G−ダイアリーでGOGO!!(後編)

8月16日(月)
 ポンサワンから1時間でビエンチャン、ビエンチャンから1時間でバンコク。
 約1週間かけてポンサワンまで移動した往路はなんだったんだっつー話よ。
 さらにバンコクのスワンナブーム空港からタクシーを頼み、直接パタヤビーチへ移動。ハイウェイをとばして1時間半で到着。1000バーツ。
 ホテルは「地球の歩き方」で紹介していたベイブリーズホテルにする。1泊700バーツ。3泊2100バーツを先払いする。部屋はなかなか広く、バスタブもエアコンもちゃんとある。隣のハラ君の部屋と繋がるドアがある。殺人事件には絶好のホテル。
 難点は繁華街のど真ん中で、歌声がうるさいことと、クロゼットにハンガーがないことくらいか。
 夕食は近くの西欧式定食屋。子牛のカツレツセットとビアシンで200バーツ。ハラ君は以前食べて堅かったというステーキにマゾヒスティックに再挑戦したが、今回は柔らかいとのこと。
 この店の前にパタヤの案内パンフレットのようなものが置いてあるが、ロシア語表記で解読不能。パタヤビーチにはロシア人が多いのだろうか。

ベイブリーズホテル 仔牛カツレツ定食

 パタヤは首都バンコクから一時間あまりのところにあるリゾート。歓楽街でも知られる。
 わが日本における熱海のようなものをイメージしていたのだが、ハラ君によれば熱海ほど歓楽的に場末ではなく、磨けば光る田舎の花のようなものがまま管見されるとのこと。江戸期の品川宿のようなものであろうか。

 しばらくホテルで休み、じゅうぶんに夜も深まったところで、ハラ君の案内でパタヤのゴーゴーバーへ。
 パタヤの南のウォーキングストリート(車両立ち入り禁止のアーケード)に、そういう店が密集しているらしい。
 パタヤを縦断するメインストリートが2本あるが、その通りに沿って乗り合いのソンテウが走っている。海沿いの通りは南行き、内陸の通りは北行きになっているらしい。ホテルから海側に歩き、そこでソンテウをつかまえる。どこまで行っても10バーツ。お釣りのいらないようコインを用意しておくこと。
 ウォーキングストリートの入り口でソンテウは折り返すので、そこで降りる。海側の公園では男女さまざまな人間がそぞろ歩いているが、ハラ君はある女性を指さすと「あれは立ちんぼです。以前は東南アジアばっかりだったんですが、今はロシア娘が多いですね。一晩700バーツですね」と語る。やはりロシア人多いのか。それにしても、その価格はどこで知った。
 またある男性を指さし「あれはヤクの売人です」と語る。ラオスでヤクに恵まれなかったことを、まだ気にしているのだろうか。

 赤羽のすずらん通りのようなアーケードをくぐると、そこはゴーゴーバー5割ショーパブ2割薬屋2割ホテル1割という(推定値)ウォーキングストリート。奥に行った方が店もディープになるらしい。
 まずはストリート中程にあるNo.1という店へ。この店では、女性がセーラー服の布地を極限まで節約したような衣装で踊っていた。パタヤは暑いせいか、ときどき上半身の衣装を脱いだりしていたが。
 同じ通りのスーパーガールという店では、サロンというのだろうか、非常に透過性の高い薄物を腰にまとって女性が踊っていた。隣ではなぜかその薄物すら脱いで水浴している女性もいた。やはり暑いのだろう。
 そこから近い、ザ・シーという店では、ミニスカート(尻を隠すのが不可能なほど短い布きれもスカートと呼べるとすれば、という前提だが)をはいた娘が元気に踊っていた。上半身については、酔っていたせいか、なにを着ていたのかよく覚えていない。なにも着ていなかったような気もするのだが、まさかそんなことはあるまい。

ウォーキングストリート入り口 ウォーキングストリート内部

 この3店からパタヤの相場を推測してみると、客の飲むビールは50バーツから100バーツ。娘の飲む飲料は100バーツから200バーツ。踊っている娘の風体が気に入れば、指名して席に呼べる。指名料はいらない。飲料を買ってやるだけでよい。他に関係ない娘まで飲料をねだってくるが、応じても拒否してもよい。他にチップをねだってくるが、それも拒否するもよし、胸元に20バーツ札をねじこむもよし。ナナプラザでは100バーツ札が相場だったが、場末のため安くなっているらしい。
 さらに娘が気に入れば、600バーツ払って店から持ち出すこともできる。この金額はナナプラザと共通のようだ。その先は交渉次第らしいが、私はまだ経験していないのでよくわからない。

 ハラ君はザ・シーの踊り子の姉の方をお持ち帰りするとのことで、ふたり仲良く消えていった。
 私はひとり未知の異境に放り出される。
 さいわいパタヤは交通がわかりやすい。海沿いのパタヤ・サイ・ヌン通りは北から南に、そのひとつ裏のパタヤ・サイ・ソン通りは南から北に、乗り合いのソンテウが運行している。手を上げて拾って乗り込み、適当なところでブザーを押して降りて、運転手に10バーツ払えばいい。くれぐれも金を払わず逃げてはいけない。パタヤの住民はみなムエタイの有段者だから、腕に覚えがないと骨折は確実だ。それに、たった30円弱のことで全力疾走しては、たとえ骨折させられなかったとしても、骨折り損ではないか。

 ホテルの近くのコンビニでビール、屋台で串焼きを買い込み、ラオスから持参したラオハイを飲みながら異国の夜を過ごす。串焼きはなんでも1本10バーツでわかりやすい。外は南国の喧噪、内はエアコンとビールと焼酎。実はこれが私のアジアの醍醐味だったりする。
 ハラ君が帰ってきたのか、隣の部屋から楽しそうな女性の矯声が聞こえてくるが、もはや私の関知するところではない。

熱帯夜隣はナニをする人ぞ
     虎玉

8月17日(火曜日)
 7時ごろ自動的に起床。ラオスですっかり健康的な習慣がついてしまった。
 朝のパタヤは、昨晩とはうってかわって静かだ。
 さいわい、ヒルに食われた痕はあれから出血もしない。
 蕩安の朝寝をむさぼっているハラ君を起こすのは悪いので、ひとりで外をうろつく。
 静かなのはいいのだが、ホテルの近辺には屋台もまるでない。やむなくコンビニでビールとつまみを買い込み、朝食の代わりとする。50バーツ。やむなくじゃねえだろ。

 10時ごろにハラ君も起きてきたので、パタヤのショッピングモールをぶらぶら歩く。
 セントラルパタヤには日本食レストランが多い。タイでは有名なチェーン店の、8番ラーメンとオイシイラーメンが同じ階で対決している。他にも回転タイスキ&寿司のShabusiや、和食定食のFujiなどが軒を並べている。
 ハラ君は本屋を物色して、Gダイアリーの最新号がないので落胆していた。やはりパタヤではバンコクより発売が遅れるのか。それにしても今なお2ヶ月遅れの6月号を売るのはどうよ。

 午後はパタヤビーチでだらだら。海岸には無数のパラソルとデッキチェアがしつらえてあり、飲み物を頼めば座っていられる。ビール4本頼んで300バーツ。
 座っていると勝手に物売りがやってくるので、飲茶のように好きなものを頼める。茹でた海老は100バーツ、そのほか、小蟹の素揚げ、ジャックフルーツ、西瓜は各30バーツ。
 物売りは便利だが、タトゥーシールを何回も売りに来たり、放生の鳥を売りに来たり、孤児への寄付をねだってきたり、あまつさえお腹の赤ちゃんがどうのこうのと哀願してくるのは困る。孤児もお腹の赤ちゃんもオレのせいじゃねえ。その種の苦情はハラ君に言ってくれ。

パタヤビーチと乗り合いソンテウ パタヤビーチとタトゥー売り子

 ビールを飲んでしばらくうとうとと惰眠をむさぼってから、またもストリートをうろうろ。
 ラオスであまり使わなかった米ドルを、1ドル札のみ残してぜんぶ両替。20ドル以下の札をまとめて200ドル、6182バーツに。50ドル札はちょっとレートがよくて、1566バーツに替えられた。
 パタヤの代理店で、明日のツアーと、あさってのバンコク行きピックアップバスを予約。ツアーはパタヤの北にある、一部で有名なシーラチャ動物園。動物園のガイド付き、送迎付きで700バーツくらいだったと思う。
 別の代理店で、バンコクのホテルを予約。日本で目をつけていた、自称ブティックホテルのレガシーエクスプレスを4泊で5600バーツ。これで持参したドルは使い果たした。日本円も3万円しか残っていない。
 もうホテルでビールを飲んで過ごすしかないな。今までもホテルでビール飲んでたけど。
 というわけでコンビニで缶ビールを追加購入。ビアチャンは28バーツだが、4缶セットだと99バーツとお得になる。
 それにしても、ここパタヤでは商人が高額紙幣の受け取りを強硬に断る。高額どころではない。コンビニの料金が127バーツで、100バーツ札と20バーツ札2枚を渡したら、20バーツ紙幣を1枚押し返して、これでなく7バーツをコインで払え、と指示してきた。世界広しといえど、セブンイレブンでこんなことされたのは初めてだ。
 嚢中乏しくなってきたので、ハラ君に3万円借りて両替。10,861バーツ。これで滞在中の金はなんとかなるかな。

 夕食はホテルの斜め向かいにある、Nongjai Restaurantへ。ノンヤイとでも読むのだろうか。
 ここのラープは辛さ抜群とハラ君が言うように、すこぶる発汗作用がある。しかし米粉がよく煎っていて香ばしい。牛肉の香草炒めも下味がきいていておいしい。しかしなんといっても出色はオースアンだった。小ぶりの牡蠣に片栗粉をまぶし、卵とモヤシと一緒に焼き、甘辛いチリソースで食べる。台湾のオアチェンによく似ているが、この店は鉄板で片栗粉の衣がかりかりになるまで焼いているので、かりかりの外側ともちもちの内側が一緒に味わえる。
 その後ハラ君はまたもやウォーキングストリートに見参し、新たなゴーゴーバーの開拓にいそしんだとのこと。なんでもサワディーボーイズという店では、美少年がブリーフ一枚で踊っていたとのこと。斯道はかくのごとく厳しいものである。
 私はホテルで酒。

ラープ オースアン

8月18日(水)
 早朝に目覚めるが、ビールを飲んで寝なおす。
 結局起きたのは、時間ぎりぎりの8時すぎだった。慌ててシャワーを浴び、準備をして出かける。
 8時50分にロビーで拾ってもらい、シーラチャ動物園のツアーへ出発。ツアーの同乗者は日本人夫婦と息子、欧米人の母と子。
 マイクロバスの運転手はやたら無口で無愛想で、これでガイドがつとまるのかと思っていたら、ガイドは動物園のほうで用意してくれているのだった。こちらは愛想のよい女性。
 10時から1時間ほど見学、そのあと11時から一連のショーを見物して12時に終了、という式次第らしい。
 まずは母豚が豚と虎の子供に授乳しているのと、母虎が子豚に授乳しているのを見学。そのあとは虎や象やオランウータンとの記念撮影、蛇や鰐や蠍とのふれあい、虎のハンティングなど。それはいいが、虎とともにいる猛獣使いは、わざわざアフリカから輸入したような黒人に、ターザン風の変な衣装を着せて、いったいどういうつもりだろう。
 この動物園、記念写真に150バーツ、ハンティングは100バーツ、虎の哺乳瓶は50バーツ、象の餌は30バーツと、やたらに入場料以外に金を求めるなあ。
 虎のハンティングというのはべつに虎を撃たせてくれるわけではなく、ライフルで虎の檻の上に取りつけた金属の箱を撃つ。うまく的に当たると、金属の箱の蓋が開いて、中に入っていた肉が落下し、虎がそれをむさぼり食らう、ということになっている。
 私も金を払ってライフルを借り、軍事通のハラ君に撃ち方を教えてもらったが、角度が悪いのか、何発か的に当たっても蓋が開かない。真正面から勢いをつけて撃たないと駄目なんだろうか。
 11時からはショーの会場をめぐる。最初はクロコダイルショー。男女の猛獣使いがコミカルに鰐と戯れてみせる。
 次は虎のショー。学者豚の前座のあと、やはりなにか勘違いしたような衣装の猛獣使いとともに、虎がバンザイしたりジャンプしたり火の輪くぐりしてみせる。
 最後に象のショー。象が綱渡りしたり、チンチンしたり、観客を呼んで象がマッサージしてみせたりする。
 ここのレストランでは鰐のステーキなど食することができるそうだが、残念ながら食事せずにパタヤに戻ってしまった。象や虎のステーキがあるかどうか未確認。

動物園入り口 タイガーハンティング
豚が虎を育てる 虎が豚を育てる
虎の曲芸 しどけない見学人

 昼過ぎにホテルに戻ってきた。
 昼食はセントラルフェスティバルの地下のフードコート。ここは事前に金額をチャージしたカードを購入する方式。豚足飯と腐った魚のソムタムとマンゴシャーベットで180バーツ。
 腐った魚のソムタムは、厨房のおばさんがしきりに穏健なふつうのソムタムを奨めるのを押し切って注文。生のカニにさっと湯通しして、パパイヤ、貝、ニンニク、唐辛子などとともに臼でつきくだき、腐乳のような色と臭いのする灰色の魚汁をぶっかけて完成。はじめは匂いがすごいが、こういうものは食べると鼻が慣れてくる。

 どうもパタヤはショッピングモール別に民族が棲み分けしているらしい。このモールは5階に8番ラーメンとオイシイラーメン、シャブシが入っていてアジアンだが、横のマイクショッピングモールになると、パンフレットがロシア語のものしかなかったりする。

 夕食は飛天空芯菜へ。名前の通り、空芯菜炒めを頼むと、路上で中華鍋をあやつり始め、炒めた空芯菜を道路を隔てた向こうの同僚に投げつけるという店。本当に大通りで、疾走する車の間を縫うようにして投げていたのには驚いた。ときどき間違えて、車の窓にべちゃ、とかないのだろうか。
 空芯菜炒めの他に、ムール貝香草蒸し、鴨のロースト、ワンタンのキンチャク揚げを頼む。ビール3本込みで合計710バーツ。ビールはFEDEBRAU(Aはウムラウト)という、ドイツビールをタイでライセンス生産しているもの。ビアシンより軽い。
 空芯菜は目玉商品だけに、さすがに味付けがいい。鴨は肉もいいが、血が淡泊でよい。
 ムール貝は日本ではムラサキイガイというくらいで、紫色なんだが、こちらでは緑色。種が違うのか海が違うのか。

ジャンピング空心菜 料理

 夕食後はハラ君のお導きでふたたびウォーキングストリートへ。ウォーキングストリート前のパタヤビーチは、街娼や麻薬の売人でごったがえしている。
 シルバースターという店では、またもや女性が衣服を脱いでシャワーを浴びていた。やはりパタヤはよほど暑いのだろうか。
 ビーチクラブという店では、女性が観客のテーブルの上で踊っていた。不作法にもほどがあるが……いや、なに、椅子から見上げると、ミニスカートの下になにも着していないような気がしたのだが、気の迷いだろう、きっと。
 この店では常連だという日本人が、踊り子と一緒にテーブルに立って札束をばらまいていた。とんだ紀文大尽だが、札をよく見ると20バーツ札だった。百枚ばらまいても二千バーツ、五千円くらいなものか。しかし粋じゃない気がする、ううむ。
 ビーチクラブの従業員が着ている制服はちょっと粋なので、売ってくれないかと交渉したが、いまXXLのサイズしかないとのこと。残念。
 場末マニアと自称するハラ君の案内する、次のBOESCHEという店では、やはり女性が水浴していた。われわれ、浴槽に案内されて、水浴する女性と親しく話をする栄を与えられた気がするが、これも気の迷いだったのかもしれない。
 つぎに行った場末の場末ともいうべき、Sin Sity a GoGoでは、テーブルの上で踊るのはもとより、水浴もあるとしても、女性のひとりが股間に天狗のごときものを設置して、もうひとりの女性と疑似生殖行為にいそしんだり、口ではない肉体のどこかから吹き矢を発して風船を割ったり、という、昭和30年代の浅草ストリップのような営みをくりひろげていたような気がしたのだが、たぶんこれも真夏の夜の淫夢だろう。まさか、文明社会で公然とこのような行為が行われているはずがあるまい。
 そのあと行ったX-zoneは、まさに場末も場末、場末の極めつけと言うべきか、場末の国から場末を広めるためにやって来たというべきか。
 娘というかなんというか、娘もそろそろ卒業して育児とバカに専念した辻たんのような女性(容姿は似ていない)が全裸で入浴にいそしんでいるのはまあ許せるとしても、その踊り子というべきか浴び子というべきか、まあそのような女性がおもむろに客をさしまねく。ノコノコとやってきた客がなんというかもう、助平を絵に描いたような表情で、踊り子の渡すビニール手袋をはめ、なんというかこう、踊り子の神泉を探訪、フィストファックと申したか、下賤の言葉では、なんかそんなものをしたうえ、踊り子に渡したチップはわずか100バーツという、いやまさかそんなスケベかつケチな人物などいるはずがない、ねえ。それも真夏の夜の淫夢でござるよ。

8月19日(木)
 真夏の夜の淫夢のせいで、寝坊した。
 10時ごろ朝食。ホテルの向かいにある店に客がいたので、おいしいのかなとバーミーを頼んだら、インスタント麺だった。やや二日酔いの残る身体に、脂っこい麺とスープはもたれる。
 ふと気づくと隣のテーブルでハラ君が、同じラーメンをすすりこんでいた。このへんは朝食屋台がないからねえ。

 12時にチェックアウトし、12時半にバンコク行きのピックアップバスに乗りこむ。パタヤのホテルからバンコクのホテルまで、ドア・ツー・ドアで350バーツというふれこみ。
 バスターミナル間は大型バスで移動、ホテルとバスターミナルの間は小型バスに乗り換えとなる。今回はパタヤのバスターミナルを1時に出発し、バンコクのバスターミナルには2時半に着いたのだが、バンコク市内の渋滞のため、ホテルにチェックインしたのは4時前だった。

 ホテルはネットで物色していた、レガシーエクスプレスホテル。ブティックホテルを自称するだけあって、いろいろと内装、デザインに凝っている。バスタブはないが、それ以外は文句がない。セブン−イレブンが隣接しているので、さっそくビールを購入。

レガシーエクスプレス 居酒屋さざえ

 夕食はスクンビット通りの和食居酒屋「さざえ」。ここは週末になるとメイド居酒屋になるという噂だったが、本日は平日なので通常営業。残念ながら、メイド服に身を包んで欲しいと思う従業員は、あまりいなかった。
 名前通りのシルエットを制服に記し、あのアニメのテーマソングが店内で流れている。そのくせアサヒビールのキャンペーンガールが執拗にアサヒスーパードライジョッキをお勧めしてくる。なぜアサヒだ。テレビ朝日つながりか。シンハを頼もうとすると泣く真似をするので、つい負けてしまった。この娘はなぜかラオス人で、私の着ていたラオスアルファベットTシャツを異様に喜んでいた。とにかく妙な店だ。
 店は妙だが味はまとも。本マグロの赤身はほとんど中トロに近い。寿司盛り合わせに入っていたバッテラが、びっくりするほど脂がのっていて美味だった。そういえばバッポン通りで有名な日本人経営のステーキ屋は、サリカステーキと共にサバステーキが名物だったな。
 イカも新鮮。海鮮餃子もエビがぷりぷりして美味。煮込みだけは、タイ料理のでんで、ちょっと甘すぎたかな。ぜんぶで2100バーツ。

 ところでラオス語のTシャツは、パタヤのゴーゴーバーの娘も興味を示していた。ああいう店はイサーン地方の娘が多いと聞いていたが、ラオス人もけっこういるらしい。ゴーゴーバーでモテたいなら、ラオスのTシャツを着ていくのもいいかも。

餃子と刺身盛り 握り寿司

 ハラ君は食後またソイカーボーイのゴーゴーバーに繰り出していったのだが、私は眠くなったので失礼する。
 ホテルのテレビではタイの音楽プロモーションビデオ専門のチャンネルがある。タイの学生が学校の廊下でぶつかって恋に落ちたり、出征兵士を許嫁が木陰で見送ったり、のんだくれでバクチ好きの亭主に愛想を尽かした女房が実家に帰ったり、言語無用で理解できるベタな展開がおもしろい。

8月20日(金)
 レガシーエクスプレスの朝食は、お粥こそあるものの調味料はなく、ほとんどがパン、ハムとソーセージ、ベーコンと目玉焼き、サラダといった西欧式食事。ヨーグルトがあるのがありがたかった。製造元が明治のせいか、日本風に淡泊でラオスやベトナムのような濃厚さはなかったな。

 午前中はエカマイ駅にある科学博物館へ。この博物館は科学技術館、自然史館、保健衛生館、プラネタリウムに建物が分かれている。日本の国立科学博物館のような研究施設ではなく、啓蒙施設だが、かなり規模が大きい。
 ハルキゲニアのイラストが上下ともに棘にしか見えないとか、イクチオステガの前足に指が5本しかないとか、中世代の恐竜になにか間違って復元したとしか思えないのがいたりとか、恐竜を発掘している研究者がどうみても奴隷労働だとか、恐竜の説明ビデオがまるでモンティパイソンだとか、細かな間違いはいろいろあるが、とにかく啓蒙施設としては偉大だ。続々と幼稚園生小中学生がいろとりどりな制服に身を包んで押し掛けてくるのもわかる。私もここで新たに啓蒙された。タイではセミ・カメムシのシーズンは1月から4月、カブトムシのシーズンは9月から12月なのだそうだ。どうりで、隣接するラオスでも、市場でカメムシの串焼きを売っていないし、野山にアトラスオオカブトムシがいなかったわけだ。

謎の生物 発掘する奴隷

 午後は個人行動。ハラ君はマッサージに行くそうだが、私は博物館の近所のデパートに入り、shabushiで昼食。
 ここはオイシイという、タイでは有名な食品フランチャイズチェーンの傘下。
 冗談のような社名だが、この会社はまず、ペットボトルのお茶をヒットさせた。日本茶のイメージがタイ人に好評だったらしい。でも砂糖が入ってるんだけどね。
 さらにラーメンチェーンを展開して、和風ラーメンならオイシイラーメンか6番ラーメン、と呼ばれるまでの一方の雄となった。そこからさらに余勢を駆って、タイスキ業界に殴り込みをかけたものだという。
 名前はシャブシ(シャブシャブ+スシ)だが、実はタイスキとスシの店。また、回転寿司のシステムを導入し、タイスキの具がレーンを回転してやってくる(なぜか、寿司のほうは回転せず、ビュッフェに取りに行かねばならない)というもの。さらに食べ放題システムを導入してタイ人の数奇心をくすぐった。この企画もみごとに大ヒットし、主要なショッピングモールにはたいがいシャブシの店舗があるという事態になった。
 1時間半で282バーツの食べ放題。といっても、寿司もタイスキもそう悪いものではない。バッテラはやっぱり脂がのってて旨かった。エビも新鮮で身がぷりぷりしている。ハマグリはでかくてダシがよく出る。肉も軟らかい。残念なのはビールがなかったことと、お茶がやっぱり甘かったことくらいだろうか。

寿司・デザートコーナー 鍋と回転する具

 食べ放題でがっついて食いすぎたので、歩き回って買い物をする。トムヤムペーストやトムヤムキューブ、入浴後にすっきりする白い粉など買う。いやべつに精神に作用してすっきりする白い粉ではなくて、天花粉に薄荷を混ぜたような、身体に塗りたくってすっきりする粉なんだけどね。
 さらにプラトゥーナムの市場に移動し、ラオスの吸血ヒルにやられて流血で台無しになったズボンの代わりを買おうとしたのだが、目当てのものは見つからず、どんどん歩いていったら、そのうちリオのカーニバルか宝塚の舞台でしか使い道のなさそうなキンキラ衣装が並ぶ通りに迷い込んでしまい、迷宮の袋小路に何度もつまづいたあげく、ようやく地上に出た。
 あまりに疲労困憊したので、隣のショッピングモールで買い物をした。ここだって男性用のズボンを見つけるのに小一時間はかかった。ジーンズのコーナーにコットンパンツも置いてあったのね。

 あまり歩きすぎて足が痛くなり、フットマッサージを受ける。足はリフレッシュしたが、記憶もリセットされてしまったらしく、道に迷い、プラトゥーナムのあたりを一周する。おまけにちょうど降ってきたスコールに打たれ、ずぶ濡れになる。ズボン買っといてよかった。

 昼食が遅いうえに食い過ぎ気味だったので、夕食は遅めに。
 どうせなら、というハラ君の発案で、ナナプラザの小娘どもをテイクアウトし、Gダイアリーに載っていた麺屋と、その近くにあるイサーンパブに繰り込むことにする。
 ハラ君行きつけのナナプラザのゴーゴーバー、エロティカで待ち合わせて夕食に出かける。ハラ君は娘を3人も連れ出した。艶福家だなあ。それはともかく、姉妹を同時に手にかけるのはちょっと外道だと思うぞ。
 ナナプラザからタクシーで移動し、Gダイアリーの地図と住所を頼りに、クローンタンの近くにあるという店を求めてさまよい歩く。ようやく発見した、張金興という店でヤギの煮込み麺を食う。ベトナムのヤギ鍋に似て、八角やら豆鼓やらを入れて骨ごと肉をことこと煮込んだところに、麺を投入。スープがうまい。うまいけど量が多い。私は食いきれずに残したけど、小娘どもはみんな完食。ハラ君が「子豚ちゃん」と呼ぶだけのことはある。

 さらにヤギ麺の店の向かいにあるイサーンパブへ。
 ここはイサーン音楽の名曲喫茶のごときもの。イサーン歌謡曲の曲調は、昭和40年代の大野克夫のメロディラインにもちょっと似ている。
 とにかく有名な曲ばかりらしく、みんな合唱している。そのうち興が乗ると立ち上がって踊り出す。名曲喫茶というより、沖縄民謡の酒場に似ているか。そういえば踊りの手つきも沖縄の踊りにちょっと似ている。
 どうやら娘たちは、故郷のイサーン音楽と酒に酔ってしまったらしく、ハラ君はまんまと3人ともお持ち帰りした模様。そのうち2人は姉妹だ。人倫に照らしてどうなのかなあ。
 ハラ君はひとり分けてあげると言ったが固辞する。やはりそこには人倫というものがあると、私は思うのだ。

山羊煮込み麺 イサーンパブ

 ホテルへ帰る途中、コンビニでビールを買おうとしたら、「もう真夜中過ぎているからダメ」と断られた。酒の販売は昼食時と夕食時に限るという、タクシン政府が出したおふれは、政権が変わっても厳密に守られているらしい。深夜に酒が切れた呑んだくれにとっては、しんどい法令ではある。
 まあ今日の私は、メコンウィスキーを既に買っているから、ソーダさえあればメコンソーダが作れるんだけどね。
 というわけで私は、隣の部屋の嬌声をよそに、タイのベタなビデオクリップを見ながらメコンソーダを呑んだのであった。

8月21日(土)
 やや二日酔い気味。イサーンパプで呑みすぎたか、メコンソーダを呑みすぎたか。
 午前中はひとりでプロムポンへ。あいかわらずこのへんの日本語濃度は高い。駅の構内に日本書の古本屋があるくらいだから。
 ベンジャシリ公園の池では、巨大な鯉の死骸に、数十匹の亀がたかって屍肉をむさぼっており、壮観だった。
 フジスーパーの向かいの本屋で、日本・タイのポケット辞典が投げ売りされていたので買う。スーパーではタイの焼酎、ビール半ダース、ドリアンチップス、ジャックフルーツチップスを買う。荷物がひじょうに重くなったのでホテルに戻る。

 昼食はハラ君がGダイアリーで読んだという、ソイ4にあるカオマンガイ屋に行く。
 ナナプラザの通りを南下するが、これが行っても行っても辿りつかない。もうほとんどソイのどんづまりのところに、ようやくその店はあった。40バーツ。
 鶏ガラのスープは、この店は唐辛子を入れず、塩胡椒だけのシンプルな味。
 ライスはあっさりしている。鶏肉も脂身少なめで、タレをつけるとちょうどよいピリカラ味になる。

鯉の死骸を食う亀 カオマンガイ

 そのままマンダリンホテルに行き、パンダバスの蛍ナイトクルーズに参加。
 このツアーは10年前から参加したかったのだが、10年前は参加者が私ひとりで最小携行人数に満たなかったのでツアー不成立、7年前は週末にバンコクにいなかったのでスケジュールがあわず断念、と2回連続でふられている。今回は3度目の正直で参加できた。
 以前のことがあるので、参加者は私たちふたりきりではないかと思ったが、満員の盛況。バンコク駐在員の家族参加が多い。みんな、いいとこの奥さん坊ちゃんお嬢ちゃんばかりで、Tシャツに蛍光色のズボン、サンダルという異様な風体の我々(ハラ君は迷彩色の半ズボン)は浮きまくっている。
 バスで1時間半かけて、ケンコーの町へ。ここはもともとのダンヌンスル市場、われわれが行く、最近観光化されたアンパワー市場があるそうだ。蛍もけっこうな観光財源らしく、街のロータリーに蛍の像が建っていた。

アンパワー市場 ジューススタンド

 アンパワー市場は川の両岸に二本の道が通り、それに沿って屋台や店舗が並んでいる。
 これがものすごい混雑。誰かが物色して立ち止まると、あとの人が進めなくなるほど道が狭いうえに、多数の観光客がつめかけているので、ラッシュ状態。おまけにバンコクの熱気+雑踏の人いきれ+屋台の火力で高温蒸し風呂状態。あっという間に汗だくになる。歩きながらの水分補給は欠かせない。
 とりあえず夕食にガイドの人おすすめの、臓物麺を食ってみる。豚のガツやらコテッチャンやらレバーやらを中華風に煮込んだスープに米の細麺。ちょっと甘すぎるが、まずまずの味。
 市場のあちこちで魚の開いたのを竹のわっぱのようなものに入れて売っている。なんとなく、なれずしのように発酵しているようにも見える。どうにも気になったので、ひとつ買ってみた。

臓物麺 魚の酢漬け?

 ようやく6時45分になり、雑踏から解放され、舟に乗り込む。ここの住民は手漕ぎボートに乗っているらしいが(ガイドの発音は、タイ人の通例で濁点が発音されないため、「手コキボート」となる。なにか、とんでもなく淫猥な舟に聞こえる)、これは焼き玉エンジンのボート。
 ボートが勇ましく発進して10分もすると、あたりは闇に包まれる。ボートのエンジン音だけが闇に響く。
 やがてガイドが指さす先に、豆電球のような灯りがちらつく。あれが蛍らしい。日本のようなぼんやりした光ではなく、遠くからでもわかる鋭い光。それがかなり速い周期で点滅する。1秒に2回くらいか。
 こちらの蛍はヒン・ホイ・チャーン、訳すと「象蛍」という巨大な種らしい。川沿いによく見かけるマングローブやヤシの木にはいない。ランプーという木にのみたかっているそうだ。
 先に進むと、単色のクリスマスツリーのように密集して点滅している木がある。

 ボートの見学客の反応を窺うと、お父さんお母さんはもれなく感嘆しているのだが、お子様は飽きたというか、なんだ、こんなもんかと失望しているっぽい。
 おそらくその原因として、過大な期待を抱いていたことが考えられる。
 子供たちは蛍を見たことがない。事前に与えられたのは、おそらく親からの伝聞と、テレビからの情報であろう。
 親は蛍の話を尾ひれを付けて話す。お爺ちゃんお婆ちゃんの時代には、川のほとりにいっぱいいた、ピカピカ光っていたという話を。それを聞いた子供が、蛍とは都会のネオンサインのように遍在し、ハイウェイの照明のように輝くと思いこんでしまっても、やむを得まい。
 さらにテレビの特撮番組では、ホタルンガとかエレキボタルとかファイアフライアンデッドとか、蛍をモチーフにした怪獣怪人が登場する。こいつら、どいつもこいつも、ウルトラマンや仮面ライダーがあやうく失明するほどの凄まじいフラッシュライトを武器とする。
 かくて子供は、蛍とはサーチライトの如き光を放射する生物であるという先入観を抱き、実物を見て失望するはめになるのである。

 クルーズは8時過ぎに終わり、バスは9時半ごろバンコクに帰着した。
 アンパワー市場で買ったあの魚を、ホテルに戻って食ってみた。
 皿に並べてみると、かなり頭の大きな、サバに似た魚である。
 ナイフで切ろうとすると身がほくほくと崩れる。
 味は予想していたような発酵の酸っぱさはなく、軽い塩味がする。身は柔らかく、小骨なら食えるほどに柔らかくなっている。
 思うに、サバに似た小魚を、塩味でことこと長時間、柔らかく煮て、陰干ししたものではないだろうか。
 ためしに焼いてみた。かねてより日本から持参の簡易コンロと焼き網を使用。
 やはり焼いた方が香ばしく、味が濃くなってうまい。ひょっとするとこれは、生で食べるものではなかったのかもしれない。

魚 網焼き

 それだけで満足しておけばいいものを、ふと小腹が空いて、
(そういえば、ナナプラザのナナバーガーが美味しいと聞いた記憶がある)
 とついナナプラザへ出向いてしまったのが運の尽き。
 ナナプラザの入り口にいつもいるハンバーガー屋は、客の注文に応じてハンバーグをでかい鉄板でじゅうじゅう焼き、トマト、レタス、チーズと一緒にタレをつけてバンズに包んでくれる。これがナナプラザ随一の美味と言われているのだ。
 ふらふらとナナプラザへ行き、80バーツ払って、ハンバーグが焼けるのを待っている私の前に、風俗店舗に限っては神のごとく偏在するハラ君が、その姿を現したのである。
「やあ、先日のフォウ嬢が、あなたに会いたいといって袖を絞っていますよ」
 これが悪魔の囁きというものであろうか。
 ついノコノコと、ナナバーガーを抱えて、エロティカに寄ってみたのが運の尽き。フォウ嬢はすでに別な客にお持ち帰りされていたのであった。ナナバーガーはうまかったけど、ゴーゴーバーにはそぐわないので、半分食べて捨ててしまった。
 ハラ君のいない私ひとり。ナナプラザには不案内なので、だれかガイドについてくれないかと頼んだら、2人がガイドに立候補したのはよかったのだが、お持ち帰り料を支払ったあとで、
「まもなくナナプラザは閉店です。行けるのはあと1店くらいですね」
 と無情の知らせ。
 もともとバーに来るつもりはなかったので、今こんだけしか持ってないと伝えると、
「じゃあ、バー1件行って、あとはホテルに帰ってせんずりこいて寝なさい」
 と、ありがたいご指導。
 佐野次郎左衛門のごとく殴り込みをしようと思っても、うちには村正の妖刀はないからなあ。
 結局ふたりの娘を連れて、ハリウッドという店に入った。アメリカンヒーローみたいなミニスカコスの娘が、どういうわけかコスを脱ぎ捨て全裸となり、パンツいっちょの男性どもをなぎ倒すようなゴーゴーバーだった気がする。アメリカンヒロインはみんな、30センチくらいのハイヒールに鞭を標準装備するという怖い店。
 店を出ると娘たちは、
「じゃあねー。せんずりこいてねー」
 と、至極あっさりしたお別れ。

 帰りに焼き鳥と卵焼きを買って帰り、寝酒の肴にする。30バーツ。屋台の卵の串焼きは、いちど穴をあけて卵の中身をとりだしてから、卵と魚すりみを混ぜたものを卵殻に流し込んで焼いた、茶碗蒸しと蒲鉾の中間のような味。

 しかし、予定通りにナナバーガーと焼き鳥を買って帰っていたら100バーツで済んだところを、ハラ君のサタンのささやきに耳を傾けたばっかりに、ムリョ4000バーツの出費になったのであった。
 ハラ君はナナプラザの営業担当になっても、きっと優良な成績をおさめると思う。
 ここまで無碍な扱いをされると、かえってファイトがわいてきた。金の切れ目が縁の切れ目か。そのほどしかと覚悟いたした。覚悟完了。
 ここは兵力、いや金力か、残る金をすべて両替し、明日にぶつけるしかあるまい。兵力集中の原理ですよ。
 といっても残金は2万円しかないけど。
 たそがれ戦争だなあ。

8月22日(日)
 考えてみれば日本に戻ってからも数千円は必要なので、残る日本円のすべてをバーツに両替しては成田で立ち往生する。もう銀行は開いてないし。
 ということでハラ君にさらに1万円借金。1万円は成田から家に帰るための旅費に必要なので、2万円をバーツに換える。兵力の逐次投入だなあ。

 午前中はハラ君の提案で、Gダイアリーで紹介されていたという、ローカル鉄道に乗ってみる。どうやらハラ君は、すべてのアジア情報をGダイアリーから仕入れているらしい。って、いまさらわかりきった話か。
 そういえばハラ君は、風俗雑誌にマップのない、ラオスのバンビエンとポンサワンにいるときには、非常に不安そうだった。おそらくハラ君は、風俗雑誌の根拠のない地点にいると、足元が虚空のような不安感と焦燥感を覚えるのだろう。
 Gダイアリー編集部にお願いします。どうかハラ君のために、世界主要都市のすべてのマップを掲載してあげてください。

 MRTでウォンウェイヤイという、かつて終点だったタクシン駅の先まで延びた終点で国鉄に乗り換える。乗り換えといっても数キロ離れているので、タクシーに乗った。たぶん運転手に聞かなかったら行き着けなかったよな、というくらいに複雑な経路を辿って駅に着く。
 この駅がなんというか、ローカル臭全開のすばらしい鉄道。そもそも駅のホームがオープンというか、物売りがたむろして屋台街と化している。
 私はここの屋台で適当に揚げ餃子をみつくろって買ったが、一口かじった瞬間、過去の記憶が蘇った。昔、同じように揚げ餃子を買い、同じような失敗をしたことがある。あれはシリラートの法医学博物館を見に行く途中の屋台で買ったのだ。
 餃子の中身は、白あん、芋あん、よくわからない塩あん。いずれも甘味。期待していた豚肉とニラの肉あんではなかったのだ。

駅 電車内部

 悔恨を乗せてガタガタ電車は走る。
 電車は川沿いに線路が延びているらしく、沿線の住宅は半分くらい水につかっている。
 ひと昔前にハノイ市民のお宅を訪問したことがあったが、あの家と同じように、電気製品や大事な家財道具はみんな2階に設置して、1階は水びたしになってもいいように板張りかタイル敷きになっているのだろう。
 増水時の交通に使うのだろう、ボートを家の柱に結びつけている家も多い。
 トタン張りの屋根に登り、ぼんやりと電車を見つめている15くらいの娘がいた。
 屋根の方が風も流れ見晴らしがよく居心地がいいのだろう。「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」など、昔のホームドラマではなにかあると若い男女が屋根の上で寝そべったりギターを弾いたりしていたが、あんな感じ。

 1時間ほどして、マハチャイの駅で降りる。
 この町は港町で、魚市場があるのだそうだ。
 川の向こうには時計台と寺院がある。川は渡し船でわたる。乗船は無料。
 もっとも向こう側は、寺院があるだけでほとんど何もない。ほとんどの店は市場の側にある。
 寺院はだだっ広いだけであんまり面白そうでもない。早々に市場に戻って、屋台でバーミーを食う。25バーツ。

 

渡し船と寺院 マハチャイ市場

 3時頃ホテルに戻り、夕食まで小休止。
 私はマーブンクロンセンターに行き、東急でマンゴスチンとタマリンドを買ってみた。
 マンゴスチンは選び方がまずかったのか、買った3つとも痛んでいたので、捨ててしまった。
 タマリンドは堅そうに見えるが、落花生の殻よりも簡単に割れる。中に強固な繊維があるが、それをのけて種のまわりにあるねっとりした果実をかじる。干しアンズと干し柿をあわせたような味。
 ラオス航空のスナックで出てきたミックスドライフルーツの中に入っていた、ジャックフルーツが甘酸っぱくて美味しかったので、フリーズドライやチップスを買ってみたが、どうもラオスの味はみつからなかった。やはり秘境ラオスならではの味なのか。

 夕食はラオス料理屋。例によってハラ君は、ナナプラザのエロティカから、小娘どもやチーママをテイクアウトして一緒に繰り出すつもりらしい。
 その前にまだ時間も早いし、せっかくだから日本人に一番人気の店も覗いてみよう、とレインボーに入店。このお店は踊り子が黒のビキニで踊るならわしらしい。時間がまだ早いので黒のブラはみんな着用していたが、下はきわどいTバック。日本語がかなり通じる。そのへんが日本人に人気なのだろうか。

 エロティカで、以前のカラオケと同じ面子をお持ち帰りし、タクシーで近所のビエンチャンキッチンへ。
 この店はバンガロー風の2階建てで、1階の中央は吹き抜けのステージ、2階からもステージが見られるようになっている。われわれは2階へ。
 ステージではラオスの踊りを見せたり、格闘技の模擬戦のようなものを見せたりしている。欧米人の幼児と幼女がはしゃぎまくって、ダンスだろうが格闘技だろうがかまわずにとびいり参加していた。
 子豚どもはこの店でも欠食児童のように料理を頼みまくる。チャーハン、焼きそば、魚の姿煮、肉野菜炒め、アヒルの嘴、蟻の卵炒め、ラープ、スープ、ソムタム、生野菜ジェオ、などなど。ビールは懐かしいビアラオ。
 ジェオという肉味噌みたいなものは、ちょっと舐めただけで卒倒するほど辛い。ラオスのどこに行ってもこんなに辛いのはなかった。これはタイ人向けに味を鮮烈にしてないか。

アヒルの嘴、蟻の卵、ソムタム 野菜とジェオ

 チーママのひとりは目が悪いので、ここでタクシーに乗せて帰宅。残る6人はナナプラザに戻る前に、ちょっとバッポン通りを見物することにした。
 バッポン通りに近い道路はむちゃこみの渋滞で、どうもタクシーの運転手は「わしはこんなところへ来とうはなかった」という意味のことを呟いているらしい。それに子豚のひとりが「黙って走れ!」とやりかえすらしい。運転手はヨッパライだから仕方がない、というように首をすくめ、黙ってハンドルを握った。
 やがて降り立ったバッポン通りはお祭り騒ぎの大混雑で、前の人とはぐれないようについていくのが精一杯。
 やがて入った最初の店はサワディーボーイズという、まあなんというか名前通りの男盛りの店。マッチョメンがビキニパンツひとつで(入墨や首輪などはしていたが)筋肉と臀部を誇示しつつ、さまざまなショーを繰り広げる。そのビキニパンツに時折、ペニバンのようなものを装着している。
 ほとんどのボーイズは引き締まった肉体と端整な顔立ちで、プロレス団体ならドラゴンゲート向きの青年だが、中にひとりだけ、肉体も顔もちょっと弛んでないか、という男性がいた。どうやらお笑い担当らしい。ショーの最後にオチをつけて、笑いをさらっていく。
 このニギヤカ担当、顔も肉体も、なんというか新日本プロレスの永田さんそっくりで、ひそかに永田さんと名付けてひそかに応援していたのだ。
「永田さーん、がんばれー」「永田さん、いいぞ!」
 それ、ひそかにと違う。
 その応援を愛情と解釈したのか、永田さんがますますペニバンを盛りあげ、こちらへアピールしてくるようになって困った。バッポンの永田さんに幸あれ。

 そのあと入ったTATTOOという店は、チーママによると「ノットグッド」。
 演目が下品なのがお気にめさなかったらしい。なにしろ、あまりに下品なため少年淑女のため詳細を記すのを略すが、人間鎖倉庫、人間女郎蜘蛛、人間ジェット、人間吹き矢、などの曲芸が演じられたのだ。横のチーママがだんだんと不機嫌になっていくので、もしもパタヤでもっと下品なショーを堪能し、あまつさえ演技に参加したことが知れたらどうなることか、ハラハラしていた。
 チーママの怒りが有頂天に達したのは、勘定書きを見たときであった。 
 そこには、ショーチャージ3000バーツ、というぼったくり価格が記載されていたのである。というか、あの手のバーでショーの料金を取るところは初めてだ。
 チーママは怒り狂って店員になにやらまくしたてる。険悪なムードの中でいくつかの数字を書いたり消したり、結局ドリンクを含めて1人500バーツ、総計3000バーツで手を打ったのだった。
 チーママの怒りは収まらない。何回も何回も「500バーツ、500バーツ」と英語とタイ語で交互に言い捨て、ナナプラザに戻るタクシーの中でも「500バーツ、ノーグッド」とつぶやいていた。
 ハラ君に聞いたが、地球の歩き方でも「バッポンの2階の店は行かないように」と書いていたのだそうだ。私は自分で買った本でありながら、そのことにまったく気がつかなかった。
 しかし、ハラ君も風俗情報誌以外から情報収集をすることがあるのだと知り、なんだか安心した。

 それからナナプラザに戻って2時の閉店まで呑み続けたのだが、あまり記憶にない。たぶんおとなしく幸せに呑み続けたのだろう。
 今日こそお持ち帰りを、と勇んでいたのだが、たぶん私がなんらかのサインを見落としたり、ナナ訛りの英語が理解できなかったのだろう。そのままおとなしくお別れすることになったのであった。ちょっとがっかり。
 ハラ君にその話をすると、
「なんでお持ち帰りしなかったんですか。子豚ちゃん乗り気だったのに」
「いや……そういえばペイバックって言っていたような気もするな。あのときイエスと言えばよかったのか」
「なぜイエスが言えない日本人なんですか」
「なんでだろう、そういう言葉は理解するのに時間がかかるんだよね。センズリして寝ろみたいな言葉は瞬時に理解できるんだけど」
「……根っからの破滅願望ですね」

 ホテルに戻って荷造りをし、残ったビールを消費し、シャワーを浴びて寝る。

8月23日(月)
 当然きょうも二日酔い。ついでに寝不足。
 朝食は抜いて冷蔵庫の最後のビールで代用。
 8時過ぎにチェックアウト。ホテルの前からタクシーを拾って、9時前にはスワンナプームの空港に着いた。高速料金を含めて300バーツ弱。
 われわれはCクラスのチケット保有者であるから、中華航空のラウンジを使えるのだ。
 ちょっと辺鄙なところにある中華航空のラウンジは、雑誌、新聞、インターネット、食事、喫茶、なんでもある。サンドイッチからビールから点心からカレーまである。トイレだけがない。
 それにしてもラウンジのパソコン、ミクシィは接続できたが、ツイッターはアクセス制限で入れなかった。なんでもちょっと前、皇太子が公衆の面前で嫁を裸にしたという事件があって、その映像がユーチューブで流出し、政府が激怒して閲覧禁止処置をとったのだそうだ。そのあおりでツイッターも真実の流布が禁止されているのかもしれない。

 11時5分発の中華航空。に乗りこむ。むろんわれわれはビジネスクラスだから、エコノミークラスのシモジモを横目に優先搭乗できるのだ。
 飛行機が出発してすぐに昼食。前菜はホタテとイカの冷製サラダ、メインは牛メダイヨン中華風ライス、デザートは苺のムースとフルーツ盛り合わせ。
 牛肉メダイヨンというのはこれまで「スターリン・ジョーク」でマイクロフォンに似たものという知識のみ持っていたが、実際に食べるのははじめてだった。しかしメダイヨンって「メダル状」って意味らしいんだが、この肉は完全に四角だぞ。
 飛行機ではアメリカの厨二病を描いた「キック・アス」を上映していたが、その中華題名が「特攻聯盟」というのがなんとなくよかった。

中華航空ラウンジ 前菜
メイン デザート

 行きと同様に台北で乗り換え、また軽食が出る。いや、さっき出たのが軽食だったか。
 せっかく最後だから、と、和食のメニューを選択してみた。
 前菜は海老サラダ、牛叩き、豚のゼラチン寄せ、ウニ海苔など。メインはすき焼き御膳。デザートはハーゲンダッツのアイスと果物盛り合わせ。
 しかしこの旅行、なんだか食欲的には食い過ぎた旅だった。性欲的にはリビドーが刺激されるのみだったような気がするが。はっ、その代償作用で食い過ぎ。

前菜 メイン
デザート ローカル線


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