死の中の父

 
六月の湿った風が
あじさいに落ちると
膚はそっとためいきをつく
この長い坂道をのぼれば
父よ、あなたとあなたの家族の石搭は
群なす暗い石の面影のなかに浮かんでくる
 
  《死ぬことなんか怖かないさ》
ことばが燃え上がった西空の残照
幼い兵士の叔父がつぶやいていた
 
  《もう生きることだって、怖くなんかないさ》
焦土では、死んだ母親と妹たちを錆びた罐につめながら
父の瞳が決していた
 
私より若い死者の家族
金色の雲端で願い続けてきた生涯
閉じていく悔恨
有り得なかった希望
一面のとげのように空に叫ぶ
石搭の斜面
  《もう帰るところがないんだ!》
同じように私もつぶやかなくてはならない
家族の向こうにはいつも幻の家族があって
そこから すいれんのように
この世に姿をうかべていたのを
私は知っている
  《生きる痕跡を残さないために生きるのだ》
定められた ひそやかな倫理は
女たちの知らぬ間に通りすぎて 息子の中に遺伝する
いくつもの出発のリフレーン
出奔の決意の形をして何回も脱ぎ捨てたことば
「家族」からのがれるために 深夜
六畳間から
実に 世界に向って出帆した
旅は結局茶の間に
座礁する
それがすべての人生の始まりだ
でも、もう、明日どう生きているかわからない
「病んだたましいのこの家」
「病んだ歴史の隘路」
「誰にも告げられなかった戦死」
父よ、
明日 あなたを抱きしめるために
私はぬぎすてることのできないことばそのものになるだろう

 
原題「六月の湿った風が」 
1982年6月 『詩生活』 東鉄詩話会
 
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