こすぷれ喫茶のつくりかた(修羅編)

 香織は夕暮れの秋葉原を、とぼとぼと歩いていた。
「もう、あの店、辞めたい……」
 正道に戻るつもりで、心機一転して前職を隠し、バイトすることができた喫茶店。
 純喫茶だとばかり思っていたのに。
 まさか、メイド喫茶だったなんて。
(やっぱり、店名が「ブルーベリー」じゃなく、「ぶるーべりー」だった時点で気づくべきだったんだわ)
(まだしも、トイレの貼り紙が「トイレットペーパーのお持ち帰りはご遠慮ください」じゃなく、「ペーパー持ち帰りは、めー!だぞ」だった時点で気づいておくべきだったんだわ)
(せめて、店内の音楽がベートーベンの「エリーゼのために」じゃなく筋肉少女帯の「エリーゼのために」だった時点で気づけばよかったんだわ)
(そして、ああ、あの制服を見せられたとき、きっぱり断る勇気を持つべきだったんだわ)
(もう私は、メイド喫茶にまで身を堕としてしまったんだわ)

 枯れ葉が香織の足元をかさこそと弄んで飛びさってゆく。
 その枯れ葉が、噴水の水面に落ち、小さな波紋をつくった。
 その小さな波紋が大きな波紋をよび、ごぼごぼと底からうかびあがってくるものがある。
 それは、黒のタキシードに身を包んだ香織のライバル、真弓であった。
「香げぼあ、とうとぐぼぼメがばあ喫茶にごぼぼぼしたようね」
「あの……水吐きながら喋られてもよくわかんないんだけど……」
「あたしと同じメイド喫茶の一員になれて嬉しいんでしょう? 同格だと思ってるんでしょう? 友達になってほしいんでしょ? ほほほ、残念だわね!」
「いえ……そんなところに潜っている友達って、なんか欲しくない」
「ここでなら持病の花粉症も大丈夫だから、あんたを待ってたのよ!」
「それより風邪ひくんじゃない?」
「このタキシードは英国産で、防水加工で保温性に優れた素材を使用しているから大丈夫なのよ!」
「そこまでびしょぬれになったら、あんま意味ないと思うんだけど」
「いちいちうるさいわね! 一応言っておくけど、あんな古臭いメイド喫茶なんか、もうあたしは捨て去ったのよ!」
「えー、あんなにコスプレ喫茶をゴミのように貶し、メイド喫茶に誇りを持っていた真弓が?」
「古いのよ、もう古臭いのよメイドなんて。これからは執事喫茶の時代よ!」
「ひつじ喫茶?」
「そう、牧場での愛らしい羊ちゃんとのふれあいから毛狩りプレイ、そして解体ショー、最後は羊の骨つき塩茹で肉をとことんまでバター茶とともに味わっていただく本格的モンゴル喫茶店……てなわけがあるかーっ! 途中でツッコミなさいよ! 執事喫茶よ執事喫茶!」
 真弓は胸をはり、びしょぬれの黒いタキシードを誇らしげに見せた。
「あたしは池袋の執事喫茶「黒羊さんたら噛まずに食べた」の店長なのよ。メイドだったら、なんの能力もないあんただってできるでしょうよ。どこのバカ娘だって、あしたからなれるでしょうよ。でも執事は違うの。イケメン青年をよりすぐってくるの。それもすぐに店に出すわけじゃないわ。一流ホテルの給仕長に、3カ月間みっちりとお客様への応対を教えこむの。執事はエリートなのよ」
「執事はエリートでも、ご主人様はねえ」
「うっさいわね! まずお出しするものからしても、あんたのチンケなメイド喫茶とは大違いだわ。どうせ紅茶は日東のティーバッグでしょ。コーヒーはマックスコーヒーでしょ。うちは茶葉から、アールグレイ、オレンジペコ、アッサム、ダージリンと数十種類を取り揃え、お客様のご注文によりブレンドして出すのよ。もちろんポットでね。お茶菓子はマカロンよ。貧乏なメイド風情では、マカロンなんて見たこともないでしょうね」
「真弓……メイド命だったあなたに、いったい何が起こったの? なぜそんなに、メイドを憎むようになったの? メイド狩りにあったの? レイプされたの? アナルセックスも強要されたの? ハメ撮り写真を公表するぞって脅迫されてるの?」
「なに勝手に他人の不幸な過去を捏造してるのよ! あたしはもう、アキバみたいな腐った街にはサヨナラよ。池袋で華麗な生活を送るのよ」
「池袋もあんまり、華麗な街とはいえないと思う……」
 言い捨ててJR秋葉原駅へと颯爽と歩いていく真弓。後ろに点々と残る水滴。香織は彼女を見送りながら、ぼんやりと考えていた。
(あの格好で、電車、乗せてくれるのかしら)

 その香織に誰かがそっと、後ろから肩に手を乗せた。
「少女よ、泣くのはおやめ」
「あ、あなたは、「秋葉原メイドガイド」の副監修をしてらした秋葉城蓮さん」
 香織は秋葉城蓮に面識があった。メイド店全制覇と豪語し、今勤めているメイド喫茶にも、週に1回は訪れるのであった。そして常連ぶってタメ口でメイドに話しかけ、陰ではメイドたちに「タメ口ウザオ」というあだ名をつけられている存在であった。
「たしかに、いまは執事ブーム、執事喫茶に風が吹いている。しかし風向きなんか、いつ変わるかわかったものではない。わかっていることは、いまも秋葉原にはメイド魂が萌えているということだ」
「あの……あたし、別にメイド魂は……」
「メイドはなんだってできる。メイド喫茶、メイドリフレクソロジー、メイドマッサージ、メイド眼鏡店、メイド宝飾店、メイドガイド、その業務の横展開は今も続いている。底知れないパワーだ。それに比べ、執事には執事喫茶以外のなにができる? ただの茶運びクソ人形じゃないか! そんなクソ野郎どもに、メイドは断じて負けない!」
「秋葉さんも、執事に対するその憎しみは何? まさか、執事のオヤジ狩りにあったとか? コレクションしていたメイド喫茶のコースターを破かれたとか? あんたには執事の品格がないと、はっきり言われたとか?」
「別にそんなことない! 私はいま、新業種を模索している。メイドハリというのはどうだろう。メイドが客に鍼を打つのだ。メイドのMとハリのS、これが合体するとものすごいことになるぞ。たまには「いやーん、ご主人様、ツボを間違えちゃいましたー」というドジっ娘メイドもいたりしてな」
「それ、絶対、なんかの法律にひっかかると思います」
「これは私の考えの一端にすぎん。まだまだ素晴らしいアイディアがある。君もメイドとして胸を張って、私とともにメイド道に邁進しよう」
「えー、巻き込まないでー」

 1カ月後。
「万世橋警察は昨日、秋葉原で営業していたメイドカウンセリング店、「癒しもん」のオーナーである自称秋葉城蓮、本名山本太郎と、店長の池辺香織を薬事法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕しました。調べによるとこの店では、メイド姿の女性によるストレスケアを行うとともに、アメリカから違法に輸入した向精神薬を販売していたということです」


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