未来への投錨

                  
〈だれも君の言葉など留めはしない〉
〈いったい、いつ、だれに君の言葉が届くというのか〉
そのようにして、内からも外からも波は押し寄せる
それでも
ことばは未来に向かって全力で投げかける
〈未来〉にはすべての死んだ者たちが住まい
〈未来〉にはまだ地上に現れぬすべての者たちが待っているから
 
死者達はもはや「・・・しなければならない」日常の歯車の
向こうで生きているから、直接今ここで、〈魂〉について語り出す
まだ生まれぬ者は、まだ整形されたことばの形をしていないから
あまりにも時代の用語から遠く離れた思いにも応答する
 
〈どうか、わたしたちの人生を勝手に決めないで下さい〉
目前にいる会場の大勢に届くかどうかわからないその言葉を、凛として天に向かって響かせる母獣の叫びを、傍観者たちは、悲痛だといい、詠嘆の記事さえ書いてみせるかもしれない。だがその記事は、〈不可能なことを望む者たちの悲哀〉という、彼らがお気に入りの叙情的構図への自己愛だから、同情は圧殺の別名なのであった。
 
正義など この世のどこにあるのかと 人は言う。
 十三年前に差別した者が、俺たちに責任がないことをおまえ達が認めたら話し合おう、と、差別された者に言っている。
卑屈に生きた者はよい賃金と良い年金を得、卑屈さを拒否した者には苦難が配給される、それが所詮世の中なのだと装飾語で飾られた「政治的解決」が言う。 〈君たちは被支配者だ〉
 それでよいのか?
 五十年以上も昔、自由を叫んだ者たちは監獄に囚われたが、その監獄自体が誤りであって毅然として世の中の誤りを正そうとした君たちこそが勇者であった、などとは一度も政府から言われることもなく、彼らは次々と年老い死んでいく。補償と名誉回復が達成されなかった彼らの義憤は、彼らを逮捕した者たちのその後の厚顔無恥な人生が、同時代人としての彼ら自身をも辱めるということにある。
〈闘いなど無かったのだ〉、そのような虚偽で歴史が閉ざされることに、彼らも、私も耐えられない。
 
雪が積もり始める晩秋に出奔し、雪解けの春の公園で死体となって発掘された失業者の男は、元鉄道員は、雪の中で何を夢見続けただろうか。
 
今夜再び、死者と、まだ生まれぬ者たちに向かって、ことばは語り始める。そして、今生きているすべての者も幾分か「死者」であり、また幾分か、「まだ生まれぬ者」なのである。


東鉄詩話会 「詩生活」  163号   2000年09月
国鉄詩人   219号  2000年12月 再録
受賞の言葉 2001年08月

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