私立海賊兵学校・休講の午前編

「ええと、1時間目の応急処置の授業は、トーニオ先生がまた鬱になったのできょうも自習です。それでは出席を取ります。アメリア」
「今日も保健室だよ」
 ニーナの呼びかけに、だれか生徒が答えるとともに、くすくすと教室に笑い声が流れる。
「ちっ、また保健室登校か」
 舌打ちをしたニーナは、教室後部に目をやって怒鳴る。
「こら、イザベラ・デ・リッチ、また勝手に机と椅子を持ち込みやがったな」
 豪勢なソファに身を沈めた女生徒は、先生の声を無視して、小さなベルを鳴らす。
「セバスチャン、ミントのお茶をいれておくれ。少し薄めにね」
「はい、かしこまりましたお嬢様」
 執事に命令したあとで、お嬢様はゆっくりと微笑む。
「あーら先生、またぞろ、ご自分の管理能力の欠如から来る苛立ちを、こちらへやつあたりするんですの?」
「ぬぁんだとっ」
 ニーナは逆上した。
「おっ、お前とは、先生と生徒という枠をはずして、いっぺんじっくりと話しあってみる必要があるようだな」
「あら、あたしはそんな必要は認めませんことよ。そもそも先生と認めたわけじゃないことですし」
「ううううう、口数の減らない奴め、あたしが減らしてやろうかその口をっ」
「あら、弁論で負けたからって、こんどは実力行使ですの? よろしいですわ。世界に冠たるリッチ財閥の実力、見せてあげますわ。まずは小手調べに、トリノの傭兵軍団をお送りして、ひと勝負さしあげましょうか」
「勝負だとー。うぉー、勝負ならわしのもんじゃーい」
 身の丈3メートルの番長が、勝負と聞いて騒ぎだす。
「いっぺんてめぇらには、ヤキ入れんとあかんなと、思うとったんじゃー」
「先生、自習になってないんですけど」
 ナヴィアの言葉が、騒然とした1年4組の教室の空気を、氷のナイフのように切り裂いた。
「自分でできないなら、静かにしてあげましょうか」
 無数の氷片が裂けとぶ。
「すみませーん」
 ニーナは情けなくも、生徒に向かって謝った。お嬢様も番長も、気まずく黙りこんだ。
 教室の空気はとげとげしいながらも、冷凍されて活動を停止したようだった。

 そのころ、「面会謝絶」の札が下がった保健室の中では、ひとりの中年男がベッドに寝っ転がって風刺本を読み、ひとりの少女が、ただうつむいて座っていた。
「ぼーくも、けっこーう、暇人だーけど、きみは、よーく、毎日、飽きないねえ」
 鬱と称して寝ているトーニオ先生は、スローモーなしゃべり方で、風刺本から目を外しもしないで少女に話しかける。
「慣れてますから」
 少女の答えは簡潔なものだった。
 教室に行くと、さまざまな生徒のとげとげした意志がぶつかりあう。
 それに傷つけられるのがいやで、保健室に毎日来てしまう。
「きーみは、どーうして、この学校に、入ったんだーい」
「あたし、内気だから」
 少女はぽつりと答えた。
「それに船に乗っちゃえば逃げられないから、って、親に入れられたんです」
「ふー、ん」
 それきり少女には興味をなくしたらしく、トーニオ先生はまただらしなく、風刺本をめくりはじめた。
 しばらく沈黙が流れた。トーニオ先生がページをめくる音と、遠くから聞こえる喧噪、あとは窓をたたく風の音だけ。

「船はねえ」
 独り言のように、トーニオ先生は呟いた。
「いろーんな人がぁ、いるんだ」
 少女は腕に顔をもたせて眠ったのか、動かない。
「いろーんな人にねぇ、はーじめて会うから、酔っちゃうん、だ、よ、ねえ」
 風が窓をたたく。
「でもー、そーのうち、慣れて、酔わぁなく、なるんだよ」
 少女は動かない。
「慣ぁれーる、ん、だよ、なぁ」
 アメリアはじっとしている。


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