関東と東北のあいだに

 東海林さだお「のほほん行進曲」は、私にとって妙な縁のある本である。
 この本に書かれている旅行記が、私の旅行先とシンクロしている割合が高いのだ。
 「中国初旅行」で書かれた蘇州寒山寺にも行き、私も偶然めぐり逢わせた寒山寺管長猊下がみずから筆を揮うところを拝見する栄に恵まれた。
 父親の生まれが長崎なので、「長崎チャンポン旅行」が書かれる前から長崎には行ったことがある。もちろんチャンポンも食った。
 「気仙沼紀行」と同じく気仙沼に出かけ、同じ寿司屋でフカヒレ寿司を食った。もっとも、私が行ったのは東北大震災の1年後のことで、寿司屋は疎開先のバラック店舗だったが。
 まだ行ってないのは「佐渡冬紀行」の佐渡だが、そのうち行きそうな予感がする。

 そして今回は。「鮟鱇鍋の宿」の茨城県北茨木市平潟。
 あろうことか、宿泊まで同じ「あんこうの宿 まるみつ旅館」である。
 行き先、観光、食い物だけでなく、宿までシンクロしているのだ。
 シンクロ率でいえば、中国と長崎は50%、気仙沼は75%、今回の平潟はなんと100%ということになる。
 なんとなく、いや本当になんとなーくだが、将来佐渡では「駒澤」のイカソーメンを食うことになりそうな予感がする。

 まるみつ旅館は本でも書いている通り、あんこう鍋のパイオニアともいうべき老舗。
 あんこうのシーズンが始まったばかりの11月の平日というのに、2週間前にもうほぼ満室となっている。
 なんとか一室確保したが、数日後には満室になっていた。
 申し込んだのは「あんこうどぶ汁と地魚刺身プラン」というもの。
 どぶ汁というのはなんでも、あんこうの肝をすりつぶしたものと味噌をまぜ、あんこうと野菜を水を加えずに煮るのだそうな。汁はあんこうと野菜から出る水分のみ。だから味が濃いのだそうだ。

11月13日(火)

 母親と一緒に、上野から9時ちょうどの特急ひたちで勿来まで行く。
 今回はいつもにも増して軽装。
 デジカメを持って行かず、iphone8+のカメラ機能を試そうというのだ。
 ビールを呑みながら関東の景色を眺める。
 まだ紅葉の季節には早く、山はほとんど緑。
 ちなみに上野のコンビニで買ったヱビスビールには、過去の特急のエンブレムというかヘッドマークのついたチャームがオマケについてくる。特急銀河だった。
 勿来は小さな駅で、エスカレーターもエレベーターもないアンバリアフリーな駅。
 駅前に源義家の銅像がある。

特急ひたち 源義家


 階段を登って向かいのホームに移動、普通電車で一駅戻り、11時20分ごろ大津港駅に着く。
 こちらもこぢんまりとした、アンバリアフリーな駅。
 タクシーで大津港へ行く。
 大津港は、卸売り専門らしい魚市場、市場直営の食堂と販売所、それから「ようそろー物産館」という地域の博物館がある。

大津港

 市場食堂は正午前でまだ2割くらいの客入り。空いているなと思ったら、テーブル席のほとんどと座敷の半分は予約済み。座敷の端っこに座らせてもらう。
 予約席は団体というわけではなく、4人とか8人とかで入ってくる。近所の寄り合いって感じだろうか。
 海鮮丼や刺身定食のような常設のメニューの他に、「メヒカリ唐揚げ」「どんこ煮付け」などの季節メニューや不定期メニューが貼ってある。
 残念ながら一番人気の生シラス丼はなかった。どんこに心動いたのだが、結局、これも季節メニューの「あんこう竜田揚げ丼」にする。980円。母親は海鮮丼、1,350円。
 むろんビールも頼んだのは言うまでもない。
 あんこうの身肉はふんわり揚がって、甘じょっぱいタレと散らしたごまの風味がごはんに合う。
 海鮮丼はボタンエビ、マグロ、タコ、鯛、イクラ、ウニ、ホタテ、玉子などが敷いてある。海鮮丼の定番ともいえるイカがなぜか入っていなかったが、やはり今年のイカ不漁が響いているのだろうか。
 味噌汁は普通の豆腐汁。つけあわせのもずくはちょっと甘すぎたかな。
 12時半ごろ店を出るときには、10人ほどが順番待ちしていた。平日でこうなんだから人気店だな。そら予約もするわな。

あんこう竜田揚げ丼 海鮮丼

 市場食堂の隣にはようそろー物産館という、地域の博物館がある。館員が案内をしてくれた。
 メインはここ大津港で5年に1度行われるという、御船祭りに使用される船舶の展示。祭りで使われる船はたいがいハリボテなんだが、ここのは本当に木造船を使っている。その重量をコロを使ってエイヤエイヤ揺さぶりながら、高円寺商店街くらいの狭い道路を進むのだから、その勇壮さは想像に余りある。
 そのほかにもあんこうの漁や料理の資料、特産魚介類の展示もあるが、やはりここでも東北大震災の写真やビデオが展示されていた。この物産館の入り口にも最高水位をマーキングしていたが、およそ2メートルの高さまで波が押し寄せたとのこと。

 市場食堂の向かいには直売店がある。もう午後のせいか鮮魚はなかったが、干物、佃煮、イカやエビの唐揚げなどが売っている。
 そんな中で目を奪ったのが宇宙人の屍体か河童の干物かとも思われる干からびたグロテスクな物体。
 売店のおばちゃんに聞いてみたら、「ああ、これはあんこう。干物っていってもはらわたは抜いてあるし、尻尾のところくらいしか食えるところないので、まあオブジェとして飾るもんだね」とのこと。
 そんなわけで400円で購入して、うちの入り口に飾っておきました。ハリ・ハラの銅像とあわせるとむちゃくちゃ邪教の香りがしますな。

あんこう竜田揚げ丼 海鮮丼

 港から六角堂までは1キロ余り。腹ごなしに歩いてみようかなと歩き出したら、途中でどえらい急な坂道が出迎えた。
 いつものことだが私は地図ばかり見て、土地には起伏があるものだということを忘れている。
 母親がこの坂を登るのは無理だと判断した私は、ここでおとなしくタクシーを呼んだ。この町のタクシーは沖縄と同じで、迎車料金がかからないのでいいなあ。

 六角堂は坂道を登りきってしばらく行った、岬の先端のようなところにある。
 岡倉天心は岬に別荘を建て、そこから岩場をすこし降りた磯の手前に六角堂をこしらえた。
 なにしろすぐ先が海だから、大震災の時はひとたまりもなく流されてしまったそうだ。土台だけなんとか残っていたので、翌年には再建できた。

六角堂

 六角堂からはおとなしくタクシーを呼んで、勿来の関公園に向かう。
 勿来の関は昔から名高い名所で、古くは小野小町から新しくは松尾芭蕉まで、さまざまな人によって歌や句にうたわれている。白河の関と並んで、関東から東北に入る関所とされている。
 ところがこの勿来、関所が本当に存在したかどうかは疑わしいとされている。文学作品以外の古文書にいっさい名前が出てこないうえ、それらしき遺跡が発掘されたこともない。
 勿来の関公園も、江戸時代に磐城平藩が「このへんが勿来の関」と決めて碑を建て、観光客を誘致したことに始まるとか。
 文学者も勿来の関が「な来そ」「名こそ」と語呂合わせしやすい名前のため、面白がって適当に使っていた節もある。
 公園入り口には勿来駅前のに似た源義家像と、勿来の関由来碑があった。碑には寿命が迫りやや元気のないウマオイがとまっていた。

きりぎりす名こそ残しに越えにけり
          虎玉

源義家像 勿来関碑

 入り口から山道を登っていくと、芭蕉や小野小町、和泉式部や源義家の歌碑や句碑がところどころに並んでいる。
 中に海軍元帥、永野修身の句碑もあった。「山桜 われも日本の 武士にして」とあるが、あんた武士らしく負け戦の責任とってないだろ。

永野修身句碑 永野修身解説

 山の頂上近くに勿来関文学歴史館がある。ちょうど星一の資料展示をやっていた。
 星一といえば、いまではSF作家星新一の父親として知られている。
 大正から昭和にかけての時代に星製薬を創業し、政権与党の政友会、中でも同じ東北出身の後藤新平に便宜をはかってもらい発展した。アメリカ流の「大量宣伝、少量薬効」のドラッグストア流の経営が時流に乗ってもいた。
 しかし大正が終わるころ、政友会から民政党に政権が移動。政友会の金づると見られた星製薬はそれまでの便宜が逆になり圧迫を受け、破産宣告を受ける。そのへんのところは星新一の「人民は弱し 官吏は強し」に詳しいが、かなり星一寄りの記述なのに注意して読む必要がある。
 星新一の名前の由来にもなった「親切第一」が書かれた看板やポスターが展示されている。
 星一名義の著書も何冊かあった。「三十年後」というSF小説の草分けもあるが、星一原案で江見水陰という豪華なゴーストライターが文章を書いている。今なら楽天の三木谷が林真理子を雇って本を書かせるようなもんかな。
 昭和5年の星製薬破産申し立てに対抗してばらまいたビラも展示されている。破産遂行側の代理人は、のち東京裁判の弁護人を務める清瀬一郎。星製薬側について執行に反対しているのが、頭山満、杉山茂丸、内田良平の右翼三羽烏。いま見ると、星製薬側の心証が悪すぎる。

勿来関文学歴史館 星製薬看板

 勿来の関からタクシーに乗り、平潟の港へ。
 ここに有名なあんこう鍋の元祖、まるみつ旅館が存在するのだ。
 東海林さだおが訪れた1995年ごろは「ほとんど旅館といってもいいほどの民宿」だったらしいが、現在では「押しも押されもせぬ旅館」になっている。
 なにしろロビーに赤いじゅうたんが敷いてある。
 宿に入ると「いらっしゃいませ」という声と熱帯魚の水槽が出迎えてくれる。
 仲居さんが部屋まで案内してくれて親切に説明してくれる。
 これを旅館と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
 向かいには「あんこう研究所」があるが、仲居さんによると「きょうはあんこうの吊るし切り実演に出かけているので、研究所は休みです」とのこと。
 東海林さだおの時代には本館と別館が道路で隔てられていたということだが、あるいは別館を研究所に改装したのかもしれない。
 ただ、そうすると解せないのは、その道路が「6メートルほどの幅で車がビュンビュン行き交っていて、スリッパで横断するには恐怖を覚える」というくだり。
 旅館と研究所の間の道は、車はそれほど走ってないし幅は3メートルそこそこだし。
 民宿時代のまるみつ旅館は、これより北にある、広くて車がどんどん走ってる県道に面して建っていたと仮定するか、それとも東海林さだおが面白くお話を作ったのか、どっちなんだろうなあ。

 東海林さだおが泊まったときはまだ初代がいたまるみつ旅館も、今は三代目の代になっている。。
 三代目はアイデアマンとして知られ、あんこう研究所を作ってあんこうの新しい食べ方を模索。あんこうラーメン、あんこうバーガー、あんこうアイスなどを世に問うている。さらに吊るし切りの実演や鍋サミットへの参加など啓蒙活動も活発に行っている。
 初代が売り出す前は港で捨てられたりしていたあんこうも、今は人気の食品で品薄。あんこうが獲れなくなった将来に備え、トラフグの養殖も手がけているそうだ。これが成功すれば、「西のふぐ、東のあんこう」と言われる東西両雄の鍋をこの旅館で賞味できるようになるかもしれない。
 しかし、初代が「(あんこうの)小さいのは頭もぎっちゃって、フグの干物と称して長野のほうに売って儲けたこともあったっけが。ハハハハ」と語り、三代目はそのフグをあんこうの代わりに養殖する。因果はめぐる糸車、とでも申しましょうか。

まるみつ旅館 あんこう研究所

 部屋は3階にある、2人には広すぎるくらいの16畳和室。クローゼットには浴衣やタオルだけでなく、食堂や浴室に持ち歩くカゴまで用意している。
 下を向けば畳のへりには魚介類が勢揃い。でもあんこうはいないな……と思ったら、上を向けば照明カバーにちゃんとあんこうが。

部屋 クローゼット

畳 部屋の照明

 旅館の自転車を借りて、港へでかける。
 かなり急な下り坂を進むと途中に飼い猫の轢死体が転がっているので慌てて避ける。
 平潟港の入り口にはあんこうのオブジェが飾ってあった。
 大津港に比べると小さな漁港だが、夕方のせいか人はほとんどいない。
 港のまわりをぐるっと回ってみたが、店もほとんど閉まっている。
 午前中だったら鮮魚店や干物屋や土産物屋が開いてるらしいんだがなあ。
 コンビニもないし酒屋は閉まってるし、寝酒をどうしようかなあ。

あんこう像 平潟港

 ついでに近くにある勿来漁港にも行ってみる。
 また急坂をあえぎながら登って、県道をちょっと行くともう福島県。
 そこからすぐ勿来漁港がある。
 つまり、自転車で2県の漁港を制覇したという偉業をなしとげたわけだ。
 こちらも人はほとんどいない。いるのはカモメだけ。
 港の周りにも、宿も商店もないようだ。
 漁港の「立ち入り禁止」がどうにも気になる。夕方で操業終わったからならいいんだが、まさか震災の余波でまだ閉鎖されてるんじゃないだろうなあ。

勿来港 立入禁止

 あえぎながら旅館に戻ってくるころには、猫の死骸は片付けられていた。
 さて、この汗びっしょりの身体を温泉で洗い流さねばならぬ。
 というわけで温泉へ。
 この旅館には風呂が7つあるということだ。
 まず1階の大浴場。これは畳風呂と石風呂があって、時間により男女が入れ替わる。
 その奥には個人用貸し切り風呂。これはフロントで空いていたら鍵をもらって入る。海藻を漬けた美藻の湯、泥浴のできる美泥の湯、風呂の中に階段があって降りていくと1.5メートルの深さになる美深の湯、もうひとつ有料の美泡の湯があって、こちらは炭酸でジャグジー効果があるとか。
「美泡の湯、今ならサービス価格で2,000円のところ500円で入れます」と仲居さんに言われたが、残念ながら入る機会がなかった。
 そして屋上4階には露天のあんこうコラーゲン風呂。

 私はまずあんこうコラーゲンの露天風呂に入った。
 夕方5時ごろといえば、ふつう温泉旅館ならごった返す時間帯なのだが、誰もいない。
 おかげでのんびりと湯につかって写真も撮れた。
 野外なので少しぬるいかな、程度の湯温。どんよりと白濁した湯はほとんど臭いがしない。
 なんでも、平潟の温泉を引き入れているのは大浴場の2つだけで、あとの湯は薬効をさまたげないように普通のお湯にコラーゲンなり海藻なり泥なり炭酸なりを添加しているのだそうだ。
 露天風呂から降りる階段に、「あんみつ姫」なる謎のオブジェが飾られていた。ちょっと「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する井戸仙人にも似ている。
 まあこの旅館、いたるところにあんこう絡みの物体が飾られているわけだが。
 1階の壁にはかつて東海林さだおが「初代社長がぶちまけていた社史」と称していた新聞の切り抜きやあんこうの骸骨、2階や3階には地元小学生のあんこう画や茨城方言集、床には平潟の町にあるマンホールに彩色したもの、などなど。

あんこうコラーゲン風呂 あんみつ姫

平潟のマンホール まるみつ旅館のマンホール

 さらにこの宿には、一部で有名な自販機が存在する。
 ラインアップは「南アルプスの天然水」「伊右衛門」「缶コーヒーのボス」「デカビタC」など普通のドリンク類だが、よく見るとラベルがみんなそっくりの手描きなのだ。
 なんでもこの宿の職員のひとりがそういうの大好きなのだそうだ。
 館内の案内なども画風から察するに、たぶんその人がひとりで描いているものと思われる。

トマトとりんご BOSS

自販機 館内案内

 さていよいよ夕食である。
 6時に夕食会場に行くと、すでに小鉢や漬け物などはセットされていた。
 酒は地元ブランドの「雨情」と「大観」を頼んだ。野口雨情はこのあたりの生まれで、近くに生家と博物館がある。横山大観は岡倉天心の生徒で、酒にも揮毫したとのこと。
 我々が到着するとすぐに、仲居さんが刺身と特別注文のあん肝刺身を運んでくる。
 今日の刺身はヒラメ、ホウボウ、スズキ、ズワイガニ、マダイ、黒サザエというホラ貝に似た貝、ボタンエビ、カンパチ、キンメダイ、炙りマトウダイ。これが刺身なら2〜3切れ、カニは足2本、エビは1尾。居酒屋なら4人前の刺し盛りで持ってくるほどの量が一人前。
 刺身はキンメダイが甘みがあっておいしい。ホウボウとスズキは白身がこりこりして歯触りがいい。ボタンエビの身は甘いが青い卵が珍味。マトウダイは炙るとちょっと鶏のささみに似ている。
 あん肝の刺身は……そう、むかし食べたヒラメの肝あえ、あの肝に味が似ている。あれを大型化させて味はそのまま。渋みや臭みはまるで感じない。新鮮だからだろうか。

刺盛り あんこう生肝

 やがて仲居さんが今日のメイン、どぶ汁の鍋を運んでくる。あんこうの身と大根、ネギなどが入れて煮た鍋に、あん肝の崩したのをぶちまけ、よく混ぜて中火にかけ、煮えたら弱火にして砂時計をひっくり返し、砂が落ちたら5分だからそこで食うようにとのこと。
 今日のようそろー物産館の館員や、タクシーの運転手がどぶ汁について一致して語っていたことは、「どぶ汁はハマる人はとことんハマるが、ダメな人は一口食うのも無理」というもの。どうやらどぶ汁は、くさやの干物やホンオフェの如く、食べる人を選ぶ食品であるらしい。
 覚悟を決めて口に運んでみると……あら、そんなに癖がない。色こそ泥色に濁っているものの、わりと淡泊な味なのだ。あんこうの澄まし汁が肝で味噌汁になったような印象。
 鍋にはあんこうのいろんな部位が入っている。ヒレ、シッポ、エラなどはゼラチン質の皮と一緒になっていてねっとりとうまい。身は白身でひたすら淡泊なんだが、濃厚などぶ汁では箸休めというかアクセントになっていてよろしい。大根とネギは味がしみて旨い。
 最初は淡泊に思えた汁だが、火は止めても加熱が進むのか、だんだんと渋みと苦みが出てきた。この味が、どぶ汁キライ派の嫌う理由なのかな。「火を通しすぎないように」と仲居さんから注意された理由がよくわかった。
 しかし先ほどはあんこうコラーゲン風呂で外からあんこう成分を吸収、今はどぶ汁で内からあんこう成分を吸収、こういうのはなんというのだろうか。ふと「内憂外患」という言葉を思いついたが、違うだろうなあ。
 デザートはあんこう成分配合の冷たいアイスクリームに、熱いかりんと饅頭を載せたもの。おいしかったが、さすがに食い切れなかった。

どぶ汁(加熱前) どぶ汁(加熱後)

 いい加減腹一杯になってきたところへ、カレイの煮付けとメヒカリの唐揚げが登場。
 カレイは子持ちで、身もふっくりしている。甘辛い味付けがおいしい。
 メヒカリも揚げたてでおいしいんだが、1尾食うのがやっと。
 いいかげん腹一杯になってきたんだが、雑炊だけは食わないわけにはいかない。鍋を雑炊にしてもらって、なんとか一杯だけ食う。どぶ汁の苦みと渋みが飯でマイルドになってうまい。

カレイの煮付 メヒカリ唐揚

 しばらく部屋で休んでから入浴にでかける。
 ロビーで聞いてみたら「美藻の湯」が空いているというので鍵をもらって入る。
 カジメが漬けてある風呂は、かすかに磯臭い。
 ついでに大浴場にも入る。
 この時間の男風呂は、畳敷きの和室風呂。
 ナトリウムカリウムの塩化物温泉で、63度の湯を水でうめて使っているのは、東海林さだおの時代と一緒。流れ出す湯をちょっと舐めてみると、かすかに塩っぱい。

 それにしてもこの宿、5時ごろ入った露天風呂も、8時すぎに入った畳風呂も、だれも入浴客がいないのはどういうことだ。
 ふつう温泉宿なら、夕食前と夕食後は混雑してるはずなんだが。
 お客さんはみんなあんこう鍋が目的で、湯はどうでもいいということなのだろうか。
 いちおう、美泥の湯と美深の湯はだれかが借りてたけどね。

美藻の湯 畳風呂

 近くにコンビニがなかったので、寝酒は夕食のときの残りの日本酒と、1階自販機で買ったモルツとストロングゼロ。
 モルツの自販機もちゃんと手描きだった。

モルツ

11月14日(水)

 6時ごろ目が覚め、湯にでかける。
 この時間の男風呂は石風呂。十和田の石を敷き詰めてあるそうだ。
 この温泉だけ湯出し口があんこうになっていた。
 風呂桶はむかし懐かしいケロリンの洗面器。
 これだけあんこう尽くしの宿だから、あんこうコラーゲン石けんやあんこうコラーゲン添加リンスくらいあるかと思ったのだが、フタバ化学製の普通のボディソープとシャンプー&リンスだった。まだあんこう研究所で開発していないのかもしれない。
 しかしこの風呂も誰も入ってなかった。この宿、けっきょく入浴客を見たことがなかったなあ。そんなにみんな、あんこうがいいのか。

石風呂 湯出し口 ケロリン

 8時から朝食。
 席にはサラダや漬け物、薩摩揚げ、のり佃煮、塩辛などが並んでいてこんなもんかなと思うと、やがて温泉卵とご飯とオレンジジュースが届き、味噌汁の鍋が届く。
 アラの味噌汁に焼き石を投入してじゅうじゅう煮立たせてからいただく。アラのダシがおいしい。
 これで終わりかなと思ったらなんと、2人で1尾の鯛の塩焼きが登場する。その大きさは優に30センチを超える。
 蒸し加減がいいのかふっくらして、控えめな塩加減がいい。そのままでもいいがわさび醤油をちょっとつけても旨い。
 シメは仲居さんのおすすめ通り、ご飯に鯛の身をのせてワサビと醤油をたらしてお茶漬け。おいしかったが、贅沢を言うなら刻み海苔とゴマが欲しかったなあ。

朝食 味噌汁 鯛の塩焼

 1階の土産物屋でまるみつあんこうクッキーなるものを買ったり、ロビーで無料のコーヒーを飲んだりしてから、荷物をまとめて10時前にチェックアウト。
 宿の車で大津港の駅まで送ってもらい、そこからJRで泉駅へ。
 泉駅はでかい施設で、ちゃんとエレベーターもエスカレーターも、構内売店も休憩所もある。
 泉からはバスで15分ほど進むとイオンモール小名浜へ到着。
 ここから歩いて5分ほどで、小名浜の港に着く。
 小名浜の港には大きな建物としては、このイオンモール、魚市場、いわきララミュウという、小売りの魚市場と土産物屋と食堂が合体した複合施設、それからアクアマリンふくしまという水族館がある。やや離れた岬の上にいわきマリンタワーがある。
 これまで行った大津港、平潟港、勿来港とは比べものにならないくらい、規模も観光度合も大きいようだ。

アクアマリンふくしま

 まずララミュウに行く。
 ここから小名浜港めぐりの遊覧船が出るのだ。
 11時ちょっと過ぎにチケット売り場に行ってみたが、まだ12時の船は出るかどうかわからないとのこと。
 悪天候のせいではなく、まだ乗客が誰もいないからだそうだ。せめて3人揃わないと出航しないとのこと。
 やむなくララミュウの中をうろつき、土産物屋でスティッチグッズを探したり、震災写真展を見たりして時間を潰す。
 この港でも大震災の津波が襲い、ララミュウの1階は無茶苦茶になったそうだ。
 イオンモールは震災後に建てたからいいとして、アクアマリンふくしまのお魚は大丈夫だったんだろうか。

 出航15分前にチケット売り場に戻るが、まだ誰も乗客がいないとのこと。
 半分あきらめて、いちおう12時ぎりぎりまで待ってみようと座っていたら、11時55分に駆け込みでどんどん人が来る。
 母親は寒そうだから乗らないとのことで、私ひとり1,800円払って遊覧船に乗り込む。
 乗客は私の他に、家族連れ、若者のグループなど15人くらい。

小名浜クルーズ船

 乗り込むとすぐ、港のあちこちにいたカモメがわらわら寄ってくる。
 この遊覧船に近寄るとエサをもらえると知っているからで、カモメに投げ与える用のかっぱえびせん小袋2個100円で売っている。
 カモメとはいってもここのは全部ウミネコだそうだ。白と黒のが大人、茶色い羽色はまだ独り立ちしたばかりの若者。
 こいつらが寄ってくるのにかっぱえびせんを投げると、器用に空中でくわえる。
 たまに奪い合ったりして海に落ちても、ウミネコだから着水して拾う。
 目と鼻の先まで寄ってくるが、猿や羊のように、手に持ったのを奪いにきたり、袋に首を突っ込んで食おうとしたりはしない。そのへんにおのずから鳥類としての矜持というか品位があるのだろうか。
 子供は喜んでウミネコにエサをやりながら、自分でもかっぱえびせんを食って母親に怒られたりしている。

ウミネコ ウミネコ

 15分ほどしてかっぱえびせん成分が尽きると、ウミネコもあらかたどこかに去ってまばらになる。
 船は小名浜の港から出てマリンタワーの近くを通り、堤防を抜けて外海に入る。風が強い。
 南下して照島という、鵜の繁殖地近くを通り、マリンブリッジの下をくぐり抜けて港に戻ってくる。
 港には海上保安庁の船が停泊している。このへんでは密輸も密入国も領海侵犯もなさそうだし、密漁でも監視するのかなあ。

マリンブリッジ 海上自衛隊

 船を下りたら1時ごろだが、なにせ朝食が鯛の姿焼きなのでまだ腹が減らない。先にアクアマリンふくしまに行ってみる。
 ここは巨大な水族館で、4階建ての本館だけでなく、展望台や庭園、縄文の里という公園や磯に面した遊歩道、金魚館という別館もある。
 われわれは公園や遊歩道は割愛して水族館に絞った。
 でないと疲れそうだったからだ。
 魚類の展示は豊富。マグロやエイのような大物から、イワシやギンガメアジの大群、トドやエトピリカなど北方の動物鳥類、タカアシガニやグソクムシなど深海生物、サンゴやナポレオンフィッシュなど熱帯動物、希少な魚類節足動物などさまざま。
 オオグソクムシが一匹、ひっくり返ってもがいてたんだが、あれ大丈夫だったのかな。
 ガラス張りの三角通路を通りながら全方向に魚類を見る「潮目の海」がこの水族館の目玉かな。
 この手前で寿司を食いながら魚を見る「寿司処 潮目の海」は残念ながらネタ切れなのか閉まっていた。

大群 チンアナゴ イカ オオグソクムシ

 3時ごろ水族館を出てララミュウに戻る。
 鮮魚コーナーのハマグリ、サザエ、牡蠣など安くて欲しかったんだが、さすがに持ち帰るわけにはいかんなあ。
 母親はスルメとインスタント味噌汁を買う。
 市場の隅にある「番屋」というバーベキューコーナーで遅い昼食とする。
 うにの貝焼き、サザエ、エビ、ピノス貝、イカゲソ、鴨串、ベーコンつくね串を注文。むろんビールも注文。全部で3,300円。
 やっぱり魚介類は新鮮でうまいなあ。肉は余計やったな。
 うに貝焼きは焼かずにそのまま食うのだが、ハマグリの貝殻に上げ底なしでみっちり詰まってて、味も美味だった。
 そのあと上の階に行ってみたが、もう飲食店はほとんど閉まっていた。
 料理はもう終わりという海の見えるレストランで、ビールとコーヒーを飲む。夕陽がきれいだ。

番屋 番屋

 4時ごろララミュウを出てイオンモールに入るが、まだ1時間ほど時間がある。
 イオンモールの中は、ダイソーだとかH&Mだとか無印良品だとか、首都圏でもおなじみの店しかない。
 カフェかレストランで時間潰すか、と思ったが、そちらもカルディやスターバックス、リンガーハットや築地銀だこなど、東京でおなじみのお店ばかり。
 いっそのこと、と思い、まだ行ったことがないいきなりステーキに入る。
 ランチメニューがまだ大丈夫とのことで、ワイルドステーキ200グラムを注文。
 タイムサービスでワインも割引とのことで、グラスワインと合わせて1,500円くらい。
 ワイルドステーキはやや筋があるが、このくらい、煮込み用牛バラを買ってきて焼いて食う私にとっては屁とも思わぬ。濃いめのステーキソースでいただく。
 美味しかったが、関東と東北の漁港を巡る旅の最後がいきなりステーキってのはどうよ。

 イオンモールからバスで泉駅に戻る。泉駅では出張帰りなのかサラリーマンがやたらに特急を待っていた。
 行きと同じように、ヱビスビールを買って特急はやぶさのチャームをゲット。
 6時半の特急ひたちに乗ってビールを飲んでうとうとするうちに8時ごろ上野に到着。

 これでおしまい。どっとはらい。


追記。
 iphone8+のカメラは画質に問題はないし、その場でツイッターやインスタグラムに掲載するのは簡単だったが、、ピクセルを設定できないとかPCに転送するのがめんどくさいとか、やや問題があった。スマホにwifi転送できるデジカメを買うのがベストかもしれない。

追記2。
 アクアマリンふくしまはやっぱり大震災の時は無事でなかったらしい。建物や水槽は壊れなかったが、1階に浸水して従業員が避難したり、自家発電用の石油や魚の餌が不足して数万尾が死んだり、トドやペンギンを他の水族館に疎開させたりしていたそうな。


戻る