女嫌いの童話

 悪魔ベリアルは戸惑っていた。彼の治める地獄にはこのところずっと、男しかやってこなかったからだ。しかも男たちは、地獄で責め苦を受けながらも、なんだか嬉しそうにしているのだ。

 ベリアルは男のひとりに問いかけた。「どうだ、苦しいか?」
 男は悪魔に生皮を剥がれながら答えた。「苦しいです。ああ。でも、女房に責められているよりは、ずっとましです」
 ベリアルはふたたび尋ねた。「おまえはどういうわけで地獄にやってきたのだ?」
 男は全身の筋肉と血管をむき出しにして叫んだ。「ああ、神様。女房のせいです!」
 ベリアルはぶるっと震えて言った。「その名前を口に出すな。しかし、お前は、地獄より女房の方が怖いのか?」
 男も震えながら言った。「女房の名前も出さないでください。あれに比べたら、地獄の責め苦などなんでしょう?」
 ベリアルは言ってみた。「ほら! お前の女房がやって来たぞ!」
 すると男は、自分から煮えたぎるビッチの池に飛び込み、二度と出てこなかった。

 すっかり考え込んでしまったベリアルは、ひとりごちた。「俺様は恐ろしい責め苦を色々と考えてきたが、どうやら女房の責め苦に比べると、ものの数ではないらしい。こうなっては、女房とやらに責め方を教わらなくてはならない」
 そういうとベリアルは地上に昇り、美男子のサラリーマンに姿を変えた。そして、おしとやかで貞淑という噂高い美しい娘に求婚した。そしてふたりは結婚し、所帯をかまえた。

 結婚してからベリアルは一生懸命働いたが、ちっとも暮らしは豊かにならなかった。かえってますます借金が増えた。「これは何かわけがあるに違いない」と考えたベリアルは、妻が捨てた書類を拾って調べてみた。すると妻が彼に隠れてカードを使い、エステクラブに入会し、乗馬クラブに入会し、化粧品を購入し、春と夏と秋と冬のドレスを購入し、ダイエット食品を購入し、ダイエット器具を購入し、指輪を購入し、ペンダントを購入し、イヤリングを購入し、ブレスレットを購入していたことがわかった。
 ベリアルは帰宅すると、さっそく妻を問いつめた。
「おまえ、こんなにも高価なものを、いったいどういうつもりで……」
「うるさいわね、あんただって八ヶ月前に、どうしても必要だって泣きついてスキャナとやらを買ったじゃない。それでおあいこよ」
「しかし、こんなにも立て続けに……」
「私のためのものは、あんたのためのものよ。それより早く、ごはん食べちゃいなさい」
「冷めてるのに……何だこれは」
「野菜炒めよ」
「普通、野菜炒めには肉が入ってるんじゃないか。それなのにこれは……」
「うるさいわね。あんたの稼ぎが少ないので、肉なんか買えないんだってば! それにあんた最近太り過ぎよ。肉は毒。酒も毒ね。これからやめなさい。タバコも毒よ。明日から一日三百円で暮らしなさい」
 ベリアルはすっかりうち負かされ、「なあるほど、女房ってのはそういうものか!」と叫ぶと、さっさと地獄に逃げ出していった。

 ベリアルは地獄で、女というものがどんなに恐ろしいものか、どんなふうに棘のある喋りで男の精神を破壊するか、どのようにして男の生活を破壊するか、特に共通の銀行口座を作ってしまったらどんな恐ろしい羽目に陥るか、仲間の悪魔たちに言って回った。
 そのうちベリアルの親友のベルフェゴールが、ベリアルに言った。
「お前が言っている女の恐ろしさって、ありゃ本当かい?」
「もちろんだとも」ベリアルは請け合った。
「それなら」とベルフェゴールも言った。「高貴な女性でも同じようになるのか、試してみたいな」
「やってみろよ」
「でも、どうしよう?」
「俺が王女様にとり憑く」とベリアルは言った。「王女様は病気になる。王様は、医者を募集して、王女を治した医者は婿にする、と言うだろう。そしたらお前が医者に化けて行く。お前が来たら俺は王女から出てゆく。そうして、お前は王女の婿になるってわけだ」

 話はその通りに進んだ。王女はベリアルに憑かれ、病気になった。王様はなんとしても病気を治せず、ついに全国から医者を募集した。王女を治した者は王女の婿にする。ただし治せなかった医者は首をはねると。
 ベルフェゴールは医者に化けて、自信たっぷりに王のもとに進み出た。苦しんでいる王女の耳元に、そっと話しかけた。
「おい、俺だ。ベルフェゴールだ。さっさと出ていけ」
 すると気のなさそうな声で、王女の腹の中から返事が聞こえた。
「ああ……ベルフェゴールか。でも、何で俺が出て行かなくちゃならないんだい?」
「そういう約束だろ!」
「うん……でもな、ここはひどく居心地がいいんだ。このまま棲ませてもらうよ」
 ベルフェゴールは気が気ではなかった。失敗したら首をはねてやろうと、親衛隊がきらきら輝く刀を構えて、じっと医者を見据えているからだ。「おい、ベリアル、約束を守れよ! でないと俺は、殺されちゃうよ!」
「いいじゃないか、そんなことは……」
 困ってしまったベルフェゴールは、王様に言った。
「王女様を治すのに、いまひとつ足りないものがあります。どうか王様の軍隊の大砲に弾を込め、一斉にぶっ放してください」
 王様は不思議に思いながらも、言われたとおりにした。何百門もの大砲がいっせいに火を噴くと、ものすごい音がこだまし、ものすごい煙硝の臭いがあたりにたちこめた。王女の体の中にいるベリアルもそれを感じ、ベルフェゴールに尋ねた。
「おい、あの音と臭いはどういうわけだ?」
「それはね」とベルフェゴールが答えた。「お前の女房がここに来たんで、祝砲を撃ったんだよ」
「えっ! 何てこった! 早く逃げなくちゃ!」
 ベリアルは大急ぎで王女の身体を逃げ出して、地獄に戻っていった。王女はすっかり回復し、王様は喜んで言った。
「あっぱれ、医者殿! おまえは今日からわしの息子、王女の婿じゃ」
 しかしベルフェゴールの受難は、むしろこれから始まったのだ。

 王女は結婚式の前に、ベルフェゴールと約束した。
「いいこと、あたしとあなたは、死ぬまで一緒、いいえ、死んでも一緒よ。だから、どちらかが死んだら、生き残った方も一緒に埋葬されるのよ」
 ベルフェゴールは王女の美貌にすっかり参っていたので、その契約書にサインしてしまった。
 しばらくは幸せだった。王女もしばらくは不満を言わなかった。しかしそのうち、王女は病気になってしまった。各国から名医が呼ばれて治療に当たったが、どうにもよくならなかった。ベルフェゴールもいろいろやってみたが、なにせ神様が定めた寿命なので、悪魔にはどうにもできなかった。王女はとうとう死んでしまった。

 約束は約束だ。ベルフェゴールは、死んだ妻と一緒に、地下深くに埋められてしまった。
「やれやれ、女房なんてものを持ったばっかりに、こんなじめじめした地底に死骸とふたりきりか」
 ベルフェゴールは王女の死骸の横に座り、溜息をついた。
 すると二匹の蛇が穴から這い出してきた。小さな方の蛇が王女の足元にもぐり込もうとするので、ベルフェゴールはその蛇を踏みつぶして殺した。すると大きな方の蛇はしばらく半狂乱になっていたが、やがて元の穴に戻り、草をくわえて戻ってきた。その草で小さな蛇をこすると、小さな蛇は生き返った。大きな蛇は嬉しそうに小さな蛇にすり寄ったが、小さな蛇は大きな蛇の顔に噛みつき、元の穴に逃げていった。大きな蛇は顔を血まみれにして、それを追いかけていった。あとの草だけが残された。
「もし蛇を生き返らせるのなら」とベルフェゴールは呟いた。「王女にも試してみよう」
 草で王女の顔をひとこすりすると、顔色が赤みをおびてきた。ふたこすりすると呼吸をはじめた。そしてみこすりすると、王女はぱっちりと目を開け、
「あら、ずいぶん長いこと寝ていたような気がするわ!」
 と叫んだ。

 こうしてふたりは、また王宮に戻ることができた。しかしいちど死んで以来、妻の心はすっかり変わってしまった。夫のベルフェゴールはそっちのけで、親衛隊長と仲良くなってしまったのだ。
 やがて王国は戦争に巻き込まれ、義父の王様は戦争に出かけていった。すると王女は、ベルフェゴールを責め立てた。
「なぜ、あなたは戦争に行かないの?」
「王様のいない間、私がこの国を治めてゆかねばならない」
「そんなことならわたしでも出来るわ。あなた、臆病なんでしょ。死ぬのが怖いんでしょ。お隣の大貴族のレエさんも戦争に行ったのよ。お向かいの作家のヘミングウェイさんも戦争に行ったのよ。なのにあなただけ、義務を果たさないの?」
「そんなことはない。私の義務は……」
「へえ、あなたの義務感って、年老いた父親を戦場に送って、自分はのうのうと楽な生活を送るのに賛成するのね。この恥知らず! お国のために戦って死ぬ勇気もない男なんかの、妻とわたしは呼ばれたくないわ! わたしも恥を掻くのよ!」
 女の責め苦よりは鉄砲の鉛玉のほうがよっぽど楽だと悟ったベルフェゴールは、おとなしく戦場に向かっていった。よく覚えておくがいい。女は平和が好きだなんて大嘘だということを。女は、自分が平穏なことだけが好きなのだ。

 夫を戦場に追い払うと、王女は親衛隊長とねんごろになった。銃後の政策と補給について相談するという名目で、親衛隊長を王宮に招き寄せ、そこに住まわせてしまった。
 王女はだんだんと大胆になり、親衛隊長に言った。
「ねえ、やっぱりあなたが王様になるべきよ。お父さんやあの夫のような無能は、国を治める資格がないわ。マキャベリとかいう人もそう言っているわ」
「しかし、そう言うわけには……」
「いい方法があるの。敵の国に、この国の情報を漏らすのよ。そうしたらきっと、敵はお父さんや夫がいる場所を攻めるわ。ふたりとも戦死したら、わたしがあなたと結婚して、そしてあなたが国王よ」
 親衛隊長は嫌がったが、女の口舌に勝てるはずもなく、言いくるめられてしまった。そして密書を敵に送った。

 王様とベルフェゴールは、自分たちが戦場に行ったとたん、火の出るように攻めたてられたので、びっくりしてしまった。味方の兵隊はどんどんと死んでゆく。そしてとうとう、王様も戦死してしまった。もはやこれまでと観念したが、ベルフェゴールはふと、草のことを思い出した。王様の服を脱がせてよく似た兵隊の死体に着せ、自分も服を脱いで兵隊の死体に着せた。そして王様の顔を草でこすって生き返らせ、ふたりしてこっそりと小舟で逃げ出した。

 王女はふたりが死んだものと思い、親衛隊長と結婚して王と王妃を名乗った。命が助かった王様とベルフェゴールは、こっそりと国へ帰った。そこで王女の行状を知り、姿を現し名を名乗った。そして王女と親衛隊長を、反逆の罪で火炙りにした。親衛隊長の魂は煉獄に堕ちたが、王女の魂はまっすぐに地獄に堕ちた。王女の魂を出迎えて、ベリアルはにやにやと笑って言った。
「これはこれは、数多くの男の魂を地獄に落とした大問屋様。このたびはみずから地獄にお出ましとは。仕入れですかな?」
 王様はベルフェゴールに詫びて言った。「すまない。あのような性悪な女とめあわせたりして。今度はあれの妹をやる。気立てのいい素直な女だ。今度はきっと気に入ると思う」
 ベルフェゴールは震えて言った。「王様。わたくしは嫁よりは黄泉のほうが性に合います」


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