クジラはほんまに利口なのか

 先日の駄文を書くために本を漁っていたら、ふと妙な事実に気づいてしまった。ひょっとすると周知の事実かもしれないが、あるいはまだ誰も気づいていない大いなる秘密かもしれない。
 クジラは言われているほど利口ではない、のではないか。

 イルカやクジラがたいへん頭がよいということは、よく知られている。
 捕鯨禁止論者がクジラを殺すことを禁止する論拠にも、「クジラの個体数が少ないから」、「捕鯨の必要性が薄れたから」「かわいいから」、などと並んで、「クジラの知能が高いから」という理由が、たしかあった。それに対する捕鯨論者の反論も、「じゃあ馬鹿な動物なら殺してもええんかい、ほんなら知的障害者は殺してもええ、ちゅうことになるんとちゃうかい」などというものはあっても、真正面から「いいえ、クジラは馬鹿です」と反論したものはいないと思う。したがって、「クジラは頭がいい」という認識を、ほぼすべての人が持っていると考えてさしつかえないかと思う。

 ところでイルカ、クジラと書いてはみたが、実はイルカとクジラは分類上区別があまりない。動物学上は、クジラもイルカもクジラ目に含まれる。クジラ目はまた、ハクジラ亜目とヒゲクジラ亜目に分かれる。歯があって大型の魚やイカなどを食べるのがハクジラ亜目、歯が髭に変化していて、小さな魚や甲殻類などを食べるのがヒゲクジラ亜目となる。ハクジラのうち、小型のものをイルカと一般には呼んでいる。ではヒゲクジラの小型のものは、というと、そんな奴はいない。ヒゲクジラはみんな巨大だ。つまりイルカは、ハクジラに属するのだ。よって以下の文章では、「クジラ」「ハクジラ」という言葉でイルカも含んでいるとご承知いただきたい。

 頭の良さ、などというものを数量的客観的に表わすのはけっこう面倒なことで、人類の中でさえもIQとかEQだとかミステリマガジンだとかさまざまな尺度があってそれぞれ批判されていたりする。ましてや異種の動物を比較するのだから大変だ。単純に脳の重さを比べるような乱暴なことでは話にならないし、かといってペーパーテストで採点するわけにもいかない。
 ごくごくおおまかな尺度として、脳化指数あるいは脳分化係数、というものがある。これは脳の重量を体重で補正した数値であり、ごく概算的な値ながら、例えば象と人類の脳重量を比較することができる。人類の脳化指数は0.89、象は0.22という数値として。
 これで比較すると、小型ハクジラ類の数値は0.64、大型ハクジラ類は0.21と、そんなに悪くない。チンパンジーは0.30という数値であり、つまりクジラは類人猿とほぼ互角、小型のものはチンパンジーより上、人類に次いで現生動物二位を誇るわけだ。
 ところが、そこで明示されている数値はハクジラ類のものばかりで、ヒゲクジラ類のものがない。なぜか、これまでクジラの知能というと、ハクジラばかり研究されてきたのだ。あるいは、ヒゲクジラの数値が意図的に隠蔽されているか。
 それはヒゲクジラの研究がやりにくいからだよ、と善良な読者は思われるかもしれない。確かにハクジラ、特にイルカのような小型の動物に比べ、どいつもこいつも十メートルを超えているヒゲクジラの脳容量を測定するのはたいへんなことだろう。しかし、研究者というものはデータを取るためには労を惜しまないものである。またどんな苦難にもくじけないものである。だいいち、なんのために調査捕鯨があるというのだ。あそこでさんざん獲っているミンククジラは、まごうことなきヒゲクジラである。

 考えてみれば思い当たるふしがある。
 クジラは海中でさまざまな音を発して会話を交わしている、というのは有名な話だが、ハクジラ類はこの音を別な用途にも利用している。高周波の音声を発し、跳ね返ってくる音波を分析して、海中にどのような物体が存在するか、それはどのような物質か、どのような大きさか、どのような速度で移動しているか、おどろくほど精密に知ることができる。これをエコーロケーション(反響定位)という。これがあるおかげでクジラは深海でも餌を探すことができるのだが、ヒゲクジラはこの機能を持っていない。おそらく、おおざっぱに海水を呑みこむ生活には精密な知覚が不要なため消失したものと思われる。
 海中、特に深海では眼でものを見ることが難しいため、クジラの目はあまりよくない。同じ理由で嗅覚もほとんどない。ということで、クジラはエコーロケーションがほとんど唯一の知覚といえる。ヒゲクジラはそれがないのだ。ヒゲクジラの唯一の知覚は、近い距離で仲間どうし交わす会話しかないのだ。これはかなり淋しい生活ではないか。
 さらにヒゲクジラは、ハクジラに比べてコミュニケーションがあまり緊密ではない。ホエールウォッチングでは、ザトウクジラやセミクジラが群れ集まっているのを見ることができるが、実はあれは繁殖期のみ集まっているのだ。ヒゲクジラは、繁殖期以外は単独で生活することが多い。イルカに代表されるようなハクジラ類が、永続するグループを作って常時緊密なコミュニケーションを保っているのに比べ、おおきな違いがある。

 感覚が鈍く、仲間づきあいもしない、となると、失礼ながら頭のほうはあまりよくないように思われる。外的刺激なしには知能は発達しない。こうして考えると、ヒゲクジラはハクジラに比べ、知能は低いと思わざるを得ないのだ。
 商業捕鯨を再開する、しないで現在揉めているミンククジラは、前述したようにヒゲクジラである。これが思われていたよりずっと頭が悪い、ということが明らかになったとしたら、論議は捕鯨再開に大きく傾くことが予想される。
 ひょっとすると、グリーンピースをはじめとする、捕鯨禁止論者の強い圧力で、ヒゲクジラの研究データは隠蔽されているのかもしれない。そうだとしたら、私のこの文章も見つかったらまずいことになるのかも……な、何者だ君たちは、勝手に人の家にはいt


 などとぶった切って終わる、よくある雑文のオチで、今回はお茶を濁させていただく。


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