原理主義者の憂鬱

 最近、うどんがすごいことになっている。

 などと思いっきり雑文の紋切り調で始めて申し訳ない。しかしすごいのは事実だ。問題はさぬきうどんなのである。ブームなのだそうだ。グルメなのだそうだ。安上がりな料理番組を得意とするテレビ東京などは、さっそくラーメン紀行に代えて讃岐うどん巡礼番組を始めるくらいなのだ。
 そんなさぬきうどんの特徴はというと、とにかく「コシが強い」らしい。汁の中で二時間ぐらい煮てもとろけないし、韓国の冷麺ではないかと思うくらいに固いし、入れ歯が抜けてしまいそうなほど粘るらしい。とにかく、存在感ありまくりの麺なのだ。
 麺の存在感のためかもしれないが、さぬきうどんは「素っ気ない」らしい。まず店が素っ気ない。名店といわれる旨い店は、例外なく汚いらしい。中には工場の片隅にコーナーを設けただけという店もあるらしい。そして接客という概念がない。ほとんどがセルフサービスである。客は、玉コーナーで金を払ってどんぶりにうどんを入れてもらい、汁コーナーで冷たいのや熱いのや好みの汁を注ぎ、薬味コーナーで葱や唐辛子を振りかけ、最後にトッピングコーナーで希望者はゴボウ天やチクワ天などを購入して載せる、そういうシステムらしい。在りし日のソビエトの売店か、社員食堂のような光景である。
 ついでにいうと、さぬきうどんについては、うどん玉についてしか語ることを許されない、らしい。さぬきうどん通、さぬきうどん者は、情熱的にうどんのコシや粘りについて語るのみだ。それ以外について語ることはない。もしも「あそこのうどんは、載ってる海老天の揚げ具合がもうひとつ」だの「うどんはいいが、ツユが辛くて」などと発言する者あれば、「さぬきうどんのトーシロ」として後ろ指さされ、軽蔑され、ついには「そうめんでも食ってろ」とばかりに、鳴門海峡から突き落とされる羽目になるのである。ちなみに讃岐の人は、そうめんを「奴隷の食い物」と卑しんでいる。それはあたかも、イスラム教徒が豚を見るような、またはキリスト教の聖人が風呂を見るようなものである。
 つまりは原理主義者なのだ。さぬきうどん者は、うどんを崇め、うどんのみを神とする。うどんに付随するツユ、具、器、店構え、サービス、こういったものを極端に排除する。うどんとツユを同列に扱うなど、神の似姿を描いたイコンを礼拝するのに等しい、涜神の行いなのだ。うどんに似せたそうめんなど、神に似せた悪魔、邪宗門なのだ。ジハードなのだ。

 こうしてみると、さぬきうどんは、関東の「そば」に対抗すべく、作られたブームではないかという疑惑がわいてくる。
 江戸のそば者も、原理主義者である。ツユは麺の先にちょっとだけつけろ、ワサビはツユに混ぜるな、噛まずに飲み込め、などとなにやら小難しい作法を作り上げ、それに違背することは許されない。礼拝の時間や方角が厳密に決まっているイスラム教のようなものである。料理法についてのストイックなまでの厳格さも、さぬきうどんと同列である。基本的に「もり」しか許されない。「ザルソバ」などと注文すると、そば者失格の烙印を押され、店から叩き出される。「かけ」はまだいい。しかし載せる具は、せいぜい天ぷらまでだ。「オカメそば」や「肉南ソバ」など頼む人は、田舎者と蔑まれる。「カレーソバ」など頼もうものなら、江戸七里四方所払いか八丈送りは必至である。

 本来なら「江戸のそば」に対抗するものは「大阪のうどん」であるべきだった。しかし、大阪のうどんは原理主義でなかった。むしろ寛容なまでに博愛主義だった。大阪のうどんの総本山であり、きつねうどんを考案したといわれる名店「松葉家」の主人の言葉を聞いてもそれがわかる。

「うどんいうもんは、ざるそばみたいに、それだけを汁につけてもおいしくないんです。きつねうどんなど、かやくとおだしで味わってこそうまいんです」
「うどんは麺が勝っても汁が勝っても具が勝ってもあきまへん。三位一体で、全体の味がまろやかなひとつの味になってなあきまへん」
「うどんという食べもんは、百点満点やと窮屈であきまへん。どこかで引いて、八十五点か九十点の味を出す、残りをお客さんに埋めてもらう、そこがええんです」
               (「きつねうどん口伝」ちくま書房より)

 どうであろうか。みごとなまでに調和的思考である。ここには原理主義の入る余地はない。寛容と調和。それが大阪うどんのモットーである。大阪の原理主義者は、こうしてうどんから追放され、カレーと牛丼に走った、というのが私見であるが、ここでは詳説しない。

 こうして東西対決をもくろむマスコミの煽動で、さぬきうどんはそばとの原理主義対決の土俵に上がった。軍配はいずれともつけがたい。下層階級に広い支持基盤を持つラーメンは、共倒れを期待してほくそ笑む。名古屋の味噌煮込みうどんは、麺類のビザンチンとも言うべきその派手やかさで虎視眈々と天下を狙う。スパゲティは女性票を獲得して党勢を拡大する。こうして麺類情勢は、なんだかわからなくなっていくのである。


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