初恋の顛末

 めっぽう記憶力が悪いのではっきり覚えていないが、仮にみずほちゃん(当時五歳)としておく。本当のところは、るみちゃん(当時五歳)かもしれないし、あおいちゃん(当時五歳)かもしれない。ひょっとしたらカトリーヌちゃん(当時五歳)だったかもしれないし、シェンムーちゃん(当時五歳)だった可能性も否定しきれないが、とにかくここでは、みずほちゃん(当時五歳)ということにしておく。
 その、みずほちゃん(当時五歳)が言うのだ。
 あたし、のぶくんとはるくんが好き。けっこんしてもいいわ。
 のぶくん(当時五歳)もまた、つよしくん(当時五歳)かもしれないし、かつのりくん(当時五歳)かもしれない。まさかタラスコくん(当時五歳)ではないと思うのだが、とりあえず、のぶくん(当時五歳)ということにしておく。はるくん(当時五歳)に関しては疑問の余地はない。なぜなら、私だからだ。ええい、笑うな。私だって五歳の時があったのだ。
 三人は同じ幼稚園に通う級友でもあったが、またみずほちゃん(当時五歳)をはさんでのぶくん(当時五歳)と私(当時五歳)が競い合う、三角関係にあった。私の最初の恋であった。初恋にしては、かなり厳しいシチュエーションである。
 その、のぶくん(当時五歳)と私(当時五歳)を前にして、みずほちゃん(当時五歳)はのたまうのだ。
 あたし、ふたりとも好き。でもね、けっこんはね、ひとりとしかできないの。だからね、あたしにダイヤモンドをくれたひとと、けっこんすることにするわ。
 いまの老い朽ちた私の脳髄には、みずほちゃん(当時五歳)の容姿に関する記憶がまるで残されていない。美人だったのだろうと思うのだが、よく分からない。活発だったような記憶がおぼろにある。この言動からいま推測するに、かなり世間知もあり、常識をわきまえた、しっかりした人柄だったようである。ライバル意識を刺激してふたりの男を競争させるなど、組織の長としての実力は並々ならぬものだったと思う。

 さて、ふたりの男は勇躍してダイヤモンドを探しに出発した。私(当時五歳)は勇躍したものの、ダイヤモンドがどうやって得られるか、ということに関する知識が皆無であることに気づいた。確か怪人二十面相だとか怪盗ルパンなどといった連中は、易々とダイヤモンドを宝石店や富豪の家から盗み出すが、当時の私の行動範囲である、自宅を中心とした、半径五百メートルの範囲内には、宝石店も豪邸もなかった。ダイヤモンドって、どこにあるんだろう。
 そこで、あきひこくん(当時五歳)に相談した。あきひこくん(当時五歳)は私と同年齢ながら、人望もあり、みんなに頼りにされる、クラスの中心的な存在だった。知識も該博で、こんなときの相談役にはうってつけの人物だった。
 あきひこくん(当時五歳)はしばらく腕組みをして瞑目していたが、やがて目を開き、
 ダイヤモンドはね、土のなかにあるんだ。土をほって、みつけるんだよ。
 と教示してくれた。なんだ、そんなことだったのか。簡単じゃないか。私(当時五歳)は大急ぎで家に帰り、スコップを持ち出して、近所の原っぱを掘ってみることにした。掘りながらも不思議に思った。 なぜ怪盗たちも、盗みにはいるような面倒なことをやめて、ダイヤモンドを掘りに行かないんだろ。

 原っぱの表面には砂利が多く、掘るたびに石ころがいくらも出てきた。それでも掘り進むと、やがて土の層に達した。土層を掘ると、ミミズやケラ、ヤスデやダンゴムシ、モグラやコオロギといった動物が続々と出現した。彼らは掘り出されて太陽の光を浴びると、狼狽して右往左往した挙げ句、土を堀り、もとの暗い穴ぐらに戻ろうと懸命になった。
 それらの虫けらと一緒に土を掘り進んでいくうち、いつしか私(当時五歳)は、虫けらたちに、奇妙な連帯感を抱くようになった。どうやら私が虫けらを偏愛したり愛玩したり補食したりする性癖は、このときの連帯感が愛情に昇華した結果らしい。
 こうして虫けらとの友情は育むことができたが、肝心のダイヤモンドはいつまでも発見できなかった。どうもこの辺りはダイヤモンドの鉱脈ではなく、虫けらの鉱脈だったらしい。そのほかに発掘されたのは石ころ、瓦の破片、土管の破片、釘、錆び朽ちた空き缶ばかりだった。そのうち私(当時五歳)は母親に発見され、やたらにそこらを掘っちゃいけません、という叱責のもとにスコップを取り上げられてしまった。こうしてダイヤモンド採掘作業は、中絶の憂き目を見てしまった。

 翌日、私(当時五歳)は、またもあきひこくん(当時五歳)のもとに相談に訪れた。あきひこくん(当時五歳)は昨夜のうちに新知識を仕入れたらしく、懇切丁寧に教えてくれた。
 あのね、土のなかのダイヤモンドは、光ってないんだよ。ほりだして、みがくと光るんだ。
 しかし私(当時五歳)はすでにスコップを取り上げられて採掘作業は思うに任せないし、昨日の出土品である古釘、瓦の破片、空き缶など、どれを磨いてもダイヤモンドになりそうもない。そう伝えると、あきひこくん(当時五歳)は、声をひそめて、とっておきの情報を明かしてくれた。
 あのね、ダイヤモンドは、ガラスでも作れるんだって。ガラスをこまかく割って、磨くと、ダイヤモンドそっくりになるんだって。
 やや後ろめたいが、みずほちゃん(当時五歳)は「本物の」ダイヤモンドとははっきり言わなかった。ガラス製ダイヤモンドも、本物と同じように光れば、これ則ちダイヤモンドではないか、と強引に自分を納得させ、私(当時五歳)はこの次善の策に従うことにした。このことから推測するに、私は当時からあやしげな理屈をこね回す性癖があったらしい。

 家からガラス瓶を数本持ちだし、またもや例の原っぱでガラス細工に没頭した。ガラス瓶は石に叩きつけると簡単に割れ、大きいのや小さいのやとりどりの破片となったが、そのうちのひとつとしてダイヤモンドに似ているものはなかった。全部、ガラスそのものだった。
 割り方がよくないのだ、と思い、ガラス片を平べったい石の上に置き、その上から丸い石を叩きつけてみたが、数千万の微細な白い粉になるだけで、私(当時五歳)の望んでいたようなダイヤモンドに化してくれる鷹揚にして温情あるガラスは、ひとつもなかった。あまつさえ、ヤケになって無茶苦茶にガラス破壊作業に従事しているうち、破片のひとつで指を傷つけ、血を垂らして泣きながら家に逃げ帰る羽目になってしまったのである。

 バンドエイドを指に巻き付けられ、今後一切ガラス工芸の分野には足を踏み入れないよう、きつく申し渡された私(当時五歳)は、翌朝、重い足取りで登園した。手には昨日割った中で、いちばん球形に近いガラスの破片を隠し持っていた。やむなく持ってきたのだが、しかしそれは、誰がどう見てもガラスだった。ガラス以外の何物でもなかった。よしんばその中にダイヤモンドのイデアが隠れているとしても、それを見つけだすにはプラトン級の英知と根気が必要だったろう。少なくとも私(当時五歳)には、それはガラス片にしか見えなかった。しかもその端っこには、「チェリオ」と書いてあった名残りの白いペンキがいまだに付着していた。
 私(当時五歳)自身すら騙せないものを、現実家のみずほちゃん(当時五歳)がダイヤモンドだと信じてくれるわけがない。私(当時五歳)は、たったひとつの可能性を信じるしかなかった。愛の奇跡を、信じるしかなかった。愛によって曇らされたみずほちゃん(当時五歳)の瞳が、これをダイヤモンドだと見てくれることを。

 愛の奇跡など起こらなかった。みずほちゃん(当時五歳)は、私(当時五歳)がおずおずと差し出した貢ぎ物を軽蔑の視線で見やると、ほら、と左手を広げて見せた。その薬指には、ダイヤモンドの指輪がはめられていた。むろん、プラスチック製のオモチャであった。しかしそのプラスチック製ダイヤモンドは、綺麗にカットされ、やや鈍いものの光芒を発していた。少なくとも私(当時五歳)のガラス片よりは、百倍ダイヤモンドらしく、千倍美しかった。幸せそうにみずほちゃん(当時五歳)に寄り添うのぶくん(当時五歳)を見ながら、私(当時五歳)は羞恥と敗北感と嫉妬と悲しみを胸に抱いて、すごすごと退散した。そうか、ダイヤモンドは、オモチャ屋で売っていたか。
 みずほちゃんとのぶくんは、生きていれば私と同じ年のはずだが、いったい今どこでどうしているのだろうか。そのまま幸せに結ばれたろうか。あのダイヤモンドの指輪を、みずほちゃんは今も大切にしているだろうか。

結局、私の初恋は、虫けらへの偏愛をうみだし、硝子細工師としての無能を明らかにした以外、何も得るところなく終結した。しかしながらこの経験は、私に根強い女性恐怖の念をもたらしたらしく、次に恋をするまでに、たっぷり十年の歳月を要したのである。


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