「国鉄詩人」、「通信」あとがき   2004年〜

 

国鉄詩人通信 227号 2008.5.1

■編集後記■ 今号で国鉄大崎被服工場の女性労働者による詩サークル、たんぽぽ詩集についての論文を転載させてもらった「現代思想」2007年12月臨時増刊号の総特集「戦後民衆精神史」は興味深いものだった。うまく表現できないが、この五、六十年の間に、「社会」は変わるという自己認識から、自分たちは「社会」を変えられないという認識への歴史的転換点があったように感じた。だが、最近の非正規労働や貧困をめぐる形相は再び、閉塞した「社会」の外からの視点による開放された活動を要求しだしているようだ。

 

国鉄詩人 244号 2008.1.1

■十月二十日の事務局会議で、来年度の会員数は、既に退会の意思を明らかにしている方以外の減員が全くないという前提でも三十六名となり、「国鉄詩人」の発行回数は現在の年3回から2回にせざるを得ないだろう、という会計としての報告をさせてもらった。会員の消息に死や病の影ばかり映るのはやむを得ないが、自分がそのことに対して哀切ではなく、むしろそれらを常に変化する世界の常態の一断面として何か実りの季節であるかのように冷静に受け止めるようになっていることに驚いている。これは、私が「こども」というものの成長に今立ち会っているからなのかも知れない。

 

国鉄詩人 243号 2007.9.15

■すべて矢野氏に設定をお任せしてしまった詩人大会をようやく終えた。
会自体の運営について、いよいよ真剣に考えなくてはならない時期に来たと思う。六〇年を越える会の活動なのだから、立派な総括がなければ「終わり」にはできない、という思いや、連盟に途中から加わり作品も大して残していない私にはそもそも会の命運についてあれこれいう重さもない、という思いなどが輻輳している。ただ、あれこれ先細りの客観的で決定的な傾向を数え上げることよりも、作品を、詩集を残すことが現状への実践的な対応だとも思う。外堀を埋められる形で引き受けたとはいえ、会計等の任務は次期大会までは果たすつもりだ。

 

国鉄詩人通信 226号 2007.9.1

■編集後記■ 無事62回詩人大会を終えたが会場で岡さんがいなくなったことを実感した。今号は私鉄文学集団や作家集団の方が書いてくれた岡さんへの追悼文を転載させていただいた。職場を単位とする文学の運動、それを可能にした歴史的条件は終わったのだとしても、次には別の抵抗と創造の形態が現れるはずである。

国鉄詩人 242号 2007.5.1

■ついに、岡亮太郎さんが亡くなった。結局、詩人連盟の事について十分な話を聞くことができないままだった。一昨年国会図書館で読みふけったプランゲ文庫のマイクロフィッシュの中に、GHQの検閲にかかりそうになった岡さんの作品があった。組合活動に忙しい夫に苦情を言う妻から逃れ、夜空に我が子を抱き上げ、明日の団交の決意を固める、という内容だった。一月に生まれた私の娘はようやく視線が合うようになり、こちらが笑いかけると口を開けて笑顔を振りまく。その笑顔に岡さんの作品を思い浮かべながら、「国鉄詩人」が後世にどのように読まれるのだろうか、等とも思う。

 

国鉄詩人通信 225号 2007.4.28

■編集後記■ 会計と通信の編集とを引き受けて二年半、その間の変化は大きい。私のことでいえば、単身の中高年失業者で充分な時間が有ると思いこんでいられたのが、今は、俗に「妻子を抱えて喰うために働かざるを得ない」、といわれるような位置から、なすべき事の優先順位をつけざるを得なくなった。国鉄詩人連盟についてその歴史的な位置を明らかにしたい、せめてその記録をきちんと整理しておきたいという思いは依然としてあるにせよ、もはやそれに時間を割く事が本当にできるのか分からない。だが、六十年近く前の古びた紙の機関誌の文字と、打ち続く訃報との間での言葉にならない思いが、静謐な安らぎをもたらすのもまた事実ではある

 

国鉄詩人 241号 2006.10.29

■十六年間続いてきた住民運動(近くの鉄道の騒音・振動問題)の全記録をまとめたCD―ROMがやっと完成し、交渉相手や、地元の小中学校にも送付した。色々なことがあったなと思う。終点の駅前には新しい街が開け、何人かの会員は亡くなった。運動の代表を引き受けてから多くのことを学んだ。恥ずかしくない言葉、どのような反論にも耐えられる論理、それを渇望してきた。それはあらゆる批評を繰り込む自覚性をいかに現実化するかという課題でもあった。このような記録集を作ったのは、歴史の中に、この地域にはこのような運動があったと刻み込むこと、と同時に「自らを歴史化」するためだった。「歴史の中にいる自分たち」、「言葉」は常にそのような自覚性でありたいと思う。

 

国鉄詩人通信 224号 2006.9.1

■編集後記■ 今号は「詩人会議」に掲載された国鉄詩人連盟関係の記事紹介だけになってしまいました。しかもこれらの情報はすべて、前任の編集者、倉田悦郎氏からの連絡によるものでした。編集者のアンテナが低いため会員の状況を伝える機能をこの通信が果たせていないのが心残りです。六十周年記念会には膨大な量の展示品が寄せられていたのですが、こちらの準備ができておらず、そのリストすらも作成できずに終わってしまいました。内心忸怩たるものがあります。

 

国鉄詩人 240号 2006.07.03

■妊娠した妻は数センチ程の胎児のエコー画像のビデオを持ち帰って来る。今時の産科では普通のサービスなのだろう。手足をばたばたさせていたとか、今日はよく寝ていたとか言って喜んでいる。これからの子供はこうして生まれる前からの「自己」の映像を組み込んで「自己意識」を構成しなくてはならないわけだ。しかし思えば、私たちが使用している言葉も、「私」が生まれる以前からのものであり、また「私」を超えて展開していくものである。「自己」や「私」という、歴史的に形成されたにすぎない概念を解体していくのに、未来の子供たちは優位性を持っているのかも知れない。

 

国鉄詩人通信 223号 2006.3.15

■編集後記■六十年という歳月は、人の一生のサイクル(世代の交代)というものにも見合っているのだろうか。濱口國雄氏に限らず、国鉄詩人連盟の存在自体に、否が応でも戦争という体験が関わっていたように思う。あの戦争を経てきた人々だったからこそ詩人連盟が成立した…? だとすればその経験が無くなった後にも「詩人連盟」が残せるものは、その経験・作品から普遍的なものを構成していく、後に続く者にかかる

 

国鉄詩人 239号 2006.03.05

■再就職した会社も三ヶ月が過ぎた。国鉄から始めて五つめの職場になる。長く同じ企業の中に居続けるということは決して楽な事ではなく、じっとしているように見えてその実いくつもの困難を乗り越えてのことなので、そのような人にしか持てない技量というものがある。一方いくつもの職を経てきた人にもそのような人にしか持てない見方や力量がある。しかしいずれにせよ、個人の経験には限りがあり、常に自らを相対化できる視点が無ければ、「井の中の蛙」なのかもしれない。解雇や差別、様々な理不尽を地域労組に相談に来る人々と話しながら、いかにして自らを普遍的な思考の上に構成できるか、考えている。

 

国鉄詩人通信 222号 2006.1.1

■編集後記■ 国会図書館に寄贈のため会員からお預かりしている「国鉄詩人」は次号までには寄贈の報告ができるようにしたい。また、国会図書館収蔵の会員詩集一覧の改訂も、次号 には必ず…。■五十歳を越えた求職活動(年収300万円台)の過程と新たな職場の現状に改めて「賃金制度・支配・服従・家族・屈辱・抵抗」などということについて考えさせられた。世の中の変化は遅すぎるし、論理的に混乱した言葉が電波と印刷を通して、日々の仕事に疲労した人々の時間を占有しようとしている。が、この現状から立ち上がるしかない。安逸を失うことは、闘いの条件になるのだと、吹きさらしの中で自らの身体を確認することにしよう。いくつになっても人生の総括などできないと思い定めて、諸先輩の足跡も辿ってみたい。

 

国鉄詩人 238号 2005.11.06

■新しく「親族」になった人の繋累の法事で庄内平野を初めて訪れた。子供の頃から夏休みに「いなか」へ帰省する友人の話など聞いてうらやましく思っていたが、狭い日本とはいえ、別の地域で暮らす人々の生活に観光でも取材でもなく、直接関係することは新鮮な経験だった。標準語で均一化されたたとえば「日本人」というイメージから、話される言葉自体がすでにほとんど理解しがたい異質性や固有性を内包する「私たち」という感覚への覚醒は一番大きな収穫だった。

 

国鉄詩人通信 221号 2005.9.1

■編集後記■ 219号の拙稿、「歴史と『書かれたもの』」の中で、GHQの検閲について「私は初めて聞いた」と書いたが、今号の稲葉論文が指摘の通り、「論争集・詩の革命をめざして」一九八四年・飯塚書店の中で、岡氏が既にお書きになっていた。不勉強を恥じます。■遠藤恒吉氏やゆき・ゆきえ氏から国会図書館に寄贈を託された『国鉄詩人』や『詩生活』のバックナンバーは全ページをスキャンしてから寄贈と考えてきたが、些事にかまけている。今しばらくお待ちいただきたい。■前号掲載の国会図書館収蔵個人詩集一覧は「国鉄詩人」をキーワードにした検索を基に作成したため、R・Pシリーズと関係なく詩集を発行されていた会員、たとえば小野菊恵氏、田村昌由氏の詩集が欠けているなど、致命的な欠陥を持っていた。今後、会員名簿を基に再度検索し、より信頼性のある一覧表を作成したい。また、乾宏氏からは、蔵書の中で国鉄詩人に関係していたと思われる著者による詩集の一覧を頂いた。それらとも照合したい。■一九九六年発行の「国鉄詩人」二〇〇号記念号の口絵には今回の調査で未発見の「国鉄詩人」創刊号や「詩生活」三号が掲載されている。私の作業は一〇年遅かったという思いを消せない。次期大会までと時間を区切って、やれるところまでやってみたい。

国鉄詩人 237号 2005.06.29

■昨年7月からの1年間の長期休暇(失業とも言う)に終止符を打ち、当初の計画と異なり、フルタイムで働き始めることにした。今後は、年初までは思いも掛けなかったことだが、「人生何が起こるか分からない」等と言いながら強引に飛び込んできた若いパートナーと共に突き進むことになる。
六十年前に書かれたものを読む時間とそれを書いた方々の今に接する時間、また未来の時間が一つに含まれる視野は、多様な生き方を抱擁する静寂に満ちている。

 

国鉄詩人通信 220号 2005.3.14

■編集後記■ 詩人連盟の会計と通信の編集を引き受けてから間もなく十ヶ月になる。通信も三号目の発行になった。それまで「国鉄詩人連盟が存続する限り会費は払うから事務などの一切の仕事は見逃して欲しい」と言い続けてきた。思えば連盟に入会したときから今日まで「若手?」と言われ続けてきたように感じる。分割民営化の時、自分なりに精一杯闘ったが、ある意味で敗北の責任をとった形で国鉄を去ってから、もう十八年だ。清算事業団、国立大学事務員、失業者、ビルの設備管理員、そして今再び五十歳からの失業者というのが私である。
詩に夢中になれない、言葉の生成に至る存在の重みのような水準でしか作品を評価できない、という状況でありながら、私が詩人連盟に関係し続けているとすれば、ひとえに、国鉄という職場に共にいたという事実を、事実以上の何事かとして意味づけたいからなのだろう。外堀を埋められるような形であれ、この仕事を引き受けたのは、そうした曖昧な状況に決着をつける機会を与えられたのだ、と読み替えてみたからである。
すべての詩人連盟の作品を読んだ時、そこになにが見えてくるだろうか?、試みる価値はある、そう鼓舞して国会図書館に通い出したが、すでにすべての作品を読むことはできないのが現実であったようだ。できる限りのことしかできない、というのは何事でも原則だが、他にもっとやるべきことがある、という思いを打ち消すところまで行けるのかどうか、いよいよ正念場を迎えてしまった。

 

国鉄詩人 236号 2005.03.01

■派遣・有期雇用といった非正規雇用労働者の比率が増え続けている。日本において非正規労働者であるということ、それは、日々の自らの生活が、雇用期限、すなわち他者の意志によって切り刻まれ、「人生」を連続的なものとして構想できず刹那的にしか考えられなくなるということだ。経済的に子供など持てない若い人が多い。コミュニティユニオンで派遣、有期雇用、中小零細企業の労働者の相談に接する一人の失業者として、国鉄やJRが牧歌的にすら見えてくる。「詩」の深さがそれらに対抗していることを渇望する。

 

国鉄詩人 235号  2004.12.22

■国鉄詩人連盟というのは何だったのだろうか、そんなことを考える作業を始めたい、などと大きなことを言って事務局の片隅に加わってから半年。仕事を辞めてからも、ビルメンテンス労働者のための個人加盟労組の立ち上げが大きな位置を占め、詩人連盟について考える時間はほとんど取ってこなかった。
その一事をもっても、私の詩人連盟への愛着や会員との関係は、その「最盛期」を経てきた諸先輩に比べたら全く質が違うといわざるを得ないと感じ、その変化について考える課題も堆積し、いよいよ追いつめられる思いだ。

 

国鉄詩人通信 219号 2004.12.20

■編集後記■ 編集者自らの長大な文章を掲載するという、掟破りをしてしまった。しかし、どうしても今、通信に書いておきたかった。敗戦直後の新聞や「国鉄詩人」を読みながら、それぞれの方の「人生」!というような思いに胸が詰まるのを抑えられなかった。もはや『国鉄詩人連盟』の終わり方の議論が不可避だとすれば、歴史の中にきちんと位置づけることが私なりの感謝だ。

 

国鉄詩人通信 218号 2004.9.1

        お知らせ
■「国鉄詩人通信」のリニューアルについて
*会計と同時に「国鉄詩人通信」の編集も引き受けることになりました。よろしくお願いします。
*かねてから要望がありましたので、詩人通信の版型を「国鉄詩人」と同じA5判に変更しました。
*また、今号から、コピーでなく、簡易印刷で作成することにしました。コストの安さが魅力です。この用紙ですと、200部作成で、4ページ(A4判1枚)あたり、1200円未満で済みます。もちろん印刷の仕上がりはとてもプロの仕事にはかなわず、テキストファイルを書式に流し込んだだけのことで、読みやすさにも難がありますが、ご容赦願います。
*その結果、これまで「国鉄詩人通信」では不可能だった、詩誌以外に掲載した会員の文章の転載、なども可能になりました。そのような原稿がありましたらぜひお寄せください。また、会員の活動、近況は、詩人通信編集担当にもぜひお知らせください。
原稿をお寄せいただく時、、編集作業効率化のために、@もし、、ワープロ、パソコンで作成されたものなら、電磁ファイルを、A印刷されたものがあるならばそのコピーを、頂ければ幸いです。締め切りは特にありません。


国鉄詩人 234号  2004.07.08

■五〇歳になった今年、六年続けたビルの設備管理員を七月半ばで退職した。いくら仕事が楽しいからといって、このまま夢中になっていたら人生に悔いが残る、などとうそぶき、職場の周囲を困惑させた。
そのせいか、ずっと逃げ回ってきた事務局の仕事をとうとう引受けざるを得なくなった。「先のこと」など考えず当面のことだけを考えよ、という先輩の言葉は、くよくよ先のことを考えて自滅してしまうパターンに陥りがちな私には、また詩人連盟からの贈り物であったかもしれない。会計と、校正の手伝いにすぎないが、国鉄詩人連盟という歴史的な出来事の意味を深く考えてみたい。

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