虫の死んだのはキライだ

 人は信じないかも知れないが、私は大学まで理科系の道を歩んできた。それも生物系だ。そんな男がなぜ会社勤めでコンピュータなんぞをいじくっているのか、たいていの人が不思議がる。それに対して真摯に説明すると2時間ほどかかるので、とりあえずはこう言っておこう。「人に歴史あり」

 そんなわけで生物の生きたのや死んだのをいじくる経験も多かった。フナの皮をはいだこともあるしカエルの皮をはいだこともあるしネズミの皮をはいだこともあるしヒトの皮もはいだことがある。普通の人よりは死体に慣れているので、別に怖いこともない。

 しかし、節足動物だけは駄目なのだ。生きているのは大歓迎。カブトムシもサソリもゲジゲジもザリガニもオーケー。(サソリに刺されるのはNGだが) だがっ、死んでいるのはいかん。気持ちが悪いのだ。怖ぞ毛をふるうのだ。あの、いっぱいある脚が力無くだらんと垂れているのがイヤだ。関節を支える筋肉も弛緩し堅い外骨格の継ぎ目がかくんかくん動くのもイヤだ。覗いてみたら内部は蟻に食い荒らされていて外殻だけ残っているのがイヤだ。なにより、あの黒くなった眼がイヤだ。だいたい節足動物というのは、我々脊椎動物からもっともかけ離れた動物と言われる。我々とかけ離れたその外観及び内部構造は、脊椎動物の感情移入を拒否する。生きているときでも何を考えているのかわからない存在である。死んでしまったら、ますます何を考えているのかわからなくなる。(死んでるんだから何も考えてないって)その不可解な存在が、私に恐怖を与えるのであろうか。

 昔から嫌いだったわけではない。節足動物の死骸をいたく怖じるようになった経験が、私の少年時代にあった。

 その一。子供の頃は大阪の豊中に住んでいた。まだ近所に雑木林が残っていて、そこではクワガタやカミキリが採集できた。私ももちろん喜んで虫を追っていた。

 カミキリムシの採集に適した時期を御存知か?真夏の夜、木の汁を吸っている奴をとらえる、というのでは遅すぎる。もっと前、梅雨明けの頃である。樹の中で幼虫、蛹の時期を過ごしたシロスジカミキリはこの時期成虫になって木のうろから出てくる。お天道様の光を浴びようと、期待に満ちて出てこようとする若武者達の、触角をとらまえて引っぱり出すのだ。日の目を見る前に囚われとなる虫がなんだか気の毒だが、この方法で一網打尽ができる。

 あるとき、いつものように木に開いた小さな穴を覗いた。カミキリの頭が見える。勇躍して触角をとらえ、引っ張った。ふつうのばあい、これには結構力がいる。穴はカミキリの身体ぎりぎりの細さだし、虫も引っぱり出されまいとして抵抗するからだ。しかし、このときはまるで手応えがなかった。いぶかしく思った少年がふと手元を見ると、引っぱり出されたのは頭だけ・・・

 そして、木の穴からはわらわらと小さな蟻達が無数に・・・・・・

 そう、そのカミキリムシは成虫になった途端、アリさんに襲われて餌食となっていたのでありました・・・

 少年の全身の毛は総毛立ち、(とはいってもこの頃はまだ脇毛も陰毛も生えていなかった)犠牲者の頭を放り出すと、後をも見ずにまろび逃げたのでありました。「それ以来、二度と元のようじゃなくなっただ」と銀の森屋敷のジュディさんは語る。

 その二。豊中には溜め池も多かった。子供達はそこでザリガニや亀を釣るのであった。もちろん、私も釣っていた。ザリガニの釣り方を御存知か?簡単である。用意するのはタコ糸だけ。あとは適当な棒を拾ってタコ糸の端を結びつけ、糸のもう一方の端に餌を結ぶ。針など付ける必要はない。

 問題は餌である。豊中では餌に何を使うかで、ザリガニ釣りのビギナーから達人までのランクに厳然と分かれていた。幼稚園や小学一年生などのビギナーは家からスルメをもらってきて結びつける。しかし中級者ともなると、このような餌は軽蔑する。生き餌を使うのだ。中級者はカエルを使う。カエルの脚を持って道ばたに思い切り叩きつける。口から内蔵を吐いて息絶えたカエルの皮をむき、餌とする。好みにより脚だけを餌にする釣り師もいたが、これは好みの問題で特に序列はなかったように思う。

 そして、通が好む餌は何か?それは、ザリガニである。ザリガニは共食いをするのだ。ザリガニの尻尾をちぎって殻をむき、そのむき身を餌とするのがもっとも効果がある、と信じられていたのだ。

 少年時代の私はいつものようにザリガニを釣っていた。もちろん通人の私はザリガニむき身が餌である。まず、カエルで一匹目を釣る。そいつの尻尾をちぎり、殻をむいて糸に結びつける。尻尾を失ったザリガニにはもう用はない。池に投げ捨てた。

 当たりがあった。静かに引き上げる。針がついていないこの釣りは、ザリガニ自身のはさみの把握力が頼りなのだ。ゆっくり引き上げないと、ザリガニは驚いてはさみを離してしまう。

 ザリガニの赤い姿がゆっくりと浮き上がってくる。まずはさみ、そして頭が水上に浮かび上がってきた。そして・・・・

 それきりだった。そのザリガニは上半身しかなかった。尻尾はなかった・・・・

 そう、さっき棄てた餌用のザリガニだった。こやつは不治の重傷を負いながら、自分の尻尾のむき身の美味に負け、我と我が身をむさぼっていたのである。

 少年の全身の毛(脇毛と陰毛を除く)はよだった。少年はまたぞろ、後をも見ずに全てを放り出して逃げ出したのであった。ジュディさんが「二度と元のようじゃなくなっただ」と再び語ったのは勿論である。

 もっとも、元のようでなくなったのは、ひょっとするといいことだったのかもしれない。元のままだったら、順調に殺生を好んでいき、ザリガニ、カエルから猫や犬へとエスカレートし、やがてはバモイドオキ様の聖なる実験に参加の栄を与えられるようになったかもしれない。それを考えると、死骸が怖いくらい、何だというのだ。でも怖いぞ。

 


戻る           次へ