熱に負けながら

6月8日(日)
 昨夜は二時過ぎに寝たくせになぜか六時に起床。日本時間では八時だから、つい目が覚めてしまったんでしょうね。えらいぞ。
 朝食は隣のウィンザースウィートホテルでとる。どうもこのウィンザー、二軒続きの高級ホテルと安ホテルを買いとってウィンザーと称したらしく、ナントカホテル本館と新館どころではない格差がある。私の泊まるウィンザーホテルは華僑系格安ホテル、その隣のウィンザースウィートホテルは欧米コロニアル風高級ホテル、ということになっているらしい。そもそも構造からして違う。こちらは一階は1F、スウィートの一階はGFだし。
 朝食のビュッフェも小綺麗なつくり。従業員の態度も慇懃だが、インドネシア系っぽい黒い顔が多いように思えるのは気のせいだろうか。朝食自体は、前回のパトゥムワンプリンセスに比べると味も品ぞろえもやや劣るが、こっちはお粥とコーヒーさえあればいい。けっきょく、朝食が食えたのはこの日だけだったし。
 それにしても貰った朝食のクーポン、なぜか八日から十六日までまるまる一週間ぶんあるのだが、これは手違いなのか、はたまたタイ風のアバウトなのか。それをホテル周辺の連中に売りつけたくなったのは、私の貧乏性なのか、はたまたタイに染まってきたせいなのか。

 せっかく早起きして朝食に出たのに、部屋に戻るとまた服を脱いでベッドへもぐりこみ、ビールを飲みながら二度寝。えらくないぞ。
 九時ごろ、もそもそと起きだし、シャワーを浴びようとするが、どうしてもカランとシャワーの切り替えができない。メイドを呼んで教えてもらう。なるほど、バスタブの蛇口を引っ張ればいいのか。
 それにしても電話をかけたとき、「プリーズティーチミーハウトゥユージングシャワー」と言ったような気がして、またも小一時間煩悶。なんだよユージングって。
 そのため部屋を出るのが十時ごろになる。

 ホテルはスクンビット通りへ歩いて二分ほどの場所にあるが、あいにくスカイトレインのアソーク駅と隣のプロンポン駅の、ちょうど真ん中にある。歩けば歩けるが、歩きたくないという微妙な位置。ま、歩きましたけどね。
 スカイトレインの一日乗り放題券(100バーツ)を購入し、ついでに割引でガイドマップも購入(80バーツを20バーツに)。しかしこのガイドマップはあまり使えなかった。無料で配っているバンコクマップとほとんど同じなのだ。
 スカイトレインの終点から歩いて五分ほどで、ウィークエンドマーケットに到着。便利になったものだ。

 ウィークエンドマーケットに行くのはこれで二回目。前回はどこにどういう店舗があるのか、まったくわからないままにうろつき廻っていた。ま、自分がどこに泊まっていたかもわからない状況だからしょうがない。
 しかし今回は、綿密に準備をしていたのだ。ちゃんとマーケットの地図を購入し、確認しながら廻るのだ。まずは銀行で両替。それから衣料品のところでシャツを買って、本や雑誌のコーナーを覗き、息抜きにペットショップを冷やかし、疲れたら屋台で豚肉飯でも食って、最後にフルーツをしこたま買い込むのだ。ううむ、インパール作戦にまさるとも劣らない、完璧な計画だ。
 ところが。
 まずマーケット地図に銀行が書いていなかったのがケチのつきはじめ。しばらく外周をうろついたあげく、まあいいや金がなくなってから考えよう、と銀行を断念。
 まずは衣料コーナーへ行こう、と、ビニールシートの簡易屋根を縫うように歩き回ったのだが、どういうわけか目的地へたどり着けない。不思議なことに、トイレの看板を売る同じ店に三回も到達したのだが。それにしてもあの店、なぜトイレの看板だけの限定販売なのだろうか。なにかトイレに思い入れがあるのか。トイレの大将か。
 などと思い悩みながら歩いていると、ますます思ったところにたどり着かない。さらに熱気と暑気で頭をやられ、しまいには目的地がどこだったかもわからなくなる。
 四度目にトイレ看板屋に到着した時点をもって、我が軍は方針転換のやむなきに至れり。目的地を放棄せよ。今後、適当に歩き、適当に目についたものを購入する。さよう心得よ。
 というわけで気楽に歩き出すと、なぜかTシャツを売る屋台へ到達できた。そのあと、その店になぜか三回到達したが、そのくらいはたいした問題ではない。パチモンTシャツ、妙なバンダナ、ちゃちい民芸風の財布、動作するかどうかわからないマトリックスリローデッドのDVD(うちに帰ってプレステ2で再生してみたら、リージョンコードなどなんのその、平気で再生できた。えらいぞウィークエンドマーケット)など、適当に買う。
 しかし相変わらず値切れない。
 いえね、私もね、いちおうは努力したのですよ。バンダナを売っているおねいさんに「三枚でいくら?」「60バーツ」「50バーツ?」とね。
 でもね、おねいさんはタイ人特有の百万ドルの微笑とともに、なんともなまめかしい声で「ノーゥ」と。わたくしめはこの「ノーゥ」にやられて、ふらふらと金を渡してしまいました。ああ、またしゃあさんにぶたれる。
 他の店も同じような経緯でやられました。いえね、なにしろ暑くてね、頭がぼうっとしててね、とてもじっくり値切るような心理的余裕がなかったのですよ。しゃあさん許して。
 けっきょくウィークエンドマーケットで値切れたものは、この電動招き猫(左腕をにゃんにゃんにゃんと振る)を120バーツから100バーツにしただけだということが暴露されたら、しゃあさんにまた折檻されるだろうか。

金の招き猫

 なにしろ暑さにやられてふらふらなので、メシを食う元気もない。
 子豚を丸焼きにしてその切り身を飯にのっけて食う豪快な屋台も見たが、とにかく固形物を食うような体調ではない。水を買って水分を補給しながら、よろよろと歩くのみ。
 気がつけばもう二時に近い。とりあえず目についたところでマンゴスチンとランブータンを買い、よろよろと駅へ向かう。たしかどこかにドリアンを売っていた屋台を見たのだが、捜す気力もない。
 しかし、そんなせっぱつまった時でも、道に迷うことを忘れない私であった。シクシクシクシク。

 スカイトレインの冷房がこんなにありがたいとは思わなかった。始発駅で座れたのがこんなにありがたいとは思わなかった。
 ホテル最寄りのアソーク駅まで戻り、ロビンソンデパートへ。
 冷房の効いた室内に入って、ようやく飯を食う元気をとりもどし。地下のフードコートに行く。ここはMBKのフードコートに比べるとだいぶ規模が小さい。日本のスーパーマーケットの片隅にある軽食コーナーといった感じ。ラーメンが食いたかったが、見つからなかった。カツ丼というのにも心動いたが、体調と相談して断念。けっきょく、軽そうなキシメンを食う。タイの麺類は、どこの店でも例外なく、スープはうまいのに麺がでれーんとしている。
 スーパーでドリアンとマンゴーを買い、上の本屋で果物図鑑とタイ語入門とウルトラマンの絵本を買い、でかいデイパックがはちきれそうになって店を出る。

 帰りは疲れ切っているし、タクシーかバイクタクシーに乗ろうと思ったが、こういうときに限って一台もいない。やむなく、よろよろとホテルに向かって歩きだす。めぐるめぐるよめまいがめぐる。苦しみ悲しみ繰り返し。きょうは倒れた旅人たちも。また倒れるため歩きだすよ。
 2ちゃんねる旅行板では、「日本人ってどうしていつも歩くの?」というスレがあるが、確かにそうだよなあ、日本人はよく歩いてるよなあ、欧米人ならタクシーだよな、タイ人ならバイクタクシーかバスだよな、ああ俺ってなんて日本人なんだ、ちくしょうなんで日本人だったんだよ、とわが身を呪いながらてくてくと歩く。歩く歩く俺たち。流れる汗もそのままに。いつかたどり着いたら。まずシャワーとビール。ああもうシャワーとビールのことしか考えられない。
 よろめき倒れこむようにホテルに到着。冷水のシャワーとビールでようやく蘇生。ベッドにぶっ倒れ、それから三時間こんこんと寝る。

 六時になったので、ふたたびホテルを出る。ああなんと不屈な観光客なんだ。そんなにスカイトレインの一日乗り放題チケットがもったいないか。
 プロンポン駅まで歩き、フジスーパーで買い物。定番のタイ産日本酒「忍」と、知人に教えてもらったおいしい唐辛子ペースト(エビが入っているのでうまみが違うそうだ)、見たことのないカレーペースト、など買う。ぷりぷりしたエビとうまそうな鶏肉に心が動くが、今回はコンロを持ってないので断念。
 そこから隣のトンロー駅へ。この通りは食い物の屋台が並ぶので有名なところだ。とくにカオマンガイ(茹で鶏のせスープライス)がうまいと評判だったので、以前から食いたかったのだ。
 まだ七時前なので客がいない。とりあえず店の前をうろうろしていたら、オヤジがここに座れ、という身振りをするので従う。やがて、鶏のスライスをのせた飯と、スープをもってきた。
 確かに評判通り、うまい。薄味で煮込み、鶏のうまさを充分に引きだした肉。そしてそのスープで炊いて、鶏のうまみを充分に吸い込んだ飯。そのままでもいいが、ついてきた唐辛子味噌みたいなもの(ナムプリック?)を肉にぬると、いっそううまい。うまいが、汗がだらだら流れる。つけあわせは根生姜のスープで、これまた発汗を促進する。私が南国で野外で食うと、こういう醜態をいつもさらしてしまう。
 ここの勘定は40バーツだった。私ははじめ百バーツ札を出したのだが、オヤジが困った顔をするので、財布を探して五十バーツ札を取り出した。すると、あと十バーツないか、と奇怪なことを言う。話を聞いてみたが、どうやら二十バーツ札しか持っていないらしい。ということで、さらに十バーツコインを渡し、百バーツ札とおつりの二十バーツ札を受け取り、一件落着。なんだか時そば詐欺にあったような気分だが、これで正解のはずだ。オヤジの顔も釈然としていない。あちらはあちらで詐欺にあったような気分なのだろう。
 しかし、往復40バーツのスカイトレインに乗って、40バーツのカオマンガイを食いに行く、これを世間は許すだろうか。いやまあ、今日はフリーパスだからいいんだけど。


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