国労文化 1980年5.・6月合併号

行き生きした運動を職場からつくろう ― 1980/2/26-27 第4回職場活動家交流集会の記録 

 第三テーマ アメとムチの統一的把握を

 第三テーマは、「労務監査および新しいマル生など労務管理全般について」だった。これについては、第一日目の各ブロック代表の問題提起の中で報告された、会津若松駅の実態と闘いが参加者に大きな衝撃を与えていた。業務命令の連発など徹底した力の攻撃だという報告に対し、「今時ほんとうだろうか」という声さえもあがっていたどである。その点をふまえ、私は、会津若松駅分会書記長の菊地氏が参加した第一二分散会に加えてもらうことにした。

 第一二分散会は、座長、本部側も含めて一三名、畳部屋で座卓をかこむ落着いた雰囲気だった。九名の職場活動家のうち、六名が青年部員、残りの人も三〇代前半という若々しい構成である。

 

慣行・無視の実相

 自己紹介の後、討議は会津若松駅の報告から始まった。
  それによれば情況は大略次のようである。

 昨年八月、会津若松駅で増結作業をしたディーゼル急行「いいで」上野行が途中で列車分離を起した。当局は、当日管理者が連結担当をしていたことなどをあげ、「事故の原因は会津若松駅の勤務の乱れにある」として操車担当の組合員に処分を通告すると共に、「勤務の乱れ」を是正すると称し、本社・局・運輸長室・駅当局一体の労務監査を行ない、一八項目の文書指導を出してきた。それまでは、労使関係はコ定程度のなれあい」であり、年休なども口頭申請、呼び出しに応じない場合も管理者対応、現協においても勤務間合の傍聴を黙認し常に一五〜二〇名ほどの傍聴者がいたという。また突発的臨時作業についても組合に説明した後、作業指示をするという、一九七三(昭四八)年からの現協確認に従ってやってきていた。

 文書指導はそれらのすべてを反古にする内容で、交渉決裂後、当局は一方的に実施してきている。そのことをめぐって今激しい闘いが行なわれている。

 たとえば臨時作業を指示された者が、いままで通り組合への説明をしてからにしてくれと言うと、「説明する考えはない、好きなようにしろ、そのかわり覚悟していろ、業務命令だ」とおどす。「臨時作業について、組合がこれはいいあれはだめだというのは管理運営事項への口出しだ、組合は関係ない」と言い、作業間合もなくなる状態になるほど業務命令を濫発してくる。列車遅延の場合、休憩時間に食い込めば、その分を全く別の時問帯にあてはめようとし、「それを認めなければ(その作業をしなければ)列車は何分でも遅らす」と言って恫喝する。「作業間合(手待ち時間)に食事準備はさせない、四五分の食事時間内に準備せよ」といって詰所待機の業命、等々。

 業命拒否は現在六二件に上っている。

 しかし、このような厳しい中にもかかわらず、七名の組織復帰者を獲得し、現在国労一〇二名、鉄労七八名となっている。分会員は青年部員が約三〇名、四〇歳以上が約六〇名で、組織を大事にするため月一回の高齢者集会(五〇歳以上三五名ほど)学習会、他に全体集会を開いて来ている。業務命令という力での対抗にとまどう面があるのも確かだが、反面、結東は高まっている……。

 ここで注意しておかなければならないのは、業命と業命拒否といった一見はでな事実関係だけに目を奪われてはならないということだ。当局の職場慣行をめぐっての攻撃は、五五・一〇や、めちゃくちゃな民託化など「三五万人体制」をめざす合理化攻撃と全く歩調を合わせたものであり、今まさに始まっているどちらもゆずれないその闘いの現象面として、業命や業命拒否がおきているわけだ。

 次に、東京新幹線第一運転所の千葉氏からは、東北・上越がらみで大量の運転士・検査係の登用が予定され、その補充として職場移動の強制が行なわれているとの報告があった。

 従来二年間は基礎的な作業の職場にいなければ、より高度な技術力を必要とする他へは移動させないという貫行があったにもかかわらず、未熟な検修係を移動させようとし、しかも最初は特例だといって六項目の文書確認もしたが、三ヵ月もしないうちに再び同じ問題をおこした。組合の追及に対し、権利・慣行などは、「現実の職場が回らなくなれば無視するのもやむをえない」移動しなければ、「検査の人が学園に入れないが、それでもいいのか、皆さんと同じ仲間でしょう」などとうそぶき、このままでいって「運休が出てもいいんですか」というおどしの前に、ついに一定の確認のもとに妥協せざるを得なかった(東京地本青年部ニュースから要約)――という闘いについての報告である。

 

「アメ」労働組合の空洞化

これら会津若松のような部分を、「アメとムチ」の「ムチ」の政策だとすれば一方には、現在こちらの方が圧倒的だと思われる「アメ」の部分がある。

ほとんどの職場が報告の中で、当局は頭を低くして組合に対応しており、アメをしゃぶらされている、会津若松とくらべてその差におどろいた、実感がわかない、ということを述べていた。しかし、もちろん同時に、そのような「アメをしゃぶらされている」職場において当局がどういう対応をしてくるかについても、きちんと報告されている。そこからは当局の共通した対応のパターンがうかびあがってくる。それは次のような、いわば、組合の空洞化策とでもいうべき方法であり、けして「アメ」などといってはいられないものである。

○ 傍聴者を多く入れるため現協会場の変更を求めたらそれを認める。しかし交渉に入ると肝心なところは現場の権限外といって逃げ回る。
○ 現協委員を飲酒にさそおうとする。
○ 形式的に、現協をやってさえすればいいのだ、という考えが感じられる。
○ 何でも組合に言ってくるが、現場に行くと『組合サンも了解しているのでお願いします』といって組合役員を逆に利用しようとする。
○ 中闇職をうまく利用し、直接管理者に攻撃がこないようにする。
○ おまえが出なければ下の人があがれないのだといって管理者試験を勧める。
○ ビラ・カンバンについて高圧的になってきている。 等々である。

 また地本レベルからみた様子について北陸地本からは、「地本―局間では頭を下げてニコニコするが、一ケ所ニケ所の分会で、チョッカイをかけるような形で、現協確認無視や不当労働行為に似たものが行なわれ、問題が大きくなると局が地本へあやまりにきて、『申しわけない、うちの現場長が……』というようなパターンが、最近ボツボツ生まれている。また、局長が現場を回って現場長を激励し、局長が来るから大そうじをしようと呼びかけたりする。仙台とやり方はちがうが、かなり警戒しなければならない。いろいろ計画を組んでいるようだ」という報告があった。

団結を内側から崩す攻撃

 討議は二重の問題意識で整理できるように思う。ひとつは会津若松のような「ムチ」の攻勢と、「アメ」といわれる懐柔策とを、どういう視点から同一視野に入れて理解していくのかということ。いいかえれば当局の攻撃の質についての理解のしかたの問題、もうひとつはそれと表裏である、我々の側の質、どう反撃していくのかという問題、である。

 労務監査の問題に限っていえば、「本部なり地本で妥結した内容について、我分会では、それ以上のものを現場でかちとれるといい、その方向で運動した場合に、それに対する指導はどうなっているのか、またそこで当局に付け入れられる要素があるのではないか」(札幌地本・堀川氏)、「こういう闘いこそ皆に広め無ければいけないのに、労務監査を受けた職場は他の職場にあまり内容を明らかにしてくれない傾向があるのでなないか」(成田車掌区・柳堀氏)という指摘は、実践的な課題としては、結論に近いたいへん重要な意味をもっていると思う。

 当局は労務監査攻撃をその職場の勤務状況に対して行なっただけで、合理化問題や他職場とは関係ないかのようにすりかえているが、実態は、勤務しめつけにより当局の支配を印象づけ、合理化前に一発カウンターパンチを入れることで、戦意喪失をねらう類のものだからだ。だからこそ全体で闘う必要があるのだ。

 最近の当局の動きについてどう見ていくべきかどいうことについては、当局対組合の総体的な鳥鰍図としてでなく、労務監査以外の所も含めて直接現場で感じられる圧力感が我々にとって何であるかという点から論じられたと思う。そこからみると、当局の攻撃は、国鉄労働組合を構成している各個人の心の段階で自壊(あきらめ、しかたないんだという気持)をおこさせること、すなわち、組合としての団結を内側から崩壊させ、砂粒のようにバラバラに分解させて無力な個人、個人にしてしまおうとしているのではないか、というのが参加者の共通した見方だった。「分会役員は殿様扱い、分会員に対しては組合も認めているのだといって高圧的になる」ことによって、私たちの中に内部矛盾を育てようとする。まるで「当局」と「組合役員」の両方から支配されているような気にさせる。労務監査後の攻撃では、特定の職場だけをねらうことで、「当局が堂々と攻撃してくるのは、当局だけでなく地本でも、その分会についてはみだし(・・・・)だと考えているからではないか、だから当局も安心して弾圧してくるのではないか、という声」など、上部に対する不信と孤立感を高めさせ運動を内側からくずす。活動家の行動をよくチェックしていて、交通事故、遅刻など、個人的なことを理由にたたいてくる。個人の素行の問題にすりかえることによって、その処分に対し組合として全体で反撃できないようにしていく。

 そして、そういった分断の具体的な攻撃は、国鉄経営の「赤字」「多すぎる国鉄職員」論、「スト迷惑」論、「親方日の丸」論、等の攻撃が具体的な職場に現われるときの姿であり、だからこそ、労務監査や第ニマル生問題が、「思想闘争」(本部・五十嵐氏)なのである。「現協において、『上申はするけれど現場に権限はない』といって軽く受け流され、また組合の方も、駅長ではしかたないと思ってしまっていたり、『要員問題ではいつも局へ行っています』というような、ことばでごまかされているのではないか。金のかかることは承諾しないし、現協要求がどれだけ前進しているかという点からみれば、問題は多いのに、なんとなくうまくいっていると思ってしまっているのではないか。要員事情たいへんだなあ、と共に考えてしまうような、情勢を見すぎてしまう傾向、三五万体制に赤字だし、しようがない、という雰囲気がただよっているのではないか、何かそのへんでおさまっているのではないか」(北陸地本・大西氏)という指摘は、思想闘争であることの事情をよく示していると思う。職場での分断を排除することと、思想的な赤字攻撃や親方日の丸論を論破することとは、ひとつのことの両側面なのだ。

思想闘争――職員意識の克服

 私たちは今、私たち自身について語られるマス・コミの膨大な宣伝の海の中にいる。その中で私たちはいささか「親方日の丸論」や「赤字論」にならされすぎてしまったのではないか。そして自分の頭で考えることを忘れ、テレビ会社や新聞会社のいう通りのせりふで自分自身について了解し始めてしまっているのではないか。それが、「情勢を見すぎてしまう(・・・・・・・)」ということの意味だし、またその「情勢」とは、自分で考え理解したものではなく、巨大な資本力で「情報」を握っているこの社会の支配者たちが朝から晩まで押しつけてくる彼らの理解、彼らの「ことば」にすぎないのではないか。

 しかし、現在の社会体制を前提にした限りでの、「このままでは破局だ」という宣伝に繰り込まれて、自分たちもガマンしなけりゃ、と、頭は思つたとしても、体のほうは、「こんな状況で、自分の生活はどうなってしまうのだ」と、抗議するだろう。その感性的な抵抗に自覚的なことばを与え語り出すこと、「おまえたちは親方日の丸で気楽なもんだ」といわれて、うしろめたさや自嘲を感じるのではなく、ほんとうにそうなのかどうか、新聞や週刊誌にあふれていることばでではなく、自分の目で自分のことばで自分の足もとをみること(私たちの職場は、ほんとうは、もはや合理化・下請化でめちゃくちゃな状況ではないのか)、それが思想闘争ではないだろうか。

 当局は国鉄内部の力だけでなく「世論」「マス・コミ」「法律」など総動員して(すなわち「国鉄当局」としてなどではなく、資本側総体の意志として)私たちを「国鉄職員意識」にとじこめることにより、内部での圧殺をねらっている。それなのに私たちは、「私たち」というとき、依然として現在の国労、あるいは国鉄職員の範囲しか思いうかべていない、また、それは、国鉄という企業と一対になった意識でしかないのではないか。だからこそ、赤字攻撃や親方日の丸攻撃には首をすくめてしまい、なんとなくまきこまれてしまい、国鉄新聞の上ではともかく、各個人の心の中では有効な反撃ができないのではないか。

 私たちは「仕事がヒマで」こんな気楽なところは「民間には無い」などという「私たち」意識、そのような国鉄職員意識から脱皮しなければならない。それは、下請化によって、同じ職場の中で一方には劣悪な労働条件を押しつけ、一方には相対的に楽な仕事を与えて無気力症にさせる、という分裂の攻撃を受けているひとつの「私たち」、すなわち本工と下請を両方含んだ「労働者」としての「私たち」という意識に変革しなければならないのではないか。そういったことが思想闘争なのではないか。

 私たちが、たとえば、子供を幼稚園にやるために明番でバイトして日銭をかせぐような生活をしながら、「世間一般」より恵まれているのだ、「民間」ではとてもこんなことやっていられない、などと奇妙な自嘲を感じているようなことでは、そこに付け入れられて、具体的な戦いの中でもずるずると後退し、結局職場は一人ひとりがバラバラにされ、組合は骨抜きにされ、実に寒々とした光景しか残らないだろう。

アメとムチ――メダルの裏表

 私には、討論の傾向が、現在の現場における当局側の動きの報告やこれからの予測という水準にすこし片寄りすぎてしまったように思えた。「当局は、アメかムチかどちらでくるのか」「当局のマル生以降の労務管理はアメであって、力で押してくるのはないと思っていたが……」「基本的にはアメで、とびだしてきたらいつでもやるというのではないか」これらは、当局の攻撃がどういう戦術でやられてくるかについての論議ということになると思う。しかし、当局にとっては、彼らの施策を通すということだけが至上命令であるから、懐柔によってであれ力の対決であれ、それが通ればいいのである。問題は、「アメかムチか」というのではなく、当局の本質、あるいはその戦略的意図とどう闘うかだと思う。当局の意図ははっきりしている、戦えない労組と国鉄の「三五万人体制」を一度に作ることである。

 私たちは、会津若松のようなところは当局の攻撃が来ている所、他の多くは攻撃がまだ来ていない所、というように考えていたかもしれないが、今や、全職場に当局側の「三五万人体制組合つぶしの強い攻撃が、すでにかけられており、一見正反対にみえる「アメ」と「ムチ」は当局側のきめ細かな戦術対応の表れにすぎないというふうに、「攻撃」概念を変えなければならないのではないか。

 会津若松などの例は、当局が「絶対にこれを通すのだ」と思って攻撃し、またそれに対し絶対にゆずれないといってつっぱれば、今ある「うまくいっなど一変させてしまうことを教えている。ということは、「三五万人体制のためには切りすて、外注化、労働強化によって要員をうかそうとするだろうから、それに対しこれはゆずれないと強く反対していけば、会津若松のような問題もこれから発生してくるのではないか」(札幌地本・掘川氏)ということになる。もし強く反対しなければ、当局の施策があっさり通ってしまうだけだ。

 現在「アメ」といわれている職場にとっては、会津若松の経験は当局の本質というものを目にみえる形にしてくれ、自分たちの「うまくいっている」状態が、いかに薄氷の上の「平安」にすぎないかを知るよい機会になるだろう。またそのような理解をしていくことが、直接闘いをしている分会に対する、目にみえない連帯と支援になるだろうと思う。

管理者とは一体何なのか

 最後に、会津若松で、突発的な臨時作業については組合に説明してから指示するという確認を厳格に実施し、他の面からも管理者対応が多かったことをめぐっての論議を紹介したい。

 これは、なぜ会津若松がねらわれたかという話になったとき、東北新幹線や五五・一〇ダイヤ「改正」合理化への前哨戦という意味付とは別に、当局側の言い分として、「管理者対応が多すぎる、管理者も疲れている」ということをあげてきたという報告から始まった論議なのである。

 会津若松駅では、一九七三(昭和四八)年からこの確認があり、たとえば列車遅延などのうち、休憩時間にくいこむ変更についてはねつけてきたのである。第一二分散会出席の駅職場で突発作業について現場当局と明文化した確認を持っているのは、会津若松だけだったようである。他の駅では、「原則は休憩時間の変更を認めないが、拒否しきれない。事後、超勤手当で処理することもある」「闘いの時は、変更するなら作業ダイヤをもってこいと言っているが、日常的にはそうやっていない」ということである。さらに、「臨時作業は当局対応だけでいいのか、実績をつみあげて次の要員問題にぶつけていくべきではないのか」「突発作業に対し、実態として、作業ダイヤの提示、現協という段階はむりなのではないか」という声もだされた。

 私はこの辺のことについてもうすこし深く聞きたかったと思う。というのは、私の近くでも会津若松に似た問題が発生した時、まず私たちの耳にとびこんできたのは、『あの駅では年中助役が明番で残って、何か代務をやっている」「あれじゃ助役が泣きを入れるのもむりはない」というような話ばかりだったからだ(当局ではなく、組合員がこういう話をするのである)。たぶんここらは私たちのアキレス腱であり、また当局がそれを当て込んで攻撃を加えてくる地点でもあるのではないか。この論議の中でも、「団交上の態度にしても相手も人間だから、こちらを柔軟にして相手の攻撃に歯止めをかけ、それで逆に一歩前へ出ることもある」という意見もだされた。

 おそらくこの論議はどこまで行っても、どっちが正しいというような決着はつかないのではないかと思う。

 これらの当局への対応の違いは、論理の正誤による違いではなく、戦術的な相違であり、いわば臨機の兵法の問題にすぎないのではないか。だから、たとえ当局側の個人の人情をあてにしてあるいはこちら側の情で何歩かゆずったとしても、当局と私たちの関係の本質は全く変わることができない。作業に伴う命令と服従という関係は依然として持ち越されるだけである。その中における利害の対立は、私たち個人や、個人としての管理者が負うことのできる問題ではなく、資本主義というひとつの制度の負うべき問題だからだ。それを「人情」や「常識」や「良心」で解決することはできない。資本主義の下では、職場にあっては「管理者」という「制度」と「労働者」という「制度」としてしか人間は登場できないので、その制度間で、良心や人情などで互いに出合おうとしても、それは制度の中に「無化」されてしまい、原理的に不可能なのである。そのことに痛ましさを感じたとしても、それを本質的に解決できるのは、そのような制度の廃絶によってだけである。私たちが、自分が労働力を売って生きているということの本質的な苦しみや悲しみについて理解するならば、現実の、具体的場面での対応は、その時々のぎりぎりの判断にまかされてもいいような気がする。もちろん、「当局も人間だから……云々」という、戦術・兵法にすぎない言い方を、論理であるかのように錯覚しないならば。

 なお、会津若松駅の闘いについては、最終日の全体集会の中で仙台地本から、「仙台だけの特殊な問題ではなく、こういった問題は合理化の展開過程でその前哨戦として皆さんのところへも行くだろう。その意味で、八月の全国大会で会津若松の闘いが正しく総括され、さらに勝利の展望を生めるような闘い方を仙台地本としてもやっていきたい」という決意が表明され、満場の拍手をうけたことを記しておきたい。