犬のいる風景

 風が心地よい五月の午後。緑の中を人々が行き交う。
 道路でホッケーをして遊ぶ白人青年たち。
 ベンチで憩う恋人たち。
 はしゃいで駆け抜ける子供たち。

「あれは、シー・ズー」
「ふうむ」
 エスプレッソを飲みながら、ぼんやりと通りの方向を眺めている。
「あれは、ダックスフント」
「そのくらい知っている」
 さっき飲んだビールの酔いが、けだるく廻っている。
 しばらくじっと座っていよう。

 それにしても、犬の多いこと。
 犬を飼っている人がこんなに増えたのだろうか。
 犬を散歩させられる場所が減ったのだろうか。
「あれは、セントバーナード」
「でかいな」
「引っ張られちゃうね」
「しかし……」
 さっきから気になることがある。

「洋犬ばっかりだな」
「そうね」
「和犬は飼わないんだろうか」
「うーん…」
「洋犬しか見せびらかさない?」
「そうかも」
「でも、和犬でもいい品種なら」
「例えば?」
「土佐犬とか」
「いやだ」
「横綱を巻いてさ」
「ちょっとね」
 格好いいと思うんだが。でも、東京では飼う土地がないか。

「昔流行った犬がいないな」
「ハスキーとか?」
「いや、もっと前、スピッツ」
「スピッツ、見ないねー。あんなにヒット曲出してたのに」
「私より先にボケるんじゃない」
「あ痛」
 スピッツは、きゃんきゃん鳴くので近所迷惑で飼われなくなった、と、どこかに書いていたような気がする。うろ覚えだけど。

「ブルドッグもいないな」
「あんまり飼いたくないんじゃない?」
「ブルテリアも」
「だって不細工だもーん」
「マスティフもグレートデーンもドーベルマンも」
「凶暴そう」
「全部狩猟犬で、狼にも食らいつく連中だからね。東京のような狭いところでは飼い難いんだろうね」
 それで東京には、大型の温順な犬と小型犬しかいなくなっちゃったのかな。

「あ、柴犬」
「今日はじめての和犬だ」
「でも、よく躾けてる」
 鳴く犬がほとんどいない。
 散歩の途中ですれ違っても、喧嘩を売る犬もいない。
 もしいたら阿鼻叫喚の様相を呈するだろうが。
 このカフェテラスにも、数頭の犬が飼い主の膝元にうずくまっているが、餌をねだるでもなし、走り回るでもなし、おとなしく座っている。
 時折主人の貧乏揺すりで蹴られて、抗議の呻き声を上げるくらいだ。

「確かに、躾はちゃんとしてるね、みんな」
「そのくらい躾けておかないと公共の場には出せない、ってことかな」

 カフェテラスの勘定を済ませて外へ出た。
 私たちが入場した時と同じように、順番待ちの人が数人佇んでいる。
 その中で突然叫び声がした。
 小さな動物が暴れている。犬が喧嘩本能に目覚めたのだろうか。

 待たされた幼児がむずかって暴れ出したのだ。
 母親がなだめるのも聞かず、手足をぐにゃぐにゃにして身をよじらせ、泣き叫ぶ。

「結局、人間のほうが」
「躾けてなかった、ってことね」


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