気は優しくて

「ワールド・ストロンゲストマン・コンテスト」という催しがある。長いので以下、WSMと略す。私はこれが好きで、NHKBSで放送があると見ている。
 何が好きかといって、種目のばかばかしさが楽しすぎる。まあいってみれば「筋肉番付」という日本のテレビ番組に似たようなコンテストだが、違うのは「筋肉番付」がスピード、瞬発力、筋力といった総合体力を競うのに対し、WSMは純粋に筋力のみを競う大会であること。
 その種目も筋力測定にふさわしく、ローディングレース(100キロの樽や麻袋を抱えて50メートル先の台まで運んでいく)とか、アトラスストーンズ(最高180キロの丸い巨石を目の高さにある台に持ち上げて乗せる)とか、カーウォーク(乗用車の中央をぶち抜いてそこに身体を入れ、乗用車を25メートル先のゴールまで運ぶ)とか、バイキングプレス(巨木の先端部を持ち、何回持ち上げられるかを競う)とか、そんな種目ばかりだ。こういうばかばかしい種目を、2メートル150キロの大人が真剣にやっているところが楽しい。
 2008年大会の目玉種目はプレーンプル。3トンの飛行機に紐をつけ、50メートル先のゴールまで引っ張っていくという競技だ。アナウンサーも苦笑しながら、「これまで、トレーラーやバスを引っ張る競技はありましたが、飛行機は初登場です。このままいくと、そのうちスペースシャトルを引っ張ることになるんじゃないかと心配です」と語っていた。

 その番組を見ていて気がついたのだが、出場者がみんな似ているのだ。まあ最低185センチ、最低120キロの巨漢であることは当たり前としても、一様に目が優しいのだ。
 それは他のどんなスポーツ選手とも違う。相撲取りともレスラーとも、野球選手ともサッカー選手とも違う。気の優しさが目に表れている、といった具合の優しげな雰囲気を巨体に満々とたたえている。

 対戦競技と個人競技の違いかもしれない。サッカーや野球のような、相手のあるスポーツを長くやっていると、どうしても相手の隙をつこう、相手を騙そうという気持ちが目にも出て、こすっからい目つきになってくる。
 かと言って個人競技の選手、たとえばハンマー投げの室伏や棒高跳びのブブカがああいう優しい目をしていたかというと、そうでもなかったような記憶がある。やはり、タイミングやバランスが重要な競技では、神経が研ぎすまされて、それなりに鋭い目になってくるのではないか。
 強いて言えば重量挙げの選手が彼らに近いか、と思う。確かに、オリンピックで見る重量挙げの選手も、お人好しっぽいムードがあった。ただ、国家を背負ってメダルを争うオリンピックには、純粋に個人の力を比べるWSMの牧歌的なムードがなく、その緊張感が選手にも反映していた。

 ちなみに、WSM出場選手は多くがアマチュアである。本職は消防士だったり警察官だったりきこりだったり。参加資格がアマチュアというのではなく、彼らの怪力そのものが、他のスポーツから排除しているのではないか。プロレスや重量挙げをするには、そのスポーツには必要のない、無駄な力がありすぎる。WSCのように樽を投げたり飛行機を引っ張ったりという種目を行うには、プロスポーツにはない無邪気さ、言い換えると、「ばか」であることが必要なのではあるまいか。それが彼らの優しい目を生みだしているのではなかろうか。

 そういえば、プロレスラーでも、パワーを売り物にするレスラーには、ばかが多い。ビリー・グラハム、トニー・アトラス、ハックソー・ジム・ドゥガン、中西学。どれもこれも、試合の組み立てすらろくにできないばかばかりだ。グレート・アントニオなどは、力道山時代に来日して、デモンストレーションでバス4台を引っ張り、人気爆発したが、その人気に有頂天になってしまったため、ビル・ミラーに制裁を加えられたほどのばかである。
 むろん、力持ちが必ずしもばかであるとは限らない。19世紀イギリスのジョヴァンニ・バチスタ・ベルゾーニは貧乏なイタリア移民の倅。2メートルの身長と怪力を生かして「パタゴニアのサムソン」と名乗り、サーカスで丸太を持ち上げたり鎖をちぎったりする怪力芸人となったが、やがてギャラを貯めて引退し、エジプトの遺跡を発掘し、数々の発見をなして考古学の大家となった。

 ただ、彼ら力持ちの多くは、「力持ちは気が優しいがちょっと足りない」という、全世界にわたって分布しているステロタイプに、知らず知らず従っているのではないか。そのような形で世間と調和し、自分を小馬鹿にする世間を許すことによって、あのような限りなく優しい目が生まれるのではなかろうか。

 そうすると、非力なくせに優しい目、というよりは呆けた目をしていて、商人や客引きやカツアゲから格好のカモと見なされている自分は、どうすればいいのだろうか。
 いまさら怪力など望むべくもないが、やはり私も、優しい目のばかという、イワンの馬鹿かムイシュキン公爵の路線をつき進み、実生活では聖人、ネットでは悪魔という妖怪二面男となるしかないのだろうか。そういえば「聖マッスル」という漫画があったな。関係ないけど。


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