ったのです。

    すると、そのインドネシア人は、またまた、

    「日本人ってsamenlevenに抵抗があまりないの?普通?」と、

    ますます混乱した様子でした。

    そこへちょうど、一組の老夫婦が手をつないで歩いて来ました。彼

    は、「歳をとっても、ああいう風に親愛の情をもって接していられ

    る夫婦をみると、いいな〜〜〜と心が和む。」と言いました。

    今から結婚しようか、どうしようか迷っている若い二人と、長い年

    月を重ねてきた老夫婦現代の日本人は、昔の日本人とは結婚に対す

    る考え方も変わってきているし、離婚も昔ほど女性に負い目になる

    ような気もしなくなったけど、そのインドネシア人と話していた時、

    彼の中に私の親やそれ以前の日本人の考え方をみたような気がしました。

 


2001年2月4日(日)

    夕方、電話がかかってきました。「今日、教会に行ってチェチリア

    に会えるかと思ったら、来てないなかったので電話してみた。」と

    いう電話でした。その電話をかけてきた人は、去年、事情がって帰

    国したインドネシア人でした。帰国まぎわに、ちょっとお手伝いし

    てあげたことをとても感謝し、また日本に来たことの報告をしよう

    と思ったのだそうです。

    彼らの相談にのっている時は、いつも、「なんでこうなるの?この

    人たちは。。。」と思うのですが、こうして思いだし、電話をかけ

    て御礼をいわれると、ちょっとはその時の苦労や不満が解消される

    ような気になってしまいます。

    少しの心遣いは、人を和ませるものですね。


2001年1月19日(金)

    この頃、20代、30代のお母さんの事件が多いですね。育児ノイロー

    ゼ、とか、交際相手をなんとかつなぎ止めておきたかった、など理由

    はそれぞれにあるようですが。。。

    私は子育てをしたことがないので、もし、自分に子供がいて、それが

    赤ちゃんで泣く以外に意思表示ができないとしたら、どのくらいわか

    ってあげられるかな?とやっぱり不安です。

    でも、私の場合、子供がいなくて、「もしも〜だったら・・・」とい

    う想像の世界ですから、そういう意味では深刻にならなくてすむので

    すが、子育て真っ最中のお母さん達は、日々、試行錯誤なんだろうな

    と思います。

    数日前、ファミリーレストランに入ったら、たくさん席が空いている

    にも関わらず、なぜか6人のチビッコギャングのテーブルの真ん前に

    案内されました。

    初めはそれほど気にしていなかったのですが、次第に子供の騒ぐ声が

    気になり始めたのです。お母さん3人は隣のテーブル。どのお母さん

    も30代という感じでした。時折、私のテーブルのほうに目をやっては、

    子供に、「静かにしなさい。」と注意するのですが、子供は相変わら

    ずはしゃいでいました。

    さすがにレストラン内を走りまわってはいませんでしたが、椅子の上

    に立っていた子供は、母親の「静かにしないさ」の一言で、着席。す

    ると、今度は、「アルプス いちまんじゃく・・・・」と大きな声で

    歌いだし、手遊びを始めたのです。保育園のお遊び時間の状態。子供

    がいる方は、「子供は泣いて当たり前、騒いで当たり前。」というか

    も知れませんが、日本の場合、場所をわきまえずに子供を連れ歩く親

    が多いと思います。ファミリーレストランは、子供連れでも入れると

    いう雰囲気ですが、ちょっとおしゃれなレストランでも、幼児を連れ

    て騒ぐのをなだめながら食事をしている親子を見かけます。

    子供がいる環境の人にとっては、ごく日常的な子供の行動パターンで

    あっても、子供がいない人にとっては、騒音以外の何ものでもないと

    言いたくなるほど、うるさく感じることもしばしばです。

    お互いの環境を理解しあうというのは、とても難しいなと思った食事

    の一時でした。

 


2000年12月29日(金)

    12月17日に、このページでも何度か書いた里子がお泊まりにやっ

    てきました。2学期の通信票と、冬休みの宿題の習字の課題を持っ

    て。

    お泊まりは初めてでしたので、私の子供のふだんの様子が良くわか

    らない分、かなり疲れました。一番驚いたし、困ったことは食事で

    す。

    何が食べたいか聞いても、「あれは、嫌い。それも、これも嫌い。」

    と言う具合で、ほとんど食べる物がないくらい極度の偏食です。だ

    んだん、私もイライラしてきて、「じゃあ、一体、あなた、何を食

    べるの?」と怒りそうになったくらいです。

    チキンカツなら食べるというので、それを用意。一枚のチキンカツ

    を細く切って出したのですが、ご飯1ぜんに、チキンカツひと切れ。

    これを30分も時間をかけて、ダラダラ食べるのです。野菜や他の物

    はいっさい口をつけないのです。

    こんな食事の仕方で、ふだん、学校の給食はどうしているのだろう、

    と心配になりました。

    子供らしい明るい表情も全くなく、暗いのです。なのに、しょっちゅ

    う電話をかけてくるのです。

    食事以外はゲームを取り出して、ゲームだけやっているのです。会話

    がキャッチボールにならないのです。

    事情があって学校へ通っていなかったので、そういう背景を考えれば

    内向的な性格というのもしかたないのかな、とも思うのですが、それ

    にしても、あまりにも無表情なのには驚きました。


2000年12月15日(金)

     友達が唐突にこんなことを聞くのです。「ねえ、チェチリア、今

     の人生に満足してる?」と。私は一瞬、何と答えればよいのか困

     惑しました。そして、「大満足ということではないけど、でも、

     まあまあかな?」と答えたのです。

     すると、「じゃあ、もっとこうしたい、とかいう希望があるの?」

     と聞かれました。「あれ、これと望めば、限りなくたくさんの事が

     でてくるかもしれないけど、自分勝手に生きているのではなく、生

     まれる時も死ぬ時も、自分でそれをコントロールできないから、

     ”生かされている”ことに満足感を覚えるなぁ。。。」と答えまし

     た。

     みなさんは朝起きた時、どんな気分ですか?私は、「あ!今日も朝

     がきた!!!よかった。」と思うのです。そして、毎朝ワンパター

     ンなのですが、「神様、もし今日、私が悩んだり、迷っても、きっ

     と私のそばにいてね。」とお願いするのです。

     去年、ある友達に、「チェチリアさんは、いつも神様と対話してる

     から安心でしょう?」と言われたことがあります。いつまでたって

     もヨチヨチ歩きの信者だけど、確かに何かあると、独り言のように、

     「ねえ、神様・・・・。」と話したくなるのです。

     そんな自分を私は本当に幸せな人間だと思っています。


2000年12月11日(月)

    友達が電話をしてきて、「チェチリア、夕飯食べに行こうよ。」

    というので、時間を約束して出かけました。お寿司を食べようと

    私が提案し、いつも私が行くお店に行く途中、その友達はポツリ

    ポツリと話し始めたのです。

    「さっき、チェチリアに電話する前に、実家の親から電話があっ

    て。」

    「なんかあったの?」

    「震災の影響で、仕事がうまくいかないみたいで、両親が東京に

    来て同居すると言ってきたんだけど。。。」

    という感じで、一通りの話を聞いたのです。

    私の世代では、自分の両親以外に同居している人がいない少人数

    家族が多かったし、また、進学、就職などで家を出て、一人暮ら

    しをするケースもごく普通だったから、自分の両親といっても、

    急に同居しなければいけないとなると、悩んでしまうと思います。

    10年以上も自分一人の生活をして、自分なりの生活環境やペース

    をつくっているわけですから、結婚と違って親と同居というのは、

    なかなか面倒らしい。幸い、その人はまだ独身ですから、自分の

    判断と決断だけでどうにでもなるのですが、この先、結婚を考え

    ると、これまた悩んでしまう。。。といった感じでした。

    その友達は、最後のほうになったら、

    「長生きするというのも、考えもんだな。。。」

    と言いました。私はこの考え方が理解できる面と、そんなこと言っ

    てはいけないと理解しがたい面を感じながら聞いていました。少子

    化社会では、親の老後の面倒はどうするか?というのは、避けて通

    れない問題のように思えてきました。

    今まで、私は自分にはこうした親の老後なんて心配する必要がない

    と思っていましたが、身近なところで、友達がこうして悩み始めた

    のをきっかけに、「私の親の面倒は、弟がみてくれるんでしょうね

    。。。」と、早くも弟まかせの姿勢になっている自分に気づきまし

    た。

    長男だから、というのは昔から言われていることですが、長男に限

    らず、女性でも、一人っ子の場合は、同じですよね。

    中国は一人っ子政策で、兄弟のいない子供がどんどん増えています

    よね。そのうち、おじ、おばという存在もなくなるんだろうな。そ

    れより、子供は将来結婚したら、夫婦二人で4人の老人を世話する

    ことになるでしょう。どうするんだろう・・・。


 2000年12月7日(木)

     今夜、里子からプレゼントをもらいました。ちょっと早いクリス

     マスプレゼント。小さな包みをあけてみると、十字架のペンダン

     トが入っていました。あの子が選びそうなかわいいペンダントで

     す。いいでしょう・・・。

     もうすぐ冬休みに入るので、今は復習テストなどがあり、子供な

     りに忙しいようです。勉強の心配はそれほどしていないのですが、

     体が小さいのが心配です。ちゃんと大きくなるかな?


   2000年12月4日(日)

     今夜、お見舞い電話がかかってきました。私の洗礼の神父様から

     でした。ここ1ヶ月ほど、日曜日の御ミサに与かっていないので、

     神父様がチェチリアはどうしたのかな?と心配になったらしいの

     です。共同体の誰かに、「チェチリアさん、風邪をひいているみ

     たいだったよ。」と聞き、倒れていないといいけど、と心配にな

     って電話をくださったというのです。

     クリスマスを前に、その準備などで、一番忙しい時期なのですが、

     私はこのところ、結婚式や、自分の用事で日曜日は全部予定が入っ

     ていて、教会から遠ざかっているのです。

     たくさんの信者がいるのに、神父様は、「この頃、あの人、どうし

     たんだろう。」とか、「病気は治ったかな?」とか、細やかに心を

     かけてくださっているんですね。

     私は、今日の電話でまたその神父さまが身近な存在に感じたし、も

     っと好きになりました。アメリカ人の神父様ですが、なぜか波長が

     あうというのか(こんな言い方をしたら、神父さまに叱られるかな?)、

     私にとって、「この神父さまだったら、何でも相談できる、話せる」

     そんな雰囲気を持っている神父様なのです。

     私とキリスト教との出会いは、もう30年近くも昔のことですし、そ

     の間、教会でいろんな神父様やシスター、信者の方との出会いがあり

     ました。でも、私が、洗礼を受けようと決心させたのは、今夜電話を

     下さった神父様との出会いでした。

     「もっと詳しく、深くカトリックのことを知りたい、勉強したけど、

     どうしたらいいですか?」と相談した時、「数学を勉強するような仕

     方ではなく、ゆっくり時間をかけて、焦らずにやるのが一番。本を読

     んで疑問な点があれば、私とディスカッションしましょうか?」とに

     っこり笑ってお答え下さったのがとても嬉しかったのを覚えています。

     そして、「洗礼を受けた後も、私たちはずっとその信者の成長を見守

     っていきますから・・・。」ともおっしゃったのです。こんな言葉の

     やりとりに、不思議な安心感を覚え、そこから急速に洗礼を受ける準

     備を始めたのです。

     洗礼を受ける前日、「明日、何か持っていくものないかな?」と不安

     になり、神学生に相談したのです。すると、その神学生が神父様にそ

     のことを話してくれて、「神父様は、何もいらないと言ってたよ。心

     だけだって。」と電話をしてきたのです。

     日本人の場合、家族で自分だけが信者という人が少なくありません。

     私の場合もそうです。でも、両親も兄弟も信仰上のよき理解者であり、

     支援者です。夏に、私が弟に教会まで車で送り迎えして欲しいと頼ん

     だ時、「ああ、そっか。今日は日曜日だから、お姉ちゃんは”おつと

     めの日”だもんね。」と冗談を言って家中大笑いでした。


   2000年11月29日(水)

     人間は死を迎える瞬間、どのような思いが頭をよぎるのだろう。私はず

     っと前、死ぬということは本当に恐いものだと思っていましたし、自分

     が死ぬ時、苦しいのかな?痛いのかな?などと、ネガティブなイメージ

     を持っていました。

     ところが、ある一つの経験は、そんな私の考えを大きくかえたのです。

     春先のまだ、気温も低く風の冷たい日曜日。インドネシアの子供の学費

     支援のための資金集めにバザーに出店。前日、遅くまで準備をして寝不

     足だったことや、冷えたこともあって、当日は、「あれ?風邪かな?」

     という感じでした。

     それでも一日中、外にたって、仲良しおじいさんと一緒に販売したので

     す。夕方、熱っぽくなってきて、夕飯を終えたころには高熱が。その年

     はインフルエンザが猛威を振るった年で、若い人もだいぶお亡くなりに

     なった年でした。

     夜、寝る前に、なぜか思ったのです。「明日の朝、私はまた目を覚ます

     ことができるだろうか?」と。いつも病気をしても、そんなことを思っ

     た事がないのですが、どういう訳か、その夜はそんなふうに思ったので

     す。そして、高熱でもうろうとした中、祈ったのを覚えています。

     「神様、もし、あなたが私をあなたのもとへお呼びになるのでしたら、

     私は喜んで、その道を歩みましょう。でも、もし、私にもう少しこの世

     の中で生きる時間をお与えくださるのなら、それも私は喜んで。すべて

     をあなたにゆだねましょう。」

     長い夜が明け、朝、目が覚めたのです。そして、「あ?私はまだまだこ

     の世の中でしなくてはいけないことがあるんだ。」と、何かはっきりと

     はしないのですが、自分がこの世の中で生きていく価値を感じた瞬間で

     した。

     それまで、「私は一体、何のために生きているのだろう?」と、思った

     り、「自分で何でもできる」と思っていました。でも、「もしかして死

     ぬかも知れない。」と感じた瞬間、「死」というのは、自分ではコント

     ロールできないものだと、初めて悟ったのです。

     「そんなこと、当たり前だろう。」と言われそうですが、死ぬのが恐い

     と思う理由の一つには、「なんとかして、この”死”という現実を避け

     て通りたい」という気持ちがあるからではないか、と思うのです。

     自分ではどうしようもない死の瞬間。そしてその瞬間を決定するのは、

     自分の上にある、もっと大きな存在の方が決めるのだ、と思うと、なぜ

     か私はその方に生かされているという喜びと、その方と一緒に生きてい

     るという安心感で満たされるのです。そう思うと、私は、死ぬというの

     は恐くないと、安心できるのです。


  2000年11月14日(火)

  出かけた帰りの電車の中で、変わった親子(母子)をみました。隣に座り合

  わせていたその親子は、どうみても母親が子供に合わせているという雰囲気

  なのです。子供といっても、その娘は歳が20歳以上に見えましたし、大人で

  す。

  母親が話しかけると、「アンタ、話しかけないで!アンタが話しかけると必

  ず失敗する!」と無表情に母親に言い、携帯電話についているゲームを真剣

  にやっているのです。母親は母親で、ウォークマンを聞き、大きな声で娘に

  話しかけるのです(イヤホンをしているから、大声でしゃべってしまうので

  す)。すると、娘が、「アンタ、声、でっかい!!!」と母親に言うのです。

  何だか変だと思いませんか?


  2000年11月10日(金)

  今夜、一人のインドネシア人がわが家にやってきました。お昼過ぎに電話が

  あって、「今夜、おじゃましてもいいですか?」というので、「どうぞ。」

  と言い、夜、彼らが来るのを待っていました。

  二人でやってきたそのインドネシア人。片方が来週帰国するので、東京での

  生活でお世話になったことをお礼したくて、わざわざ、たずねてくれたので

  した。

  彼はインドネシアで名門の私立大学へ通っていたのですが、休学して日本で

  働いていました。今後のめどがたったのか、帰国して復学するとのこと。そ

  して近い将来はアメリカへ行くつもりだ、とこれからの目標を話していまし

  た。

  簡単な食事でしたが、私が用意したおかずを囲んで、あれこれ話をしている

  と、あっと言う間に時間が過ぎ、駅まで送っていきました。

  別れ際に彼は大きな手を差し出して握手をしながら、「あなたと知り合えて

  光栄です。ほんとによかった。」と言い、電車に乗っていきました。

  これまでたくさんのインドネシア人とつき合ってきた中で、こんなに礼儀正

  しく、そして、心に残る言葉を残して帰国していった人は、何人いたかな?

  と考えると、あれこれ悩みのタネを作った一人であった彼も、将来、成功し

  てほしいなあ、と強く願う気持ちがわいてきました。

  問題を起こして”どうしよう”、と相談を持ち込まれる度に、「なんでそん

  な分かり切った間違いをするの!」と腹立たしく思うのですか、こうして感

  謝され、去っていく姿を見ると、その時の嫌な思いや苦労も報われた気にな

  ります。


  2000年10月27日(金)

  今日は余裕のない老人に出会う日でした。

  一人目は、昼御飯を食べに入った食堂で、二人目は仕事へ向かう途中で

  のバス停で。

  一人目の老人はおじいさん。その食堂は若者向けのきれいな”ご飯屋”

  なのですが、年配の方もよく見かけます。そのはトイレと手を洗う洗面

  所が別になっていて、突き当たりが洗面所、その横にトイレ、という配

  置になっています。

  私は食事をする前に手を洗おうと思い、洗面所に向かって行くと、おじ

  いさんが立っていました。どうやら、誰かといれを使っているので順番

  待ちをしていたようです。私は、手を洗うだけだから、そのおじいさん

  の前を通って洗面台に向かおうとしたら、私を見つめて、「オレ、オレ」

  と言うのです。割り込んでトイレに入られるとでも思ったのでしょうか?

  私は、「手を洗うだけですが。」と言ったら、安心したように納得してい

  ました。

  二人目はおばあさんです。そのバス停には、行き先の異なる複数のバスが

  停車するのです。たまたま、私が乗ろうと思ったバスが来て、列に並んで

  前に進んでいたら、急に私の前を歩いていたおじいさんが後ずさりのよう

  な感じで、前に進まなくなったのです。「あれ?」と思ったら、そのまた

  一人先にいたおばあさんが、きつい目つきでおじいさんをにらんでいるの

  です。さながら猛獣がにらみ合っているかのように、二人はにらみ合って

  いるのです。

  行き先に関係なく一列に並んでいたので、自分が乗ろうとしたバスが来た

  人がバスに向かって新しい列を作り、順に乗っていくのです。おばあさん

  は自分を追い越して、後ろのおじいさんが先に乗るのは、けしからん!と、

  自分の順番が先だといいたげでした。。おじいさんがその場を譲ったこと

  で、一件落着。

  何だか立て続けに心の余裕がない老人に出会ってしまい、自分がおばあさ

  んになっても、心に余裕を持ち続けたいなぁ、と思いました。 


 2000年10月19日(木)

      昨日、ちょっとした言葉のやりとりで友達との間で誤解が生じてし

      まい、私が友達の言葉を誤解していたこと、そしてその友達が誤解

      をとくために、わざわざ電話をかけてくれ、一生懸命に謝られてそ

      の人が発した言葉の本当の意味を分かったつもりなのですが、その

      言葉を聞いた瞬間の衝撃は大きかったので、今朝はまだ沈んだ気持

      ちを引きずったまま、仕事に出かけました。

      夕べはそんなことがあって、あまり熟睡できなかったこともなり、

      今朝は体も心の疲れていました。通勤電車ではラッキーなことに席

      が空いていて座ることができました。そこで、こんな経験をしまし

      た。

      その電車は、途中からどんどん混んできました。私はホントに「疲

      れた〜」という気分だったので、座って目をとじていたのです。す

      るとある駅で3人のおばあさんが乗ってきました。混んでいる電車で

      立っているのが辛かったのでしょうか、そのうちの一人が聞こえよが

      しに、「若い人たちはみんな寝た振りををして、誰一人、席をかわっ

      てあげようなんて人がいないのかねぇ。。。」と言ったのです。確か

      に私が座っていた横には、もう二人、若い人が座っていて、みんな目

      をとじていました。

      ふだんだったら席を譲る私も、今日はホントに辛かったので、そのお

      ばあさんの声が聞こえなかった振りをして、自分が降りる駅まで座っ

      ていきました。すると、その駅で3人のおばあさんも降りて、ラッシ

      ュアワーのあの人混みをかき分けるような勢いで、超スピードでホー

      ムの階段をのぼりきったのです。

      「あれ〜」と、私はその3人の”健脚ぶり”を、あっけにとられたよ

      うな思いで後ろから見上げてしまいました。

      弱い人や老人に席を譲るというのは、当たり前のことなのですが、若

      い人でも時には老人以上に心や体が疲れていて、座りたいことだって

      ある!と、今朝の私は”恐いおばさん”の心境になってしまいました。

      仕事の帰り、また電車に乗って今朝の出来事を思い出しながら、”恐

      いおばさん”も少し反省してしまいました。「自分が疲れているから、

      相手を無視したのはまずかったな。。。」と。

      やっぱり、私の優しさは表面的なものであって、本当の優しさや思い

      やりではないんじゃないか、そんなふうにも思ってしまいました。


 2000年10月10日(火)

          さっき、里子から電話がかかってきました。

          「お母さん、Bulan tertutup awan.って日本語で

          どう言うの?」と質問コールでした。「どうして?」

          と聞くと、理科の授業で天体のことを学習しているら

          しく、今夜は月の動きや様子を観察をして、記録する

          のが宿題のようでした。

          答えは、”月が雲にかくれた”ですが、あの子は、日

          本語は上手に話せるのですが、やっぱり母語で考えて、

          それを日本語に訳しているんだな、と思いました。

          9月21日以来、毎日学校に通っているのですが、楽し

          くてたまらないようです。10月8日は運動会があり、

          自分の組が勝ったと喜んでいました。

          ”ねえ、神様、彼女がこんなに喜んで勉強できる環境

          をお与えくださって、本当にありがとう。そして、彼

          女の成長ぶりを見守る私たち大人にも、その成長を喜

          ぶ機会をお与えくださってありがとう。”

 


 2000年9月26日(月)

     今日、ショックな事件を目撃!といっても、殺人とかじゃなくて、

     小学6年生の子供たちです。女の子が男の子に、真剣になって暴力

     をふるっているのです。しかし、そばにいた5、6人の友達は、だ

     れも止めに入らず、黙ってみているだけ。

     小学生くらいまでは、男の子は女の子に比べて体が小さい場合が多

     く、今日の子も、女の子の方がはるかに体格が良いのです。音が、

     「パシッ!シュパッ!」とするほど、男の子の下腹部を思いっきり

     蹴っているのに、友達は何も言わない。男の子は、苦しそうにお腹

     を押さえ、かがみ込んだら、他の男の子たちが、抱えるようにして

     さすってあげていたようでしたが、蹴りをいれた女の子は、あっけ

     らかんとして笑っていました。このくらいやったらどのくらいの痛

     みか、と考えることなど全く頭にないようでした。

     本当は、私もすぐ真横で見ていたので、注意すべきだったのでしょ

     うが、あまりに凄さに唖然としてしまいました。痛みや苦しみを考

     えていないとしか思えない光景でした。

     昔だったら、まわりの大人がだれかれ構わずに、悪いことは悪いと

     注意したと思うのですが、大人になった私は、注意した後の子供の

     リアクションが予想もつかない大事件につながるのでは?と思い、

     ついつい、見て見ぬふりをしてしまいます。

     でも、ホントはこれじゃダメなんですよね。


 2000年9月20日(水)

       先日から、あれこれ作戦を考えていた女の子の学校のこと。今日は

       勇気を出して、親子と私とで区役所に行きました。何もせずに、

       ”きっとダメだろう。無理だ”とあきらめて、悔しい思いをするよ

       りも、やってみて、うまくいけばラッキー、失敗したら、次のこと

       を考えればいいかな、と言う感じで、トライしました。

       結果、理解ある学校側の対応で、明日から彼女は通学できることに

       なりました。子供は本当に嬉しそうでした。校長先生に一通りの事

       情を話すと、あれこれ本人と親に質問をした後で、「000ちゃんは、

       いつから学校に来る?明日?」と問いかけると、彼女は、とびっき

       りの笑顔で、「明日から!」と答えたのです。そして私の顔をみて、

       またニッコリしました。

       早速、相談センターのシスターにこのことを報告すると、とても喜

       んでくれました。また、この相談センターを紹介して下さった私に

       洗礼を授けてくださった神父様にも報告したら、「え?ホント?わ

       〜、これは今日はチェチィリアさんも金メダルだ!よかった〜。」

       と、喜んでくださいました。自分の両親以外で、何人もの大人が学

       校に通えることを喜んでくれるなんて、彼女にとっては大きな励み

       です。

       私も実を言うと、初めてこの問題を相談された時、「大丈夫かな?」

       と不安はあったのです。でも、何もせずに諦めるより、やってダメだ

       ったら、また次のことを考えればいや、と思った時から、なんだか自

       信と勇気が湧いてきたのです。しかし、最後の判断は、あくまでも彼

       女の両親ですから、両親が手続きを希望するまで私は黙って見守るこ

       とにしました。いろいろ考えたのでしょう。両親は手続きをしようと

       決心し、その子のお母さんから電話がきて、今日の手続きに至ったの

       です。

       神様、本当にありがとう。不安でしかたがなかった親子の気持ちを支

       えて下さって。そして、たくさんの良き理解者を私たちに引き合わせ

       てくださって。どうぞ、その子が怪我や事故なく、卒業まで元気に学

       べますように見守ってください。


 2000年9月18日(月)

     今日はある女の子のことで、相談センターに行きました。11歳の彼女

     は事情があって学校へ通っていないのですが、本当は学校に行きたい

     のです。就学が可能かどうか、また可能であれば、どんな手続きをする

     べきか、など、事務的な相談から、両親の不安材料についても相談しま

     した。

 

     センターでは、二人のスタッフが親身になって相談を受けてくださいま

     した。一人はシスター、もう一人は男性のスタッフです。あれこれ質問

     をして、子供に答えを求めるのですが、その女の子はいつも自信なさそ

     うに小さな声で答えるので、シスターは、「000ちゃん、大きな声で

     答えるのよ。」と励ますのですが、無理もありません。学校へ行ってい

     ないので、友達もいなく、誰かと話すことに自信がないのです。

 

     一通りの相談や説明を受け帰ろうと思ったとき、そのシスターが、私を

     センターの神父様に紹介して下さったのです。そこでまた、その女の子

     の相談内容を簡単に話したら、神父様は、「学校にいきたいですか?」、

     「あなたのお名前は?」と優しくおたずねになったのです。そこでも、

     やっぱり小さな声で答えていると、シスターは、「もっと元気に。これ

     からチェチィリアおばさんと一緒に役所の手続きに行った時の練習だと

     思ってね。」と、再度励ますのですが、やっぱり、”ニコ”とするだけ

     で、声にだして気持ちを表現できないのです。

     すると神父様は、「でも、こういう控えめなところがこの子の良さで、

     またかわいいじゃない?」と、その女の子の気持ちになって励ましてく

     ださったのです。

     その子と初めて会った神父様とシスターですが、まるでその子のお父さ

     ん、お母さんのように絶えずエールをおくってくださっているように見

     えました。

 

     今日の出来事は、「こういうのも、親子の理想的な関わり方なのかな。」

     と勉強になりました。

 

     世の中の隅っこの方に追いやられていたり、無視されている存在の人にも、

     こうして心をかけ、ずっと以前からの知り合いのように接して下さるお二

     人の修道士・修道女のお人柄にふれ、私もそんな風にありたい、と思いま

     した。

 


    2000年9月15日(金)

        今日は移民・難民に関するフォーラムに行きました。そのフォ

        ーラムの後に行われた御ミサに与った時、一人の外国人シスタ

        ーの一言にちょっぴり感激しました。

        フォーラムの会場は聖堂でしたので、少しの休憩時間をはさん

        で御ミサが始まりました。会場には、フォーラムだけへの参加

        者も多く、御ミサに与らずに帰る人も多かったのです。せっか

        くの御ミサだから(3人の司教様と多くの神父様たちが共同で

        司式された御ミサ)、真ん中の席で・・・と思い、空席を探し

        てウロウロしていた時です。一人のシスターが、「どうぞ、こ

        こへ。」と言って、聖堂の中央(祭壇の真ん前)の前から3列

        目に私を誘って下さったのです。みると、そこには、”スペシ

        ャル ゲスト”と書かれた紙が貼ってあるのです。さっきのフ

        ォーラムで用意した招待客席だったのです。私はシスターに、

        「でも、ここにスペシャル ゲストと書かれてありますが。」

        と遠慮して言うと、シスターはにっこり笑って、「私たちみん

        ながスペシャル ゲストですから、どうぞ、どうぞ。」とおっ

        しゃるのです。

        「そうか、御ミサに与る人は、一般の人、特別の人の区別なく、

        みんなその日、その時間に招かれた神様の子供に違いがないん

        だ。」と思い、胸がキュンと熱くなりました。


 2000年8月28日(月)

         今日は、一人のインドネシア人とランチをしました。その人は、

        目下、神父様になるためのお勉強中。明日、東ティモールに向けて

        出発するということで、そのためのお手伝いがてらの食事でした。

         気さくなそのインドネシア人を私はとても尊敬しており、また、

        よそ行きの自分ではなく、ふだんの自分で信仰生活の疑問や悩みを

        打ち明けられる存在でもあります。

         食べながら、「なぜ、人は対立するのだろう、争うのだろう。」

        そんな話題になったのです。そして、話を東ティモールといわず、

        自分の身の回りにおこる様々な誤解や、エゴからおこる問題解決の

        方法の話になったのです。

         私は、「許す」ということが、とても苦手な性格です。頭で理解

        し、理屈で「許す」ということはあったとしても、本当に自分に対

        して過ちをおかした人を”すべて受け入れ”、そして、”許す”と

        言うことが、本当はできていないと自覚することがあるのです。そ

        んな自分を、私は時々イヤになったりもします。

        すると、そのインドネシア人は、「許すということは、確かに難し

        い。簡単なことじゃないよね。本当に許すということは、相手のあ

        りのままをすべて受け入れることでしょう。簡単なことだったら、

        ”許す”ということの重みがなくなると思わない?だって、難しけ

        れば、難しいほど、それが達成できた時は価値があるでしょう。そ

        して、それができた時は、これは特別な瞬間だと思うな。」と、言

        ったのです。

         私は、「なるほどなぁ・・・。」と思う一方で、「ははぁ〜、難

        しいけど、諦めず頑張ってね、チェチィリアさん。」と、励まして

        くれているように感じました。

         明日からの彼の長旅の無事を祈り別れた後、一人、電車での中で、

        ”それができた時は、これは特別な瞬間だと思うな。”という彼の

        言葉を思いだし、深く心にしみる思いがしました。

 


2000年8月13日(日)

      今日の昼食は私が用意しました。母は忙しくしていたので、

      私は母が留守の間に冷蔵庫にあるものでお昼の支度をしよう

      と思ったのです。おかずになりそうな材料が見あたらなかっ

      たので、素麺を茹でて食べることにしました。

      朝の残りのおかずに素麺という何ともチグハグな取り合わせ

      のメニューでした。母が帰宅して、父と3人で昼を食べまし

      た。食事の前に、母は両手をあわせ顔いっぱいに笑みをうか

      べ、「あ〜、ありがたい。いただきま〜す。」と言い、素麺

      を食べはじめました。

      「帰ったら昼のご飯を支度しないといけないなあ・・・。」、

      そんな風に思って帰宅したら、思いがけなく食べるだけの用

      意がしてあったので、母は嬉しかったのでしょう。

      私は、時々食事の前のお祈りをパスしてしまったり、また惰性

      でのお祈りになってしまいがちなのですが、母のこの一言は、

      用意してくれた人への感謝と、この食事をいただけることへの

      感謝の言葉だったように思え、深く私の心に響いたのです。

      当たり前の様に、食事ができるということは、ごくごく限られ

      た人の間での「当たり前」であって、多くの人が今日の食事を

      どうしよう、と苦しんでいることを忘れてはいけないと思いま

      した。

 


2000年8月6日(日)

      今日、電車の中で変わった乗客と遭遇しました。電車内で珍しく、

    「切符を拝見いたします」と車掌さんがまわってきたのです。次々に

    検札印が押されていくなか、一人の中年男性が、いきなり大声で怒鳴

    りはじめたのです。「乗る駅で切符を買う時に、目的地の料金が分か

    らなかったのでとりあえず最低料金の切符を購入しただけで、キセル

    目的で最低料金の切符を買ったのではない。」というのですが、車掌

    の長年のカンとでもいうのでしょうか、あれこれ説明して、「次回は

    目的地まで買うように」と言ったのが気にいらなかったらしいその乗

    客は、ますます大声で怒りはじめたのです。

     怒って興奮すればするほど、キセル目的じゃないか?と思わせる言

    葉がどんどん出てくるのです。「オレは、160円をケチっているんじ

    ゃねぇんだ!おまえら国鉄の(今はJRでしょう!)根性が気にいら

    ねぇっていってんだよ。オレだって何十年もこの区間を乗ってんだ。

    料金くらい知ってんだよ!バカヤロウ!!!」と、立ち上がって二人

    の車掌に怒鳴りまくったのです。

     本当に何十年も利用している路線や駅だとしたら、初めに言い訳し

    た、「目的地の料金が分からなかった」というのは、ちょっとおかし

    いでしょう。

     その男性は、きっと自分が何をどう言ったのか分からなくなって、

    一人で興奮してしまったのでしょうね。冷静な二人の車掌さんは、

    「そこまでおっしゃるのなら、次の駅で降りて、直接窓口で精算して

    ください。」と言い、その男性に下車するように促したのです。

     だまって精算すればよいものを、どうしてあんなに怒鳴ってまで自

    分の主張を通そうとしたのでしょうか?何か別の事で、ムシのいどこ

    ろが悪かったのか、それとも、キセルがばれそうになったから、これ

    はしまった!と思って、攻撃は最大の防御なり!と一方的に車掌さん

    にくいついたのでしょうか?

     人前で、あれほど豪快に怒鳴った事がない私は、「この人、すごい

    !私にはできない。」と、ショックでした。”すごい”というのは決

    して、この男性が羨ましいという意味ではありません。どことなく”

    可哀想だな”という気持ちがしたのです。

 


 2000年7月18日(火)

     今朝、通勤の満員電車の中で、恐い経験をしました。

    JRに乗っていた時、A駅である若い(20代)の男性が私がたってい

    たドアから乗って来たんです。電車が停止する前に、その男の人がな

    にげに私の視界にはいってきて、「あれ?ちょっと雰囲気が違うな。」

    という印象をもったのです。

     電車が発車するやいない、その人は普通じゃないまなざしで私を見て

    いるのに気づいたので、「あれ?」と思ったら、今度はその人が自分の

    肘を私の脇腹にこすりつけるようにこずいてきたのです。「え?恐い!」

    と思い、ドアの横のポールにつかまっていたのを離れて、通路に避けた

    のです。

     恐いのでよく観察していないのですが、目つきがすごく恍惚とした感

    じ、というのか、若者言葉で言うなら、”イッチャッてる”と言う感じ

    で、ますます恐くなった私は、次の駅で車両をかえようと思い、「早く

    K駅に着かないかな・・・。」と、とても不安になたんです。

     そしたら、「プ〜ン」と揮発性の物質の臭いがしてきて、側に立って

    いたサラリーマンの男性がせき込んだんです。私も、「あれ?なんだか

    ますます怪しいし、危険!」と思い、こっそりその男性を見たら、なん

    とズボンのポケットから遮光性の瓶を出して、ふたを開けてはその中の

    液体の臭いを吸っていたのです。「きゃ〜、中毒者だ!幻覚、幻聴なん

    かで突然、襲いかかってきたらどうしよう!!!早く、電車、なんとか

    してよ!K駅、まだ!!!」と、心臓がバクバク。

     K駅で逃げるように飛び降りて、2つくらい後ろのドアから乗り込んだ

    のです。すると、今度は、N駅で、その男性も同じドアから乗ってきたの

    です。幸い、K駅とN駅では、開くドアが左右逆になっていたので、ひた

    すら私は混んでいる電車の人に身を隠して、恐さをこらえて S駅に着

    くのを待ったのです。

     シンナーなどのような物って、今時流行らないものとばかり思ってい

    たら、いたんです。中学や高校で、よく非行防止のために薬物中毒のフ

    ィルムを見せられたり、またテレビで「実録!夜の繁華街」のようなも

    のでは見たことがあるけど、ホントに目の前で見たのは初めてだったの

    で、「万が一何か起こったら。。。」と恐かったのです。N駅- S駅間は、

    心の中で思いっきり大きな十字架の印をきっていました。

     あんなに目つきが一目で、「あれ?」と分かるような位だったから、

    かなり重度の患者ですよね。もう、私は朝から半泣き状態でした。

     いろんな環境や、いきさつがあって、アルコール依存症や、薬物中毒

    になってしまう人がいると聞いたことがあります。やりきれないほどの

    苦痛、ストレス、不安など、生きるということは、そうした心の状態と

    は無縁ではないので、本当に大変なことです。

     都会生活をしていて感じるのですが、あまりにも、自分中心の生き方

    を選択せざるを得ない環境が多いと思います。もっと小さなことへ、小

    さな人へ心をかけて生きられる、かかわり合って生きられるようになれ

    たらなあ、と思います。


 200年7月13日(水)

     今日メールをチェックしていたら、インドネシア人の友人から転送さ

    れてきたメールがありました。特別なメッセージは何もなく、数枚の写

    真が添付されていたのです。メールのサブジェクトは「バーベキュー」

    と書かれてありましたので、「あ、今年のゴールデンウィークの時の写

    真かな?」と思ったのです。

     すると、私の目に飛び込んできたものは、何だか分からないけど、バ

    ーベキューの炉に燃え終わった炭のように見えたのです。「???なん

    で、わざわざこんな意味のない写真を何枚も送ってくるの?」と思い、

    よく見てみると、それぞれの写真に赤い字で、何やら書かれているのに

    気づいたのです。そのメッセージを読んで、「え?!? この黒いのは

    人間だ!」と思い、それ以上見ることができませんでした。

     その友人は、昨年以来、落ちつきを取りもどせないまま、時間の経過

    とともに犠牲者の数が増す一方のインドネシアのある地方での騒乱の結

    果の一部を転送してきたのです。

     情報化社会が進むにつれ、望む、望まないに関わらず、大量の情報が

    目に、耳に入ってきます。どんな事件でも、それが起こったということ

    は紛れもない事実ですし、現実を正しく把握し、受けとめなければいけ

    ないとは思うのですが、今の私にはまだまだ、それらを受け入れるだけ

    の勇気がないのです。

    その人が、私にそのような写真を転送した意味が私にはよく分かりませ

    ん。祖国で信仰をともにする兄弟姉妹の痛みを分かち合うため?それと

    も、恐いものみたさ?

      昨日までの親友が、噂などで簡単に敵対するインドネシアの現状に、

    とても心が痛いです。分かり合える日が早くきますように。

 


 2000年7月8日(土)

      昨日の昼、出かけ際にマンションの入り口の所に大きな観葉植物が

    置いてありました。いつもはないのに、今日はどうして?と思い近寄っ

    てみると、なんとそれは月下美人だったのです。たくさんの蕾をつけて

    いました。そして「近日中開花。22:00〜23:00頃」と書かれた札

    がぶら下がっていました。

     近日中だとわざわざ書いてあるのだから、今夜はまだ咲かないでしょ

    う、と勝手に決め込んで、明日の夜あたりから観察しようと思って夕べ

    は様子を見に行かないまま寝てしまいました。

     今朝、一階に降りてみると、なんと夕べはあんなにたくさんあった蕾

    がたった1つしかないのです。「え?もしかして夕べ咲いてしまったの?」

    と思い、今夜は絶対この残った一つの蕾が咲くのをみよう、と思い、夜

    10時頃に様子をみに行ってみました。すると、優しい香りと白色の花が

    たった一つ、咲いていました。

     月下美人というのは、なかなか咲かない、また夜の限られほんの短い時

    間に精一杯の美しさを見せてくれる花ですね。

     花に見とれていると、管理人さんが出てきて、「夕べだったら30個も

    花が咲いていたのに・・・」と、おっしゃったので、「近日中と書かれ

    てあったので、夕べ咲くとは思わなくて。」と答えたら、「あれは失敗だ

    ったよ。書かなきゃよかった。」と残念そうに話していました。

     でも、私はたった一つだけ咲かずに残った月下美人をみて、「これはも

    うすぐ誕生日を迎える私への神様からのプレゼントだわ。」と思ったので

    す。夕べ、他の何十個もの花が咲いたのに、どうしてこの蕾だけ咲かずに

    残ったのでしょう?ふだん、あまり草花に関心を示さない私が、なぜかこ

    の月下美人は気になっていたのです。どんな花を咲かすのだろう・・・と。

     最近、今まで支えあって頑張っていた仲間に裏切られて、ひとりぼっち

    になった寂しさからとても心が疲れていた私は、「自分は何の役にもたた

    ないもの」、「便利に他人に利用されているだけのもの」と思い、悩んで

    いました。

     あらゆる意味において自分の存在する意味を見失いかけていた時、思い

    もかけない贈り物をもらったような気がしたのです。

     きっと、私が誰もいない夜に、一人でたった一つの花を一生懸命みてい

    たように、だれも気にとめてくれない私をも神様は心にとめてみてくださ

    っている、そんな風に花が私に気づかせてくれたように思うのです。そう

    思うと、ますますあの一つの月下美人は、私のためだけに今夜咲いてくれ

    たのだと思い、勇気が湧いてきました。