冬空の下で

 
きょう 私は何をしたのか
黒い貨車に包まれた私たちの主食を北の操車場から運んできた
青いタンク車の灯油を凍てつく夜の行路で盆地の底の都市に運んでいった
私は長い貨物列車の検査をした
季節の風が吹きぬける平野で 点検ハンマーで黒い貨車をたたいた
さまざまな地域からさまざまな物がそこに集散したと標してあった
で それらは確かに物質なのだ
そして今目前に確かに見えている
なのに 私にはその<意味>がわからない
 植物の実を食べること それはわかる
 化石を燃やして暖まること それもわかる
それを運んでいるのだ と思う
夜の高架を走る貨物列車の最後の窓から見える高層の住居 その
色とりどりのカーテンを透してこぼれる光のひとつひとつを
私のささやかな むねはふさぐことができない
あふれた思いは 人々のところへ広がろうとする
私の運ぶことが人々の団らんの食卓と温もりになることを
祈るように私は願う
 
それはおそらく 正しいのだ
しかし なぜ 私が 今
それを運ぶのか なぜそれを このやりかたで
やっているのか
わからない
私の運ぶものの最終的な行先は具体的な人であるはずなのに
一粒の米が食まれるのは肉体をもつ歯でなければならないし
一リットルの灯油が燃えたとき
暖めることができるのは抽象の空間ではなく
柱と壁にかこまれた その場所であるはずなのに
 奇妙なことに
私の労働は漠然としたむねのむこうにいつもつぶやいている
私の労働がささえ
彼らの労働が私をささえているその人々は
彼岸の約束のように肉体をもたず影しかない
もっとよく見ようと身を乗り出しても
自分ということしか出てこない
街でゆきあい満員電車で体をおしつけられる 人々は
私のそして互いの生活をささえているはずなのに
弾け合う肉体しか持っていない
という確実さしか響かない
 これは不思議なことではないか
私は確かに何かを運んだはずだった
それは確かにそこに存在し
ハンマーで横腹をたたけば四十三トンの鈍い音もした
それなのに 私たちの労働はこの地上のどこにも着地できない
霧散し どんよりとした上空になってしまう
そして 他人の労働はやはりぼんやりした上空から
突然
 物体を目前に出現させてくれる 自然だと思っている
私たちは心の何かを沈殿させたまま
幻想の中でしか出合えない
私は今日私たちの主食と灯油を運んだ
私はその私の衣服を作った労働のことを考える
その人々が使った機械を作った人々のことを考える
私の乗る貨車を作った人々の口ずさむ歌のことを考える
その人々の食料を作った人々が行来する道路を作る労働を考える
物を作り幻想を創った
私はすべての労働が連鎖し 円環し
唯一の私たちの生活の今を作っていることを知る
 だが
この世界で出合う肉体はバラバラであり
一個の個体と一個の個体の区別としてしか出会わない
 たぶん それが一九七六年のこの地域の生産様式ということだ
人々は切りはなせない労働で《今》を再生産しているのに
ひとりびとりは区切られた胸の凄惨にちっそくしかけている
《現実》と呼ばれる定められた生活の
 その定められているということが苛ら立ちなのだ
わたしたちは様々な恣意が管理する労働で区切られ
その中の一構成としてしか肉体を動かせない
だから労働の時間は最良で無色
悪ければ暗黒であるというわけらしい
だれかの恣意で私の労働は規定されている
私たちは自覚的なあるいは無自覚的な管理する思想と
その管理されていることを感じさせないための管理
の思想と
要するに管理するという思考の 本質といつも対峙させられている
国民 公共の福祉 世論 権利 義務 法律 社会的責任 等々
〈個人〉ということ 自己意識ということで
私たちの心はほとんど存在の臨界に達してしまう
が 私は権利も義務も公共の福祉も国民もそれらすべてを拒絶する
それらすべてを概念の博物館にほうりこみたい
私は私の労働が私の友人や家族や私の恋人や
すべての人の生活をささえていることを実感したい
私は私の友人や恋人やすべての人の労働が
私をささえていることを実感したい
私がきょう運んだのは
貨車に積まれた決して手でつかめない未来だった
私は手でつかめる未来を運ぶ現実になりたい
労働の軽減とは物理的作業量の減少ではなく
ただこの一点にかかっているのだ
私はすべての たとえ<自由>という名であろうと
人々をその構成の一要素に閉じ込める思想の
ひとつひとつの拒絶になりたい
音もなく眠ることも
手や足の無い身体も すべて
それだけで已にひとつの生産(かち)ということなのだ と
私はそう言って遣りたい
それが死んだ父や
倒れていった戦士
過ぎてきたさまざまな面影が刻印していった
私なのだから
 
 
「国鉄文化」  1977年

詩の目次に戻る