最後の歴史

 
今日、最後の歴史の授業を終わるにあたって
君たちに考えてもらいたいことがある、と、その人は言った
たとえば、ギリシャ時代の一人の奴隷として生きていた男女と
現在の君たちとは、どちらが幸福だと判断されるか? そしてその根拠は?
たやすい設問に、こどもたち教室はざわめく テレビも無ければ車も無い
その上、どれいだ! 「富」と「自由」の数直線上に、答えは、当然
僕たち!    あんな時代に生まれなくてよかったよね
奴らは世界の根本が火だの水だのと論じあっていたんだぜ
それから遙か遠く、科学も民主主義も進歩して今日の「私たち」があると
この一年間、一生懸命、先生は教えてくれたのではなかったのですか?
空にひびが入り砕け散る恐ろしい質問はその後に落ちてきた
  ではもう一度尋ねましょう
   時代が進歩するものならば、より進歩した時代に生きることが
  より幸福だというのであれば
  では、現在の君たちと、
  たとえば百年後、あるいは千年後に生きることになる子供たちと
  どちらが幸せだということになりますか?
誰も答えられなかった 
「自分たち」が急に惨めな「野蛮人」に思えてきた
空気は急に薄くなる
知り得ない、届き得ない、感じ得ない、彼方との絶対の距離 
絶対が幾重にも押寄せる
生き埋めにされた息苦しさ 
循環する焦燥上の輪郭が作る、「私」
それはおそらく、無限と交雑していた子供たちへの有限の宣告、
以後の思考への「死」の刻印 
「痛手」はそれがなぜだかわからないから、目をそらすことができず、
見つめつつ拒絶することを強迫されるから、痛手となる
やがて子供たちも
それを見つめながら、歩み出さなくてはならない
一人の男の子は、政党の活動家になった 
友よ、たとえ未来の幸福を僕が味わえなくても、進歩の「動力」になることによって、
僕らは、歴史を貫通する普遍的な幸福を生きられるのだ、という手紙を残して
彼は歴史の中に身体を懸架した
一人の女の子は、神の前にすべては普遍的なのだと、布教の任地におもむいた
彼女に歴史は存在しない、教典の初めの数ページ以外には
一組の男女は、今ここにしか幸福はないのだと、運命づけて子供を産み育て始めた
二人の眼差しに強く拒絶された歴史の脈路はまどろみの中に浮遊している
だがそれらは、皆、痛手からの変奏
定義で幸福を規定する基本形からは、お好みの様々な定義内容(モチーフ)が生み出せる
逆に、すべての者はそのままで幸福なのだと、救済の顔をした、抑圧の転調が訪れる
そして、流れ出すそれらの小道から取り残されたものは、
論理の中に身を分解することで生き延びる
もはや定かならぬ姿、「人間」でも「生物」でもない、
一つの「岩」であり「星」である思考
様々な被定義を分解し新たな概念を生み出しつつ驀進する「物質」である論理
開かれてゆく身に、今まで地上で言われたすべての言葉を内在化させたら
そこにどんな〈我々〉が出現するのか、試みてみよ!
それが思考に、打ち立てられた格率だ
かつて物理の教師は言った
 すべての素粒子、元素名、重力や電磁力、時間、等々の分節を生み、駆使して
 我々が宇宙の構造を理解しているそのこと自体が、宇宙の物理的過程なのだ
 「理解」は個別の脳という局在においてではなく、
 そのような規模でのみ成立している
 我々の身体を構成する物質には星々の残骸が含まれ
 そして、数十億年後この太陽系も終わる
 だがその時も〈 我々 〉の身体は、正確に言えば別の配置となった「物質」は、
 展開し続けるだけだ
 どうしてこのことに喜びを見いださずにいられようか、と
今、歴史の教師の問いかけに、応答しなければならない
問いかけは存在のしるしのように至る所で訪れ、
それに応答する努力は〈我々〉を別なものに変成する、しかし、
問い、答えているのは、もはや人称ではない
ある固有性、としての〈 我々 〉は、その時どんな形をもしていない
すべてであり、どんな形をもそれが生み出すものである〈 これ
その内在性が、 ‥‥我々‥‥  と静かに語り始めるのだから
この」、という指示代名詞が[kono]という音声自体を指し示すとき
我々は発語する者と聞く者とに分節しない
指し示しているのはその今空気が振動している時空の唯一性、
〈 我々 〉という確信、である
これ」、という指示代名詞が、この白い光と濃緑のコントラスト、
この地上でただ一つの固有な物質的事件を、指し示そうとするとき、
読む者と書く者は分岐しない
「これ」←、と、「これ」←の違いは今この画面に顕微鏡を当てなくてもわかる
〈世界〉が唯一であるならば〈 同じ 〉ものはあり得ないから
そして、過去、未来を含む、その唯一性を探り尽くそうとする内在平面、
自体性、抱擁、いま〈 この 〉白い文字に直立して指示する、動態、
垂直に、影も落とさずに激しく指し示そうとしている〈力〉
それが今は亡き教師への応えだ  

 

1997年7月30日
 東鉄詩話会「詩生活」復刊1号1997年9月
「国鉄詩人」207号 1997年11月に再録


※〈 この 〉という語は、当然ながら紙に印刷した初出の場合と、画面に表示されているこの場合とでは指示するものが異なる

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