金田一少年の受精簿

 少年マガジンの看板漫画といえば、「金田一少年の事件簿」である。この漫画は、金田一耕助の孫と称する美少年が怪奇で複雑な殺人事件を解決する趣向である。まあ、中にはあまり怪奇でもない事件はあり、複雑でもない事件もある。解決したというには無理のある謎解きもあるし、金田一少年を美少年と呼ぶのはいかがなものか、という意見もあるが、まあよかろう。

 この漫画最大の謎といえば、「金田一少年は本当に耕助の孫なのか?」である。
 ご存じの通り金田一耕助は横溝正史が創造した名探偵。略歴は私の別のページを読んでもらうとして、とにかく一生独身だったことは間違いない。必然的に、金田一少年は耕助の庶子の子供ということになる。
 庶子はいい。しかし、いつ、どこで、だれを相手に、金田一耕助は金田一少年の親の種を仕込んだのであろうか。
 私は先輩のミステリーマニアで、「平成の中島河太郎」とまで呼ばれている人に質問してみたが、はかばかしい答えが得られなかった。ならば、想像するしかあるまい。望むらくは、金田一耕助ファンの怒らぬことを。

第一の仮説:ロサンゼルス時代
 耕助はロサンゼルス遊学中は相当乱れた生活をしていたらしい。麻薬に手を出してもいたという。おそらく、女関係も乱れていたと思われる。
 もともと耕助は貧相な顔立ちだが、妙に母性本能をくすぐるらしく、水商売や姉御肌の女にはもてている。おそらく、ロスの商売女や酒場女と深い仲になっていたのではなかろうか。
 のちに立ち直った耕助を久保銀造が後援する。おそらく、耕助の将来を思んばかって、女と手を切らせ、子供は銀造が引き取って日本で育てたのではないか。口が堅い銀造から秘密が漏れることはなかった。そしていつの頃か、耕助は自分の子供に会い、認知する。
 こう考えると、金田一少年の祖父にも似ぬバタ臭い顔が納得いく。あれはクウォーターの顔立ちだったのだ。

第二の仮説:陸軍時代
 耕助は兵隊にとられて中国から南方へ送られ、辛酸をなめた。このとき現地女性、または従軍慰安婦と性交渉をもった可能性は否定できない。
 しかし、そのとき産まれた子供が育つとも思えないし、育ったとしても現地の国籍をもち、日本人にはならないだろう。この説は否定していいだろう。

第三の仮説:獄門島時代
 終戦直後、耕助は戦友の依頼で獄門島を訪れ、鬼頭家三姉妹の殺人事件を解決する。これが名作「獄門島」である。
 このとき耕助は早苗という女性に惚れる。
 事件解決後、耕助は早苗に、結婚しよう、そしてこの呪われた島を出ようとかき口説く。しかし、早苗はこの島に残り、網元としての使命を全うしようと決意する。
 やむなく耕助は、ひとり悄然と島を立つ。桟橋に早苗を残して。
 しかしこのとき、ふたりはすでに深い仲であった。早苗のなかには耕助のいのちの息吹が・・・なんてことがあれば面白いんだが。
 しかし、早苗の息子とあれば、鬼頭家の嫡男として網元を継ぐはずである。少なくとも、金田一家を名乗ることはないだろう。ただ、早苗は婿養子をとったはずである。養子との間の男の子が嫡男となり、耕助の子供は東京に出て・・・という可能性はある。

第四の仮説:「松月」居候時代
 耕助は戦後しばらく、友人の風間俊六が経営する、大森の「松月」という旅館に居候していた。この旅館は風間の妾であるおせつさんという女性が切り盛りしていた。
 耕助は生活能力がゼロに近い男で、布団の上げ下げもしない男だったという。(私もそうだ《苦笑》)そのせいか妙に女性の母性本能を刺激する男で、おせつさんは耕助の姉のように面倒を見て、洗濯、繕い物、食事の世話までしていたという。(私には誰もそんなことしてくれなかった《号泣》)
 姉と弟のように、といっても男女の仲はそんなものではあるまい。いつしか耕助とおせつさんは、風間に悪いと思いながらも、深みにはまってしまったのであった。
 やがて子供が産まれる。風間は仰天するが、そこはさっぱりした男である。自分の子供ということにして入籍させる。事の成り行きを後悔した耕助は、昭和29年、「松月」を出て緑が丘のアパートに移る。
 その子供も成人したころ、「病院坂の首懸りの家」のあたりであろうか、風間の肝煎りで、正式に金田一家に戸籍を移す。ひょっとしたらその子供も、探偵の才能があったのかもしれない。耕助がその後ほどなく日本を離れたのも、跡継ぎができて安心したのかもしれない。

第五の仮説:「女怪」時代
 耕助が女に惚れたことは生涯に二回ある。一回は「獄門島」の早苗、そしてもう一回が「女怪」の主人公、虹子である。
 耕助はバーのマダム虹子に惚れ、バーに入り浸りになるが、虹子には賀川春樹という立派なパトロンがいる。(これはおそらく角川春樹がモデルだろう)
 耕助は失恋するが、虹子につきまとう暗い影が気になる。どうやら虹子は、跡部通泰という怪行者に恐喝されているらしい。それは戦争中に死んだ、虹子の前夫の死因にまつわるものなのか?そして・・・という話なのだが、バーのマダムと客のこと、体の繋がりができても不思議ではない。
 しかし、この物語の最後は、虹子が死を選ぶだろうことを暗示して結ばれている。子供を産む時間はなかったろう。この説の最大の弱点である。

第六の仮説:緑が丘アパート時代
 耕助は昭和29年に「松月」を引き払い、緑が丘のアパートを借りてひとり暮らしを始める。それに照応するように、扱う事件が派手になる。ヌードモデル殺人事件(幽霊男)、ストリッパー殺人事件(墜ちたる天女、トランプ台上の首、火の十字架)ファッションモデル殺人事件(吸血蛾)レビューガール殺人事件(魔女の暦)などなど。
 先にも書いたように、耕助はこのたぐいの水っぽい女性の母性本能をくすぐるところがある。浅草のストリッパーの間でアイドル視されていたとの記述もある。
 こういった女性たちがひとり暮らしの耕助のアパートに押し掛けるのだ。調査を依頼するときは恐怖でそれどころではないだろう。しかし事件が解決して、お礼に参上するときは、これら美女たちの胸の内は耕助への感謝の念、そして感謝がいつか変わった愛情の念でいっぱいであろう。これで何か起こったとしても、耕助を責めることは誰にもできない。
 ただ、こういった女性は、子供を産むことが職業を失うことにつながる。耕助の子供を産む可能性は低そうだ。しかし、風間がうまく説得して、尊敬する耕助の子供を産む代わり、どこかに小料理屋でも持たせる、などと話を付けたこともあり得る。

 これ以降は耕助の年が年なので、(緑が丘時代ですでに40代半ば)これより後で子供を作った可能性は低かろう。
 それより、耕助は昭和42年、「悪霊島」の事件を解決する。これには耕助のよき協力者、磯川警部の行方不明の子供の話も絡んでくる。このとき耕助は54歳。金田一2世は、少なくとも小学生か、ひょっとすると30近くになっていたはずである。磯川2世を探す片手間でもいいから、金田一2世も探しといてくれたら・・・と悔やまれる。
 まあ、ファンにとってみれば、金田一耕助と沖田総司は、生涯童貞ということにしておきたい、というのが本音であろうか。
 金田一ものの漫画家で有名なJETS氏も、耕助と等々力、磯川のホモ三角関係に話をもっていきたがるしなあ・・・。沖田ファンも土方とのホモ関係は許すらしいし、どうも”や”の人の考えはよくわからない。


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