憶い出を語る

 なんせ牡なもので、エロい話は大好きだ。
 ネットで雑文を求め徘徊するときも、それっぽい文章に出会うと嬉しくなってしまう。
 もっとも、エロそのもの!というサイトにはあまり出入りしない。ああいう文章は、普通のサイトにたまに1つか2つあるのがいい。東京スポーツのエロページに「いろ艶筆」というコーナーがあって、題名は好きだが、他の読み物に埋もれる感じであまり身を入れて読んだことがない。あれが朝日新聞に連載されていたら真剣に読んだかもしれない。
 読むだけではなんだから自分でも書いてみよう。

 子供の頃は今よりずっとエロに敏感だった。エロを感じる閾値が今は75とすれば、小学校高学年から高校にかけては35くらいではなかったかと思う。
 筒井康隆はエロだった。小松左京もエロだった。司馬遼太郎すらエロだった。大江健三郎をエロ本として読むなどという冒涜は、あの年代にしかできない特権だったと思う。ノーベル賞作家の小説では、今でも「セブンティーン」がいちばん好きである。邪道です。
 百科事典も好きだった。エッチな単語を引いて喜ぶのはよくあることだが、ギリシア神話の神々を探しては女神の半裸のイラストに欲情していた。あろうことか神様に欲情である。罰当たりだ。
 父親の本をこっそり盗み見もした。なぜか父親は「千夜一夜物語」という本を持っていて、そのピアズリーの挿し絵は当時最大級のエッチだった。いま、私の本棚にはそれ以上にエロい本がごろごろしているが、あのころの自分を思い出すと、万が一私が父親になった場合、その本を息子に見せるべきか、隠すべきか、躊躇ってしまう。

 イレブンPMなんて番組は、エロの殿堂だった。11時過ぎると寝なければならなかったので、隠れてこっそり見た。そうして見た回が「巨泉の麻雀講座」だったりすると悔しくて悔しくて、巨泉を殺してやろうと思った。土曜の夜の「ウィークエンダー」の再現フィルムも楽しみにしていた。園山俊二原作の深夜アニメ、「花の係長」もわくわくおぎおぎして見ていた。あんな絵で興奮していたのだ。

「もうヘアヌードなんて飽きたね」「毛が見えたからってどうってことないもんな」などという会話を昔の自分に聞かせてやりたいものだ。
 あのころは、白い下着にうっすらと黒い翳りが見えただけで興奮した。胸の谷間で興奮した。乳首など見えようものなら、茫然自失、周章狼狽、孤軍奮闘、なんだかよくわからないが、まあそのくらい興奮した。
 裏山に遊びに行くと、なぜかエロ本が転がっていることが多かった。とはいっても、「週刊大衆」とか「劇画セブン」とか、今なら見向きもしない程度の本である(エロとしては、ね。週刊大衆の刺青ヌードは好きです)。それを夢中になって回し読みした。
 たまにビニール本などあったら、狂喜乱舞、電光石火、親爺教育、后天皇土、もういいか、みんなで鼻息荒く回し読みした挙げ句、ページを破って1枚ずつ分配して家に持って帰ったものだ。それを布団の下に隠しておくと、翌日はなくなっているのが不思議だった。当時のビニ本は昇華性の紙に印刷していたのかもしれない。
 それにしても、なぜ裏山にエロ本が落ちていたのだろう。
 エロ本は澄んだ空気のもと緑に囲まれて読むと幸せ、という性癖のおじさんがいたのか。しかし、ひとの話を聞くと、日本中の裏山にはエロ本が転がっていたらしい。そういうエロ・エコロジー(略してエロコロジー)のおじさん(略してエロコロ爺)が日本中に分布していたとも思えない。
 とすると、ちょっと年上の高校生あたりが勇気を出して書店で購入し、裏山で仲間と回し読みしたなごりか。それとも、親切なおじさんが置いていってくれたのだろうか。日本の裏山にはエロサンタが生息するのかもしれない。それとも妖怪、エロ蒔きじじいとか。

 ちょっと年が過ぎ、高校生の頃、三流劇画ムーブメントというものがあった。
 劇画アリスとかエロジェニカとか、エロ劇画として貶められていた雑誌が、ビッグコミックのような主流派に対し反乱を起こし、亀和田武とか高取英だとかの編集者がそのアナーキーな才能を発揮した現象である。
 彼らはエロも含めたパワーで日本の既存雑誌の体制を崩そうとしたのだが、そんな大それたことを考えない、単なるエロ雑誌にも、そのパワーは波及した。
 当時ヘアはもちろん御法度。ただし規制がだんだん緩やかになってきて、毛さえ見えなければいい。というのでモデルが全員剃っている雑誌があった。
 はっきり見えるのは駄目だがぼんやり見えるくらいなら許される、というので、各社ぼんやり透過する素材の開発にしのぎを削った。まず白い下着。これを霧吹きで濡らすと、あらまあ、という具合になる。次が習字の半紙。これも霧吹きで濡らし、破れる寸前のところを最上とする。ついにはオブラートを局所に張り付けた雑誌も登場した。
 こういう雑誌で読み物のコーナーを見ると、なぜか必ずプロレスの話題があった。当時プロレスも熱かったから、熱い同士ウマが合ったのでしょうな。「テロリスト藤原の乱入は是か非か」「維新軍団の秘めたる野望とは」など、編集者が趣味で書いているとしか思えないページを読むのも好きだった。

 それで悲しかった憶い出がある。
 一部で自動販売機エロ本として有名だった「少女アリス」。これを買ったことがある。
 少女、というわけでもない女性の写真が載っていた。巻末の数ページだから、巻頭の女性の次、くらいの扱いを受けていたわけだ。
 原めぐみ、18歳。短大在学中の素人とある。まあ嘘でもなんでもいい。18歳と言われれば、まあそうかな、と頷く肌の持ち主であった。
 それが印象に残ったのは、顔が私のトラウマ系だったからだ。
 ちょっと眠そうというか、トロそうな顔立ち。目は小さめの一重。鼻小さめ。口は小さめ、で八重歯。要するに伊藤つかさ、河合奈保子、佐野量子、西村知美と続く系譜上の存在である。ああいう顔には、本能で反応してしまう。農耕民族の血でしょうか。
 それはともかく、心躍らせてその写真を見たわけだ。含羞んだような微笑が印象に残った。
 数年後、私はもう大学生になっていたかな。
 その女性と再会した。雑誌上の話である。
 別の雑誌に出ていた。もう巻頭でも巻末でもなく、その他大勢の扱いだった。
 私も年を取ったが、彼女も取っていた。
 しかしプロフィールだけは、時代を逆行していた。
 谷田夕子、と改名していた。16歳、高校生となっていた。もはや誰も信じないプロフィールである。昔と同じ微笑みもどこか疲れていた。
 なにか悲しかった。ひとつ大人になったような気がした。


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