山の人生

 岡山は気候が穏やかで棲みやすいという印象があると思うが、それは倉敷や岡山など、南部の海に近いところの話だ。昔の名前で言えば備前国だ。たしかに、この地方は気候が穏やかだ。平地が多く、米もよく穫れる。日本でもっとも晴天の多い地方としても知られる。桃、葡萄、オリーブなどの果樹がなだらかな丘陵に植えられている。うららかな陽光と照葉樹が戯れ、見ているだけで眠くなってしまいそうな光景だ。
 それに対し、岡山北部、山間部の環境は厳しい。昔で言えば美作国だ。山ばっかりで人が住める平地が少ない。山が遮って日照時間も少ない。盆地気候で、夏は暑く、冬はドカ雪が降る。横溝正史の「八つ墓村」の舞台となった新見、宮本武蔵の生誕地に近い津山、生きづらいところである。山ばっかりで耕作地は少ない。牛を育てて肉にして売るか、山で猪でも狩って肉を売るか、そんな生業しかない。殺生こそ山の人生である。要蔵さんも武蔵さんも、いっぱい人を殺した。

 山地で隔離されて生きてきたせいだろうか、美作の人は浮き世離れしたところがある。それを通り越して、なんか勘違いしてるんじゃなかろかと思う場合も多い。
 前に紹介した「作東バレンタインパーク」などもそうだが、もっと山奥に行くと新庄村というところがある。川と山に囲まれた小さな村である。これがなんと、「メルヘンの里新庄」と自称している。メルヘンパーク、などというものを作ったりもしているらしい。ポエマーとか棲息しているのだろうか。怖い。
 ところで新庄村はその名前から、やっぱりというか何というか、阪神の新庄選手を勝手に応援している。村役場の広報には「新庄神社のお守りの御利益で、新庄選手本塁打!」などとスポーツ新聞もどきの表題が踊ったりもしている。新庄はお守りが無けりゃホームランも打てないのか、と思ったりもするのだが、考えてみれば今年の新庄の活躍は神の思し召しとしか思えないから、まあいいか。

 その新庄村に遠縁の大叔母が住んでいる。そこに呼ばれて行ったときの話である。
「ありゃまあ、よう来んさったねえ」
などと歓迎してくれた。呼んだから来たのではないか、などと言ってはいけない。いったいに関西の人は言動が大仰なのである。
「お腹がへったじゃろ。何もないけど、山フグでも食べんさい」
そういって大叔母は私を食卓に誘うのであった。ちょうど昼である。
たしかに、食卓には大きな絵皿がある。その上に半透明の薄片が並んでいる。しかし……。
これはコンニャクではありませんか。
「酢味噌をつけるとええよ」
いやもっともです。コンニャクの刺し身は酢味噌ですよね。しかしですね。なんでコンニャクなぞを山フグなどという美名で呼ぶのですか。なんでコンニャクなぞを絵皿に飾り付けるのですか。なんでコンニャクなぞを食わすのに、こんなに勿体ぶるのですか。
そもそもフグとコンニャクの共通点はなんですか。薄切りにすると半透明になる、これだけではありませんか。舌触りも味も栄養価も値段も、まるで違うではありませんか。

ところで、その隣の鍋はなんでしょうか。
「山クジラの味噌煮ぢゃ」
ははあ。これは猪鍋ですね。しかしどうでしょう。素直に猪と呼んだ方が、私にはありがたいのですが。いえ、捕鯨禁止以来、鯨の価格が暴騰していることは知っています。なんせあれです。格安のおつまみとして、我が父なども愛用していた鯨ベーコン。毒々しいまでに赤身と白い脂身のコントラストが鮮やかな、あれ。今では百グラム千五百円などという、天をも恐れぬ価格で販売されていますね。尾の身、などという高級品になると、ひょっとするとキャビアを超えているのではないかと。でもですね。私、鯨より猪の方が好きなんですが。あの、脂身がはっきりしたところが。赤い肉と白い脂肪がくっきりと分かれて。あ、ひょっとして、そういう類似点が根拠なのですか。

「山クラゲもあるんよ」
と、大叔母はなおも私を誘うのです。よく分かりませんが、なにか山菜の佃煮のようなものです。歯ざわりがコリコリしている点がクラゲに似ているのでしょう。しかし、たったそれだけでクラゲと称してよいのでしょうか。腔腸動物と被子植物、蛋白質と繊維質、分類学上も栄養学上もまるで違うではありませんか。JAROはどうしているのでしょうか。なんですかこの隣のごにょごにょは。あ、木クラゲでしたか。それにしてもこれをクラゲとは以下同文。
だいたい、クラゲというのはそんなにたいそうなもんですか。代用品で我慢するほど、食べたいようなもんでしょうか。フグ、というのはなんとなく分かります。クジラもまあいいでしょう。しかしクラゲは。クラゲだぜ。下等動物だぜ。推進装置ないぜ。腔腸動物だぜ。刺すと痛いぜ。

 さて、今度はなんか酢の物をもってきましたね。白っぽい、シシトウくらいの大きさの肉片と、ウドが酢味噌で和えられています。口に入れると、ちょっとコリコリ、ちょっとシコシコ。なんだか面白い歯ざわりです……なんですか?
「山烏賊の酢味噌ぢゃよ」
 ははあ、山の烏賊ときましたか。なるほど、歯ざわりも色も、ちょっとイカ刺に似ていますね。して、その正体は? ……え、今、何とおっしゃいました? え、ナメクジ……ほんと? ……おぇ。

なんだか哀しくなってきました。山の人は、ずっと海に憧れてきたのですね。海に憧れるあまり、身近のものにまで海のものの名前をつけてきたのですね。海の人は、山に憧れたりはしませんね。ウミホウズキやウミウシはいるけど、どちらも食べ物じゃないし。カモメをウミヤマドリなどと呼んだりもしないし。もし呼んでいたとしたら、山の人がまた真似をしてヤマウミヤマドリなどという名称をどっかの鳥につけ、海の人がウミヤマウミヤマドリで呼応し、山の人がヤマウミヤマウミヤマドリと……なんだか前回も似たようなこと書いた気がするので、これはここまで。

え、何ですか次は。ほほう。山菜ですか。結構ですな。この、ほろ苦く、しかしどこかで食べたことのあるような風味が……え、何ですと。
「山のアスパラガスじゃ」
あ、そうか。そう来たか。ははあ、シオデというのですか。なるほど、アスパラガスにちょっと似た味ですね。しかし、それはないでしょう。アスパラガスとシオデ、比べるとシオデの方が、今ではずっと価値が上でしょう。低い価値のもので高い価値のものを表示する、そんなことは許されません。マドンナのことを、「洋物本田美奈子」と呼ぶようなものではないですか。え、譬えが古い。おまけにマニアック。ううむ、そうですね、今なら、宇多田ヒカルを「元祖倉木麻衣」と呼ぶようなものでしょうか。え、わかりにくい。おまけに訴えられる恐れあり。失礼。

 しかしまあ、環境に恵まれたところですね。家の前を渓流が流れる。石灰岩が水に洗われて奇妙なオブジェを作り上げ、見ていて飽きません。鮎もヤマメも釣れるそうだし、山へ入れば山菜がとれる。銃を持っていればヤマドリやシカ、イノシシも狩れるそうです。え、今は、山に入っちゃいけない? それはなぜ?
「この時期はな、海の神様が山にお入りになるんじゃ。海の神様はな、夏は海に棲んでるんぢゃが、、冬は山でお暮らしになるんぢゃ。神様には使いがおってな、それが河童ぢゃ。河童も一緒に山に入って山童になるんぢゃ。神様と河童が山にお入りになるところは誰も見ちゃいかん。見たら祟りがあるけん。だからこの時期は誰も山に入らん。山オコゼをお供えしておくんぢゃ」
 ははあ、山では神様も海から輸入していましたか。


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