ソウル・高句麗さん

 韓国は3度目、ソウルを訪れるのは2度目になる。
 しかし前回ソウルに行ったのはソウルオリンピックの前、前回行った韓国は済州島という南のはずれの島。

 そもそも、ソウルに行くつもりはなかった。
 5日くらい休みを取って、北京に毛沢東トランプを仕入れに行くか、台北でのんびりメシ食うことを考えていた。
 ツイッターで知人に打診してみたら、「だったらソウル行かない?」と言われたのだ。
 そのときは気乗りがしなかった。
 中途半端に都会なので、日本とあまり変わりばえしないだろうし、物価も安くない。観光名所も歴史的文物も乏しい。
 しかし知人のひとことで意見が変わった。
「ソウルの露天の居酒屋で、洗面器からマッコリ飲みましょうよ」

 そこからソウル渡航計画を立てた。
 持っているガイドブックは、済州島に行った10年前の地球の歩き方。
 老朽化して役に立たなさそうだったので、図書館で新しいガイドブックを借り、ネットで情報収集。
 せっかくソウルに行くのだからもちろん板門店には行きたい。朝鮮戦争の博物館も見たいな。脱北者がやってる冷麺屋も行きたい。焼き肉も外せないな。魚市場にも行ってみたい。漢江クルーズもいいな。ホンオフェも食いたい。あと、もちろん前回の済州島で入手しそびれた独島Tシャツ買うぞ。
 ということで計画たてたら、最短で4泊5日の日程となった。
 同行者は金土日の2泊3日しか無理だという。しょうがない、私のみ水曜日に出発して現地集合だ。

 荷造りは簡単。eチケットや宿予約やネットで探した観光地図のプリントアウト、パスポートと金。済州島で余った韓国通貨7万ウォン程度。着替え4日分と常備薬やら正露丸やら、あとはデジカメとポメラをズダ袋に投げ込む。今回のエアアジアは手荷物を預けても金を取られるので、キャリーバッグはやめといた。
 最後にしばらく迷ったすえ、10年前の地球の歩き方をそっと追加。

9月25日(水)
 昼ごろに成田空港に到着。
 覚悟していたとはいえ、エアアジアは格安航空会社の悲哀か、チェックインカウンターも追い出し部屋のような別棟、出発ゲートは87というサテライトの端っこ。
 飛行機は14時すぎに成田を離陸。しかし座席が狭いわ。普通のエコノミー席が観光バスの座席とすると、エアアジアの座席はマイクロバスの座席。平日で空いてるだろうと、わざと最後尾の席を予約したのだがこれが大失敗。この席は背もたれが倒せないうえ、前の席の奴がぐいぐい倒してくるので、あわや押しつぶされそうになった。宇都宮釣天井を連想したぞ。

エアアジア

 16時過ぎにソウル仁川空港に到着。成田と同じくらい広い。
 ここで、かねて予約していたスマホレンタルの代理店を探す。これもエアアジアと同じ弱小会社なのか、いろいろある携帯レンタルの会社の中に埋没して見つからない。30分ほど右往左往して、ようやく見つけた。
 さらに空港のコンビニでソウルのSUICAともいうべきT-moneyカードを入手。3000ウォン。1万ウォン出して残りをチャージしてもらう。
 空港で観光パンフレットやソウルガイドのたぐいを大量に入手するつもりだったが、あんまりなかった。

 17時過ぎに空港の用事を済まし、空港とソウルを結ぶ空港鉄道に乗ろうとする。
 この乗り場が空港から遠い。
 空港を出て道路を横断して別なビルに入る。このビル、まるで人影がない。
 標識板の通りにここまで来たはずだが間違いじゃないか、ひょっとしてエアートレインと書いてはいるが作業員が乗るトロッコか何かの駅じゃないか、という疑惑が頭の中でふくれあがったころ、ようやく駅を発見。T-moneyで入場できた。ソウルまで4000ウォン弱で、これがたぶん空港からソウルまで行く最安値。

 ソウルに着いてからも地下鉄への乗り継ぎのために一駅分くらい歩く。空港鉄道の駅は東京駅の京葉線くらいの地底にあるらしく、エスカレーターを5個くらい乗り継いでようやく地上へ出た。そこからまたエスカレーターを2個くらい降りて、ようやく地下鉄に乗り込む。エスカレーターは大阪と同じく、左が歩く客用。でもその左をふさいで談笑してるおばちゃんや学生が多いのも、大阪と同じ。ソウルはやっぱり大阪的だなあ。
 乗ってしまえばソウル駅から目的地の明洞までは5分程度。

 予約していた鶏林荘旅館は明洞から徒歩3分。明洞の繁華街とは逆の出口から出て、坂道を50メートルほど歩いたところにある。バストイレ冷蔵庫TV付きのオンドル部屋で1泊3万ウォン程度。まずまずじゃないだろうか。
 宿の隣には有名なフライドチキンのチェーン店もあるし、海鮮中華ピザ屋台居酒屋コンビニと食う呑むには困らない。繁華街の明洞とはいえ裏通りのひなびた感があって、居心地がよさそう。

鶏林荘の部屋 鶏林荘周辺

 少し落ち着いてから宿を出て、街をうろつく。
 ソウルは日本より気温が低いというからわざわざ薄手のジャンパーを持参したが、歩くと汗が出る程度で、長袖シャツ1枚がちょうどいい。
 まずは両替。ネットで検索してみた明洞のレートのいい両替所を何軒か探してみる。中でも表示していたレートがいちばん良かったのがセブンイレブン両替所。ここで3万円を327,000ウォンに交換。

 さらに北上してみる。
 明洞から北の乙支路入口駅まで歩いてみて、距離が長いようだったらそこからタクシーに乗ろうと思っていたが、意外にすぐ着いたので、さらに鐘閣の駅まで歩く。
 ネットでアタリをつけておいた鐘閣近くのチヂミ屋、ヨルチャチッを覗いてみたが、満員で道路までテーブルを出していた。
 やむなく、しばらく鐘閣をうろつく。和信屋台村でも行くかと思ったが、これがどうしても見つからない。こんなときにスマホ、と地図を表示してみたがハングルだらけでまるでわからない。
 小一時間徘徊してヨルチャチッに戻ってみたら、空席があるようなのでぶじ入店できた。
 牡蠣のチヂミとマッコリを頼む。つけあわせに牡蠣のケジャンとタクワンがついてくる。
 牡蠣チヂミは小ぶりの牡蠣に衣をつけて焼いたという感じで、表面のカリカリと中のニュルニュルの食感がよろしい。牡蠣ケジャンは辛くてうまい。タクワンは大根の甘酢漬けのごとき味。
 マッコリは長寿生マッコリという銘柄。酸味があってうまい。
 牡蠣チヂミ11,000ウォン、マッコリ2本で6,000ウォン、締めて17,000ウォン。

 さすがに帰りは鐘閣の駅から地下鉄を乗り継いで明洞に戻る。
 宿の前のコンビニでおいしかった長寿生マッコリを見つけ、迷わず購入。1,500ウォンくらいだったかな。缶ビールも購入。こちらは350ミリ缶が2千ウォンくらい。やはりソウルではマッコリがお買い得だ。
 屋台で焼きソーセージを買い、宿でかじりながらビールとマッコリを飲んで就寝。

9月26日(木)
 目覚まし時計で6時半に起床。きょうは板門店ツアーの日なので朝が早い。
 7時過ぎに宿を出る。7時20分にはコムタンの名店、河東館に到着。
 こんな朝早くに客なんかいるのかしら、と入ってみたらもう5組ほど先客がいた。私の後も続々と客が入ってきて、8時にはほぼ満席。
 ここで特コムタンというのを注文。12,000ウォン。特というのは肉の量が普通より多いらしい。
 運ばれてきたコムタンは、たしかに生姜焼きのような薄切り肉が4枚ほど、あと内臓肉っぽいのが入っていた。澄んだ肉スープに塩とカクテキで味をつけ、ネギを多量にばらまいていただく。肉だく、つゆだくの美味だが、なにしろ熱々のコムタンなので汗だくだ。

特コムタン

 乙支路入口近くのロッテホテル6階、中央高速の事務所でツアーの手続きをし、しばらくそのへんをぶらぶらして待つとバスが登場。9時ごろ出発。
 平日というのにほぼ満員の盛況だ。日本語ツアーと英語ツアー、板門店のみの午前ツアーと南進トンネル込みの一日ツアーが混在しているらしい。
 バスの中でツアー内容の簡単な説明。ソウルから15分も北上すると田園風景となる。漢江沿いに北上し、10時ごろに非武装地帯のチェックポイントに到着。ここで30分ほど待たされた末、警備兵が乗り込み、パスポートと顔の照合、服装チェック。けっこう厳密に調べている。
 非武装地帯の警備兵は韓国軍でもエリートで、学歴も身長も顔面偏差値も高いのだそうだ。確かにチビデブハゲは見かけない。すらっとした若いイケメン揃いだ。

 キャンプボニファスでバスを降り、カンファレンスルームで非武装地帯の説明。ここで誓約書にサインをする。
 「万一不慮の事態が起きて生命を失おうとも当局は関知しない」みたいなぶっそうな書類にサインして、バスを乗り換え。ここからはカバンは持ち込めない。カメラはケースから出して手に持ち、メモ帳や貴重品はポケットに入れてくれという話。カメラも案内人が指定する場所以外では撮影禁止。
 バスで10分ほど走り、板門店に到着。北朝鮮の白い立派な建物と、韓国の青いバラックが向き合っている国境地帯ですな。韓国はもっと立派なのに建て替えればいいのに。
 韓国側の会議室に入って国境を越える。案内人が窓の外を指さし、「ほらこれが国境線です。ここは韓国軍に守られてるから、会議室の中だけは国境を越えても大丈夫なんですね」と説明。
 やがて、「北朝鮮の観光客が来るから」と早めに会議室を追い出されるが、みんな不満は言わない。むしろ北朝鮮の人間を見たと嬉しそうだ。

板門店 会議室

 いったんキャンプボニファスに戻り、トイレ休憩。隣の土産物屋に入ってもいいが撮影禁止とのこと。
 土産物屋では軍服や背嚢のコピー、鉄条網の切れ端、Tシャツなど販売。独島Tシャツはなかった。北朝鮮の紙幣は3枚で4万ウォンという高値なので断念。北朝鮮の切手なら高値でも買いたかったが、韓国の記念切手しかなかった。金日成バッヂのコピーも欲しかったが、そんなものはなかった。
 北朝鮮のワイン、ブランデー、梨ブランデーが売っていたので梨ブランデーを購入。22,000ウォン。

 非武装地域を出て、臨津閣近くのレストランで昼食。プルコギ定食。数名のグループには大鍋、おひとりさまには小鍋で提供。ビールは別会計で小瓶が5千ウォンだったかな。
 臨津閣と書かれるとぴんとこないが、イムジン江にあるイムジン閣と言われると、反戦フォークと放送禁止歌謡でおなじみだったイムジンガンのあそこですなあ。水清くとうとうと流れる河。水鳥は自由に飛べるのに、誰が祖国を二つに分けてしまったの。
 この公園には展望台と、むかしここにあった線路で走ってたSLの残骸、途中でぶった切られた橋などがある。橋の端にはびっしりと書き込みされたリボンやら国旗やらが。
 歌碑もあるのだが、日本語の説明文が伏せ字だらけでわかりにくいことこの上ない。これ、イムジン河の歌碑なのかなあ。歌碑すら放送禁止なのかなあ。

幸せの黄色かったりするリボン テーハミング

 そこから都羅山駅へ。
 ここは韓国でもっとも北に位置する駅で、南北統一の暁にはここから平壌行きの列車が運行する予定。ここから一駅北に、いま韓国と北朝鮮で共同開発している、工業地域の開城と鉄路を結ぶ予定。
 いろいろと青写真はあって、将来はターミナル駅として栄える予定だが、いまは観光客と土産物屋くらいしかない、だだっ広いだけのガランとした駅舎である。
 ちょうど列車が来るというので(平壌行きではない)入場券を買ってホームで待つ。2両編成だが、わりときれいで新しい列車がやってくる。
 みんながカメラで撮影する中、中年男の二人組が
「お前は写真撮らないのか?」
「この旅行はデジカメしか持ってきてないからな。テツの矜持として、こんなカメラで鉄道を撮影するわけにはいかんよ」
 と会話していたのが面白かった。テツたちにも矜持なんてものがあったのか?(アシュラマン談)

都羅山駅 デジカメで撮った列車

 ふたたびバスに乗って都羅山の展望台を目指すが、そこでガイドが凶報を告げる。
「えー、展望台ですが、ただいま大変混雑していまして、駐車場が3時間待ちだとかいう話です。中国からの観光バスがいっぱい来て、パンク状態みたい」
 朝鮮戦争と同様、こちらも人海戦術ですか中国軍。

 とりあえず行ってみるとのことでバスは山頂に向けて走る。
 たしかに渋滞しているなあ。伊豆の山道みたいなくねくねした細い道を大型バスが行き来する。
 それでも降りる車の方が多いからなんとかなるかも、というガイドの楽観的予想通り、30分ほどで山頂に至り、展望台に登る。
 この展望台はなぜかいちばん先の手すりから10メートルくらい下がった白線の後ろしか写真撮影できないという決まりになっている。手すりのところにはコイン式の望遠鏡が設置しているし、べつに情報漏洩とかの問題ではないとは思うが。ひょっとするとカメラ型の超小型ミサイルを発射とか警戒しているのだろうか。
 展望台からは、非武装地帯の北朝鮮側の眺望が開ける。望遠鏡で覗くと、巨大な金日成像や農村に立てた北朝鮮国旗などが見える。人影は見当たらない。
 非武装地帯ではむかし、国旗競争があったという。
 北朝鮮の農村で北朝鮮国旗を掲げると、韓国の農村ではもっとでかい韓国国旗を持ち出す。北朝鮮では見張り台の上に国旗を高く掲げると、韓国では20メートルのヤグラを組んでその上に国旗をこれみよがしに立てた。北朝鮮は50メートルでこれを凌駕した。韓国は100メートルで圧倒しようとした。
 ついには北朝鮮で150メートルの国旗掲揚台を建設するに至って、国旗競争は終熄した。いま北朝鮮領で立っている国旗は、世界でもっとも高い国旗だそうだ。
 ガイドが「山を見てください。北朝鮮の山は山の木を根こそぎ切り倒したんで、ほとんどハゲ山です。韓国の山には木が生えてます。山を見れば韓国か北朝鮮か、ひと目でわかると言われています」と言う。たしかに、岩肌の見える山が多い。珍しく緑豊かな山があったので望遠鏡で覗いてみると、緑のペンキを塗りたくっていた。

 余談だがいまの北朝鮮は比較的安定している。
 たぶん北朝鮮の国力のどん底は、1990年代の金正日時代だろう。
 70年代から80年代、ハゲ山にみるような乱開発のあげく、80年代末から90年代にかけて、北朝鮮は深刻な凶作に見舞われた。このときの餓死者はおおまかな推計でしかないが、百万人の単位だという。
 2000年代に入ると凶作がおさまり、経済もある程度回復した。
 「ある程度」というのは、90年代までの北朝鮮の経済体制はもはや修復不可能で、救えるものだけを救ったにすぎないからだ。
 具体的には配給制度の破綻、それによりやむなく自由経済を一部導入せざるを得なくなったこと。
 それまで全国民に食糧を配給していた制度は運用不可能になり、北朝鮮政府は工場、農村、軍隊などの経済単位に「自助努力」を呼びかけるようになった。要するに自分の甲斐性でメシを食えということ。
 農村は作物を都会に送って換金か物々交換。工場や軍隊も敷地に農場や牧場を作り、自力で食糧を調達するようになった。
 自力でなんとかできない組織は90年代にみな潰れ、自力で何とかできない人間はみな餓死した。
 いま生き残っている北朝鮮国民は自助できる人間だけだから、まあまあなんとか経済が安定している。
 中国やベトナムは上からの政策変更による自由化だが、北朝鮮の場合は政府が頼れないから自由化した。応仁の乱のあと、あてにならない室町幕府を見捨てて自立した地侍・商人・農民たちが戦国期の社会を作ったのに似ている。
 いまの金正恩時代の北朝鮮は、金日成時代の北朝鮮とは別物といってよい。金日成時代の北朝鮮が足利義満時代の日本だとしたら、金正日時代は足利義政か義尚、いまの金正恩時代は足利義輝か義昭あたりかなあ。

世界一高い旗

 展望台から南進トンネルに移動する途中にも、ガイドの凶報が続く。
「第3トンネル、ここも中国人の観光客がいっぱいだそうです。入場者を制限してるんですが、無理して2倍も3倍も詰め込んだせいで身動きできないそうです。中国人同士で罵り合いや殴り合いがはじまって、警察が出てきたそうです」
 何しとんねん中国人。

 もう夕方近かったせいか、中国人もほとんど帰ったらしく、なんとか南進第3トンネルに入ることができる。
 トンネルの前にブリーフィングルームでミニ映画上映とトンネルの説明。
 韓国では朝鮮戦争のことを韓国戦争と呼んでいるんだなあ。なんだか韓国内部での内乱みたいだが。
 トンネルはけっこう勾配が高い。幅は4人くらいが並んで歩けるほどの広さ。右側2車線、左側2車線ですな。どちらも外側車線は疲れきった人が休んでいるから、実質ひとりずつ歩ける。
 トンネルのあちこちにある表示板によると、このトンネル、長さが300メートルだそうだが、これ絶対、長さでなく深さだと思う。実際に歩いて足がつりかけた私が言うのだから間違いない。
 最初は立って歩けるほどの高さだったが、250メートルほど行ったところから先は実際に北朝鮮が掘削した狭く低いトンネルになる。ふたりが行き交うのがやっとの幅、しゃがんで歩かなければならない高さ、マイトとツルハシで掘ったでこぼこだらけのトンネル。
 トンネルの入口でもらったヘルメットをかぶって歩いていたのだが、かがんで歩きながら頭をトンネルにがんがんぶつけ、ああヘルメットは絶対必要だわと痛感した。

 トンネルの先でツアー客を見失い、あわててトンネル入口に駆け戻ると、ガイドの姿があった。ほっ。
 入口付近の売店は、どれもこれも板門店の土産物屋とほとんど同じ品揃えだなあ、と見回していてはっとした。おお、板門店にはなかった力道山ブランデーが、ここにあるではないか!
 さっそく購入。22,000ウォン。

 しかし北朝鮮産のブランデー、こいつがとんだ一杯食わせ物であった。
 まず梨ブランデー、宿に戻ってから箱を開けてみると箱がじっとり湿ってアルコール臭がする。どうやら、バスの中やカバンの中で横にしていた間に栓から漏れたらしい。これじゃ日本に持ち帰れない。
 さらにレッテルを確認すると、ハングルでまるで解読できないが、どうやら製造年月日らしい表記で、梨ブランデーは2002年、力道山ブランデーは2001年と書いてある。
 いやまあ、ブランデーは腐りはしないとはいうものの、横にすると漏れるような栓で10年以上室温で放置って、いいのかこれ。
 ちなみに梨ブランデーのほうはソウルでちょっとだけ呑んで残りは捨てた。味は梨っぽいといえば梨っぽいが、ブランデーの味はしなかったなあ。
 力道山は日本に持ち帰ってプロレスファンの知人と一緒に呑んだが、知人曰く「ケミカルな味」。化学合成アルコールに化学合成したフレイバーを混ぜてブランデー風味にしてみましたって感じで、タイのメコンウイスキーの一千万年前の先祖はこんな味だったんじゃないか的な系統発生的な味でした。
 もっとも北朝鮮のために弁護すると、ソウルのコンビニで買ったマッコリでも、そのままコンビニ袋に入れて横倒しで放置してたら、中身が漏れてコンビニ袋の中が惨状になったことがある。どうやら栓が甘いのは半島文化であるらしい。

梨ブランデーと力道山ブランデー

 これで板門店&DMZツアーはつつがなく終了。17時ごろロッテホテルに到着、解散。夕暮れの混雑する明洞繁華街の人波をかきわけて宿へと戻る。
 もう足がつるほど歩いたので夕食に遠出する気はない。近くの店でなんとかしよう。
 さて、トゥルドゥルチキンでフライドチキンと生ビールにするか、それともおひとり焼肉にするか。
 ふらふらと宿近辺を歩いていて2軒のバーっぽい酒屋をみつけた。どちらも非常に細い階段があって、1軒は地下、1軒は2階にある店のようだ。
 迷ったあげく、2階の店にした。地下よりはぼったくられる可能性が低いような気がして。
 上がっていくとバーというより定食屋のたたずまい。ほぼ満席の客を、中年夫婦がさばいている。
 ちょっと安心してドンドンチュと、コルベンイというツブ貝の辛味和え物を頼む。オヤジが酒に関して何か言っているようだが「これでいい」と押し切る。
 どうやらオヤジが言っていたのは「量が多いが大丈夫か?」という意味だったらしい。運ばれてきたドンドンチュは、たっぷり2リットルはあるだろうというタライの中になみなみと注がれているものであった。
 お通しで運ばれてきたふかしジャガイモに塩をつけてかぶりながら、ドンドンチュを汲んでは呑む。
 やがて運ばれてきたコルベンイも大皿にたっぷり。ツブ貝の茹でた切り身にネギやシシトウなどの野菜の千切りを混ぜて唐辛子味噌味で和えたもの。野菜はうまいが、ツブ貝は歯ごたえだけで味はないなあ。
 とか言いながらドンドンチュ2リットルを呑み干す。たしかコルベンイとドンドンチュで2万5千ウォンくらいだった。

 休息と酒ですこし元気が出たので、駅を越えて明洞繁華街をうろつく。
 まず職場の人に頼まれていたフェイスパックを購入。化粧品なんか知らないし、店を探す嗅覚もないし、どうしようかなと思っていたが、明洞のメインストリートにはアホほどそういう店がある。しかもどの店でも同じようなフェイスパックを店頭に並べてはる。
 適当に入った店で適当に選んで店員に適当に渡す。フェイスパック10枚入りの袋が6つで15,000ウォンだが、1袋オマケとのことで7つ選ぶ。毒蛇エキス2つ、蜂毒エキス、カタツムリエキス2つ、ローヤルゼリーエキス、真珠パウダー入りだったかな。
 しかし自分で買っておいてなんだが、女性はなんでこんなもん顔に塗りたくるのかな。私が小学生のとき見た特撮番組や怪奇映画やB級SFの知識では、こんなエキスを体内に注入したら、たちまち翌朝には人間女王蜂や恐怖コブラ女や妖怪でんでん娘や妖艶真珠夫人と化していること確実なんだが。

 そのあと明洞繁華街をうろつき、朝に発見した「日本酒居酒屋 だまして」に入ろうとするも再発見できず。やむなく断念する。チェーン店っぽい居酒屋に入ってドンドンチュを注文したら、また2リットル入りのタライが出てきた。ドンドンチュは2リットルというのがソウルの掟なのであろうか。
 やっぱり呑み干して、「だまして」に心を残しつつ宿に戻る。

タライドンドンチュ だまして

9月27日(金)
 ドンドンチュ4リットルのせいか、二日酔い気味。
 それでも今日はチェックアウトだから起きねばならぬ。できればチェックアウト前に軍事博物館に行きたい。
 歯をくいしばりながら9時半起床、10時前に出発。

 明洞から1駅の三角地で降り、しばらく迷いながらも軍事博物館に入る。こんなこともあろうかと、スマホのブラウザであらかじめ博物館の日本語地図を表示していたのがよかった。
 なんかの式典の準備らしく、演台やら風船やらテープやらを飾り付けた広場を軍服の人間がうろうろしていた。
 (後記。これは10月1日の韓国軍創立記念日の祝典準備だった)
 軍事博物館は敷地外でも見どころ多数。駆逐艦、戦闘機、爆撃機、戦闘ヘリ、高射砲等々が屋外に展示されている。
 むろん館内には植民地時代の反日テロから独立戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争から現代に至るさまざまな資料が展示されている。
 しかし反省してない国の展示ってのは景気がよくていいなあ。じめじめした感じがまるでなく、威勢がいい。ベトナム戦争なんか、韓国軍はアメリカ軍の尻馬に乗って派兵、さんざん残虐行為を繰り返してベトナム人からは米国人以上に忌み嫌われたのだが、そんなことはまるで書いていない。ホー・チ・ミンなんか叛乱した土人の酋長みたいな扱いだ。
 じっくり、できれば1日がかりでこの景気のいい展示を鑑賞したかったんだが、宿のチェックアウトが11時。ごくわずかな展示を走りすぎるのみだった。

駆逐艦と戦闘機 ミサイルと高射砲

 宿に戻って荷物をまとめてチェックアウトしたのが11時半。
 なんだかカバンが重いなと思ったら、フェイスパックとブランデー2本の重みだった。
 ぐにゃぐにゃした重いカバンをかかえて地下鉄を乗り継ぎながら景福宮の駅にようやく到着。
 とりあえず駅前すぐの路地にあるソルロンタン屋で昼飯。ビールとソルロンタンで1万2千ウォンだったかな。
 二日酔いの身体を通り抜ける冷たいビールと熱いスープがここちいい。

 次の宿、大元旅館はその店から歩いて10秒くらい。駅の出口からも30秒の至極便利だ。
 12時過ぎていたが、まだ部屋が空いていないとのことで、荷物だけ預けて見物にでかける。

 隣の独立門で降りると、ソウルの中心地とは思えないほど山が間近にそびえる。
 しかし板門店のガイド、「北朝鮮はハゲ山ばっかりだけど韓国の山は緑豊かです」と言っていたが、韓国にも峨々たるハゲ山はあるやんか。
 そんな山のふもとに監獄博物館は存在する。正式名称は西大門刑務所歴史館。
 半島の人が大好きな日帝時代に作られた政治犯収容監獄をそのまま博物館にしている。
 そういう博物館だから、私の先にいたおばあちゃんが、しきりに日帝がどうのとぶつぶつつぶやいているようだったが、無視して一緒に見て回る。
 日帝の走狗による正義の独立志士拷問フィギュアがあるぞとの前評判だったが、予想に反して拷問風景は2つくらいしかなかった。
 地下牢を見て回っていると、獄死した囚人を収容する棺桶から突如うら若き女性が飛び出してきた。
 どうやらカップルの片割れが、面白がって棺桶に閉じ込めたらしい。
 私も驚いたが向こうもびっくりしたらしい。私が声を上げるとふたりで逃げ出していった。
 地上に出ると、ひとつ高台にぽつんと、ハンセン氏病囚人の収容所があった。ここでも隔離されてたんだねえ。
 博物館スーベニアショップで牢獄の鉄格子とか拷問フィギュアとか売ってるかと思ったが、そういうのはなかった。
 代わりに韓国国旗が安かったので買った。買ってから言うのはどうかと思うけど、いやしくも国旗を、いくら売れないからって、3,500ウォンから3,000ウォンに値下げするのはいかがなものかと思う。愛国心的にモヤモヤします。

西大門刑務所歴史館 拷問風景

 ここでスマホに連絡が入る。ようやく同行者がソウルに到着したそうなので、大元旅館に戻る。
 同行者の本名はここでは明かさぬ。仮にこけし家さんば・るんばと表示することにしよう。
 本来ならこけし家さんばとその旦那ジミーちゃんが私に同行する予定だったのだが、ジミーちゃん多忙でキャンセルし、さんば・るんばの漫才コンビが参加の運びとなった。

 景福宮に戻り、ようやく宿の部屋に案内される。
 さんば・るんばの女性2人は本館の6畳ほどのオンドル部屋だが、私は鍵を渡され、なにやら一軒家に連れて行かれた。
 中は3DKの部屋。食器や調理器具、大型冷蔵庫を備えたダイニングキッチン、シャワー付きトイレの部屋、そして私が寝るのは大型液晶テレビと机のある10畳ほどの部屋。机の中にはコンボイのような変身メカのオモチャまで完備している。いいのか、こんな部屋で1泊2万ウォンで。
 もっともこのテレビ、なにやらチューナーのような機器と接続しているのだが、そのリモコンがハングル表記で不可解で、どこをどう押してもテレビを表示することができなかった。

 さんば・るんばと一緒に仁寺洞の北側にある、北村とかいうところを歩く。
 ここは上り下りの激しい細い路地に昔風の建物が残っており、一部はゲストハウス、一部はブティックなどに改装されている。
 韓国に古い建物が多く残っているのは、日帝に支配されてたため、太平洋戦争での戦略的価値がほぼゼロだったおかげだ。アメリカは海を渡って攻めてくるし、中国と日本は本土防衛に忙しいし、ソ連は満州を攻めるのに忙しいしで、朝鮮半島なんか攻める価値はなかった。まあ、それをおかげと言っちゃうと韓国民が激怒するだろうが。
 そういうわけでこの北村には若い女の子がうろつく、まあ、倉敷と原宿をこきまぜたようなところだろうか。
 およそ私には縁のない土地である。
 変な服をしきりに物色していたさんば・るんばも、1時間ほど歩いて、さすがに疲れたのか韓家屋の茶店で休憩。
 おされな部屋でおされなお茶をいただいたのだが、そこでの会話がヤマト新作の優秀さや、西郷どんと僧月照のしょんべん無理心中という薄い本系に終始してたのはいかがなものか。

 そこから仁寺洞を南下する。途中、何回も同行者とはぐれる。なにしろさんばは変な柄の服を見ると我を忘れて走り寄る。るんばは仏壇仏具を見ると奇声を上げて突進する。この2人と同行すると、どっちかとはぐれるか両方とはぐれるかの二択しかない。
 はぐれまくった末、ようやく3人が揃ったところで道に迷う。
 鐘閣のタプコル公園近くの店に行きたいのだが、現在どこにいるのかがよくわからない。スマホに聞いてもわからない。
 ふと耳をすますと聞き慣れた、やや濁った金属音がきこえる。これは軟球を金属バットでこする音だ。目をあげると王選手のごとき人物が描かれた看板がある。これはバッティングセンターだ。
 そういえばミーは聞いたことがある。たしかソウルでも随一というディープなマッコリ居酒屋、それはバッティングセンターの裏手に存在すると。(テリーマン談)
 バッティングセンターの横の細い路地を進み、どん詰まりに、ああ、バッティングセンターの敷地のごとくフェンスで囲まれた土地が。これはどこかのブログで見た、ディープ居酒屋だ。
 その名はコカルビチッともワサドゥンとも呼ばれ、正式な店名はつまびらかでない。なにしろ看板もなにもないのだ。我々はそのフェンスを越え、野外にしつらえたテーブルに座る。18時ごろだったが、ほぼ満席。
 何もいわないうちに酒と肴が運ばれてくる。これぞこの店の標準装備、マッコリと焼きホッケである。
 マッコリはまごうことなき洗面器にたっぷり。これを小さなアルミのお椀ですくう。まるで金魚すくいの要領だ。
 ホッケはシンプルな塩味だが、その脂と塩の按配が絶妙で、マッコリが進む。
 お勘定はひとり1万ウォンくらいだったと思う。

ホッケとマッコリ

 露天で洗面器からマッコリを呑むという宿望を果たして満足し、これで現在地点も判明したので次の店を目指す。
 タプコル公園の先にあるユジンシッタン。
 昼間はソルロンタンや冷麺を食う客で混雑するが、夜はソルロンタンのダシを取るのに使ったスユクをつまみにマッコリを呑む客で混雑する。

 ソルロンタンやコムタンが旨い店は、間違いなくそのダシを取ったスユクも旨い。これは韓国の鉄則だ。
 ソルロンタンやコムタンの肉スープと、そのダシを取った肉のスユクとの関係は、日本人にはあまりピンとこない。私がスユクを初めて知ったのは檀一雄の「檀流クッキング」(この本ではツユクと表記している)だが、あの汎世界的な料理通の檀一雄ですら、単なる茹で肉料理として紹介しており、肉スープの副産物であるとは書いていない。
 日本じゃ、ダシを取ったものを食うという習慣は、ダシ昆布やダシじゃこを佃煮にするくらいしかないもんなあ。
 むしろフランス料理の、ブイヨン(肉スープ)とブイィ(スープのダシを取った後の肉)の関係がぴったりくる。
 ちなみにこのブイィ、サヴァランの「美味礼賛」ではよく登場するものの、現代フランス料理ではどう活かされてるのか、西欧料理音痴の私にはさっぱりわからない。ポトフみたいにスープと肉を一緒に食う料理はあるんだけど。

 そんなユジンシッタンで、スユクとマッコリを注文してから、私はトイレに出かけて戻ってくると、なんだか雰囲気が変わっている。
 隣の席のおじさん2人組とさんば・るんばがすっかり意気投合して、合併グループをこしらえていた。
 るんばが外国でおっちゃんと仲良くなる才能は、まさに異能といえよう。
 おじさんAは森永卓郎にちょっと似た、50歳くらいのサラリーマン風。福岡の病院で医療事務を勉強したとのことで、日本語が達者。
 おじさんBは同じく50歳くらいのサラリーマンだが、風貌は荒俣宏に似ている。こちらは日本語はダメで、英語で意思疎通している。
 この荒俣宏さん、なぜか私にむかってしきりに「ハンサムマン、ハンサムマン」と語りかけては手を握ってくる。私はこれまでの人生で容貌について褒められた言葉すべてよりも、この晩に言われたハンサムマンの回数が上回ったよ。
 森永卓郎さんはしきりに日韓友好を訴え、日韓友好のために次の店に行こう!と力説している。
 注文した冷麺とチヂミを食うのもそこそこに、いまや5人のグループと化した一団は次の店を目指す。
 徒歩で10分ほどの間もずっと、荒俣宏さんは私の手を握りしめては「ハンサムマン」を連発していた。

 案内された店は昭和歌謡バーというべきか昭和歌謡キャバレーというべきか。
 店内でかかっている曲はすべて韓国の昭和歌謡らしい。いまのKARAだの少女時代だの東方神起だのとはほぼ関係なく、むしろ小林旭や細川たかしや小柳ルミ子あたりを彷彿とさせる歌唱とメロディライン。それに合わせて、中高年のお客さんが激しくだんしんぐしている。
 ものすごく居心地のいい店だったので、ついつい終電を遙かに過ぎて深夜1時過ぎまで居座ってしまった。
 ソウルの都心深夜はタクシー捕まえられんぞとは以前から聞いていたが、やっぱりダメだった。けっきょく、鐘路から景福宮まで歩いて帰る。

 別れ際に荒俣宏おじさんにメモ帳を渡し、何か書いてくれと頼む。
 住所と電話番号でも書くかと思っていたが、なにやら1ページびっしりとハングルを書き連ね、にっこりと笑って私の手を握り、「グッドラック、ハンサムマン」と言って帰っていった。
 そのメモは今も私の手元にある。韓国語が堪能な人に訳してもらおうかと思ったが、恋文やポエムだったらどうしようかと心配で、まだそのままにしている。

9月28日(土)
 昨晩さすがに飲み過ぎたのと夜更かししすぎたので、起床は10時頃。
 ようやく起きてシャワーを浴び、本館のさんば・るんばをとりまとめて、駅前のサムゲタン専門店、土俗村に行く。
 さすが超有名店、11時前というのに、ほぼ満席の盛況。
 サムゲタン15,000ウォンを注文。最初にお茶とクコ酒が到着する。キムチとカクテキは既にテーブルに備え付けてある。
 やがて、でかい土鍋にぐつぐつと煮えた鶏が登場。スープは二日酔いにちょうどいい味付けで調味の必要がない。肉だけは岩塩みたいな塩をつけていただく。しかし熱いな。食べてすぐに全身から汗が噴き出す。ランニングシャツ一枚になって奮闘してたおじさんもいた。
 うまいが量が多い。肉の量も多いが、詰めてあるもち米も多い。松の実は豊富だしナツメもでかい。高麗人参ときたら、こんな太いのをサムゲタンで拝見したのは初めてだ。
 私は9割くらい食べたところでギブアップしたが、さんば・るんばはみごとに完食していた。
 12時過ぎに店を出ると、外には塀沿いに長蛇の列。「ここが最後尾です」の看板。コミケですかここは。

サムゲタン

 地下鉄を乗り継いで東大門へ。
 細い路地と見れば突っ込みたがるウナギの性を持つるんばを制しつつ、なんとか広蔵市場へ。
 ここは食品中心の市場で、ジョン(チヂミの小さいの)やキムパブ(海苔巻き)やトッポギ、果ては刺身の屋台まで並んでおり、昼から焼酎の小瓶をぶらさげてくだを巻いているおっさんがいるのだが、なにしろ二日酔いの余韻とさっき食ったサムゲタンが残っているので食欲がわかない。さんばの旦那ジミーちゃんが以前ここの屋台でジョンを食ったが、油が古いせいでまずかったと聞いてはなおさらだ。
 市場を出て、コーヒーでも飲もうかと通りを歩いたが、このへんにはまるで喫茶店がない。歩けど歩けど、あるのは調理用具屋と、なぜか登山用品店だけ。
 地下鉄2駅分ほど歩いて、ようやく小さなカフェをみつけた。

 東大門市場近くでコーヒーを飲んでから、15時半頃に解散。
 これからさんば・るんばは靴を買うとのこと。
 私は東大門市場をざっと歩いて、独島Tシャツは売っていそうもないことを確認した後、東大門歴史文化公園まで歩いて地下鉄に乗る。目的地は独島体験館。
 忠正路の駅から市庁駅まで大通りをまっすぐに戻り、韓国鉄道の踏切を渡ったすぐ先のビルの地下に、探している独島体験館があった。目印は漁師らしい男の子とアシカのオブジェ。
 入り口前には竹島に関するこれまでの経緯のようなものを、マンガで説明したパネルがある。儒服姿の朝鮮人がおだやかに話し合いで解決しようとしているのに、フンドシ一丁の日本人はすぐに日本刀をふりかざして武力にものを言わせようとしているという、韓国ではありがちな構図。現在、何かというと軍事力を持ち出していきり立っているのは、むしろ韓国側なんだけどな。
 受付で国籍を聞かれたのでなにかあるのかと警戒していたが、単に日本語のパンフレットを渡してくれただけだった。あと、16時20分から4Dシアター上映があるが、登録しないかとのこと。5分後なので記帳しておく。
 他の展示を見ているうちに上映の準備ができたらしく呼ばれる。入り口で3Dメガネを渡されて席に案内され、座るとジェットコースターのバーみたいなものが下ろされる。やがて上映が始まった。
 4Dという名称はダテじゃなかった。どうやら未確認飛行物体に乗って竹島を遊覧するという設定らしく、席がガンガン揺れ動く。宇宙空間から竹島に飛来し、頼もしげな韓国哨戒艇を訪問してから、岩礁をめぐったり洞窟をくぐったり、果ては海中深くで深海生物と戯れたりという冒険。これで無料なのだから驚く。ここの4Dシアターを見ずして独島体験館を語るなかれ。
 ここの展示はショボいという意見がブログに多かった。たしかに展示は古地図や古文書のコピーが多く、内容はたいしたことないが、それでも独島切手には興味をそそられたし、独島の旧名称、于山国が朝鮮の領土となった経緯も正直に書いていたなあ。
 なんでも于山国王が悪女に迷って苛政を繰り返し、人心が離れた時期を見すまして、朝鮮の将軍が木の人形を多数並べ、「見よ、朝鮮にはこんな大勢の兵士が控えているぞ! 抵抗しても無駄だぞ!」とやって于山の戦意を奪い、無条件降伏にこぎつけたとか。これって、もろに侵略じゃねえか。
 独島の語源についても「ドクト=石の島」だから、石島やドクソムと呼ばれていた島はすべて独島のことだったんだよ! という主張が書いてあったが、これって、済州島付近や釜山近くにあるドクトと呼ばれている他の島もぜんぶあの独島だということになっちゃうんじゃありませんかね。
 まあとにかく、主張につじつまが合ってなくても無理筋の主張であっても、景気がいいのだけは評価できる。
 10分ほどの上映が終わり、他の展示を見て帰ろうとしたら呼び止められ、紙袋を渡される。中にはノート、色鉛筆、歯磨きセット。パンフレットも豪華だったし、カネかけてんなあ。
 やっぱり日本も韓国みたいに、カネかけて景気よく宣伝しないといかんよなあ、と思う。
 残念ながらこの体験館、無料のお土産は豪華だが、スーベニアショップはなかった。独島Tシャツに期待してたんだがなあ。

独島体験館 独島切手

 ここからまた地下鉄を乗り継いで馬場へ。小雨が降る中、さんば・るんばと落ちあって馬場洞まで歩く。
 ここは精肉市場があるところで、新鮮な肉あるところ焼肉屋あり。ソウル中心地よりはかなりお安い値段で牛肉が食えるというので、観光客も大挙して集まってくる。
 市場をぐるっと回ってみたが、もうほとんどは閉店していた。なんだかバファローズ残党みたいなオブジェが店頭にあったなあ。

精肉市場 牛のオブジェ

 精肉市場に隣接している焼肉屋街は、バラックのような同じつくりの店が並び、中を覗いても同じようなテーブル、同じようなコンロ、同じような椅子。じっさい、どの店もメニューはほとんど同じ、値段もほとんど同じ、味もほとんど同じらしい。
 どこでも同じだから先入観や情報をもってないるんばに野生の勘で選んでもらおう、とまかせたら、「ここがよさげ」と選んだ店が、なんとコウケンテツお薦めの有名店だった。ある意味勘は狂ってないというべきか、るんばも感覚は意外と多数派で俗なのね、というべきか。
 まあともかく店に入って、韓牛盛り合わせ小(カルビ、ロース、ハラミ)を注文。ここの焼肉屋通りではどこの店も、つきだしとしてレバ刺しとセンマイ刺しが出てくる。
 酒はビールから、焼酎に切り替え。ここの店では焼酎の小コップの底に朝鮮人参のスライスが沈んでいる。
 あとで好きな部位を追加注文しようと思っていたが、盛り合わせとレバ刺しでけっこう腹が一杯になってしまった。
 たしか韓牛の盛り合わせ小が8万ウォンくらい、そのほか合わせて10万ウォン程度だったかな。
 輸入牛(たぶんアメリカ産)だったら韓牛の半額以下なので、マジャンドンはやっぱり安い。

焼肉屋通り 韓牛盛り合わせ小

 焼肉屋を出てからマッコリでも飲みに行こうかとするが、るんばは気分が悪いので単独行動するという。
 二日酔いが残った上に旅の疲れ、それに焼き肉が腹にもたれたのかもしれないが、主因は焼肉屋での会話だと思う。
 なにしろ私は下世話大好きゴシップ大好き、さんばは座右の銘が「犯罪の陰に女あり」というくらいワイドショーや「図説・世界の悪女」みたいな本が大好き、というわけで、会話の内容が2ちゃんねるのヲチスレや世界犯罪実話や昭和の少年少女漫画に偏ってしまうのだ。たしか焼肉屋でも、ソウルナビ掲示板のくだらない書き込みや最近の薄い本動向や世界の人肉食に終始していた。

 さんばと私は地下鉄でノクサピョン駅まで行き、そこからマッコリバーのタモトリを目指す。
 タモトリ周辺はなんだかウエスタンの雰囲気漂う街角で、西部劇に出てきそうな半オープンのビアバーが数軒並んでいた。それもそのはず、このへんに米軍基地があるのだそうだ。
 満席なので15分ほど待たされたが、なんとか席につく。
 まずはお試しセット。これは2,000ウォンで5種類のマッコリがおちょこに並んでいる。
 「白いレンゲ」ってのは酸っぱい、「ケド」は甘くてわずかに渋い。「徳山」はごくふつうのマッコリでちょっと薄いかな。「福順部家」は酸味が強く癖がある。「五穀進上」はスタンダードでおいしいマッコリって感じかな。
 結局その5種以外から、「独特の味」という説明に負けて「ソン・ミョンソプ」というマッコリをボトルで注文してしまった。これがうまかった。酸味が強めで甘みひかえめなのがモロに好み。だいたいこの店、ボトルは5〜6千ウォンが相場。
 うまくてご満悦になったので、5種の中でいちばんお気に入りの、発泡が盛んでふつふつはじける「福順部家」をボトルで注文。たしかこれ、他のマッコリの3倍くらい、1万5千ウォンくらいしていたな。でも高いだけのことはあった。酸味と発泡が刺激的で、他の味はバランスが取れている。マッコリのシャンパンといった感じ。
 つまみにはジャガイモチヂミ、つきだしで塩味のプレッツェル。どっちも味は文句なし。
 ところでトイレにこういう注意書きが貼ってあったが、これはアメリカ的ユーモアセンスなのですかね。下世話大好きな私とさんばは大喜びしましたが。
 さすがにこのあとはタクシーを拾って、景福宮まで帰る。

うまかったマッコリ タモトリのトイレ

9月29日(日)
 今日も朝寝坊。
 ふらふらと近所のスーパーや市場をまわり、職場用のばらまき菓子やらチヂミ粉やらを買う。
 駅前に12時前に戻ってきて食事。看板から判断すると、鶏のソルロンタン、鶏カルクッス(うどん)、鶏そうめん、鶏ぞうすいの4つしか品目がない。鶏で勝負する店のようだ。
 この店が当たりだった。私とさんばは鶏カルクッス、るんばは鶏そうめんを頼む。むろんビールも頼む。
 大きめのどんぶりに入った鶏そうめんの後で、タライに入った鶏カルクッスが運ばれてくる。オヤジは「どや、でかいだろ」と自慢げに笑っている。なんというか、韓国の人は巨大癖のある人が多いよね。
 とても食い切れなかったが、カルクッスの歯ごたえ、それになにより鶏のダシがきいたとろりとしたスープ、これがおいしゅうございました。

タライカルクッス

 そのあとは宿をチェックアウトし、荷物をあずけて空港へ出発する時間まで自由行動。さんば・るんばは再び東大門へ買い物に行くとのことだが、私は景福宮に入る。敷地内の民俗博物館がめあて。
 農村の風俗や宮廷風俗、冠婚葬祭あらゆる韓国の風習を集めていて、わりと面白かった。
 韓国の花札は小野道風が変な韓服を着てたりして面白いぞと聞いていたのだが、残念ながら博物館に展示された花札は日本のと同じだった。それもそのはず、日帝支配下の昭和初年の日本製花札だったのだから。

 景福宮を出たあと、空港で食うものを物色。
 チキンの店でフライドチキン小を頼むと、ケンタッキーのコールスローサラダのような容器にチキンとトッポギを入れてくれた。1,500ウォン。
 キムパブ天国でチーズキムパブを注文すると、おばちゃんが海苔巻きを切って、タクワンと一緒にアルミホイルにくるんでから袋に入れてくれた。なんだか昔おかんが作ってた遠足の弁当みたいで、とても全国的フランチャイズチェーン店でやることとは思えない。2,500ウォン。

 15時に旅館に集合し、駅前の空港行きリムジンバスに乗り込む。1万ウォン。
 16時ごろ空港に到着。レンタルスマホ返却、借り賃は5日で通信費込み3万ウォンくらい。
 そのあとエアアジアのチェックインをしようとして、ふと気づいたのだ。
 私のカバンには力道山ブランデーが入っているから、機内持ち込みはできない。手荷物で預けないといけないのだ。
 手荷物預けはたしか日本円で千円。やむを得ない、とカウンターに申し出ると、意外なことを言われた。
「お客様の手荷物は制限の7キロを3キロオーバーしておりますので、預け料が3万ウォンになります」
 嗚呼、力道山ブランデー、チヂミ粉1キロ、それにフェイスパック7袋、こいつらだ重量超過の元凶は。
 フェイスパックひとつは30グラム程度と軽いが、それが10個7袋、2キロ余となるとねえ。
 両替した3万円はほぼ使いきり、財布に残っているのは1万5千ウォンのみ。
 日本円で支払いを申し出たが、すげなく断られる。
 カードで支払おうとしたが、JCBカードはダメです、VISAかマスターかアメックスかでないと、とのこと。
 ようやく財布の隅に眠っていたYAMADAカードにVISAがついているのを見つけ、チェックを済ます。これが後に支払い不能になろうと知ったことではない。

 ようやくカウンターから解放され、空港のラウンジへと向かう。
 さんばは免税店で買い物をするというので別れ、るんばと私でビールの飲めるところを探してさまよう。
 ようやくセルフの軽食コーナーをみつけ、バドワイザー生ビールを2杯ずつ呑む。1杯1万ウォンだった。高いと思うが背に腹は代えられない。腹いせに、こっそりとフライドチキンとキムパブを開けてつまみにする。
 飛行機に乗り込んでからも、「ビール1万ウォン」の後遺症が残り、機内販売のビールとつまみのセット600円、ヒャー安い! という心境に陥ってしまい、躊躇なく買い込んでしまう。まあ、旅の最後の缶ビールはうまかった。

 成田に到着したのは20時過ぎ。日曜の夜なのでラッシュもなく、10キロ超のズダ袋をかかえて無事に家まで帰る。

 今回も独島Tシャツ入手に失敗したことと、るんばの反対でホンオフェの店に行けなかったことが残念。

 ちなみに阪神だが、私がソウルに行っている間にやっぱり連敗を重ね、その勢いをCSにも持ち越して広島に連敗、あっさり敗退。もっともこれは、私が日本を離れていると阪神が負けるというジンクスよりは、秋に弱い阪神の体質として説明されよう。もとから阪神はベテラン依存の体質である。愚かな監督が率い、開幕から鞭を入れまくり、選手を休ませるというような配慮をまったく行わない場合、秋には主力が疲れきって春先とは別人と化す。まともな人間を監督に据えない限り、この悲劇はいつまでも繰り返される。

 これでおしまい。


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