ぎうどん合従の計

 なにやら牛丼とカレーの間がおかしくなっている。

 カレー愛好家が集結してカレー教を結成すれば、牛丼好事家たちは密かに牛丼教団を設立する。カレー教が派手な宣伝活動を行えば、牛丼教団は地下に潜る。カレー教が夏目漱石以来の歴史を誇れば、牛丼教団は「牛丼一筋、百余年」を誇示する。カレー教の大司教が1日3回カレーを賞味すれば、牛丼教団の管理人は負けじと牛丼特盛り・つゆだくを貪り食らう。カレー教の最高位導師が宙に浮けば、牛丼教団の大僧正は地中深くに埋まる。とにかく、お互いもの凄い対抗意識を燃やしているのだ。

 カレー教のメッカは、大阪のインディというカレー専門店である。ここでは、カレー教徒は普通盛りの値段で特盛りが食べられる特典がある。なんでも、ここで1回カレーを食べると、32000回のカレーを食べたのと同じ御利益があるそうである。大阪や九州のカレー愛好家で店は毎日賑わっている。九州の人はなぜか皆黄色いシャツを着ているらしい。汁をこぼしても目立たないためかしら。
 牛丼教団の総本山は、おなじみ全国展開の吉野家である。「オレンジ・クラッシュ」といえば普通の人にとっては小橋健太のラリアットのことだが、牛丼教団にとっては吉野家で牛丼特盛りを喰うことである。「特盛り」「つゆだく」「ねぎだく」「とろ抜き」などの、フリーメイソンの合い言葉にも似た符帳が店内に飛び交う。昔、オウム真理教という下部組織が牛丼屋を開いていたが、あれは今では異端の邪宗ということに、教団の公式見解ではなっている。
 カレーのシンボルカラーは黄色。大阪は阪神の根拠地でもあり、これもチームカラーは黄色。この辺に、大阪でカレー教が生まれた由縁があるのかもしれない。
 牛丼のシンボルカラーは、もちろん吉野家のオレンジ色。世間では、黄色とオレンジ色が覇権を競い、まるでフィリピンの選挙戦の如き色鮮やかさである。

 聖戦の名を借りた紛争は終わりなく続き、その及ぼす惨禍は果てしない。すでにこの宗教戦争の被害者は、シャツを黄色く汚した人2、肝臓を悪くした人4、太った人3、ポリープができた人1、お金が無くなった人1、ハードディスクがクラッシュした人3、掲示板を閉鎖した人1、幼児語しか喋れなくなってしまった人1、唐揚げカレーを頼んだはずなのにチキンカレーが出てきた人1、お嫁さんに愛想を尽かされた人2を数えている。
 誰かがこの惨禍を止めねばならぬ。
 誰かが調停を行わねばならぬ。

 調停の最適任者といえば、やはりあの人である。
 カレーにも牛丼にも公平に砒素を入れる、あの人しかいない。
 しかし、連絡が取れなかった。最近、家に帰っていないらしい。
 どうしたのだろうか。
 ということで私は、1冊の本を買ってきたのだ。
 朝日文庫「東海林さだおの弁当箱」。
 漫画家・東海林さだおが週刊朝日に連載している、食に関するコラムの総集編である。
 これでカレーと牛丼の登場回数を比べれば、どちらが知名度が高いか、どちらが一般の支持を受けているか、公平な第三者による優劣の判定となるだろう。その判定によって牛丼・カレー紛争の調停を行うことができるだろう。

 さて。
 あら。
 いきなり決着がついてしまった。
 巻末索引によると、カレーライス登場は7回。カツカレーも含めると8回である。これに対し牛丼は5回。
 それよりなにより、カレーには特に、「ワーイ!やっぱりカレーの巻」という一章が設けられているのである。牛丼は他の食品と十把ひとからげの扱い。この差は、大きい。
 これにて一件落着。

 と、思ったのだが、ふと気づいたことがある。
 カレーには友達がいない。
 牛丼は友達に恵まれている。

 牛丼と同じくらいの実力者、カツ丼(4回登場)をはじめ、天丼(2回)、鰻丼(2回)、かき揚げ丼(1回)、親子丼(2回)、皮トロ丼(1回)と、牛丼の友達は多士済々である。
 それに対しカレーには、ハヤシ君というたったひとりの友人がいるが、それもうらぶれた存在にすぎない(1回登場)。そもそも今時、カレーの友達がハヤシ君では、洒落にならない。笑えない。世間に申し開きが立たない。交友関係の広さでは、とても牛丼にはかなわない。

 実力抜群だが友達のいない、カレー。
 実力では劣るが、優秀な友達に恵まれている牛丼。
 この二者の関係はどこかで見たことがある。
 そう、中国古代の漢楚の争い、項羽と劉邦である。

 楚の項羽は強大な武力を持ち、闘って負けたことがない。
 しかし、陣中に優秀な人材が乏しい。項羽自身があまりに強烈な存在だったため、部下は項羽の命令通りに動くだけの存在となりはててしまった。これはまさにカレーの宿命である。
 軍師の氾増だけが、わずかに項羽を補佐していた。彼がハヤシライスであろうか。

 漢の劉邦は、単独で闘っては項羽に勝ち目はない。
 しかし、その人徳を慕い、数多くの逸材、俊才が幕下に参じた。
 牛丼の趣がある。
 韓信はカツ丼、簫何は天丼、張良は鰻丼、陳平は親子丼、そして鯨布はかき揚げ丼であろうか。

 つまり、最後は牛丼教団が勝つのか。
 しかしそのためには、丼勢力の総力を結集してあたらねばならぬ。
 カレーをなめてはいけない。
 カツ丼、天丼、鰻丼、親子丼、かき揚げ丼が大同団結するのだ。
 大丼翼賛会を作るのだ。
 立て万国の牛丼者。
 さすれば、強大なカレー教といえど、民衆の力に敗れ去ることであろう。

 あれ?調停するんぢゃなかったっけ?
 


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