雌狼の告白

 申し上げます。申し上げます。わたくしは魔女ではございませぬ。人狼でもございませぬ。哀れなただの女でございます。どうか信じてくださいませ。
 すべては夫の企んだことでございます。あのひとは恐ろしい人です。あのひとこそ狼です。いや、悪魔です。悪魔に魂を売ったのでございます。信じてください。本当のことでございます。嘘は申しません。だから、ああ、この指を締め付ける金具をはずしてくださいませ。(啜り泣き)

 わたくしがあのひとに嫁いだのは二年前のことでした。あのひとの家は、アプションの伯爵家でしたが、そのころには領地も手放し、屋敷の中のものもあらかた売り払って、残されたのは屋敷と爵位、そして気位だけでございました。わたくしの家は爵位こそございませんが、代々まっとうに耕作に汗を流し、だんだんと商売にも手を広げ、いつの間にか伯爵家の手放した領地をまるごと手に入れていました。亡くなった祖父も、父も、実直で人情にあつい人でございます。疑うなら誰でもよろしゅうございます、アプションの農夫に聞いてくださいませ。神をあがめ、貧乏人にはほどこしを忘れず、いつも微笑を絶やさない人でございます。わたくしも娘の身ながら、頼もしく思っていたのでございます。
 わたくしとあのひとの縁談が起こったとき、父は喜ぶよりむしろ当惑いたしました。平民の娘が貴族とまじわって見下されないだろうか、つまはじきにされて辛い思いをするのではないか、わたくしの身を案じてくださったのでございます。伯爵家のほうが乗り気で、辛い思いはさせない、ずっと愛し続ける、保証する、とかき口説くので、父もようやく愁眉を開き、それならば、とお答えになったのでございます。
 わたくしはそのとき、騙されていたのです。あのひとは外見は好男子で、口もうまく、剣の腕も立ち、実のある、頼りがいのある殿御だと騙されておりました。婚礼のときまではそう思っておりました。あのひとのお母上も、親戚も、わたくしを暖かく迎えてくれました。みな上機嫌でした。そうでしょうね。わたくしの持参金として、かつての領地の半ばと、数万フランがもたらされたのですから。
 あのひともはじめは優しく接してくれました。けれどそれは半年も続きませんでした。あのひとは恐ろしい女たらしだったのでございます。わたくしが気づいたころには、屋敷に帰るのは週に二日もありましたでしょうか。残りはすべて、町の酒場で、いかがわしい女たちと遊びほうけていたのです。貧乏暮らしからいきなり金が入って、あのひとは有頂天になってしまったのでございます。

 ああ、ああ、申し上げますから、指を締め付けるのは止めてくださいませ。(啜り泣き)そうです。ある日、わたくしがあのひとに、酒場通いはやめてください、と頼みました。あの人は怒り狂いました。ああ、ああ、その眼、悪魔の眼でした。あのひとは私を殴りつけました。気絶するほどに。その後でわたくしを介抱し、許してくれ、と謝りました。わたくしを愛しているからではございませぬ。わたくしが逃げ出すと、持参金を返せなどと言われるのではないか、それを心配したからでございます。謝るあのひとの、あの冷酷な眼を見たとき、それに気づいたのでございます。
 それからあのひとは、しばらく酒場通いをやめました。酒を呑むのはやめませんでした。屋敷で泥酔するまで呑み、わたくしを怒鳴りつけたのも二度や三度ではございません。でも、町の酒場での醜行が噂となり、父を心配させるくらいなら、わたくしはあのひとの振る舞いを耐えるほうがましでございます。
 そのうち妙な男が、屋敷を度々訪れるようになりました。ジャンという狩人でございます。そうです。わたくしを訴えたという、あの男でございます。たったひとりで山小屋に住み、鹿や猪を狩って暮らしておりますが、ときには山賊にもなる、という噂でございました。髭面で目つきも恐ろしいそんな男を屋敷に呼び寄せ、あのひとは酒を呑みながらふたりでひそひそと何やら話し合っているのでございました。わたくしはとても不安でした。けれどあのような恐ろしいことを企んでいるとは、うかつにもまったく気づかなかったのでございます。

 ああ、痛い。お願いでございますから、この金具をはずしてくださいませ。あの日、あのひとはいつになく上機嫌で、野原を散歩しないか、とわたくしを誘うのでございます。新婚以来のこの優しい言葉に、わたくしは嬉しくなりました。
 いい天気でございました。花は咲き乱れ、鳥があちこちで囀っておりました。しかしあのひとは、そんなものには目もくれず、ずんずんと進んでいくのでございました。わたくしはそのあとをついて行くしかありませんでした。
 森にさしかかった頃でしょうか。あのひとはとつぜん足を止め、振り向いたのでございます。ああ、あの眼。あの眼は忘れられません。地獄の業火でございます。わたくしをここで殺す気だと、そのときはっきり悟りました。
 あのひとはいきなり斬りかかってきました。わたくしに避けられようはずがございません。たちまち左腕を斬り落とされてしまいました。無我夢中でございました。茨に肌を裂かれるのもかまわず、ただ父の家をめがけて逃げ出しました。今にして思えば、あのひとはわざととどめを刺さず、わたくしを逃げるにまかせたのでございますね。
 つぎに気がついたときには、わたくしは父の家で、震えながらうずくまっておりました。父はたいそう驚き、傷の手当をするとともに、わたくしに問いかけたそうですが、泣き、怯えるだけだったそうでございます。そうしているうちに、貴方がたがわたくしを捕えにやって来たのでございます。

 繰り返し申し上げます。あのひととジャンの申し立ては嘘でございます。ふたりで狩りに行って狼に襲われ、やっとのことで左脚を斬って撃退した、などということは、つくりごとでございます。斬り落とした脚をよく見たら、いつの間にか女性の左腕になっていた、それがわたくしの腕だなんて、はは、面白い話でございますね。(泣く)ああ、狼になれるものならなりとうございます。狼になってあのひとの喉笛を食い破ってやりたい。けれど、わたくしは(啜り泣き)ただの女でございます。

 

 

 一五八八年、フランスのオーヴェルニュ地方アプション伯夫人アンナは、魔女の罪で夫伯爵に告発された。同女は上記の通り申し立てたが、受理されず、同年、異端審問官によって有罪を宣告された。罪状を頑として否定し、狼に変身して世間を騒がせたことをついに自白しなかったため、リオムで生きながら焼き殺された。(異端審問の法廷記録より)


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