ジャズダンス初体験記

 何の因果であろうか、ジャズダンスというものをやる羽目になった。
 しかも場所は渋谷のスポーツクラブである。
 梅宮アンナや、リサ・スティックマイヤーといった芸能人も訪れる格式高い場所である。

 これまで私とジャズダンスとは、何の接点もなかった。
 存在くらいは知っていた。
 しかしそれは、妙に威勢の良い女性が、TVで踊っているのを見るもの、という認識であった。

 早朝と深夜にジャズダンスは多い。
 なぜか安手の深夜CMには、ジャズダンスが多いのである。
 紳士服のコナカでは松平健がサイドステップを踏み、消費者金融の武富士では細川直美が踊る。
 安手の早朝番組も、ジャズダンスが多い。
 こちらはラジオ体操の変形で、「今日は上腕二頭筋を使ってみましょう」などとのたまうインストラクターの指令のもとに、視聴者が同じ動きを強いられるのである。私はしないが。
 矢部美穂や白鳥智恵子といった売れないっ子アイドルが動員されることも多い。
 いずれにせよ、安手ということが共通している。ブームは過ぎているゆえ、夜8時から「ダウンタウンのごっつジャズダンス」や、「舞踏家たけしの元気が出るジャズダンス」、あまつさえ「大相撲、プロ野球対抗ジャズダンス合戦」などという番組が放映される可能性はない。

 ともあれ、私は常に傍観者であった。
 それもスポーツというより、何と申しましょうか、煩悩というか欲念というか、劣情というか、そっちのほうの関係として傍観していたのであった。

 ジャズダンスと言われてまず連想したのは、やはりそっちの方の劣情関連であった。
 大多数は女性である。しかもうら若き、という形容が付属する。
 それもスポーティな薄着である。
 しかも私も薄着である。
 薄着の私が劣情に駆られてしまったら、その存在は第三者からも明白であろう。
 私の劣情が白昼のもと、うら若き女性に晒されてしまうのである。
 これを危機と言わずして何と言おうか。

 というような私の危惧をよそに、私はスタジオに拉致された。
 ひそかに恐れていた通り、女性は薄着であった。
 上はTシャツ一枚、下はスパッツというのか、ぴったりした短パンである。
 しかもTシャツを脱ぎ捨てる女性もいた。
 ビキニのブラジャー一枚である。
 私の劣情の危機である。

 講習が始まった。
 これがなかなかハードである。
 まず足の操作から。
 普通の足踏みと、両側に足をずらすサイドステップと、前後に足を動かす動作と、足を後腿まで蹴上げる操作を習う。
 これだけでかなり疲労困憊した。
 汗が淋漓と流れる。

 次に足を動かしながら、手を挙げたり下げたり、という運動にうつった。
 これが私には難しい。
 そもそも私には、足と手に同時に意識をめぐらすことが、できないのである。
 右手と左手で違う操作を行う、ということすら困難である。
 だから楽器の操作というものもまったくできなかったし、10年間コンピュータで飯を食っていながら、ブラインドタッチがまだできないのである。
 そんな私に、足は1拍子でサイドステップを踏みながら、手は2拍子で前と横に振る、という操作を強いるのである。
 しかも、音楽に合わせてリズミカルに、という注文もつくのである。
 汗はますます淋漓と流れる。
 汗だまりが足元にできるくらいである。
 昔、ジャイアント馬場がプロレス入門したとき、力道山にヒンズースクワット500回をやらされたという。
 汗が足元で水たまりになったという。
 のち、藤波辰巳がヒンズースクワット2000回という記録を作ったため、馬場の500回は大したことないと思う人が多いが、それは浅慮である。
 藤波は70キロ、馬場は140キロと2倍の体重差があるのだ。
 2倍の体重が筋繊維の断面にかかるとき、その負担は4倍になる。
 つまり馬場の500回と藤波の2000回は、同じことなのである。

 とはいってもジャズダンスのしかも入門で、それほどに汗をかく私はいかがなものか。
 劣情に頭をめぐらす余裕もない。
 前の女性のお尻がもこもこと動く。
 スパッツに覆われた、ぷりぷりとした格好のいいお尻が、リズミカルに動く。
 しかしそのときの私は、足の動きを真似しよう、ということで頭がいっぱいであった。
 他の方面に振り向ける余力はなかった。 後になって、「あれは扇情的な光景ではなかっただろうか」とふと考えることが、私にできる精一杯であった。

 45分の講習はかくして終わった。
 成果については語らずにおこう。
 ただ、後のビールが、こんなに旨かったことはない。
 息もつかずに1杯を飲み干した。
 2杯目を飲むと、汗がじわっと吹き出てきた。
 それほど脱水していたのだ。
 体液がすべてビールに置き換わったのだ。

 ジャズダンスはどうでもいい。
 しかし、ビールを旨く飲む前準備とすれば、こんなに優れたものもない。
 また、誘ってくださいね。


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