どんな病気が一番偉い?

 どの病気が一番偉いかを考えてみた。

 古来から知られた名高い病気というと、やはりペストがあげられる。
 伝染性であるところが素晴らしい。その殺傷能力も申し分がない。原因が長いこと分からなかったところもいい。突然全身に発疹、高熱を発して倒れる、という劇的な病状も、例えば同僚のコレラの下痢という情けない病状に比べて、効果抜群である。
 このような素晴らしい病気を世間がほっておくはずもなく、デフォー、カミュ、ボッカチオという名高い文学者達がペストを題材に文学史に残る作品を残している。

 梅毒もいい。
 新大陸からやってきた謎の病気というところが、国籍不明の覆面レスラーのようで神秘感がある。伝染病であるというところもポイントが高い。
 ニーチェ、モーパッサン、加藤清正、大川周明と数多くの有名人が罹患しており、知名度は抜群である。ところが面白いことに、これだけの文学者が罹患していながら、ペストのように素晴らしい文学を梅毒は残していかなかった。文学者にとって、梅毒は「罹るべき病気」ペストは「書くべき病気」であったようである。
 第一期では皮膚に薔薇のような美しい発疹が表れ、第二期では皮膚の崩落が始まり、しまいには鼻が落ちる。第三期では脳に進行して気が狂う、という見事なまでに「序、破、急」に則ったメリハリのある病状も見る者を退屈させない。
 ただ、こんな梅毒にも唯一の欠点がある。性交によって伝染する、というところだ。このへんがストイックな肺病と大違いなところであり、肺病に業病ナンバー1の座を明け渡すのやむなきに至った原因である。

 肺病は戦前まで病気ナンバー1の栄光を恣にした。死因もナンバー1であれば、注目度も抜群である。何よりも、若くして死ぬところが格好いい。「夭折」という言葉がこれほど似合う病気は他にないだろう。沖田総司、正岡子規、堀辰雄、太宰治と梅毒にひけをとらない人脈を誇っており、「肺病にあらざる者は天才にあらず」と豪語された時代もあったくらいだ。
 肺病が高踏的、純文学的であるとすれば、対照的に大衆的な病気がライ病である。肺病が詩歌、純文学に多く登場するのに対し、ライ病の活躍舞台は時代小説である。国枝士郎や中里介山、白土三平の作品の中ではカッタイ(ライ病患者)は剣豪、忍者、乞食、水呑百姓と並んで欠かせない位置を占めている。
 テンカンもドストエフスキイによって文学の中にその座を占め、筒井康隆の断筆騒動で騒がれたりもしたが、いかんせん人材が乏しすぎた。

 残念なことに肺病もほぼ克服され、王座から去った。
 戦後の王座はガンである。
 原因不明なところ、その死亡率の高さ、申し分ない。池田勇人元首相というよき協力者を得て、知名度も上がった。伝染しないところと若死にが少ないところが肺病に劣るが、その欠点をプラスに転じて、老人問題とからめるという離れ業も見せてくれた。急性でないという欠点も、「告知」という人間ドラマを編み出してくれた。役者である。
 逆に、ほぼ同期の脳卒中は、急性過ぎて割を食っている。「ポックリ病」などと言われて脚光を浴びようとしたこともあったのだが、最大の有名人が南海の蔭山監督というところが、この病気の不遇なところだ。今では、すっかりガンの陰に隠れている。
 公害病も水上勉「海の牙」や有吉佐和子「複合汚染」で文学史に残る活躍を残している。高度成長期にはその勢いは隆々たるもので、ガンに取って代わる勢いだった。しかし病因に神秘性がなかった。政治家、役人の邪悪が原因だとはっきりしすぎた。高度成長も遠くなった今、登場時の華やかな勢いはない。
 ただ、ガンも、まだ50年ほどの歴史しかないためか、まだ未熟である。文学に対する貢献も、ソルジェニーツイン「ガン病棟」くらいか。もっとも政治方面では強い。前出の池田勇人のほかにもレーガン元大統領など大物政治家の協力もあり、戦前の肺病のように、「ガンにならざる政治家は大物にあらず」などと言われるかも知れない。

 ガンの王座に挑む、赤丸急上昇の新鋭がエイズである。
 カポシ肉腫に始まり痩せ衰えて死に至る劇的な病状は梅毒に匹敵する。死亡率も申し分ない。ロック・ハドソン、マイケル・ジョーダンといった文武のスーパースターの協力も得ている。保因者を探す推理ドラマの楽しさも満喫させてくれた。
 唯一の欠点は梅毒と同じく、性病だということだが、これに対し性交と輸血という2通りの感染源を用意するという妙策を用意していた。策士である。ただ、このことは、性交による罹患者と輸血による罹患者のあいだに連帯感が生じにくい、という欠点でもある。このへんをどうさばくか、器量が問われるところである。

 以上の考査の結果、病気の第1位を肺病、2位をペスト、3位を梅毒と認定する。ガンは補欠校として将来の成長を待とう。


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