1999年度
冬山合宿報告書

越後駒ケ岳 小倉尾根
1999年12月30日−2000年1月1日

メンバー

L三井明高(40、記録) 大竹文雄(49、写真) 谷井菫二(62、会計) 中村 仁(46、装備・気象) 
千々和宗一(42、食料)

行動概要

12/29 浦佐駅仮眠
12/30 浦佐−(電車)−小出−(タクシー)−大湯8:00−駒ノ湯10:25/10:50−小倉尾根940mにテント14:10
12/31 小倉尾根940m 7:25−小倉山9:15−百草の池10:40/11:05−駒ノ小屋12:30 
駒ケ岳山頂まで往復13:35〜14:15
1/1 駒ノ小屋7:45(再出発8:10ごろ)−百草の池9:40−小倉尾根940m11:15−駒ノ湯12:50−大湯14:50
行動記録

12/29/1999 夜、新幹線で浦佐へ。駅のシャッター外の通路にテントを張って仮眠。

12/30 くもりのちはれ
始発で小出に行き、予約したマイクロバスで大湯へ。除雪は大湯まで。トレースはない。登頂はきびしいかもしれないと思う。わかんをはき、近くに着替えなどをデポして歩き出す。10cm沈む程度の歩行だが、林道が長い。大竹さんは風邪で体調悪いようだ。駒ノ湯の登山口で休んでいると2人パーティが来た。板1枚残した吊り橋をわかんのまま渡り、小倉尾根に取り付くとさっきの2人が追いついた。野田の憬稜登高会で、この2人は越後ばかり行くらしい。暁と告げると、ああ以前マキグラノツルネをやった会ですね、と言われたのには驚いた。20年以上前に大竹さんらが登っているのだ。
ここからこの2人と合流して登って行った。ときどき雪を崩す程度のラッセルで、思ったより深くなく、順調に進む。しかし栗の木の頭(916m)あたりで大竹・千々和が遅れてきて、ニセ小倉への登りはあきらめて平坦な森の中にテントを張った。憬稜の2人もここにテント。あとから来た習志野9人パーティも近くにテントを張った。

12/31 快晴
今日帰るという憬稜の二人は、暗いうちに出て小倉山までトレースを付けてくれた。下ってくる彼らとニセ小倉であいさつして別れる。あとから来た9人パーティとこのあたりで交差するが、明日下山するという彼らは小倉山の先にテントを張った。
小倉山からは駒に続く広い稜線が見渡せて気持いい。荒沢岳、中ノ岳、その他まわりの山々も白く広がっている。うさぎの足跡しかない稜線を進む。要所に赤布をつける。天気も良く、雪もあまり沈まないので駒ノ小屋には行けると判断し、テント(ジャンボ)の本体とポールを百草の池にデポした。前駒(1763m)までの急な斜面を登れば小屋はあとひと登りだ。この斜面にも念のため赤布をいくつか付けた。
習志野パーティは身軽になってゆっくり出発してきたが、ひとりだけがんがん歩き、前駒で我々に追いついて先を歩いてくれた。きのうからずっとうしろを歩いていたので、申し訳ないと思ったのだろう。ごくろうさま。狭くて平坦なところから小屋への登りにとりかかるところで抜き返す。
小屋はちょうど2階の窓に入れるように雪が積もっていた。荷物を入れ、ゆっくり休んでから山頂に行った。先に習志野パーティが行ったので、わかんなしで行けた。ずっと晴れ渡っていたのに、山頂に近づくとガスが出てしまった。
暗くなり始めてから小屋に4人パーティが来た。マキグラノツルネを登ってきた新潟稜友会だ。

1/1 吹雪のち湿雪
気圧配置は冬型ではないようだが、起きると雪が舞っている。外に出ると風が強く、視界がない。今日は中ノ岳往復は無理だ。このまま降ると下山に2日かかるかもしれず、明日には下り始めねばならないので、今日停滞しても中ノ岳に行くことはできない。下山することにした。
しかし小屋からの下りがわからない。60mも下れば狭くて平坦な稜線になるのでわかりやすいと思っていたのだが、視界がまったくなくてわからない。急ぐわけではないのでいったん小屋に戻った。赤布を1本でも付けておくんだった。
入れ替わりに稜友会パーティが出る。空身でついて行って赤布を立て、すぐに出発する。平坦な稜線には行けたが、そんなに広くない稜線でトレースがなくなる。ほんの10分か20分の間にトレースがなくなるような降り方には思えなかったのに!空身で偵察してどうにかルートを見つけて歩き出すと、すぐに前駒で彼らに追いついた。ここには赤布を立ててあったので、コンパスを見ながら百草の池に向かって下った。広い尾根でブッシュが埋まって地形がわかりにくく、2つのパーティが広がって進んだ。ところどころ置いた赤布が役に立った。
百草の池で埋まったデポ品を回収した。ここからの平坦な尾根はブッシュが多くなり、視界も出てきて迷わなかった。小倉山からは習志野パーティのトレースがある。ニセ小倉から少し下ったところで右に尾根が派生しているが、左(北)が小倉尾根だ。樹林帯に入って風もやみ、初日のテント場でデポしたごみを回収すると降る雪も積もった雪も湿ってきた。わかんを脱いだが、よくズボズボ落ち込んで苦労した。疲れたが、明日になるともっとラッセルがひどくなるかもしれないので、そのまま大湯まで歩いた。静かに湿った雪が降る中を黙々と行進し、大湯に着いたときはもうほんとうに疲れ果てた。しかも濡れている。
元日ではあるが大湯のペンションデュークに泊めてもらうことができ、風呂に入ってやっと落ち着いた。

1900年代と2000年代にまたがる合宿を、重荷とルートファインディングをこなしてどうにか成功できました。登りは春山のような好天のなか展望を楽しむことができ、下りは越後の冬山らしい吹雪と湿雪を味わえました。中ノ岳にいつか行きたいと思います。
(三井)
反省会

1月2日 11:50−12:40 東京駅のレストランで(全員)

行動

赤布(棒):小屋下の短い斜面にひとつでもほしかった。広くない平坦な稜線にもほしかった。百草の池の上の広い斜面にももう少しつけた方が良かった。竹ざおは1m弱の短い方は埋まったものもあった。1m強の長いものは有効。ザックにつけたので木にひっかかってじゃまだったが、憬稜パーティはスリングをつけて手に持っていた。登攀的でないときはそれもいい。

わかん歩行で先行のステップを崩さないようにしたい。下りのトップの尻セードもよくない。
越後駒ケ岳は入山パーティ少ないので、単独ラッセルの覚悟で計画したい。

装備

5人でジャンボは快適だが重かった。
越後はカッパの方がいい。
ストック有効。マキグラノツルネのパーティは2本づつ持っていたが2本は要らない。
テルモス300mlでは小さい。
天気図用紙は売っている店が限られるのであらかじめ準備する。

食料

なまもの中心でうまいが重かった。それにしてももう少し減らせた。
アルファ米は今回の5人なら2袋半(夕飯)ぐらい。
もちは水から入れるとくずれない。
スキヤキの割り下にうどんスープを入れたのがgood
ネギ・白菜は直前に買うべし。
汁を別に作るラーメンは冬には向かない。
(三井)

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