おまえが東京を去る日
俺は雨の中を歩く
いくたびこの操車場へ来たか
またいくたびここへ来るか
ぬれてひかる鉄の分岐をわたる
制度が運んだ別れ
《今ごろ おまえは列車に乗っている》
しかし、
<過去>と定められたことを
俺は否認する<現在>だ。
動く入換機関車が遠い
青い合図燈がゆれる
水に溺れた操車場は
制服の内側にしずむ 海?
耳鳴りのように文字を生む 歩み
‥‥俺は信ずる
<過去>と呼ばれているのは、
ほんとうは 理解という<現在時>だ。
<事実>というのは、
ほんとうは 自己循環した<理解>を指すだけだ。
だから俺は信ずる、
人は それらの彼岸、
<事実>でもない、<ことば>でもない、
<身体>でもない、何ものか
それによってこそ 俺たちは出合えるのだ、
と‥‥
行かなければならない
倫理と自己慰撫を越えて
行かなければならない
おまえの軌道を
だれが?
おまえが? 俺が?
ありふれた
倫理の極限にぶら下がった縊死
甘美な自己慰撫につつまれた老衰
否≠ニいいつづけてくれ
その海を 渡ってくれ
「明日からの君の『存在』は
『労働者』の『存在』と敵対することになりますな」
という言い方は嘘だ!
『意識はまだ意識自身について
正しい了解はできていない』
『人類はまだ
自己循環的な論理矛盾に住む
未明の段階なのである 』
自明の倫理、苦悩や絶望でできあがった
<制度>の海原を裏返していくと
そこにあらわれるのは
水に包まれた大空 胸をもつ海面
> すべてをだきしめる胸 <
そこでは
人は ただ
そっとさしだす 祈りににた
心のうねりによってだけ すべての人と
よりそうことができる実在
静まりきらない
おまえの面影が
まだ雨滴にみちた灰色の空にただよう。
もし、
おまえが苦しみを感じたら
そこに俺を信じてくれ
もし、
<おまえ>でも<俺>でもない
ひとつの<我我>が信じられたら
その時
俺たちの戦いの勝利を
信じてくれ
「詩生活」132号 1980年4月 初出