史上最大の欠水

2月28日(日)
 アジアンホテルの朝食は最上階のビュッフェ。フォー、粥、フランスパン、ベーコン、卵、フルーツという、いつもの越洋折衷。
 ホテルはチェックアウトなんだが、荷物は預かってもらえるとのことで、トランクと貴重品をフロントに預ける。なにせ今日は小舟でメコン川を渡るので、転覆でもしてパスポートや航空券を落としたらどうにもならない。
 8時半にホテルのロビーに集合し、ホンセンホテルやリバーサイドホテルで客を拾いながら、バスでミトの町へと向かう。
 ホーチミンはさすがにハノイよりでかい街だなあ。ハノイより凄いケーブルだらけの電柱が、あちこちにある。

ホーチミンの朝 ホーチミンの電線

 よく整備された高速道路を1時間半ほど走るとミトの町。けっこう大きい町だ。
 とはいってもタオさんの話だと、大都会ホーチミンとの格差はやっぱりあるらしい。ホーチミンで働く人の平均給与が月給3万円なら、ミトは1万〜1万5千円。その代わり、ホーチミンで一戸建ての家が400万円だが、ミトなら200万円で買えるという。
 ミトの町にある船着き場からクルーズ船に乗りこむ。ここから中州にある島に渡り、そこで小舟に乗り換えて川下りをするらしい。

クルーズ地図

 メコン川はさすがに悠々たる大河。アジア南部の大河の例に漏れず、泥色をしている。
 日本人や西欧人の感覚からすると、長良川やライン川のような澄んだ川がお好みだろうが、一般のアジア人にとっては、こういう泥川こそが、栄養が豊富で魚がいっぱい獲れて農地にも養分をもたらしてくれる、ありがたい川なのだな。
 中国の川が公害で7色に変じてもあんまり中国人が動じないのは、そういう感覚が根本にあるからなのかもしれない。
 ときどき、やたらに背が低くて面積の広い、コンクリートの空母みたいな船が通る。タオさんに聞いたら、あれは浚渫船とのこと。メコン川に土砂が堆積して川が浅くなり、船の航行に支障をきたすので、ああやって常に底をさらっているのだとか。
 アンコールの水路もそうだけど、栄養たっぷりの土砂も、詰まると困りものになるってことだな。

船着き場 クルーズ船

 中州の島に上陸し、土産物屋がずらりと並ぶ細い道を通っていく。
 いまは季節外れだが、それでもマンゴーやコブミカンなどの果物が、ところどころに生えている。もうすぐ来る雨期になると、満開の果樹園となるらしい。
 最初に案内されたのは養蜂園。果樹園のさまざまな花の蜜を集めた蜜だけに、甘みが違うらしい。100ccくらいのペットボトルに入った蜂蜜が4ドル、ローヤルゼリーが20ドルくらいだったかな。
 そんな豊かな自然のなかでも、犬はやっぱり犬で、辛いなあ。

土産物屋 蜂蜜棚 養蜂園の犬

 養蜂園のわきで、サービスなのか、ニシキヘビを首に巻くサービスをやっている。
 私もやってもらったが、この写真は顔をあとでトリミングしたのではありません。ガイドのタオさんに撮ってもらったままのものです。タオさん、GJ。
 ちょっと自然が豊かすぎるのか、ニシキヘビがツチノコのように肥えていて、かなり重かった。

いい身体してるよなあ

 次に案内されたのはココナツキャンディ工房。
 この島で採れるココナッツをどろどろに溶かして煮詰め、ピーナツやドリアンなどを混ぜたりしたのち型にはめて冷やし、蕎麦のように細かくきざんでオブラートと紙に包んで袋詰め。
 当然、作りたてのキャンディを試食ののち、売りつけられるという段取りとなる。
 食感はキャンディというよりは、堅めのキャラメルに近い。歯にひじょうにしつこく貼りつくので、義歯に不安のある人は、噛まずに舐めるだけの方が安心。下手に噛むと歯が抜けます。
 ココナツオンリーと、笹の葉で緑に染めたのと、ピーナツ入りのと、ドリアン入りのを買う。40個入りのパックが2万ドン。6つ買うと10万ドンに割り引きなので6つ買う。

煮溶かし機 キャンディマニュファクチュア

 最後に、川に突きだしたテラスに案内される。ここからボートが出るらしい。
 その前に席に案内され、果物が出される。季節外れだけど、という弁解とともに、モンキーバナナ、パイナップル、ザボン、ドラゴンフルーツ、柿。
 柿とドラゴンフルーツは甘みが少ないが、これをつければ美味しいよ、と言われ、唐辛子を混ぜた塩をちょっとつけたら、甘みが感じられた。そういえば以前、タイでチョンプーとかいう、ピーマンみたいな姿の果物を買ったときに、この唐辛子塩がついてきたなあ。
 やがてアオザイ姿のおねいさんが登場し、歌を歌う。少女たちも登場して、日本の童謡を歌う。

フルーツ 少女合唱団

 果物を食ったらいよいよ小舟に乗って川下り。
 船頭含め5人が定員で、しかも川下から登ってくる舟と交錯するので、船着き場はごったがえしている。
 船着き場で遊んでいた幼女は、これも自然が豊かすぎるのか、まるまると肥えている。
 まあ、ベトナム人が肥えるほどの社会になったのは祝福すべきことだが、犬だけなのかなあ、この島でも辛いのは。
 小舟に乗りこむと、日よけのベトナム風編み笠を渡される。
 やがて出発するが、とにかく前に十何隻もの舟、横には戻ってくる舟が連なっていて、しかも乾期の渇水で水位が下がっているので、舟を動かすのもままならないくらいの混雑。それでも船頭は、竹竿を器用に操って川底を突いたり、相手の舟を押したりして強引に舟を進めていく。

肥えた幼女 混雑

 それでも途中から川幅が広くなり、ようやく押し合いへし合いがなくなる。
 それにしても乾季と雨季とでは差があるのだなあ。たぶん2メートル近く水位が下がっている。帰ってから知ったのだが、このときベトナムとカンボジアは史上最大の渇水で、農地に被害が続出していたとか。
 そんな中でも、のんびりと浮かんでいる変な顔の水鳥がいた。やはりベトナムで辛いのは犬だけだなあ。

ようやく川面が見えてきた 水鳥

 ときどき横を通る帰りの舟の船頭が、手を伸ばしてチップをよこせと言ってくるが無視。なんで私が乗ってもいない舟の船頭にチップをやらにゃならんのだ。
 とはいっても乗った舟の船頭にもチップをやらなかったんだけどね。
 河口に到着して、40分ほどのメコン川下りは終了。クルーズ船に乗り換え、ミトの町へ戻る。
 船の中でココナツの実をもらって汁を飲んだが、ううむ、冷やしてくれればおいしかっただろうなあ。まだ未熟で、ちょっと青臭く、胚はまだ硬くて食べられない。
 同じ感想を抱いた人が多いらしく、残している人が多かった。

 船着き場からバスで5分くらいのバンガロー風レストラン、メコンレストストップで昼食。
 メコンクルーズでは有名なエレファントフィッシュの姿揚げ(店員が身をちぎって野菜等と一緒に春巻きの皮に巻いてくれる)と、餅を風船のようにふくらませた妙な食い物(店員がハサミで切ってくれる。かりかりしていて、ほのかに甘くて、けっこう美味い)、バインセオ、海老のココナツ蒸し、空心菜炒め、チャーハンなど。
 なにしろバンガロー風のレストランなので、あちこちに客席のバンガローがあって、帰りに並んでいる土産物を見ていたら、一行とはぐれてしまい、わけがわからなくなってしまった。ようやく出口に到達してHISのバスを探してめぐり逢う。

レストラン 餅風船の制作 エレファントフィッシュ

 ここからはホーチミンの町に帰るばかり。
 途中でガイドのタオさんに、ハノイで見かけたベトナム国旗と80周年の関係について尋ねたら、やはりベトナム共産党創立80周年だった。3−2ってのは3月2日ではなく、2月3日だった。そうか、西欧風記述か。
 それに続けて、「でも私、党員じゃありません。共産党員は嫌いね。あの連中、ワイロいっぱいもらってるね」とぶっちゃけた話をしたのには驚いた。ハノイで保存されているホーチミンが寝返りをうちそうな話だ。
 革命の父、ホー・チ・ミンは清貧で有名だった。他の兵士と同じものを食べていたし、アメリカからの特使におにぎりをふるまって、御馳走を期待していたアメリカ人を呆れさせたという話が残っているくらいなのだが、どうやら革命を知らない第2世代、第3世代になると、権力を私物化する輩が登場してきたらしい。
 そろそろベトナムにも、インド名画「インドの仕置人」にならって、「ベトナム渡し人 メコンクルーズで渡します」の制作が必要かもしれない。ベトナムの高峰三枝子クラスの女優がメコンで沐浴してから殺しにでかけるとか、ベトナムの中村雅俊クラスの男優がライスペーパーで悪女の顔を覆って窒息死させるとか。

 しかし、ハノイのガイド、ファンさんがベトナム民衆賛美、ホーチミン賛美で政府公式見解に近いのに反して、ホーチミンのガイド、タオさんが政府に対して醒めているというか批判的なのは、個人的な見解の違いなのか、それともハノイとホーチミンの空気の違いなのか。
 帰途、ホーチミンのスローガンの垂れ幕が貼られている建物の前で、いままででもっとも凄い電柱を見た。なんとなくこれが、今のベトナムを象徴しているような気がしないでもない。

スローガン 電柱

 3時にホテルに到着。これでツアーの観光はすべて終わり。ここからは夜の9時まで自由行動。
 ちょっと時間が長すぎて困る。もう部屋に戻れないから、シャワーや着替えができないしなあ。ああ、シェムリアップでこれだけの時間があれば、蜘蛛を探しに駆けずり回ったのになあ。

 とりあえず、アジアンホテルのはす向かいにある書店に入る。大規模で冷房もあって快適なのだが、品揃えがこっちの期待からはずれている。英語書籍と中国語書籍ばかりで、日本語関係の本がまるでないのだ。なぜか中国書籍の中に、中国語版の名探偵コナンがあったのみ。
 文房具屋を物色し、FF10のユウナが印刷されたものと、「西瓜太郎」という謎のキャラクターが印刷された、なんだかよくわからない薄っぺらなものを買う。2万ドン。
 そこから人民委員会前のホーチミン像を抜け、レロイ通りにあるカフェ「バクダン」に入る。名物のココナツアイスは、未熟なココナツの実を削った容器にチョコレートソースを敷き、ココナツアイスを入れ、ドライと生のフルーツをトッピングしている。量が多いのでふたりで分けるとちょうどいい。6万ドン。
 その先にある書店は、冷房こそ効いていないものの、こちらの好みの品揃えだった。ベトナム人向けの日本語会話帳が数種類あったので、CD付きのポケット会話帳をひとつ買ってみる。3万ドン。

ホー・チ・ミン像 バクダンアイス

 会話帳の文章の一部。
「おはよございます」ちょっと惜しい。
「ただ一秒」蒸着時間でしょうか。たぶんジャストアモーメントの直訳だとは思いますが。
「誰かあいつをつかめて!」掴めればいいのでしょうか。
「あなたがしてくれたことを恩にきる」なんだか偉そうです。
「そんな件でやましいことこがあります」そういうとことですか。
「そのときの行動を許せてください」許せますか。
「どうもすみません。故意にやりませんでした」やりまんでなくてよかったですね。
「よく聞こえませんから、もう少し多き声で話していただけませんか」聖徳太子ですかあなたは。
「いつは再度の検診ですか」そして一言この別れ話を冗談だよと笑ってほしい。
「風邪をひたと思います」ひたひたと病魔が迫ってきます。
「このウンビスがシルクなので、注意してください」絹の食べっこどうぶつ?
「このスイツを洗濯してください」私もときどき、このスイーツに頭から足まで水をぶっかけてやりたくなることがあります。泥まみれの。
「スイツを買いたいんです」スイーツはお金をもらっても褥を共にしたいとは思いません。
「何のメーカーがほしいですか」メーカーを買収するとは豪儀ですね。
「見て、見てあの女の子はすごい水着を着ていますね」どーゆー状況を想定してこれを会話集に収録したのかが謎です。
 おまけのCDも、言い間違いや言いよどみを録り直さず、そのまま収録していてなかなか味わい深い。

 さらにレロイ通りを進むと、目的のベンタイン市場。狭い通路に店と品物がごったがえしている。まだ夕食の時間ではないので、屋台には人が少ないが、Tシャツやコーヒーセット、サンダルやスカーフを観光客に売りつけようとする売り子の声がかまびすしい。
 ベトナム産の薄いライスペーパーが欲しくて、乾物屋の並ぶあたりを物色してみるが、米やヌクマム、干物や香辛料はやたらに売っているのだが、ライスペーパーは見あたらない。
 うろうろしているうちにコーヒー売りにつかまってしまった。コーヒー500グラムとアルミのコーヒーメーカーのセットを買えとしつこく誘う。母親もみょうに買いたがるので、ついに勧誘に負け、セットを10万ドンくらいで買った。
 そのとき母はコーヒー売りに「ライスペーパー?」と聞いた。そうか、ハリハラ神のときのように、店員に聞くという手があったか。ナイス母。伊達に歳はとってないぞ。
 コーヒー売りの案内で、無事にライスペーパーの大小を購入することに成功した。たしか5万ドンくらいだったと思う。
 ただ、ちょっと薄さが……十年前にハノイの市場で買ったのは、もっと薄くて雲母みたいだったように思う。十年の歳月が思い出を美しくしたのか、十年の間にライスペーパーも厚くなったのか、それとも人情と逆で、ハノイは薄くてホーチミンは厚いのか。

 あと、母親がサンダルを買ったのだが、さすがの売り子の迫力に負け、姪の分も買うつもりが自分用だけ買っていた。あの調子であと三足買っていたら消耗死するだろうからなあ。
 十年前にはあちこちにあった、サンダルの板と飾りと鼻緒を選んですげてくれる店が、今はどこにもないようだ。人件費と時間がもったいないので、なくなってしまったのかなあ。

ベンタイン市場

 ベンタイン市場からタクシーを拾い、ディンティエンホアン通り95番地の住所を書いた紙を運転手に見せる。10年前のガイドブックを頼りに、昔行ったカニ料理屋へ行こうというのだ。
 運転手はうなずき、大通りを走っていく。「ここだ」と示されたところで降りるが、「97」と書いた閉まっているらしいバーが見えるだけで、以前行ったことのある店は影も形もない。その向かいには、「94」と看板のある繁盛している料理屋がある。
 つまりはそういうことらしい。10年以上前に95番地にカニ料理屋ができ、繁盛して、店名をつけないまま番地が店名になってしまった。その繁盛っぷりを見て、誰かがまったく同じような店をはす向かいに開店した。しばらくは共存共栄でやってきたのだが、元祖のほうの店は客足が遠のいたのか店長が引退したのか、とにかく廃業してしまった。そして本家のほうだけが10年前と変わらぬ繁盛を続けている。
 とにかく「94」の店に入り、オープンテラスのテーブルに案内される。ひんやりとしたそよ風が心地いい。
 ソフトシェルクラブのフライ、カニ爪のタマリンドソース、カニ春雨、エビフライ、とカニ尽くしにちょっとエビが入ったメニューを頼む。ビールに氷をどんどん入れて飲む。いつの間にかまわりのテーブルはぜんぶ客が入れ替わっている。ちょっと長居しすぎたか、と思い時計を見ると、まだ来てから1時間半くらい。そういう店なのか。
 勘定はぜんぶで42万4千ドン。昔はいくらだったか忘れたが、とにかく安いことは安い。
 (注:旅行中は上記のように思いこんでいたが、帰国して自分の旅行記を確認すると、10年前に行った店は同じ94で、こちらが元祖のほうだった。ああもう、自分が書いたことすら覚えてないなんて)

ソフトシェルクラブ 蟹爪タマリンドソース 蟹春雨と海老フライ

 カニとビールで気分がよくなって、とりあえずホテルに戻ろうと、通りでタクシーを拾ったのだが、この運転手が最悪だった。
 もう暗いので車体の色が見えず、なんでもいいから止めたのが、比較的評判のいい緑と白のツートンカラーのマイリンタクシーではなく、白一色のZNとかいう聞いたことのない会社だった。でもメーターだしまあいいか、と乗り込んだのが間違い。
 ホテル名と住所を書いた紙を示すと、自信たっぷりにうなずいて走り出したのだが、市の中心部に入ってからがおかしい。うろうろと右折左折を繰り返し、果てはぜんぜん違うホテルを示す。
 そこじゃないと言って紙をもういちど見せると、「チッ」と舌打ちをしてまた走り出した。どうやら番地を間違えたらしい。自分のミスのくせに、さもこっちが悪いような態度がむかつく。
 おまけにホテルの前の中途半端なところにいきなり車を止め、「ここだ、早く降りろ」と脅迫する。細かい札を揃える余裕がなく、やむなく20万ドン札を渡すと、10万ドンだけ釣りをよこしやがった。この野郎、チップ貰いすぎだろJK。そういう手だったのかよ。
 もっと遠い市場からカニの店までのタクシーは4万ドンだったのに、ホテルへ戻るタクシー代は10万ドンについてしまった。くそ。
 なにとぞホーチミン市のZNタクシーの、あのやな野郎の運転する車のエンジンができるだけ早く焼けついて使いものにならなくなりますように。来世は犬に生まれて辛い生涯を送りますように。遠い日本の空から、仏陀とハリハラの神にお祈り申しあげております。

 ホテルに到着してしばらく書店で時間をつぶし、預けていた貴重品を受けだしたら、ばらばらとほかの人たちも帰ってきた。
 若い人たちの話を聞くと、教会でミサを1時間ほど聞いていたそうだ。4時からと7時半からの部があったらしい。なるほど、そういう時間のつぶし方があったのか。

 9時にホテルを出発し、10時に空港着。
 タオさんはだんだん調子が出てくるタイプらしく、最初はおとなしかったのだが、最後のほうは「集合時間に遅れた人は置いていきます。そのままベトナム人になって、30年くらいたったら政府が発見してくれます」などとベトナミーズジョークを連発していた。この男、ノリノリである。
 空港へ行く途中に、ダイソーの3万5千ドンショップを見た。日本円で200円ショップというところか。物価を考えると、千円ショップというのが適当なのかもしれない。
 チェックインして手荷物検査をなぜか2回通り、搭乗口まで来てしまうと、他になにもすることがない。
 ホーチミン空港はゲートが17もある大きな空港のくせに、10時過ぎるとおおかたの店は閉まってしまい、残ったドンを使うこともできないのだ。
 やむなくポメラで搭乗までの1時間強をのりきる。ありがとうポメラ。君は単3乾電池駆動型のデジタルカメラ、A−100と共に、私の長旅の友だ。
 ただA−100よ、おまえはエネループを入れて3時間後にはバッテリー切れ警告の赤ランプが点灯するくせに、そのあと3日間はもつという悪癖だけはやめてくれ。タオさんが首切れ写真を撮ってくれたのも、「これ、電池切れてますね」といいかげんにシャッターを切ったからだぞ。

 われわれの乗るボーイング777−200はこれまでの乗り継ぎで最大の旅客機。ホーチミン発成田行きの、ベトナム航空とJALの共同運行便だ。11時40分に搭乗開始、12時5分に離陸。5時半(日本時間で7時半)に成田着の予定。
 しかし、行きは成田からハノイで6時間、帰りはハノイより遠いホーチミンから成田まで4時間半というのは、なんだか妙な気分だ。気流って偉大だなあ。

 搭乗口では英字新聞2種類のほか、日経、朝日、読売の3新聞が選べるうえ、乗りこんでしばらくすると、アオザイのおねいさんがスポーツ新聞4種類を配って歩いていた。サービスいいのはありがたいんだが、そんなことで大丈夫か日本航空。
 あいにくと席はCA前の中間最前列だったので、荷物を前の座席の下に納めることができない。自分の足の下に置いていたら、やっぱりトランクに入れるように言われた。
 その代わりいいこともある。斜め前の席が幼児を連れた夫婦だったので、離陸してしばらくすると、CAが箱のようなものを前の壁にセットしはじめた。何だろうと思って見ていたら、毛布を敷き枕を入れ、あっという間に幼児のベッドと化した。あんなものもあるんだ。
 ベッドを撮影するふりをして、CAのアオザイ姿を撮影する。どうやら腰高にパンツを穿いているらしく、お肉が見えなかったのは残念だが。

 1時頃もらったドリンクで睡眠薬を飲みくだしたら、あとは熟睡。3時(日本時間では5時)に来た朝食も夢うつつで半分くらい食べただけ。スアチュアとかいうヨーグルトのようなものが、半分バター、半分ヨーグルトのように濃厚で、甘酸っぱくて、妙な味だった。これ、もっと食べたかったな。コンビニで買えばよかった。
 5時(日本時間7時)ごろ成田に着陸するが、まだ薬の効果で、シートベルトを外そうとして手が半分動いたところで眠りこんだりしている。まるで全盛期の阿佐田哲也のようだ。
 それでも何とか飛行機を降り、トランクを宅配便に預けて、家までたどりついた。

ベビーベッドの設置 機内朝食

 今回の教訓。10年前のガイドブックは持っていっても役に立たない。

 はっ、ということは、10年前の旅行記も、読んでも役に立たないってことか。
 いや、あんたのは、10年前から役に立たなかったってば。

 どっとはらい。


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