くだらな日記(2005年1月)


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1月31日(月)
 土曜日に未鏡さんとこで恥丘、もとい地球防衛少女イコちゃんのビデオをえんえん見せられてつらくなって、ああ俺も許容範囲が狭くなったなあ、と反省したが、いかんともしがたい。偏屈を極めつつあります。磯崎なんちゃらはかわいいけど。でも快楽英雄なんとかエースはよかった。
 そんな中で最近ずっとお気に入りのサイトは「ちょびさい」です。ワタルさんとこから拝見しました。フラッシュがいいです。最初は「なんだよみなしごハッチの凶悪版じゃん」とか馬鹿にしていたのですが、じわじわとその味わいを噛みしめるようになり、漂う哀愁を愛するようになってしまったのです。

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 近所のみかんを奪い、出産直後の肥立ちの悪い娘に恵む義賊、怪盗プリティピンクが盗んだみかんの木に残すカードを作ってみたのですが、なんか凶悪になってしまいました。とりあえずこのカードを残してみかんを盗み、kasumiさんにおみやげとして進呈しよう。完全犯罪。

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 一昨年の正月にNHK教育テレビで流れ、最近ディスカバリーチャンネルで流れている「フューチュアワイルド」(未来の生命)、なんか違和感を最初から感じていたけどその理由がやっとわかった。コメンテイターで生物学者が数人登場するのだが、そいつらが、「サメは3億年前から棲息し、2回の大量絶滅を乗り越えてきて現在も繁栄しているのですから、今後も生き延びるでしょう」「昆虫は4億年前から(以下略)」というたわごとをぬかしているのだ。
ちょっとまともな進化生物学者なら、これまでの棲息歴と現在の繁栄が、将来のサバイバルの根拠にはまったくならないことくらいは承知しているだろう。そもそもこういうコメントが正当なら、5億年前から繁栄して2回の大量絶滅を乗り越えた三葉虫はなぜ今も栄えていないのだ。4億年前から白亜紀まで栄えたアンモナイトはどうするつもりなんだ。どーゆーつもりなんだこのBBC野郎とチョーチン生物学者。
 小助さんと夜を徹して語り明かしたい気がする今日このごろ。

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 いまさら町田康「つるつるの壺」(講談社文庫)を買ってしまって感想を言うのはなんだけど、ロックの歌詞を募集して一人称と二人称に「あたい、あんた」がなかったというのは何か信じられないものがある。


1月30日(日)
 前に絶賛したことのある「超ぽじてぃぶファイターズ」(テレビ東京:日曜夕方5時15分〜5時20分)をようやく2回目に見る。なにしろ日曜夕方という微妙なポジションのうえ、たったの5分番組だからよほどでないと見逃してしまうのだ。
 でもやっぱこのアニメ変だわ。妙だわ。2004年〜5年の特撮アニメ界最大の収穫と言って間違いないとおもう。いつ新庄が出るかなと楽しみにしていたら、「二番新庄は三球三振」とアナウンスだけで片付けられてしまっていた。これって、スターを遇する道ではないと思う。

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 ブッシュも馬鹿だしブッシュを選んだアメリカ国民も馬鹿だとさんざん言っているわけなのですが、ブッシュの「馬鹿」とブッシュ支持者の「馬鹿」は質が違うのです。ブッシュの場合は脳の働きが貧弱な人という意味の「馬鹿」なのですが、ブッシュ支持者は「おまえら、馬鹿なこと考えてんじゃねえよ」というほどの「馬鹿」なのです。
 まずアメリカ国民のおよそ三割が「私が生きているうちにキリストがふたたびこの世に現れる。てゆーか早く来い」と真面目に信じていることを忘れてはなりません。このいわゆるキリスト再臨派が、ブッシュ大統領の支持基盤の中核なわけです。このキリスト再臨派とかファンダメンタリストとか呼ばれている連中こそ、オウム真理教もビックリという過激派なのです。
 キリスト再臨と言ってもそう簡単にはいきません。「キリちゃんや〜い」「あいあ〜い」という具合に、ホイ来たドッコイと現れるわけではないのです。キリスト再臨に先立って最後の審判があることが必要です。そして最後の審判をおこなうためには、人類がぜんぶ死んでもう新たな人が生まれないことが必要なのです。なにしろ最後ですから。つまり順番としては、
1)人類絶滅。みんな死ぬ。
2)神による最後の審判が行われ、悪しき者は地獄に落とされる。
3)地上が天国となり、残された善き者は再臨したキリストとともに永遠の生命をもつ。
 という手続きが必要なわけです。まず前提として人類絶滅が必要なわけですね。
 というわけでキリスト再臨派が選んだのがブッシュです。馬鹿で喧嘩っ早いこの男を大統領にして、世界各地で暴れまわらせることにより、人類絶滅を招く世界最終戦争の勃発を期待しているわけです。ゴアやケリーではうまいこと紛争を仲裁して平和になってしまうからダメなのです。北朝鮮で、イラクで、アフガニスタンで、イスラエルで、元ユーゴスラビアで、馬鹿が世界最強の兵力をぶんぶん振り回すのを楽しみに見ているわけです。そのうち中国かロシアかインドかフランスが挑発に乗ってくれないかな。わくわく。そうすれば核戦争でピカドンなんだけどな。わくわく。早く人類絶滅しないかな。わくわく。さすれば最後の審判で、イスラム教徒や仏教徒やヒンズー教徒や共産主義者や民主党員はみんな地獄行きだ。わくわく。オレたちは善き者だからキリストとともに永遠の生命だぜ。わくわく。という具合に、ボクもあなたも願ってる、祈る気持ちで待っているわけなのです。
 われわれはみんなこんなシナリオのとばっちりをくらって地獄なのです。とほほ。


1月28日(金)
 そろそろ花粉症で、自分の髪の毛がチクチクして痒くてたまらないので、床屋で短くしてもらう。
 刈られているあいだじゅう、ほっぺたについた一本の毛が痒くて痒くて、ずっと気が気じゃなかった。

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 服部之聡「黒船前後・志士と経済」を再読。坂本龍馬に消された男がここにもいたことを思い出した。司馬遼太郎は「竜馬とは妙な男で、志士のくせに志士対策ばかり考えていた」と書いていたが、じつはほとんどの“一流の”志士は志士対策を考えていたんだよね。藩お抱えで考えなくてすむ、薩長一部志士を除いて。
 一番乱暴というか短絡的なのは、清河八郎の、とりあえず志士を集めて圧力団体にして、暴れられたくなかったら幕府か朝廷で養え、というやつ。水戸天狗党も経緯はともあれ、これに近いかな。
 梅田雲浜はもっと巧妙で、各藩の志士のネットワークを、支持基盤である、地方豪農・豪商とリンクさせ、地方間の物産の交易により利益を得てその金で武装を固め、かつそのネットワークを情報網・連絡網としても活用するというもの。つまりは坂本龍馬の海援隊構想の先駆者だ。司馬遼太郎は坂本龍馬をユニークにしたいがためか、梅田雲浜のことはひょっとしたら意図的に無視していたのかもしれない。


1月27日(木)
 こういうのって統計的なデータがないのがつらいんですよね。
 ほんとうに腰が海老のように曲がった老人ってどこにいたんでしょうというような話ですが、たしかに昔は存在したわけで。なぜ存在したかというと、主に労働事情と、副次的に食糧事情に原因を求めるしかないと思います。
 引用していただいた文章も読んでみましたが、「たまたま運良く栄養不良にならず、感染症にもかからず」というところに違和感を感じました。栄養不良や感染症の可能性の高さこそが昔の平均寿命の低さだろ、とツッコミたくなって。大正以前の平均的な日本人はだいたいかつかつの栄養状態だったもんで、風邪をこじらすと死ぬし、子供はハナをたらしてるし、結核にかかると死ぬし、ハシカで死ぬし、目を悪くするとすぐ失明するし(医学水準の低さといろりが原因でもあるが)。
 と、思ったところで結論が出たような気がします。むしまるさんは最高寿命というか、すべての悪条件をクリアした場合について語っているし、私は平均的なケースについて語っているような気がします。むかしの人でも健康で頑健で天寿を全うした人がいることは間違いのない真実です。だいたい戦争に負けたり取り潰されて隠居したダメ大名が長生きするようですね。若いときの栄養状態がいいのと、老いてからの精神的ストレスが少ないのが効果的なようです。今川氏真とか。


1月26日(水)
 ちょっと気になったので、うえだたみおさんの日記から、「りねさんはまだ寝ていた」に関する記述のある日をチェックしてみました。とりあえずここ4ヶ月分。
 (カレンダー中 −:未日記または日付なし ○:「寝ていた」記述あり ×:「寝ていた」記述なし ◎:2度以上寝ていた場合 △:バテバテの日、ダウンしていた日)

2004年10月

Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
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2004年11月

Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
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2004年12月

Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
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2005年1月

Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
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 ここから導き出せる法則は、「りねさんが寝ているのは週の後半、とくに土日が多い」というものでしょうか。しかし土日はたんにたみおさんが家にいて寝ているのを目撃する可能性が高いだけなのかもしれません。しかしやはり、月火よりは水曜以降が多いとは言えると思われます。とくに、「木曜日は危険日」と言えるのではないでしょうか。
 次に、「2週間くらい寝ずにがんばると、リバウンドが来て倒れる」という法則もあるようです。10月の後半はほとんど寝ずにがんばったら木曜日にバテバテになりました。12月の第3週はマニアの間で「12月の傑作群」と語りぐさになるほど寝ませんでしたがそのツケが年末年始に来ました。
 さらに、「月平均でまだ寝ていたのは7日〜9日」ともいえるか。3日〜4日にいちどはまだ寝ている計算になります。今月はすでに9日に達していますから、今後の体調によっては自己新記録も期待できる勢いです。
 今後も楽しみにしております。とくに明日。


1月25日(火)
 徳川夢声は三十五歳で「徳川老」四十歳で「徳川翁」と呼ばれたり、江戸時代の人間はたいがい四十くらいで隠居していたとはいっても、それほど老けていたわけではない、というご説を伺いましたが、しかしやはり現代より老け込むのが早かったということをお忘れなく。
 江戸時代は蒸気機関も電力もなく、馬力や牛力すらほとんどなく、ほとんど人力でした。いまのように事務所でパソコンの画面見つめてなんとかなるような仕事はほとんどなく(大店の旦那や高禄武士など、きわめて限られておりました)、みな力仕事をせざるを得ない状況でした。力仕事となると四十代は二十代にかないません。これは昭和になってからですが、学生は徴兵されると士官候補生として勤めるのですが、これが十数年後になにかのことで再徴兵されることがあります。三十代後半から四十歳くらいで少尉、などというのが登場するのですが、これを世間では「老少尉」と呼んでいました。尉官は十代から二十代の兵隊といっしょに走り回らねばならぬ職種ですが、四十ではそれはかなりつらいものだったのです。江戸時代のおおかたの職業もこの老少尉と同じです。もっともひどいのは農民です。田植え、草取り、稲刈り、年貢運び、すべて人力で、しかも腰を曲げておこなう仕事ばかりなので、四十をいくらも過ぎると腰はまがったきり伸びなくなり、過労と栄養不足で皺だらけになり、八十の老人と見まごうばかりの姿となりました。多くの四十歳は息子に跡をゆずって隠居し、茶でも飲みながらときに助言する役回りに甘んじました。これを「老け込むのが早い」と言わずしてなんと言いましょうか。そもそも労働がいまの倍以上で、しかも慢性の栄養不足、とくに身体をつくるのに必要な蛋白質が不足していたのですから、老化が早かったのは当然のことです。
 高僧や武芸者などは、荷をかつぐことも田の草取りもしなくて済んだ、きわめて恵まれたごく一部の階級の人物であることをお忘れなく。むろん、腰が曲がって皺だらけで八十にも見える四十の隠居も、それからの栄養状況などがよろしければあと八十年生きることも可能でしたが、でもそれは八十年間老人として生きることを否定しませぬ。坊主はだいたい、なったときから老人として生きているようなもんだし。

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 鈴木みのるの扱いなど見ていると、ノアと新日本の違いは、「外敵を迎え撃つ本体側のキャラが立っているか」というところにあるような気がする。小橋なら純情一直線プロレス馬鹿、秋山ならイヤな性格というキャラがあって、それぞれに鈴木がどう絡むかという見せ場があるわけで。しかし新日本では、鈴木が永田と闘っても天山とやっても中西と絡んでも西村が倒立しても、あんまり見せ場がないわけで。本来なら永田=ヘタレ、中西=馬鹿、天山=オラー、西村=デムパというキャラがあるはずなんだが、そのへんをリングで見せられないのはどういうわけだ。やっぱ、シリーズを通しての一貫したストーリーを作る能力が欠けているのだろうか。ノアはそのへんちゃんと作るからな。


1月24日(月)
 チャウ・シンチー主演の「ファイト!バック・トゥ・スクール」を、シリーズ1から3までついぜんぶ見てしまう。ケーブルの上映を待って一週間がかりだったが。
 「大人になって学校に通う」という、私がよく見る夢を映画化しているのが、なんというか、ひじょうに願望充足的でつい全部見てしまった(第三作は学校出てこないけど)。こういう願望、私くらいなものかとおもっていたが、考えてみれば、「ドラえもん」でも、のび太が大人になって小学校に通えば天才だしガキ大将にもなれると夢を語っていたことを思い出した。生粋のダメ人間に共通の願望なのかもしれない。
 ついでにいうとこの映画の舞台は返還前の香港警察、英国人上司のもとで現地人警官がコキ使われるという、「オヨヨ大統領」シリーズの楊警部補が活躍した舞台でもあり、なんだか懐かしい気がする。
 普通のコメディアンは、ダニーケイにしても森繁久弥にしても渥美清にしてもエディマーフィにしても、はじめ爆笑コメディで人気が出てから、だんだんとストーリーのあるコメディから一般演劇にシフトしていくわけだが、チャウ・シンチーはその逆に、アクションコメディや恋愛コメディで人気が出てから爆笑コメディに移っていったわけで、その喜劇魂やよし。まだカンフーハッスル見てないけど(夏頃にはテレビでやるんじゃないかと期待している<金払って見ろよ<みんなビンボが悪いんや<フォークに逃げるな<ストレートで勝負したら打たれちった<それじゃ広島の永川だ)
 それにしてもこの映画のヒロイン(チョン・マンとかいう芋の食い過ぎのような名前の人)は知人のW田さんに酷似してるな。

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 きのうのノア中継で森嶋の復帰戦がありました。「森嶋は膝をこわして休場中もトレーニングで身体を絞り、120キロから135キロにウェイトアップして戻ってきました!」というアナウンサーの言葉に、ここ笑うとこかな、と思いました。アナウンサーは「凄い!これが進化した森嶋だ!」と叫んでいましたが、森嶋の肉体はたしかに、ぷにぷにからたぷんたぷんへと進化していました。その前の日の大相撲中継では、怖そうな親方が「休んでる間に太るなんて、あっちゃいけないことなんですよ」と吐き捨てるように言っていました。

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 茶川さんとこで見たダメ度チェック

あなたは【ダメ神】です。
存在意義が「ダメ」とイコールで直結しているあなた。アイデンティティが「ダメ成分」のみで成立しているあなたは、もはやダメ人間ではありません。ダメ神です。こうなったらもう、ダメ信仰の教祖になるしかありません。世の中のダメなひとたちの希望の星となるのです。人間とは不思議なもので、自分よりおかれている状況が劣悪なひとを見ると、なぜか安心する生き物です。そんなダメな人たちをあなたの存在で支えてあげてくださいね。
ダメ人間脱却法:もはやなにをしても無駄ぽ。
やる気  7%
行動力  100%
依存心  5%
ネガティブ思考  100%
負け犬指数  100%

 無駄に行動力と独立心だけはあるが行動がやる気と繋がっていない、しかも土台となる思想が根本的にダメ、それも完璧にパーフェクトにダメってところでしょうか。完璧ダメ超人。ダメ超人パワー8000万。マンモスマン並。いや神だから1億パワーか。
 こうなったらkasumiさんの敷地の隣で神様稼業でもするか。ついでに神社仏閣へ行って「ダメはひとつ、邪神像を拝んではいけません」とマイクアピールするとか。いまごろ初詣を妨害しようって考えからしてダメ。


1月23日(日)
 クリント・イーストウッド(日本名東森くりん)主演でゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞最有力候補と噂される映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、日本で公開されるときのタイトルが「富豪幼児」になるらしい。字幕はもちろん戸田奈津子。


1月22日(土)
 商法日蓮正宗「南無妙法蓮月給」というのを思いついたが、駄洒落を志す者に求められる資質とは、センスや努力ではなく、過去百万人くらいが思いついたであろうネタであってもためらわず言ってしまう勇気である。

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 おことばですが安倍と中川はもう手のつけようのないタカ派右翼です。てゆーか岸信介の流れを汲む派閥の連中はみんな手のつけようのないタカ派右翼だってことくらい、この国に生まれて二十年も生きていればわかりそうなもんだと思います。
 ちなみに安倍晋三は親父が死んで政界デビューしたときには父親似でしたが、だんだんと顔が崩れてきて、いまでは祖父の岸信介そっくりになっています。私はひそかに彼のことを「政界のドリアングレイ」と呼んでいます。


1月20日(木)
 「万延元年のラグビー」とは、大昔に読んだのでうろ覚えだが、
「ここで彦根藩にノックオンの反則! 水戸藩チャンスです!」
「水戸藩としては薩摩からの留学生、有村くんを動かしたいですね」
「さあスクラムから水戸藩、首をやはり有村に渡した! 彦根藩スクラムハーフの突進をハンドオフ! ひとり、ふたり、三人、抜ける抜ける! さすが示現流パワーだ有村! あっという間に22メートルラインを越えた!」
「雪のせいですかね。どうも彦根藩はディフェンスラインを作るのが遅いですね」
「有村このままゴールまで突進か! しかし彦根のフルバック、15番の小河原がものすごいタックル! 有村を袈裟斬り!」
「すばらしいタックルですね。さすが北辰一刀流日本代表メンバーだけのことはあります」
「ラックになったぞ。さあ首を早く出したい水戸藩! しかし、ああ笛が! ノットリリースザ首! 水戸藩痛恨の反則です!」
「水戸藩がひとり傷んでいますね。有村くんかな」
「有村立てません! 切腹のようです!」
「早く介錯してあげたほうがいいですね」
 などという小説ではなかったような気がする。


1月19日(水)
 うちの本を調べていたら、筒井康隆の「富豪刑事」が二冊あることを発見した。うちの本の由来は、私の蔵書と、しばらくうちに住んでいた弟が残していった書籍とがあって、筒井康隆、星新一、小林信彦に関してはかぶる可能性が大きいのはわかっていたことだが、しかし私は「富豪刑事」を読んだ記憶がまったくないのはどうしたことだろう。
 なぜ調べていたかというと、同じ作家の「万延元年のラグビー」という小説を探していたわけで、なぜ探したかというと、単にその小説にオブストラクションとかノットリリースボールとかノットストレートとかスローフォワードとかの用語が使われていたかどうか気になっただけなのだが。


1月18日(火)
 いまのプロレスはどうにもならん衰退期にきていることは承知している。誰のせいとも言えぬ状態にあることも承知している。しかしあえて低迷プロレスを象徴するような人物を名指しで批判するとしたら、それは新日本プロレスの永田祐志でしかありえない。
 パクリの技しかないその独創性のなさ、後輩の棚橋にすら試合を作ってもらうセンスのなさ、場所もわきまえず敬礼を繰り返す空気の読めなさ、「いいんだね?殺っちゃって?」などと大口を叩きながら絶対に実現しない実行力のなさ、ノアの秋山にすら見捨てられる華のなさ、総合格闘技に進出するが何もできずうずくまってただレフェリーストップを待つだけのみっともなさ、その試合が終わったとたんまた大口を叩く馬鹿さ、そのザマを朝まで生TVで糾弾されてスタジオでまたうずくまる無様さ、長州力に「天下を取り損ねた」と名指しされてもニヤニヤするだけの情けなさ、馬鹿の癖に司令塔気取りで棚橋におちょくられる哀れさ、若手の壁にも踏み台にもなれない格のなさ、「退団も辞さず」と新日本のエンブレムを破ってカッコつけながらも実際にはすべての条件を呑んで一発更改という小心さ。
 もうなんというかおまえはレスラーじゃない。ゲスラーだ。


1月17日(月)
 古来、幼児は葬られることはなかった。
 キリスト教では洗礼を受けずに死んだ幼児はすべて煉獄でうごめくものとされた。ただしこの煉獄は、キリストを知る前のギリシャ哲学者などが所在する地であり、苦しみのない場所ではあった。ただしキリストを知らないため、永遠に救われることはない。幼児に洗礼をほどこし、キリスト教徒らしく葬るようになったのは、中世以降のことである。
 日本でも中世までは、ものごころつかず死んだ幼児は山野に捨てるならわしであった。すなわち、人間としての取り扱いをしなかったのである。幼児といえど成人と同じく葬るようになったのは室町時代から後のことである。このころから地蔵信仰が深まる。賽の河原で幼児の亡霊が「ひとつ積んでは父のため」と石を積み、それを鬼が崩し、地蔵がかばうというアレである。
 とりあえずはだ。私はそういう信仰よりも、グリム童話にあるお話を信じたい。幼児が死んで泣き嘆いている母親のもとに亡霊が訪れる。「ママ、あんまり泣かないで。ぼくの経帷子が乾かないから」
 そう、フェナリナーサが来れば、なにもかもいいことになるのだから。


1月14日(金)
 小田急ハルクの地下で妙な臓物を売っていたので買って帰る。
 ひとつは牛マメと称する腎臓、もうひとつは豚フワと称する肺臓。
 腎臓は前にも調理したことがあるので、まずは下ごしらえ。白い腺の部分を徹底的に取り除く。ここは固くて臭くて、残しておくとろくなことがないからだ。もったいながらずに半分くらい捨てる覚悟で取り除くことが肝心。どうせ安い値段なんだから。切除したら胆石みたいなものを洗い流し、塩水に漬ける。
 肺は調理したことがないので、とりあえず「随園食単」を参照。「水を取り替えながら叩いたり潰したりしぼませたりふくらませたりして血を抜く」などとややこしいことが書いてあるので却下。ネットで検索すると、下茹でしてから焼けばいいとあったのでそちらを採用。堅そうな血管を適当に取り除いてから十分ほど茹で、スライスしてネギ塩で焼き肉。臭味はほとんどない。ふわふわしていながら妙にしわい。衣をつけて唐揚げかフライにしてもよかったかも。
 腎臓は下ごしらえしたのをソースと唐辛子とカレー粉につけこんでフライパンで焼く。まだちょっと臭いが、強烈な味付けでほとんど消えている。これも下味つけて唐揚げかフライでいいかも。


1月9日(日)
 西武新宿駅近辺の漫画喫茶A:酒類のメニューは豊富だが、どうもざわついて落ちつかない。
 紀伊国屋近辺の漫画喫茶B:百円追加でソファ付きの個室があり、ゆっくり寝ることもできるが、酒が売っていない。
 というわけで、コンビニで酒を買ってBに入るのがいちばんいいんでないかという結論に達した。
 しかし四十づら下げて新宿の漫画喫茶に詳しくなるのもイヤだなあ。四十づら下げてメイド喫茶に詳しくなるほうがまだましだ。

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 藪ネタで更新したとたんにメジャー移籍が決定しました。めでたいことです。どうせなら岡田ネタで更新したとたんに解(ry

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 小橋−鈴木戦を見たが、鈴木みのるはいいなあ。まさにショーマンレスラーだ。佐々木になっちまったが、去年のプロレス大賞は鈴木でもよかったんじゃないか。佐々木健介も悪くないが、自分の意向で動いていないっぽいのが減点材料。プロレス大賞:佐々木ファミリーなら、異存はないのだが。

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 昨日なんで漫画喫茶で夜明かしする羽目になったかというと、友人宅に長居しすぎたせいで、なぜ長居しすぎたかというと、酒と料理のいごこちがよかったせいで。
 なにしろワイン通料理通で知られた人だから、「こんなときにはこういうのがいいと思いますよ」といってジャストミートのワインがどんどん出てくるし、仔羊の香草焼きとか自家製のぷにぷにしたニョッキにブルーチーズのソースを添えたものとか出てきました。しかしもっとも印象深かったのはスペインのハムでした。
 スペインのハムといえばハモンセラノ、と思いこんできたのですが、実はそれより上級品があるそうなのです。その名もハモンイベリコ。イベリコ種という、どんぐりで育てた豚を使った生ハムなのだそうです。中世ヨーロッパでは豚にはどんぐりを食わせると決まったものだが、いまではそういうのは高級品だそうな。このあいだまで検疫の関係で輸入できなかったのが、ようやく解禁されたそうですね。生マンゴスチンと同時なのかしら。
 家主と客のひとりがバッティングして、それぞれハモンイベリコを買ってしまったのだが、おかげで食い比べができました。ピンク色の生っぽいのと、赤褐色の燻製っぽいの。生っぽいほうは柔らかな舌ざわり。とくに脂身がとろけるよう。極上のトロかブリの脂身に匹敵します。燻製っぽいのは、ものすごく上等の鰹節を薄くけずったよう。幕末に日本に来た外国人が、削り節を「魚のハム」と表現していたのもむべなるかなです。薄いせいか脂身は口に入れたとたんふわっととろけるように消える。まるで淡雪のようです。くぅー。


1月7日(金)
 世界三大ナントカや、日本三大カントカというものは、二つきまっていて残りの一つは任意というのがけっこう多い。
 有名なのは「世界三大料理」。中華、フレンチがデフォルトで、残りは自国を入れることが多い。日本だと和食だし、インドだとインド料理。トルコに行くとトルコ料理になるし、きっと韓国へ行くと韓国料理なのだろう。
 「世界三大美女」というのもそうだ。クレオパトラと楊貴妃が決まっていて、あとは日本では小野小町、フランスではジャンヌダルクかマリー・アントワネット、イタリアではルクレチア・ボルジア、モナコではグレース・ケリー、アメリカではマリリン・モンローとなっているらしい。
 「日本三大ブス地域」というのもそうであるらしい。私は名古屋、水戸、岡山だと思っていたのだが、名古屋、水戸、仙台という説もある。どうやら名古屋と水戸は不動の二大ブス地域で、残りはご自由に、ということらしい。たぶん鹿児島、北海道、大阪、甲府、宇都宮、盛岡あたりもあるんではないだろうか。さすがに京都、秋田はないと思うが。
 と、思っていたんだが、ネットで調べてみたら、仙台、水戸が当選で、残り一議席を名古屋、岡山、広島、熊本、松本、前橋、米沢が争っているということらしい。名古屋は当確じゃなかったのか。びっくり。もっとも名古屋が大幅にリードしていて、局によっては当確が出ているらしいが。


1月6日(木)
 昔のプロレス本を読み返すのも興味深いことです。
 ここに、「プロレス・シュート・格闘技」という本があります。鈴木邦男という人が中心となった対談集です。そう、あの新右翼の人です。
 この本が出たのは1988年。ほぼ十五年前ですね。このころプロレス界になにがあったか。長州力が全日本から新日本に出戻り、UWFも潰れて出戻り、「ギブUPまで待てない! ワールドプロレスリング」という茶番企画で瀕死の新日本プロレスは、前田と長州の人気と、ソ連軍団の登場で一時的に持ち直したかに見えました。しかしこの本の直後、前田が長州を顔面攻撃して退団。旗揚げした第二次UWFがブームとなり、新日本プロレスは完全に食われてしまいます。
 そんな昔の本のどこが面白いか。この本、とくに「プロレス、こうすれば立ち直れる」では、鈴木邦男、玉川しんめい、府川充男の面々が、新日本プロレスをはじめとするプロレス界の低迷を憂い、いろいろな提言を行っています。それが今ではほとんど実現し、しかも裏目に出ているのが面白いのです。
 たとえば「会社帰属的なサラリーマンレスラー制度をやめ、個人としてのレスラーであること」。これは実現しました。多くの選手が長州を見習って新日本、全日本といった団体から抜け、おのおの勝手に団体を興したり団体に参加したりしました。その結果は、契約というものがまったく無視されることになり、まともなスポンサーからは見捨てられ、どんどん低迷していきました。
 たとえば「馬場、猪木が引退し、若手の底上げをすること」。これも実現しました。馬場は死に、猪木は見捨てられかかっています。しかし次の世代、鶴田は死に天龍と長州は流浪の民、藤波は隠居状態、前田はよくわからない、その次の世代の三沢川田蝶野武藤橋本にしても、団体を超えてプロレス界のリーダーシップを取れるほどの人物は皆無です。求心力を失ったプロレスはますます低迷していったのでした。
 たとえば「企業がバックになってジム対抗、あるいは部屋別対抗戦のスタイルにすること」。これはこの直後、SWSで実現しました。しかし部屋は単に派閥の温床となり、派閥抗争が激化したため、さっさと潰れてしまいましたとさ。
 たとえば「格や年功序列による勝敗を改め、だれが勝ってもいいようにする」。これはタテマエとしては立派ですね。チャンピオンだって調子が悪ければ負ける。百戦百勝の王者はありえない、と。これは今の新日本で実現しています。天山、蝶野、永田、長州、佐々木、中邑、棚橋、鈴木、高山、だれが勝つかわからない戦国時代。しかしこれは反面、だれがチャンピオンなのかわかったもんじゃないという状態を招き、チャンピオンベルトの権威が低下し、さらにシリーズの焦点がボケてつまらなくなってしまいました。
 唯一、この本の提言で実現して、しかもうまくいったのは「プロデューサー制度をとって落語の名人会のように試合のつど選手と契約する」というもの。これは実現しました。しかし皮肉なことに、K−1やプライドという形で。
 しかし心配なのはプロレス界より、この本を作った鈴木邦男です。この人、以前は猪木ファンで、「馬場の全日本は八百長のショーマンプロレスだけど、猪木の新日本はストロングスタイルの真剣勝負だ」と信じていました。ところが、猪木対ブロディの試合で、ブロディが自分から刃物を額に刺して流血しているのを見たとたん、「新日本プロレスも八百長だ。UWFこそ真剣勝負の格闘プロレスだ」と転向します。そのうちUWFについて論評したことが批判されると、ヘソを曲げたのか、「UWFもショーマンだ。プロレスに真剣勝負なんかない。そもそも押さえ込まれたレスラーがポーンと相手を跳ね飛ばすなんてありえない。プロレスは夢の格闘技だ」とまた転向します。今はよくわかりませんが、「プライドやK−1こそ真剣勝負の格闘技だ」とか思っていないか心配になります。この人、ほんとうにナイーヴというか純情な人で、この対談でも「相撲に八百長があるんですか?」と驚いて、「そもそも八百長って相撲用語だよ。あなたね、純粋すぎるのよ(笑)」とあしらわれています。こんな人が政治なんかにかかわって大丈夫なのか、ひとごとながらすごく心配になります。


1月5日(水)
 正智深谷高校全国優勝への路。
・フォワード陣の体重が圧倒的に重いわりには、モールやスクラムが押せていない。もっと力を効果的に集中するすべを学ばねばならない。
・トンガ留学生に頼りすぎ。留学生以外の選手がショボいため、留学生にマークが集中してしまう。日本人選手はノーマークでトライを決めて喜んでいるだけでなく、もうちょっと留学生のマークを薄くする努力をしなければならない。
・負け犬根性を払拭せよ。相手を圧倒しているときにはのびのび試合できるが、劣勢のときにもろすぎる。今日の準決勝でも「おまえらはあと5つトライしろ。俺はコンバージョンを全部決める」と豪語した主将の木島が4つのコンバージョンキックのうち3つ外しているようではお話にならない。とくに最後のコンバージョンは意地でも決めねばならなかった。
・前の学校名の時代から「そのうちうまくなるだろう」と思っていてずっとそのままだから、もう試合運びのうまさを求めるべきじゃないんだろうな。
・やっぱり外国人枠(内規?自主規制?)を撤廃して全員トンガ人にするしかないかも。

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 ついに井川の公式ウェブサイトから阪神のユニフォーム姿が抹消された。ヤツは本気だ……。

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 「○○年に一度」というフレーズは、とくに野球の世界ではよく聞く。たしか阪神には毎年「十年に一度の選手」が、ヘタすると同じ年に二人入団しているはずだ。たしかいま在籍しているだけでも、今岡と的場と鳥谷と片岡と藤田と中林と井川と金沢と藪と伊良部と浅井と中谷と桜井と林と関本がそう呼ばれていたような気がする。チャップリンがマーチン・ルイスを「十年に一度のコメディアンだ」と評していたのを筒井康隆が「十年に一度ならふつうのコメディアンだ。チャップリンは自分が百年に一度のコメディアンだと知ってそう言ったのだろう」と書いていたこともあった。十年に一度というと、やすきよ、ダウンタウン、たけし、さんまくらいのクラスか。百年に一度となると、日本のコメディの歴史が浅すぎてよくわからない。エノケソ? 落語でいえば円朝や志ん生のクラスか。米朝はちょっと無理かな。そんなわけで脳内インフレ化が進んでいるため、「十年に一度の発明」が青色ダイオードであってもぜんぜん違和感がない。本を読んでないのでなんともいえないが、ひょっとすると「日本での発明」なのかもしれないし。日本でのここ十年の発明って思いつかない。明治以降の発明ならどうだろう。KS鋼、八木アンテナ、エサキダイオード、味の素、福神漬、インスタントラーメン、カップヌードル、回転寿司、カラオケボックス、ノーパンしゃぶしゃぶ、メイド喫茶……ううむ、けっこう青色ダイオードで勝負できそうな気がする。


1月4日(火)
 きのうのプロボクシングはどえらいホームタウンデシジョンでした。血まみれでよろよろしてるのが勝者で、顔色も変わらずぴんぴんしてるのが敗者だなんて格闘技は、プロボクとプロレスしかありますまい。プロレスだってそんなのは反則勝ちくらいなもんだぞ。

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 年末から新春にかけてスポーツ新聞で流れる岡田監督のコメントがおもしろすぎます。大阪の人はああいうのを聞いて「よっしゃ今年は去年と違うぞ去年と同じこと言ってるけど今度はホラじゃないぞ四位の翌年は優勝だぞ全球団に勝ち越して亡き岡田監督御厳父に捧ぐ完全優勝やぁぁっ!」とか思えるのでしょうか。ひょっとすると知能がちょっと可哀想な人におもしろいこと言わせてみんなで笑うとか、そういう人の悪いことをやっているのではないでしょうか。


1月1日(土)
 はじめてギター侍を見ました。無念!

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 大晦日の格闘技番組は、ますます各団体のキャラが明確になった感があった。
 プライドは「こいつとこいつが試合したら面白いだろう」というマニアの視点で試合を構成していたような気がする。この視点でカードを組むと必ず失敗すると、すでに力道山が喝破しているのだが。たしかに試合内容はK−1より上だったが、どうしても同じような試合が続いてダレがちだった。K−1なら、柔道メダリストを二試合続けて出すようなことはするまい。
 K−1は「こいつを出したら客が喜ぶだろう」という客の視点。よくいえば観客のニーズをうまく掬いあげているといえるが、悪くいえば見世物小屋っぽい。お茶の間で見ている大多数の人間は、名勝負や息詰まる攻防なんかよりも、パンチを食らったサップの涙目、ぶざまに這いつくばる曙が見たいのだと割り切って興行している。あと、フルタイム判定と秒殺をうまく組み合わせていたね。馬場時代の全日に通じる試合運営のうまさを感じる。NOAHなんかも学ぶところ大であろう。
 あとK−1は噛ませ犬を作るのがうまい。アメリカのプロレスだかプロボクの興行主の名言に「リングには数頭のシャークと、その餌食になる無数の金魚がいればいい」というのがあるが、K−1はその金魚をうまく作る。武蔵、サップ、曙、アビディ、ホースト。


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